『“樹木希林”を生きる』

 10月初旬の封切から1ヶ月弱。ハロウィーンで渋谷に仮装した人々が集まり始めた、10月末日の午後7時10分から始まる回を銀座の以前『モリのいる場所』を観た映画館で観て来ました。この映画は封切時点から関東でもたった3館でしか上映されていません。23区内に至ってはたったの1館、つまり、この映画館だけです。上映回数は1日5回とかなりの回数でしたが、翌日11月1日(金)からは1日2回の予定に変わるようでした。

 シアターに入ると、確かにここ1館であるにしては、客足が限られているように見え、20人少々しかいませんでした。男女はほぼ半々程度。年齢層は上の方に偏っていて、平均をとっても50代後半にはなりそうな感じでした。場所柄を反映してか、それなりにきちんとした服装をしている人が多く、バッグや靴なども4ケタの値段で買えそうなものは、パッと見でなかったように思います。

 女優樹木希林の死後、雨後の竹の子のように、樹木希林の言葉や生き方を紹介した書籍が発売されています。私は『樹木希林と一緒』と題された長い特集記事が掲載されている『SWITCH』という雑誌をネットで中古で買い、さらに『一切なりゆき 樹木希林のことば』を買って読んだ後、書店で類書の中身を読み比べてみました。書籍の間でも書籍の内容の間でも、非常に重複感が多く、どれもが慌てて出版した感が否めません。劇中でも「モノへのこだわりとかは全然ないから…」と使った台本もすぐに古紙に出すような人物ですから、何か遺稿などの資料が出てくるはずもなく、2匹目どころか、10匹目ぐらいの泥鰌を狙うような作品群に目新しいコンテンツが出てくる訳がありません。その結果、生前に親しかったと名乗る人々が自分名義かライター名義で書籍を出す結果に移行しつつあるようにも見えます。

 私は樹木希林の生きざまに多少の関心があります。この作品の劇中でも撮影風景が登場する『日日是好日』の感想の中で、私は以下のように書いています。

「この映画を観に行くことにした最大の理由は、やはりその樹木希林の存在です。『モリのいる場所』のこのブログの感想の中でも…

「樹木希林の名演も間違いなくこの映画の重要な要素です。老境の夫婦の関係性をとても肌理細やかに表現しています。私は樹木希林のファンではありませんし、特に印象に残る役柄を過去に記憶していません。子供の頃、リアルタイムで見ていた番組の中で、いきなり自分の名前を売ると言う極めて特異な発想を発揮したことや、何かの座談会的な番組で、貧乏役者の若者が「芸術活動に対して、公的機関がもっと支援をするべきだ」と自分たちの窮状を嘆いたのを聞いて、「そんなことをしていい芝居を作れる訳がない」とあっさりと切り捨てていたことなど、色々な場面で表明されるまっとうな見識の方が、私の彼女についての脳内イメージを作る構成要素になっています」

と書いていますが、その後も『万引き家族』関連の報道や他界の報道を見聞きして、より彼女の人生観などに関心が湧くようになっていました。元々、何時までも別れない夫の内田裕也もロックンローラーとしてではなく『水のないプール』や『十階のモスキート』の主役としての衝撃的な記憶が残っていて、そこからのつながりで樹木希林へのインフラ的関心が湧いたということもあります。

 もちろん、樹木希林自身の出演作でも名画の『ツィゴイネルワイゼン』や『さびしんぼう』は辛うじて彼女の役柄を覚えていますし、『リターナー』や『駆込み女と駆出し男』の影の実力者的役回りも『海街diary』の世俗的おばはんも、そして『モリのいる場所』の画家の老妻も明確な記憶ではありませんが、安心感があったように思います。むしろこうした脇役の方が光る女優さんで『あん』は悪い物語では決してありませんでしたが、少々間が持たない感じが無きにしも非ずでした。

 この脇役が特に光る感じは、私が当時の写真用フィルム業界関係者として馴染みあるフジカラーのCMでも、当時北海道在住者として多少注目はしたピップエレキバンのCMでも活きていると思います。また数少ない私がガッツリ見たTVドラマ『寺内貫太郎一家』でも「ジュリー~!」と悶え叫ぶエロバーさんはそう簡単に記憶から消えるものではありません。

