10月半ばの祝日の月曜日。封切から二日目のタイミングで新宿武蔵野館で観て来ました。関東ではたった3館。千葉県は天才に関心があるのかもしれませんが、2館が千葉県内。都内ではたった1館しかない上映館です。いつもの如く、少しマイナーな映画に鑑賞する作品群を寄せるために、その手の作品を探していて見つけました。
原題は『Why Are We Creative?』です。広告代理店に勤める男性が、クリエイティブな作業の本質を探るために、世の中のクリエイティブな人々に「なぜあなたはクリエイティブなのか」と30年かけて質問してまわった結果をドキュメンタリーとしてまとめた映画と言うことを知って、観に行ってみようかと思い立ちました。広告代理店でデザインをしたりプランしたり担当者や担当部署のことを「クリエイティブ」と呼びますが、如何にも広告代理店の人々が考え付きそうなネタです。観に行きたいと考えた背景には二つの相反する動機があります。
一つはやはり、欧米の人々に根付くクリエイティブに対する妄執のようなものを描写したものであれば面白いかなと思えたからです。クリエイティブ(creative)は「創造性のある」と言った形容詞ですが、人の性格や行動パターンをあらわす言葉としてよく使われることに、私は留学中に気づきました。そして、それは、彼らにとって非常に望ましいことであり、そうでありたいと多くの人々が強く願っているように感じました。願っているというよりも、そうあらねばならないという一種の強迫に近いような認識です。
日本の高校と電電公社在籍時の二年間にわたる幹部候補生養成訓練の結果、私は留学して1年生のクラスで成績がよく、1学期で1年生を終え、続く2学期間で2年生を終えました。入学して丸一年後には3年生になった訳です。そんな私に「どうやったら、そういうことができるのか」と尋ねてくる人は二桁いましたが、その半数以上の先方が勝手に到達する結論が、「あなたはクリエイティブだからだ」でした。少なくとも、日本人であれば、こう言った表現の結論に勝手に至ることはないでしょう。そして、このクリエイティブであること(クリエイティビティだと思いますが)は、多くの場合、「神があなたをそのように作った」という原理で説明されてお終いでした。私がどのようなことを応えてもほとんど関係ナシです。そのように思い込んでいるので、それ以外の結論を受け容れられないのであろうと考えるしかありませんでした。
もう一つの理由は、この手のインタビューもののドキュメンタリーに私は好感をまあまあ持っていることが挙げられます。パンフにも書かれていますが、映画の構成は多少マイケル・ムーアの作品群に似ています。アポなしで、所謂芸術家や芸能人、映画関係者、建築家などに唐突に質問を投げて行く点で、似ていると言えば似ています。
しかし、この作品の方は、ただ只管数を稼ぐことに集中していて、マイケル・ムーア作品に比べて各々のコメントが非常に断片的になっています。おまけにアポなしの突撃取材の結果、相手も不本意な答えを慌てて答えている様子であることも頻繁に発生しています。私がこの映画が本来あるべきだった姿に近いと感じたのは、名作の『デブラ・ウィンガーを探して』です。
ウィキの解説に拠れば「女優のロザンナ・アークエットの初監督作品。実に34人ものハリウッド女優たちが登場し、ロザンナと一対一で、またホームパーティーの場で、女優として、女として、母親としての自身の体験や悩みを語っていく」という内容の映画です。質問される側は全員ハリウッド女優と言う同じ立場で、事前にアレンジされたインタビューなので、非常に含蓄のある意見を皆が述べます。おまけに、テーマも絞り込まれていて、立場も同じ人々なので、ベクトルが概ね同じ向きの言葉がどんどん並べられていくのです。ジェンダー論などを考える際にも、非常に参考になる中身の濃い作品です。
