2月1日の封切からまる一ヶ月。2月の最終日の木曜日に、午後1時丁度からの回をバルト9で観て来ました。まるまる一ヶ月経って、その日の時点ではまだ1日5回も上映されていましたが、真昼間の時間帯に既にシアターはロビー階の小さい箱にされていました。木曜日までが区切りとなっているバルト9で金曜からは上映作品の編成が変わりますが、翌日の金曜からもこの作品は生き残っているものの、1日3回の上映に減っていました。
人気作家である池井戸潤の原作ファンが多いのか、野村萬斎を始めとする超豪華俳優陣のいずれかが観たくて来るのか、分かりませんが、その日も30人以上は観客が居たように思います。比較的年齢層は高く、40代前半ぐらいに平均値がありそうに見えました。男女比はやや男性が多いように見えましたが、男女カップル客も多く、半分からやや男性に偏っているぐらいだったように思います。
その週から本格的に飛散し始めた花粉を洗い流すような小雨が続く二日目、封切からまる一ヶ月の真昼間の上映で、これぐらい集客できるのですから、それなりに話題作なのだと思います。
私は小説を殆ど読まないので、池井戸潤作品も原作は全く読んでいません。「やられたら倍返しだ!」の流行語は知っていましたが、「半沢直樹」シリーズも、原作を読んでもいませんし、映像作品も全く見ていません。『空飛ぶタイヤ』はDVDで観てみようかと思っていますが、まだ実現していません。なぜ関心があまり湧かないかといえば、やはり、仕事の診断士の仕事の中で、現実の中小零細企業をきめ細かく看ている関係で、わざわざフィクションでそれを見る必要を感じないということが大きいかもしれません。まして、普段全く読まない小説を読んでまで作品に親しもうという気は起きません。
それでも、今回の作品は観てみようと思い立ったのは、そんな池井戸潤作品を一つぐらいは観ておこうかと思ったことと、野村萬斎の役者ぶりをそれなりに観てみたかったと言うことぐらいの理由です。
観てみて、謎解きやらが一応面白くは感じましたが、特段際立った部分を感じない作品でした。大きな組織における昼行燈的な人物が実は仮の姿と言う話は非常によくあります。最近では『特命係長 只野仁』もそうでしょうし、仕事に向き合うスタイルとして私が独立以降参考にしている『代打屋トーゴ―』のトーゴ―なども、完全にそのパターンです。時代劇なら『必殺』シリーズの中村主水も間違いなくこのカテゴリーです。今回の野村萬斎の「いねむりハッカク」と呼ばれる八角(やすみ)と言う係長も、係長昇格までは、超のつくほどのエース営業担当者でした。その時代を知っている人物は社内に多々いるはずなのに、その極端な変化を組織内で殆ど訝る者がいないというのが、どうも、物語的に無理を感じないではありません。(仮に皆が彼の優秀さを認識しているのなら、彼の怠業状況に皆が「きっと何か隠れた理由があるのだろう」と放っておいても納得していそうに感じます。)
物語は八角係長が特命を受けていて、日本全国の主要交通機関に影響を与えるであろうリコールの実施前調査が中心に据えられています。会社はリコールを調査結果が正確に把握でき次第行なうと八角係長に約束していたものの、いざ結論が分かると、隠蔽しながら問題商品の闇回収に乗り出そうとします。八角係長は親会社の“御前会議”に直訴しますが、そこでも隠蔽が決断されて失望します。そして、とうとう国交省にネタをリークして社会を揺るがすような事態を招くという話です。
八角係長の会社は航空機や新幹線などの座席の製造をしている会社のようですが、入札に勝つために、安全性が確保できない螺子を用いてコストを下げていることがずっと一部の人間の間で隠蔽され続けて来ていたのです。螺子が折れれば座席は外れ、人命に関わる事故さえ起きる可能性がある中でのリコールの判断でした。リコールには総額2000億円が必要と劇中で試算されていました。
製品リコールネタは、ここ最近のコンプライアンス系のテーマを持つ企業ドラマの定番です。ただ、人命ネタも含む豊富なテーマと各種業界の構造をそうざらえで見せてくれるという意味では、『リスクの神様』のシリーズの方が、数段優れている作品に見えました。勿論人命にかかわるようなネタは重要でリコールの必然性があるものと私も思いますが、多くの「賞味期限」問題のリークなどは、安全上の何等の問題もなく、単に完成品の廃棄を大量に誘発するだけの事象に堕しているケースも多いように思っています。それ以外の、労務管理その他のコンプライアンス系の問題とされる事柄も、外からは分からない経緯や利害関係を含んでいたり、一般人の常識では測れない業界慣習などを踏まえたものであるケースも多々見られます。そんなこんなを現場で見ることも非常に多いので、基本的に私はコンプライアンス系の企業組織の問題を単に叩く構造の話にあまり好感が持てないことが多いように思っています。