 先述の役者としての仕事観もそうですが、女性の人生などについてのコメントも非常に深いものが多く、具体的に細かく記憶していませんが、岸田森との4年の結婚生活の後に、内田裕也と再婚しますが、すぐに別居状態になって内田裕也との裁判劇を経てもずっと結婚生活を続けるという、不倫や離婚をことのほか醜聞として取り上げるメディアのトレンドの中にあって、毅然とその状態を維持し続ける価値観自体に魅力を感じます」

 そのような注目に値する人ではあると思いますが、ファンでもありませんし、その人生観は、私からすると一本筋が通っているが故に分かりやすく、一旦、分かってしまえば、それ以降はすべて想定内と言う風に思えてなりません。私には既に15年以上、月1、2回の頻度で通う新宿の老舗バーがありますが、そこの齢70頃のママの価値観に樹木希林のものは非常に近いことも、“想定内”の理由かもしれません。

 樹木希林のファンでもなく、その作品群を見直したいとも全然思いませんが、世の中で騒がれる樹木希林の人生観はかなり理解できるつもりでいます。その私から見て、樹木希林の言葉を厳かに語り継ごうとする書籍群の山にはどうも如何わしさが漂っています。そして、そのような書籍群は相応の売上を上げているはずなのに、その人生観を見習って「SNSを止めた」とか「服はすべて着潰すまで着るようにした」とか「(結婚も含めて)自分が考えてした決断の結果からは逃げないようにした」と言っている人物にはとんとお目にかからないことが非常に不思議です。そんな風潮の中の彼女の“偶像”とは異なるはずの、彼女のナマの言動を見極めに行こうかという欲求が湧いたのが、この作品を観に行くことにしたほぼ唯一の思惑です。

 この作品は、樹木希林のほぼ最期の1年間長期密着したNHKのドキュメンタリー番組に、多数の未公開映像を加えて作られたものとされています。作品の冒頭でも、その1年間に彼女は4作もの映画に出演することになっていると語られます。そんな彼女のドキュメンタリーを制作する企画をNHK側は「樹木希林は捉えどころがなく、難しい人だから、作品として成立しにくい。止めた方が良い」と反対したと劇中で何度も語られています。それを押し切って企画を通したのは、『いとの森の家』と言う作品で樹木希林を役者として見た監督の木寺一孝と言う人物でした。

 彼は樹木希林の特異な人物像と人生観に魅入られ、それをもっとよく知ろうという欲求を抑えられず、自分一人で撮影に臨むことを条件に樹木希林の密着取材の許可を取ったのです。この作品は彼が、企画、撮影、監督、語り、そして、インタビュアーとほぼ全部一人で行なっているものです。そして、だからこそ、彼の準備不足や理解不足、さらに言うなら、愚劣さや傲慢さ卑屈さがどんどん露呈する不快な作品に仕上がってしまっています。

 この不快さは二つの要因が重なり合って醸成されているように思えます。一つは先述のような明らかな企画者の思慮と覚悟の欠落です。劇中でも再三語られている通り、本人の「樹木希林と言う人間をもっとよく知りたい」という或る種の無邪気さで企画は立ちあがっています。そして、NHK側はもとより、樹木希林からもその内容や質を問われる立場に追い詰められていくのです。この木寺という人物は、単に樹木希林の日常の中で、「今、これは何をやっているんですか」とか「樹木さんのような大女優なのに、自分で車を運転して現場に行くんですね」などと無邪気に投げかけ、その都度、樹木希林からアドリブのナマの答えを引き出すことに成功しています。しかし、それは樹木希林からすると、「色は何が好きか」などと聞かれているのと同じで、ほとんど何の意味も持ちません。そこで、樹木希林の方は、「そういう風に尋ねるのは、どうしてなの?私は自分で好き勝手にやっているわ。それを受け止めているあなたはどう感じているの?」のような問いを返してくるのです。この質問の途端に、あまりの準備の無さが露呈して、「まあ、何となくですね」的な苦し紛れのどうでも良いような答えが木寺なる人物からダダ漏れるのです。

