『キャプテン・マーベル』

3月ど真ん中あたりの公開開始から、まる1ヶ月以上経った(『ザ・プレイス …』も観た)水曜日の夜、バルト9の10時15分からの回を観て来ました。人気作です。動員状況に敏いバルト9でもまだ1日3回もの上映がされていて、終電後にかかる上映時間枠なのに、大きめのシアターが割り当てられています。若者に人気と当て込んでいるのか、この時間枠でも1日3回のうちの2回目で、3回目は実質翌日未明に上映されていました。

シアターに入ると中規模(/大規模?)のシアター内はスカスカで、(当初数えた時は10人でしたが、暗くなってから数人付け加わったので)合計で15人ほどの観客が居ました。多くは20代と思われる若者で、カップル、同性の二人連れ、三人連れ…と言った客で全体の8割以上を占め、私を含めた単独客はほんの数人でした。

マーベルのMCUの世界は、『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』であまりの物語のくだらなさに辟易して、「もう、この後のシリーズは(MCUとは全くクロスする所なく展開する『X-MEN』シリーズを除いて)DVDで観るだけでよくて、劇場に来る必要はないな」と思えました。そのつもりだったのですが、なんとマーベルがそこへ繰り出してきたのが、『キャプテン・マーベル』です。おまけに、『アベンジャーズ』の最終の物語を次にぶつけて来て、キャプテン・マーベルもそこに登場するというのです。まるで、こちらの辟易度合いをマーベル側が察したかのようなあざといやり口です。これでは、「一応」今月末には封切を控えている『アベンジャーズ/エンドゲーム』も、最後の一本であることも鑑みて、観ざるを得ない感じになってしまいました。

前作でまあ観ても良いと思えるスカーレット・ウィッチが消えてしまって以降、ギリギリ、スカヨハ演じるブラック・ウィドーのアクションぐらいしか見所がないように感じていましたが、そこへまさかのキャプテン・マーベルの投入とは、やられました。それぐらい、キャプテン・マーベルは私にとっては印象深い作品です。

ただ、先程「一応」と書いたのは、私が好きであるのは、キャプテン・マーベルではなく、初期の頃のまだ“ミズ・マーベル”と名乗っていた頃の彼女だからです。私が高校受験の模擬試験の受験か何かで北海道の田舎町から札幌に行った際に、用事が終わった後にお楽しみの当時北海道最大の書店であった紀伊国屋に本を買いに行きました。私の住んでいた町は道北地区で普段行く大都市は35万の人口を抱える旭川市で、町の人々は何かまとまった買い物に行ったりするのは大抵旭川で、札幌に行くのは(少なくとも当時の私には)年に一度もないビッグ・イベントだったのです。その紀伊国屋で見つけたのが、光文社がその年に出したマーベル・コミックのまるまる翻訳本でした。スパイダーマンの1、2巻とファンタスティック・フォーの1巻、そして、ミズ・マーベルの1巻で、そこにあったものを全部各1冊買いました。

(過去にこのブログでもこの件(クダリ)について、「小学校(/中学校)の修学旅行で行った札幌で買った」と書いていましたが、今回この記事を書くにあたって、納戸の奥からそのコミックを出してみると、1978年初版で私が15の時であることが判明しましたので、こちらが正しい情報です。)

スパイダーマンは安っちいタッチの当時の米製アニメがテレビで放送されていたのに加え、日本でもオリジナル・コミックが出ていたり、巨大ロボットまで登場するキッチュなテレビ・ドラマもありました。ファンタスティック・フォーも多分、『宇宙怪人ゴースト』などと共にテレビで安っちい絵面のアニメが放送されていたりして、最低限の知名度は獲得していたように記憶します。しかし、ミズ・マーベルは違いました。

当時の私の知識の範囲では、単独で女性がヒーローになっている米製コミックを手にするのは全く初めてでした。日本のコミックに慣れていると、非常に見ずらいタッチの作画で、ストーリーもすんなり頭に入ってきませんでしたが、如何せん、その内容が当時の私にはぶっ飛んでいました。まずコスチュームです。今回の映画の(劇中でも「いいスキューバのスーツだな」と言われている)全身を覆うタイプではありません。ややハイレグががったホットパンツ型の下半身で太腿は丸出しです。おまけに、(初期の数話だけのようですが)臍出し・背中出しのコスチュームなのです。

