6月下旬の封切から1ヶ月と少々。8月最初の木曜日の真夜中午前2時10分からの回をバルト9で観て来ました。この回は、1日1回の上映の最終上映日でした。公式サイトに拠れば7月段階では関東だけでも19館の上映館があったようですが、8月に入った段階で上映しているのは、全国でもたった二ヶ所で、関東ではバルト9だけ、関西では大阪梅田の同系列館ブルクナンチャラだけになっていました。
私はこの作品をバルト9のロビーに設置された専用モニタで見るまで、全く知りませんでした。正直、ほぼ同時期に告知が集中的に同様に行なわれていた『ガールズ&パンツァー最終章』に比べて圧倒的に地味な専用モニタで見ても、フィギュア並みの小さい少女たちの戦闘物語と言った認識からさらに何かが深まることもありませんでした。まして、事前に、公式ウェブなどを検索することもなく、映画紹介サイトの該当ページを読むこともなく、私にしては過去あまりない、全くのフリーハンド状態で鑑賞に臨みました。
2011年に、世の中のアニメの知らない世界を試して観てみようと思い、看板だけ見て気になっていた『劇場版そらのおとしもの 時計じかけの哀女神(エンジェロイド)』を観たことがあります。その後、テレビアニメは2シリーズとも観るは、コミックは買い揃えるは、映画の第二弾は同じ作品を二回も劇場で観るは、娘にも教えて親子で嵌るは、さらに、娘は同原作者の新作コミックまで買い揃えるは…の幅広い展開になったことがあります。この時は流石にさらっとウィキでは予習していきましたが、今回はさらに冒険して、全くの予習ナシです。
モチーフは知っていても、2014年に観に行って驚愕の作品と判明した『ロボットガールズZ』のような例もあります。マジンガーZなどのモチーフになっているロボット・アニメはリアルタイム世代なので、まあまあついて行けるだろうと観に行ってみましたが、主人公の少女たちが、せめてモビルスーツタイプのような感じのロボの操縦者になるかして、敵と戦うといった萌え系アニメなのかなと言う私のテキトーな想像を完全に裏切っていた作品でした。彼女達は、当時流行の「艦これ」のような感じで、彼女達自身が、マジンガーZやグレートマジンガー、グレンダイザーと言ったロボットの擬人化キャラだったのでした。一応、戦闘モードに入る段階での変身のような動作はありますが、普段はそのキャラを秘匿しているとか、そのキャラ的役割から離れて別人生を生きているとかそういったことは全くありません。擬人化キャラとしての常時独立した存在として過ごしているようです。私にとって、既に知っているモチーフの擬人化キャラの日常世界観を楽しむというのは全く初めての体験だったので、先述の通り、驚愕体験でした。その後、アニメDVDも全作品入手し、コミックもCDも買いました。これまた娘と共有し、今でも、「マジか!」という表現を聞くと、主題歌の一部の「マジか!マジです!マジンガーゼット!」と娘と顔を見合わせて言う習慣が日常に根付いています。
同じような経験をしようかと、2017年に『ポッピンQ』を観ました。元々それよりやや先行して上映していた『ガラスの花と壊す世界』を観ようと思っていて見逃してしまい、その後、何かその筋では人気のアニメ作品を観てみようと思い、『ポッピンQ』を観ることになりました。『ポッピンQ』は非常に面白い作品でしたし、それなりに「おおっ!」と思わせる展開や表現のヒネリがありましたが、誰かに薦めたいと思えるほどの優れモノではありませんでした。私がそれまでに見たことのあるアニメ系大作『プリキュア』初期作品、『まどマギ』シリーズ、そして先述の「そらおと」シリーズに何か幾つかの作品を混ぜ合わせて再構成したような印象しか持てませんでした。エンディングで次作の予告があり、「これは観てみたい」と一応思いましたが、その後、なしの礫のままになっているようなので、どうも、そのレベルの作品であったということなのかなと認識するに至りました。『そらおと』に比べて、私にとっての『ポッピンQ』は、作品インパクト的にも、作品の関連メディア展開においても、中途半端な感じに終わりました。