 樹木希林の有名な夫婦関係や恋愛観を深掘りしようと、彼が尋ねると、またいつものように、問い返しが襲ってきます。すると、彼は馬鹿正直に自分が妻と上手く行っていないことを吐露し始めるのです。樹木希林はそれを聞いて、当初は彼女なりの考えを述べます。すると、木寺なる人物は、「はあ、そうかもしれませんね」などと生煮えの反応をただ返し、その会話を何も掘り下げることもしないですし、その後、樹木希林のアドバイスに従って、自分の夫婦関係において何かの行動に打って出たということもしないのです。体当たりの人生の果てにでき上がった価値観を、それが潰えようとしている限られた時間を投じさせた上で、真剣勝負で直接語らせておいて、自分はそれを受け流し続けるという卑劣極まりない態度を重ねて行くのです。馬鹿げています。よくもこんな愚劣な人間の一年もの長きに渡った取材のオファーを樹木希林も受けたものです。

 現実に、樹木希林は何も得ることもなく何の刺激もなく何の発見もなく、ただダラダラとついて来ては、意味も生まれないくだらない質問を続け、ヘラヘラしている木寺なる人物に付き合い続けることに疲れてきます。そして、投げ出すのです。すると、木寺なる人物は、その都度、「樹木希林さんをもっと知って、描き出すことの方法を自分なりに真剣に考えてみる」などと苦し紛れのような言い訳を切々と語り、メソメソと泣き、樹木希林の同情を得て、ギリギリ取材を続けるのでした。その結果、1年間の長期取材と言いながら、現実には、数か月の間隙が空いてしまっていることもありますし、終盤に近付けば近付くほど、樹木希林の語りの量は減り、その語りがあっても、それは彼女の木寺なる人物に対する「あなたは結局何をしたいの?」という苦言で埋められています。

 マイケル・ムーアのような相手を苛立たせることで本音を引き出すインタビュー作品も存在しますが、明らかに、この木寺なる人物は、樹木希林を苛立たせても何一つ引き出すことに成功していません。

 もう一つの要因が、樹木希林の仕事の質への強烈な執着を、木寺なる人物を含め、この企画に関わっている人々が全員甘く見ていることです。 劇中で『万引き家族』の台本読み合わせが終了した段階で是枝監督に、樹木希林が「老婆の人物像が薄っぺらく、まるで、部屋の奥には仏壇があって、毎日そこに手を合わすような、今時全然いない老人の女のイメージしか感じられない」と詰め寄っている場面があります。結局、是枝監督は樹木希林の役の人間性を表現するために台本を大幅に書き足す決断をしています。今や“世界の是枝監督”でさえ、既に何作も配役をしている間柄の樹木希林と向き合うことに、これほどまでの集中を求められているのです。

 また、『モリのいる場所』の場面ではヘア・スタイリストに執拗にモデルとなっている老妻の髪型を写真から再現するように迫っている樹木希林の姿も描かれています。台所で使う台布巾が綺麗すぎると不自然だからと、自分の家から使い込んだ包丁と台布巾を持ち込んでくる緻密さを伴う執着です。劇中の場面だけで見ても、樹木希林が自分が演じる役を可能な限り完璧なものにすることに強烈な執着を持っていることが分かります。

 当たり前のことですが、本人が映り込んでいる作品に、役者としてそのコンセプトやメッセージ性に従った適切この上ない表現を追求するのが樹木希林であれば、このドキュメンタリーにも、樹木希林がそれを求めるのは当然です。樹木希林は取材開始後、数ヶ月で、そのようなことをあからさまに求め始めますが、ここでも木寺なる人物は、それに全く応えることもできず、自分から変えることもできず、ただオロオロ・ダラダラ・ヘラヘラと撮影を続けるのです。これでは樹木希林から見捨てられて当然です。

 ところが、傲慢極まりないことに、木寺なる人物が「お節介」(とどの口が言うのかと言うほどに、立場をわきまえてない評価だと思いますが)と評する樹木希林は作品の質を木寺なる人物の愚昧な対応を待たずに、どんどん意味あるものへ変えるべく動き始めます。数年ぶりのPETの結果、全身に癌が回り余命1年弱を宣言された説明に数ヶ月ぶりに彼を呼び出し、いきなり解説を始めたりします。また、その後、自宅での訪問医療を受けるのにあたって、医師・看護師から説明を自宅で受ける場面にも、木寺なる人物を呼び出して、撮影をさせるのでした。つまり、自分の死に向かう姿をこの作品に無理矢理に入れ込むことで、作品の質を追求しようとしたのです。107分の尺のうち、後ろの30分ぐらいは、事実上、樹木希林版の『エンディングノート』になっています。そこに木寺なる人物の意図は殆ど関与していないように見えます。余程、樹木希林は自分の最期の1年を描く、それも天下のNHKのドキュメンタリーがグダグダなものになることを避けたかったのでしょう。