それに対して、一点目の関心事だった「クリエイティブ」であることの理由を尋ねても、ほぼ全員適当な思い付きで、異なった切り口の主観的な話ばかりが取りとめなく漏れ出てくる感じです。「子供時代のトラウマから逃げるため」、「何かを作ることは基本的に人間をクリエイティブにする」などと言った、構造的な原因に言及しているものもあれば、私の好きな男優のウィレム・ダフォーのような「(映画を)皆と協力して創る仕事だと思っている」とか、「キャンバスの中の世界を私は描いている間完全に支配している」とか意味不明で質問に対する関連性の少ない単なる仕事観を述べているようなケースもあれば、ご多聞に漏れず「神がそう作ったから」と言ったただの宗教的な見解を述べているだけの話もあります。そして、一方からはビョークの「もともとそうだから」のような平坦な答えも結構紛れ込んできます。
マイケル・ムーア作品なら、これらの意見をそれなりに串刺しにした見解をそれなりには呈示することと思いますが、この広告代理店の男は、ほとんどそういうことをしません。インタビューの際に書いてもらった色紙をただ並べて展示するだけの展示会を行なうなど、「博物」としてこれらを扱うだけなのです。やはり何か「クリエイティブであること」に対する妄執が感じられます。だからこそ、知名度の高い“クリエイティブだと思われやすい人々”の不用意な言葉や反応を並べて見せるだけでも、展覧会の価値があるということなのでしょう。
イノベーションもクリエイティブでなければ起こせないものだとするならば、イノベーションの方の発生メカニズムはほぼ明らかになっていますから、クリエイティビティの発生原理も基本的に類似したものであることでしょう。スティーブン・ジョンソンがTEDでも説明していますが、結局は上質で多様なインプットを頭に貯めておき、特定のニーズを圧力のように掛けると、無意識が蓄積されたインプットから最適解を生成するというプロセスに過ぎません。セレンディピティと言われる事柄そのものです。クリエイティブと言うのも、多少の遺伝的な何かの要素はあるでしょうが、殆ど上質なインプットと絞り込まれたアウトプットのサイクルの反復によって成り立っていると考えるべきです。
そんな風な答えは30年前の段階ではなかったかもしれませんが、現在に向けて編集された本作品中にも全く登場しません。ただただ漠然とした馬鹿げた質問を重ねて回っています。日本人では荒木経惟にもインタビューをしていますが、彼も全然まともな答えを返さず、「(ヌードモデルを)撮影している時には勃起するが、それを人が鑑賞して心動かされているのを見ても勃起はしない。創造している瞬間というのはそういうもの…」と言ったことを答えています。すると、無能な広告代理店の男は、日本人の創造性とは性欲と連動しているとでも思ったのかもしれません。北野武には「なぜあなたはクリエイティブか」という定番の質問をせずに、「あなたは作品作りをしている時に勃起するか」と尋ねているのです。かなり知能のほどが疑われる状況です。
おまけに世界の政治家にも国際会議の場に忍び込み定番の方の質問をして回ります。ネルソン・マンデラからも頓珍漢な答えを得てお茶を濁していますし、ジョージ・ブッシュからも顰蹙を買うだけに終わっています。日本人の感覚でこれらの人をクリエイティブだとは感じないと思いますが、質問されたこれらの政治家たちも自分がクリエイティブであると考えていないことがアリアリと分かる展開でした。
一方で政治活動の一環として創作を行なっている文筆家やダンス・パフォーマーのような人々も登場しますが、当然、「よく分からないが、戦うために必要だから」と言った訳のわからないコメントを引き出すことぐらいにしか成功していません。
先述のウィレム・ダフォーやクエンティン・タランティーノなどの、生のアドリブを聞けるのはなかなか楽しく見る価値がありましたし、ダライ・ラマがクリエイティブなど全く関係なしに、「(創造性のようなものは)いつもで頭の中に元々ある」のようなことをぎこちない英語で言いだした後に、「瞑想をしている時は無の境地になると言われているが、私にはそんなことができた試しがない。頭の中には色んなことが湧いてくる」と苦笑いしながら白状するのには笑えました。
面白い場面は幾つかありますが、タイトルにあるヒントなど目を皿のようにしてもどこにも見つからないようなあまりにも薄っぺらい内容なのでDVDは必要ないものと思います。祝日の12時半からの回には男女半々の30人以上の観客がいて、概ね40~50代の様子でしたが、彼らはこの出来の悪いサンプリングミュージックのような動画を、88分ほど観てどのように楽しめたのかを全く想像できませんでした。