『恐怖の報酬(1977) オリジナル完全版』

 この映画は「1977年6月に北米で公開、それ以外の地域では監督に無断で約30分カットされた92分の短縮版が配給された。長らく権利者不明の状態にあったが、2011年、フリードキン監督自らスタジオ2社を提訴し、権利者を特定。4Kデジタル修復された121分オリジナル完全版が2013年のヴェネツィア映画祭でのプレミア上映を皮切りに各地で上映」とMovieWalker の作品紹介欄に書かれている通りの非常に珍しい経緯で漸く日本で公開されることとなった映画です。

 監督のウィリアム・フリードキンは『エクソシスト』の監督でもあり、その彼が人生で最高傑作と考えている作品なのに、パンフに拠るとあまりに当初封切時に不評で、上述のような状況になったのを、監督が執念を持って数十年の歳月をかけて世に再度送り出すことに成功したということのようです。

 不評の理由は幾つかあったようですが、まずは『スター・ウォーズ』と封切時期がぶつかっていて人気を取られたことが大きいようです。それ以外に、この作品の原題は「sorcerer」で「魔術師」や「魔法使い」といった意味ですが、『エクソシスト』で名が知られていた監督のこのタイトルの作品と言うことから、全く違うジャンルの映画を期待した観客が多かったという、おかしな話もあるようですし、元々フランス映画の名作のリメイク作品であることも、(現在であれば、リメイク作品はやたらにあるハリウッド映画作品群ですが…)当時は不評を招いたということのようでした。

 いずれにせよ、著名監督が滅茶苦茶に予算をかけて、ジャングルの奥地でロケをした上に、興行的に大失敗に終わった作品と言う意味では、『地獄の黙示録』に次ぐというぐらいの、逆に言えば、悪い意味での有名作品です。

 日本では上述の無断カット版が劇場公開されたのちに、テレビでも何度か放映されたようです。私はそのどちらでこの映画を観たのか分かりません。年齢的には映画館なら親に連れて行ってもらっていた頃だと思いますが、親にはその記憶がないようなので、テレビで見たのかもしれません。いずれにせよ、私はこの映画が非常に印象に残っていました。やはり映画後半の展開です。

 MovieWalker の紹介文に拠れば…

「南米奥地の油田で大火災が発生。4人の犯罪者が高額報酬や旅券と引き換えに消火に使う爆薬ニトログリセリンの運搬にあたる」

と簡単にまとめられるのですが、まずまともに動く機械がないような奥地で運搬に使うトラックがそもそもまともに動かないという問題があります。ちょっとの衝撃で大爆発を起こすニトログリセリンが1台あたり3箱も積まれ(ちなみに爆破消防の消火には1箱で十分と劇中ではされています。)、それが所謂「n+1」の発想で2台のトラックで合計6箱を運ぶということになっています。

 おまけに悪路というには簡単すぎる、山を切り開いて作っただけのような急斜面沿いの細い砂利道から巨大な葉が生い茂る獣道のような所まで旧型のオンボロ・トラックで走り抜けなくてはならないのです。途中には丸太を筏のように組んだだけの橋があり、トラックのタイヤがゆるゆる進むとバキバキと丸太が折れたりしてハラハラドキドキが続きます。そして、この映画のポスターなどにも使われているジャングルの暴風雨の中を一人が誘導しながらわたる古い木製の吊り橋です。木の板はまたもやバキバキと折れて行きますし、大体にして橋の底面の真ん中あたりは板さえなく下の川の濁流が丸見えです。さらに暴風雨で雨が滝のようにフロントガラスを流れ落ちて視界は最悪、そして暴風に煽られて橋は左右にぐらんぐらんと揺れるのです。

 実際にリハーサルでも本番でも数台のトラックが橋から転げ落ちてしまったとパンフに書かれていますが、本当にどうみても落ちるように見えるぐらいにトラックが右に左に傾きながらじわじわと腐りかけた木板の吊り橋を渡るのです。アクション映画などで、主人公達がつり橋を渡ると必ず支えているロープがほつれ切れて橋が崩れ始めるというお約束の展開がここでも見られますが、ここでは暴風雨が前提にあって、さらに渡っているのがオンボロ・トラックと言うのが未曾有のパニック構造を生み出しています。ポスターのみならず、このCGなしの画面の印象は強烈で、(別にトラウマというような悪夢的な何かではないですが)そう簡単に忘れ去ることができないものです。

 実際、10年以上前の12月下旬に家族でUSJに初めて行った際、私一人だけ一足早く札幌に帰るために関空に移動することとなりました。今年も台風だか暴風雨だかの被害が甚大で関空と陸地を結ぶ橋にタンカーが激突したと報道されていましたが、その時の私も、飛行機が飛べるかどうかも怪しいほどの暴風雪の中、関空に取り敢えず移動することとなり、その橋を渡ることとなりました。電車は完全に止まっていたので、徐行運転で暴風雪の中を進むと案内されていたバスで関空に向かいましたが、まさにその橋です。