そんな中でのアニメ作品フリーハンド挑戦の体験が今回の『フレームアームズ・ガール~きゃっきゃうふふなワンダーランド~』でした。その直前に行ったピカデリーで腐女子系の大集団に人気のあるアニメ作品の存在も知っていた訳ですので、そちらにした方が、世の中を知るという意味では明らかに効用が大きかったとは思いましたが、如何せん、この頓狂なタイトルを『脱兎見!…』の一覧に加えてみたいという欲求も湧いてきたのでした。普通に考えて、そうそうあり得ないタイトルです。オノマトペでさえ映画タイトルにはあまり入ることがありませんが、いきなり「きゃっきゃうふふ」です。こんな映画タイトルがあるという事実だけでも、『脱兎見!…』のリストに加える価値があるように感じられました。
上映期間が全国で終わりつつあった当日(8月1日の「ファーストデー割引」で1200円でしたが)、パンフレットは既に売り切れていて補充の予定もないようでした。深夜のシアターに入ると、私も含めて6人しか観客は居ず、全員男性でした。体の堆積で言うと私が一番小さかったと確信していますが、年齢層は20代後半から60過ぎと言った感じで、全員、「デブ」・「ハゲ」の両方の条件をそれぞれの構成比で満たしていると言った風情でした。私も健康診断で「メタボ」領域に入り込んだと指摘されたので、少なくとも「デブ」属性仲間と言うことで、他の観客からは認識されていたかもしれません。
観てみると、オリジナル・アニメは非常に面白そうであることが十分わかりました。映画そのものが面白いのではなく、オリジナル・アニメの方がです。なぜそうなるかと言えば、この映画作品は、オリジナル・アニメの総集編の位置付けだからです。これは、以前『劇場版そらのおとしもの 時計じかけの哀女神(エンジェロイド)』を観た時と同じ構図です。それは、風音日和(かざね ひより)と言う名のウィキの配列からするとどうも脇役っぽい同級生の目線で、映画前半でテレビ・アニメのすべての出来事が描かれていることです。そして、映画後半には、その風音日和を主軸としたオリジナル・ストーリーが展開していました。
今回のこの作品では、そのような前後パーツに分かれていないので、構成上は単純なのですが、オリジナル・アニメの登場キャラたちが、(本来フィギュア・サイズなのに人間大になった)夢の中のような世界で同窓会のように集まり、過去のアニメ・シリーズの出来事をほぼ時系列に振り返るという設定なのです。ところが、「そらおと」の前半と決定的に違うのは、この作品では、描かれているのが、振り返っている登場人物達であって、振り返られている過去の映像は背景的な位置づけなのです。つまり、最近の映画DVD作品の特典映像でよくある、出演者たちによるオーディオ・コメンタリーをそのまま劇場で観ている感じをまるまる再現しているということなのでした。
最近では、紅白歌合戦でさえ、裏放送があって、所謂「内輪ウケ」や「業界ネタ」、「楽屋ネタ」を垂れ流すチャネルを設けています。しかし、それは、それを観たい人がそれを選べる環境なのだから成立しているのであって、この作品のように、強制的に裏チャンネルのみを鑑賞者に迫るというのは、なかなかの割り切りです。つまり、この作品は、『フレームアームズ・ガールズ』初心者を完全にターゲットから外すという、恐ろしいまでのセグメンテーションが為されたファン向け作品なのです。
登場人物たちが紹介もなく、それもトレーラーで観ていたのとは、全く外観も異なる格好の等身大で登場する時点で、初心者には全くイミフですが、そこから、登場人物たちの声や口調も何もわからない状態で、彼女達のトークとそのトークにかき消されて音がほとんど聞こえないオリジナル・アニメを画像で鑑賞しつつ、事態がどのようなものなのかを、初心者は推察せねばならないのです。面白い試みだと思いました。面白い試みですが、この結果、初心者の私はこの映画作品そのものを愉しむには至りませんでした。