私の世代でエロさを醸し出すヒロインと言えば、キューティー・ハニーだと思いますが、それでさえ、戦闘モードでは少なくとも胴体と両足は隠れていましたから、敢えて言うなら、全裸にマスクのけっこう仮面に次ぐ露出度です。さらに、持っている第一巻だけの物語でも、ハルク級の大男の地底人に圧し掛かられ、何度も顔面パンチを喰らったり首締めをされたりするので、展開だけなら、AVの一ジャンルのドミネーションものの様相がガッツリ含まれています。さらに、そのハルク的地底人キャラの宿敵グロテスクにやられ、気絶させられると、元々彼女の能力を研究しようとしていた別の敵組織に捕獲され、コスチュームを全部他の女性に着せられて光線兵器に耐えられるかどうかのテストなどをされています。つまり、本人は全裸にされて拘束されているのです。

さらに、全裸状態で本人の方は洗脳光線を額に照射されて、敵に対して従順になるように仕向けられ、葛藤する心理状態が描かれています。そこでは敵の首領が美化されたイケメンになって、抱擁したりキスしたりするイメージが描かれているのです。流石に、AVのヒロイン凌辱モノではありませんので、負けて戦闘不能にされると、そのままレイプされたりするようなことはありませんが、かなりその線に近い物語展開が1巻だけでも既に提示されています。少年にも読めるものでこれを超える内容を持つコミックは、けっこう仮面ぐらいしか見当たりませんが、永井豪のエロ系描写は常にギャグの延長に位置づけられています。(『手天童子』で巨大な鬼に全裸の女性が全身を舐めまわされるシーンがあったりしますが、主役ではありませんし、『バイオレンス・ジャック』にはジャックの分身のマッチョ系の女性が犯されるシーンが登場しますが、少年雑誌の掲載ではなかったように思います。)このミズ・マーベルのように大真面目なエロ描写の組み込みは、なかなか王道のコミックで拝めるものではありません。

一般の書店でも普通に並んでいるコミックで、SFモノでこの手をエロをガッツリ大真面目に組み込んでいる作品は今なら『性食鬼』が有名ですが、それさえ連載が危ぶまれるレベルの行き過ぎたエロ度合いです。天下のマーベルの通常の王道コミックの世界でギリギリのエロの線を極めている所に、当時の私は非常に驚かされました。第1巻でさえこういう展開なのですから、その先にはもっと凄い展開が待っていたようです。私は入手していませんが、その後、敵に洗脳で恋愛感情を植え付けられ、敵の男とセックスして、妊娠・出産までするエピソードもあるとネット情報には書かれています。洗脳されていたとは言え、実質的なレイプ被害です。

(日本の法律なら、準強姦だと思われます。実は、この準強姦犯はタイム・スリップの能力があるらしく、妊娠の結果生まれたのが本人のようです。ですので、自分の息子との近親相姦の準強姦であることらしいです。)

エロ系の同人誌などでは、スーパー・ヒロインが敵に犯されるような展開は頻出しますが、マーベルであれDCであれ敵に強姦されるヒロインを通常のコミックで描くというのは、多分他例がないと思います。逆に言えば、ミズ・マーベルはそう言う物語展開をするために創り出されたキャラであるという風に考えることさえできそうです。その後、ミズ・マーベルは、男性キャラのキャプテン・マーベルを襲名することになり、この映画のキャプテン・マーベルの呼称がそれ以降ずっと続けられます。ミズ・マーベルの方は、その後、マーベル・コミック初のイスラム教徒の少女が襲名して、ゴム人間系の能力を持った、ヒロインの物語に様変わりします。ゴム人間系は、ファンタスティック・フォーにもいますし、DCではフラッシュのシリーズにエロンゲイテッド・マンが登場します。イスラム教徒の少女と言う所で注目されているイマドキのヒロインのようですが、能力自体は特段目新しさがありません。

スーパー・ヒロインをモチーフにした専門のAV作品ばかりを創るGIGAと言うレーベルがあり、そのマーケティング力に私は注目していますが、GIGAのオリジナル・ヒロインでスパンデクサーと言う超人気キャラがいます。長いスカーフが短めのマントに変わっていますが、目だけ隠すマスクの形状や露出度の極めて高いコスチューム・デザインは、初期のミズ・マーベルとほぼ同一です。ミズ・マーベルには全く光線技などの特殊な能力はなく、単に頑丈な体と強化された筋力、飛行能力、そして第七感と呼ばれる近未来の無意識的な弱い予知能力しか持ちませんが、スパンデクサーも、(手からカメハメ波的なショック・ウェーブを集中すると出せる能力はあるものの、)基本的にミズ・マーベルと同じ“殴る・蹴る”系なのです。スパンデクサーのミズ・マーベルへの酷似から分かるように、私が知る初期のミズ・マーベルは、それほどエロ系表現を埋め込まれたものであったのでした。