 それでも、この作品には、まるで下手な言い訳のような気休めが終盤に用意されています。今まで撮り貯めた動画を粗く編集したものをPCで樹木希林に見せる場面です。各々の場面を懐かしむように且つ慈しむように見つめる樹木希林の顔には安堵も窺えます。木寺なる人物に向かって、「そうよ。自分中心でいいのよ」と樹木希林はぼそりと告げています。

 クリエイターなのですから、樹木希林に圧倒されることなく、やるべきことはやり、直すべきことは(是枝監督のように)直し、自分流を押し通せばよかっただけのことです。樹木希林のドキュメンタリーに自分の妻との不仲の解説を入れる必要など全く発生しなかったことでしょう。その事実に、木寺なる人物は最後近くになって辛うじて気づかされ、「一生忘れない人生の指針」のように受け止めています。愚昧極まりない展開です。会社の反対をおしてまで自分一人で企画から撮影まですべてをこなす道を選んだのに、なぜそれを堂々と樹木希林に対峙して告げることができなかったのか。なぜそんなレベルの低い人間にNHKも制作を任せるのか。全く意味不明です。

 私はビジネス誌の編集者を1年勤めたことがあります。中小零細経営者をどんどん訪ねてはその経営観を単刀直入に尋ねる商売でした。経営者の方々は皆真摯に自分の経営観や人生観を時間を惜しまず語ってくれました。そんな中で、私が常々抱いていた疑問は、「なぜこの人々は、貴重な時間を割いて真剣に答えてくれるのだろう」でした。誌面に載れば、PRになるという物理的なメリットは明確にあります。しかし、多くの取材はリサーチ段階のもので、記事になることもないのに、経営者の方々の対応は大きく変わることがありませんでした。

 その疑問を私は何人かの経営者に直接ぶつけてみたことがあります。すると、答えは概ね「日常にない出会いの価値と言うのはあるだろう。そこで何か自分が大きく変わるものが得られたらいいなぁという期待だろうな」と言うようなものでした。数人の経営者のそのような答えを伺ってから、私はそれを取材に協力して下さった方々にせめてもたらすことができるように常に意識するようになりました。端的にそれが何であれ、「この取材は、良い時間だった」、「会えて良かった」と言ってもらえる時空間を創り出す覚悟と準備を重ねて取材に臨むようになりました。ですから、「何も生まれてこない」という後半を通して描かれる樹木希林の煩悶は理解できるつもりでいます。

 劇中、樹木希林は「よく、『希林さんはこう言ったじゃないですか』とか、私が全然言った覚えのないことを言われるのよ。けど、それはまとめられてすっきりとした言葉にされてしまっているから、もう私の言葉じゃないの。もう違う言葉なのよ」と言うようなことを述べています。現実に、このドキュメンタリーでも、「樹木さんが昨日仰っていた話ですかが…」と木寺なる人物が振ると、「私、そんなことを言ったっけ?」と樹木希林が応じている場面が登場します。これは加齢による認知の障害ではなく、やはり樹木希林の言う「ニュアンスの違い」が原因であろうと考えるべきです。それは、その場その場のナマのコミュニケーションの状況に合わせて、自称「(スターではない)労働者としての役者」である樹木希林が全力を持ってアドリブで応じた珠玉の一発芸なのだと思えるのです。

 これが多分、私が数多の樹木希林本の内容に抱く違和感の発生構造であろうと思われます。それが如実に分かったという点で、この作品は私には大きな価値があります。しかし、企画監督者の煮え切らなさ、卑怯さ、女々しさには、かなり閉口させられます。樹木希林自作のエンディングノート的な価値が加わって、なんとかギリギリDVDは買いと言う感じです。