ただ、垣間見る…というよりは、ややちきちんと見ることができ、ギリギリ推量できたオリジナル・アニメの世界観は非常に興味深いもので、引き込まれました。やはり、1960年代後半のテレビ・アニメ黄金期のリアル・タイム世代の私は、どうしても、アニメをギャグ、SF、恋愛、アクションなどと言った、ストーリー単位の種別分けをしたくなります。私のみならず、映画のジャンルなどでも普通は概ねそう言った感じの分類がまかり通っています。スポーツモノであり、少年誌連載のコミックの世界に、「恋愛」をガッツリ持ち込み、両方のジャンルとして間違いなく成立する「混合」をしたのは、あだち充の『タッチ』が初めてだと言われています。その後、あまり知られていないことですが、累計部数ではあだち充の建てた金字塔はそうそう越えられることがありませんでした。
ジャンルを複数混合するどころか、場面転換を駆使しながら、物語のタッチをありとあらゆるジャンルを横断していくアニメ作品というのは、先述のように私は慣れていませんでした。そこに映画アニメでドカーンと登場したのが、「そらおと」でした。その傾向は、『フレームアームズ・ガールズ』でよりすごい次元に至っていました。
フレームアームズ・ガールズ達の持ち主は女子高生(源内あお)ですので、(学校生活こそ明確に出ないものの)学校を舞台にした物語設定はありますし、ギャグはかなり全開ですし、シリアスな戦闘シーンもあれば、二人セットになっているフレームアームズ・ガールズの二体には、SM系の大人のエロネタがかなり明確に割り振られていたりします。さらに、少年ジャンプ風の「努力」・「友情」・「勝利」の物語骨格もきちんと存在します。ボディスーツの一部と言う設定のようですが、フレームアームズ・ガールズ達の臀部は縞パンツになっていて、戦闘中も転んだり吹っ飛ばされたりすると、すぐパンチラ状態になるなど、所謂少年誌の範囲のエロもそれなりに追求しています。
特に、素直で真面目でポーッとしたメインキャラのフレームアームズ・ガールズである轟雷は、『太陽の牙 ダグラム』に登場するCBアーマーのリニアカノンのような武器を肩に装着しています。轟雷と他数体は飛行することができないのですが、地上を移動する様子は『装甲騎兵ボトムズ』のATのように見えます。この辺のリアルなメカ感の追求も元々その方向性を極めたプラモデルをベースにしているだけあって、それなりに徹底しています。飛行できるタイプの方のフレームアームズ・ガールズ達の様相は、どちらかというと、(私が全然見ていない)ゼータ以降のガンダムのゴテゴテ感のあるメカそのものです。見ようによっては甲冑のようですから、その点で見るとファンタジーの世界観も微かに漂っているように思えます。
戦いは、バトルセッションと呼ばれ、バトルフィールドと呼ばれる仮想空間で行なわれます。そこでは、どれだけ攻撃を受けて被害が発生しても、外見上の変化はありません。アーケード・ゲームの戦闘のように単にヒットポイントが削られて行くだけで、数値がゼロになると勝敗が決まるというしくみです。所謂戦闘ロボットモノの見せ場である、四肢や顔面の破壊や損壊などと言った場面は一切発生しませんし、まして血を流したりすることもありません。(一応、フレームアームズ・ガールズ達は攻撃を受けると、多少の苦悶の表情をしたりしますが…)同じ擬人化の作品でも『艦これ』では被弾したりしてダメージを喰らうはずですし、『ロボットガールズZ』などでは、ぼこぼこにやられるシーンが登場しますが、この作品はそのような演出に踏み入らないで済ませています。
このバトルフィールドの設定は色々選べるようですが、多くの場合、アリーナ・タイプか、仮面ライダーや戦隊モノによく登場する採石場系の場所です。よく戦隊ものの巨大ロボットの玩具のテレビCMで、その番組そのものにも登場しない大気の薄いどこかの惑星のような場面になっていることがありますが、採石場の空間をよりSFチックにし押し広げたのがそういうイメージになるのだと思います。それをモロに出しているのです。
フレームアームズ・ガールズ達は、決戦に向けて壮行会をやったり温泉旅行をしたりします。壮行会では宴会芸を相互に見せたりするのですが、歌ったり踊ったり、色々とします。オペラまで朗々と歌い上げたり、集団のダンスを披露します。「そらおと」でも主要キャラがバンドをやるシーンがありましたが、オペラや漫才にまで至るぶっ飛びぶりです。ダンスの方は、元々フィギュア・サイズのアンドロイドですので、3DCG感があって当然なのですが、ここ最近画質の進歩が著しい『プリキュア』映画作品の最後を飾る恒例のダンスシーンを彷彿とさせるものでした。