そのようなミズ・マーベルと言う作品への憧憬を持つ私から見ると、今回のキャプテン・マーベルはいきなりキャプテン・マーベルとして成立する上に、フォトンブラストと呼ばれる強烈な光線技も持ち、惑星間まで自由に移動できる高い飛行能力を持っていて、おまけに、ミズ・マーベルと同じ程度に怪力で頑強で、完全にやり過ぎです。おまけに宇宙空間や水中の空気のない所では頭部全体をマスクが覆いますが、その際、髪はモヒカン状に頭頂から後頭に露出して、なんだかブサイクに見えます。

一話だけで、その誕生秘話や、女性のマー・ベルなる博士から遺志を受け継いだことなど、色々と複雑な経緯が一気に分かる展開になっていますし、その上、『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』と『アベンジャーズ/エンドゲーム』を上手く繋ぐ位置付けの物語展開が緻密に組み上げられています。評価できる作品ではありますし、内容も十分楽しめるものでした。しかし、如何せん、ミズ・マーベルの過去設定やエロ展開がぶっ飛ばされているので、物足りません。

主人公を演じるブリー・ラーソンも日本人ウケが良く私も好きなタヌキ顔系風ですので、(髪をアップにするとかなりエラが目立った変顔になりますが)好感は持てます。ここ最近では、アビー・コーニッシュやエイミー・アダムスなど、所謂典型的白人系美人とは一線を画すタヌキ顔系風の女優が目立つ役をこなすようになったように私は思っています。このブリー・ラーソンもそっち系の顔であることは間違いありません。ブリー・ラーソンをカワイイと見做すネット評も多いようですが、確かにDVDで観た『キングコング: 髑髏島の巨神』の時より、髪のボリューム感が増えて、やたらに広い額とエラが隠れがちで、可愛らしさがやや増したルックスになっているとは思いました。

ミズ・マーベル感が殆ど感じられない作品ではありますが、エンド・ロールの前後に気になるティーザーを二回も挿入し、スカヨハとブリー・ラーソンのご対面シーンまで見せられてしまうと、少々タヌキ顔系風のブリー・ラーソンの次の戦いを観てみたくなりました。『アベンジャーズ/エンドゲーム』は、劇場に観に行くべきかと思えてきました。

1990年代の私が留学した頃のアメリカの田舎を舞台に、ブロックバスター・ビデオで『トゥルー・ライズ』等身大POPのシュワちゃんの顔をぶっ飛ばしたりして暴れるキャプテン・マーベルや、サミュエル・L・ジャクソン演じるまだ何やらダサさが付きまとう頃のニック・フューリーもまあ楽しめ、珍しくダサい役を嬉々として演じるジュード・ロウ(※)なども面白くはあり、死んでからも尚、作品にカメオ出演し続ける(どころか、オープニング映像でも延々登場する)スタン・リーの姿が拝めたりするので、ギリギリDVDは買いです。

追記:
キャプテン・マーベルは元々クリー人の軍に記憶を失って拉致された地球人で、地球名はキャロル・ダンバース(Carol Susan Jane Danvers)です。空軍所属の軍人で認識票が事故で半分に割れ、苗字のうちクリー軍に回収された後ろ半分の認識票から“Vers”と呼ばれるようになりました。パンフでも字幕でも「ヴァース」と表記されています。しかし、実際の劇中では明らかに「ヴィアース」という発音になっています。確かに後半のスペルだけを見るとこちらの発音でもアリだとは確かに思えます。それであれば、字幕も「ヴィアース」にすべきであって、「ダンバース」の後ろだから「バース」にしたのは、ちょっと無理があったように感じます。

追記2:
バルト9を後にする際に、上映スケジュールをふと見ると、2月下旬に封切られたはずの『翔んで埼玉』は、未だに1日7回も上映されていました。盛り上がりの続き方だけで言うと『ボヘミアン・ラプソディ』的でもあるように感じます。

※一般的な表記に従って書いていますが、ジュード・ロウの本名は David Jude Heyworth Law で、苗字は「法律」の law と一緒ですから、発音上、「ジュード・ロー」がより適切な表記だと思います。