先述の『リスクの神様』は、納得の行く緻密な描写のコンプライアンス系の数々のネタとその程度に応じた対処法を清濁併せて提示する点が優れている物語のように感じています。それに比して、『七つの会議』は人命にかかわるリコールの大ネタをドンと出して見せて、「人命にかかわる大問題なんです。だから、細かいことを言っている暇はありません」的に、それに関しての議論や検討を封じるような劇中の風潮が、今一つ好感が持てない部分に思えます。
期待していた野村萬斎も、やたらに張りのあるドスの効いた声で語る人物になっていて妙に不自然さがあります。普通に立っているだけの姿でも、妙に両腕が胴体から離れていて、やや前傾姿勢の変わった身構え方で、どんな会社に行ってもこんな立ち方をしている人を見ることはありません。ゴジラをやった『シン・ゴジラ』は少々極端な役選びとはいえ、『陰陽師』シリーズ二作や『のぼうの城』、『花戦さ』など、基本的にその筋の人を演じればぴったり感がありますが、今回は逆に浮いてしまっているように感じました。野村萬斎が初めて現代人の役を演じたと語っている『スキャナー 記憶のカケラをよむ男』は、私もDVDで観て結構気に入っていますが、こちらも自分の超能力を持て余して、世捨て人になってしまっているような役ですので、中堅企業の係長とは大分“一般性”が異なります。
娘が幼い頃に画面に食い入るように観ていた『にほんごであそぼ』の野村萬斎が私としては一番好ましい野村萬斎に見えます。
豪華キャストも見所の一つで、実力派と言われるような俳優だけでも、香川照之、片岡愛之助、橋爪功、北大路欣也、鹿賀丈史、役所広司など枚挙に暇がありません。さらに、お笑い系からもオリラジの背の低い方の男が出ていますし、アイドル系では、映画ではあまり目立つ役がなかった朝倉あきがそつなく大活躍をしてくれていますし、端役ですが土屋太鳳も出ています。安心の鉄板女優としては、吉田羊まで出すという念の入れようです。『ザ・オーディション』・『Wの悲劇』以来初めて見たスクリーン上の世良公則の副社長役には驚かされました。特撮などがない分、役者のギャラの方に予算を回したのかという感じです。やたらめったら有名出演陣が揃っている作品としてみると、かなり行っちゃっているポジションだと思います。以前劇場で観た『TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ』さえ霞むほどです。
先述の通り、プロットは何か今一つなのですが、取り敢えず、豪華俳優陣をサラッと楽しむにはギリギリよい感じの映画かなと思っていたのですが、最後の最後でガッカリさせられました。国交省の役人から事情を一週間近くかけて聴取された後に、役人の一人の(まさに名前の通り)役所広司から、「なぜ企業の不正の隠蔽はなくならないか、考えを聞かせて欲しい」と請われた野村萬斎演じる八角係長が私見を述べる部分があります。エンドロールにつながるこの作品の総締め括りの重要なコンセプトの提示と見てよいでしょう。
そこで八角係長は「不正はなくならない。なぜなら組織への忠誠心が日本人はとても強く、それが組織の強みになっていて、日本経済の躍進を作った反面、組織の常識が外部のそれと乖離してしまった時、組織の常識を優先する土壌になっていて、それが不正を育て、隠蔽を招く…」的な主旨を応えるのです。一応一理はあります。そういう構造で起きる不正やその隠蔽もあり得ることでしょう。しかし、この理屈が一般的な構造として正しければ、日本以外の国では不正が起きにくく、隠蔽も起こりにくいことになってしまいます。そんなバカな話はありません。
私の印象では、不正もその隠蔽も国や文化に関係なくどこでもバンバン起きています。それどころか、私利私欲に走る人間が日本よりも相対的に多い海外の方が不正も隠蔽も数多く起きていると私には思えます。退任すると多くの大統領が犯罪者に成り果てる韓国や、贈賄汚職を取り締まると更迭される人間ばかりの中国共産党、情報操作が十八番の米国政府とその他政府関係機関などなど、事例に事欠くことはありません。余りに多く、多くの国では細かいことでは騒がなくなっているのに対して、相応に相互監視力が存在する日本ではやる時はかなり周到にやらねばならず、ばれるとあまり他例が多くないために、大袈裟に騒がれる…と言ったメカニズムであるようにさえ感じられるのです。
最後にわざわざ主役の独白として語らせる以上、これが池井戸潤の認識でもあるのだろうと推察されます。だとするなら、あまりに表層的で誤謬に満ちた組織構造の理解だと言わざるを得ません。馬鹿げています。
豪華俳優陣の中でも、朝倉あきの奮戦と吉田羊のシブい元妻は、予期していなかっただけに、大収穫でしたが、あまりに馬鹿げた作品構造のコンセプトに呆れてしまったのでDVDは不要だと思います。