劇中劇のように展開するオリジナル・アニメの中に、既視感のある設定は多々見つかります。(鑑賞後にウィキをPCでゆっくり見てみて、漸く大雑把な理解を整理するに至りましたが…)主人公と思しきフレームアームズ・ガールズは、AI搭載のフィギュア型アンドロイドです。主な登場人物たちの性格構成は、最近発売されている『物語づくりのための黄金パターン117キャラクター編』を見れば、多分、すぐにカテゴライズできるような感じです。そして、その性格構成は、「そらおと」にもそれなりに共通していて、メインになっているキャラは、ポーッとして素直で真面目がウリのショートの髪に丸顔の比較的巨乳の子です。そのような、可愛いアンドロイドの子たちが戦闘をするという意味でも、「そらおと」と同じです。
擬人化と言うことで言うなら、先述の『ロボットガールズZ』とか、有名作品の『艦これ』なども、擬人化少女たちが戦うストーリー展開です。ただ、フィギュア・サイズの対戦と言うことになると、遥か昔の『プラレス3四郎』の世界観ぐらいしか私は思いつきませんが、そんな昔の作品であっても、今回の『フレームアームズ・ガールズ』に既視感を生むには十分なインパクトがあったように思います。AIもないあの頃には主人公が自分のプラモデルのキャラに思い入れによって適宜コミュニケーションしているだけでしたが、今となっては、アンドロイド側の自律的な意思と持ち主が交流できるという設定さえ、近未来には実現しそうであると感じられる時代になりました。
元々『フレームアームズ』というのは、寿屋と言うプラモデル製造会社の、コンセプト製品群で、(人が載る訳ではありませんが)ガンダム的なロボットによる戦闘が行われている世界観の設定まできちんとあるプラモデル群であるようです。そのプラモデルの愛好家たちは、素体と呼ばれるベースのロボットに自分で各種の武器群を装着するなどして行き、オリジナルの個体を作ることができるという製品群であったようです。その製品群を可愛い女の子に擬人化させるデザインがまず生まれ、そこにストーリーが付けられ、アニメ・ドラマになり、その総集編が今回映画化されたのです。この辺の流れは、東映の宣伝キャラとして創作され、アニメ・ドラマを経て、映画、ウェブ・ラジオ、ゲーム、スロット台にまで広がった『ロボットガールズZ』にかなり似ています。
このように、オリジナル・アニメの世界観は非常に興味深いものだと分かりました。さらに、先日偶然仕事で行った立川が舞台で、ローカルネタは全開であること。プラモ・ファンを意識した数々のプラモ制作技術に関するネタの盛り込みも、登場人物に(主人公あおの父が辛うじて登場する以外に)一切男性が登場させずに済ませて恋愛展開を一切排除した、男性メインのファンへのセグメンテーションぶり。色々な点で見るべきところが満載です。早速、オリジナル・アニメのDVDをレンタルして鑑賞を始めました。楽しめます。当然、映画のDVDが出ても買いです。
追記:
アニメ映画だから、トレーラーもアニメ系ばかりだったのですが、先日ウェブ上で公開されたのとは別の劇場版エヴァンゲリオン新シリーズのトレーラーを観ました。先日、ピカデリーでも早々に登場したコルトンを見て気づいていましたが、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:■』というシリーズの第四作目のクセに、タイトルを『シン・エヴァンゲリオン』としていました。この作品の後には『シン・ウルトラマン』も制作予定とテレビでニュースになっていましたが、全くファンを馬鹿にした展開を次々とやってくれるものだと感嘆させられます。『シン・ゴジラ』の感想にも書きましたが、つける薬のない病気はあるものだとつくづく思わされます。
追記2:
私が気に入ってTシャツまで持っている「NO MORE 映画泥棒」のカメラ男が映画鑑賞マナーを示す新役をやっている映像が流れていました。Tシャツの関係上、あまりイメージから逸脱してほしくないように思えました。