 徐行でバスがのろのろと進んでいると、本当に橋が左右に大きく揺れてバスの車体が傾くのが分かるのでした。もちろん、木製吊り橋でもありませんし、この作品のトラックのようなどう見ても30度以上のような傾きでもありません。けれども、私はバスが橋を徐行で進む状態から既に「『恐怖の報酬』のようだ」と思っていました。その時の私は40過ぎでしたから、1度しか観ていない映画のイメージが30年ぐらい鮮明に維持されていたことになります。バスの中のボトル・ホルダに入っていた私のPETボトルの中の飲み物の上面があり得ないぐらいに斜めになっていた記憶があります。それは走行中の加速度による慣性でタプンタプンと揺れたということではなく、ゆっくりと平面のまま傾いていたのです。

 後日、その時の体験を仕事仲間など何人かに話をしたところ、そのうちの約半数が「ああ。『恐怖の報酬』のトラック。橋からゴロっと落ちそうになる奴!」と、さもありなんとばかりに頷いていました。先に述べた経緯でDVD化もされていない作品なのに、これほどの共通認識を創り上げているインパクトの大きさは驚嘆に値します。その興行的大失敗の事実と観客の脳裏に突き刺さる吊り橋のトラックのイメージでこの作品は有名であり続けたのだと思います。

 よく懐かしの映画ポスター一覧のような特集がカルチャー系雑誌や映画雑誌で組まれると、ビデオ化・DVD化が全くされていないのに、この作品のポスターがその当時の名作群のものと並べられているのを目にすることがあります。そのような機会に遭遇するうちの何度か、私は思い出したようにDVDを入手しようと思い立っては、前回そうしたことも思い出せないままに、「なんだ。DVDは売られていないのか」と落胆を重ねてきました。そして、どこかの書店に行った際に、投げ売りに近いような形で往年の名作映画のDVDが売られている中に、『恐怖の報酬』のタイトルを見出しました。「何かが違う」とは漠然と思いましたが、「まあ、持ってないし。あの『恐怖の報酬』のようなストーリーがパッケージに書いてあるし」と購入してみたら、1953年のH=G・クルーゾー監督作でした。公平に見たら、良い作品であるのは認めますが、フリードキン監督作品の(『エクソシスト』で頂点を極める)突き刺さるような違和感や恐怖感、不快感のようなものが圧倒的に欠落していて、落胆した覚えがあります。

 そんな私にとっての待望の『恐怖の報酬』の上映です。国内封切は11月下旬。12月の後半に入ってのことなので、封切から一ヶ月弱。23区内では既に2館しかやっていず、どちらも1日1回になったりまれに2回になったりという状態でした。新宿では都合が合わず、足を運んだ有楽町のパチンコ店の上階の映画館ではその日は1回だけ。水曜日の性別に関係なく平等に安く観られる設定でした。午後15時45分からの回で、シアター内には30人以上観客が居たように見えました。男女比はほぼ半々。年齢はそれなりに上に偏っていたように思います。やはり私同様に以前観た衝撃を再度体験したかったということかなと思います。それぐらい隠れ人気のある作品と言う証左かもしれません。

 観始めてみると、数十年の時を経た記憶は劣化が激しいことが証明されました。結構前半は「入るシアターを間違ったんじゃないか」と思うほど、全然記憶に残っていなかった、登場人物四人の南米に流れてくるまでの経緯が延々と描かれています。面白くなくはありませんが、「こんな話だったっけか…」とかなり困惑させられました。
 
 しかし、中盤南米の最果ての地が登場すると、「お。やっぱり。これだな」と期待感が募りました。この最果ての伝染病でもすぐ流行りそうな蒸し暑い村の空港は、(アメリカ大陸ではありませんが)『ダーウィンの悪夢』や南米が舞台の『バリー・シール/アメリカをはめた男』に登場する、管制塔もなく滑走路も単なる地面という空港そのものです。街にもATM一つ見当たる訳でもなく、どうやって暮らしているのかがよく分からない流れ者が屯する薄汚い街です。私は暖かい所が好きなので、最後の最後「終の棲家」替わりならその生活にちょっと誘惑を感じないではありませんが、行けばその不衛生さからすぐ病気になってお陀仏になってしまいそうにも思えます。空港だけの話ではなくて、上述の通りトラックもかなりヤバイ状態ですし、主産業たる油田の様子も、ダメな機械だらけに持ってきて、3Kを絵にかいたような労働環境です。「5Sとか知らんのか」とか、「労基とかいないんかい」と言う感じに思えました。

 後半に入ると、「パニック映画といえばこれだよなぁ」と往年のハラハラドキドキ感がすぐに蘇りました。『タワーリング・インフェルノ』(1974)、『ポセイドン・アドベンチャー』(1972)など、所謂「状況パニックもの」の名作は色々ありますが、この作品の不快感のような緊張感は抜きんでています。単にただトラックを走らせているだけの中の演出だから、逆にリアル感があるということかもしれません。

 パンフでは監督が他の密林を舞台にした名作を取った監督に教えを乞うことがあったと書かれていますが、(このフリードキン監督はこういう「教えを乞う」ことが好きなようで、オリジナルの方の『恐怖の報酬』の監督にもインタビューに行っています。)その結果台詞をカットしてただ状況が黙々と描かれるだけのシーンを増やしたと書かれています。実際、現在の多くのハリウッド映画にあるような、「状況理解のためだけに入れられているような説明めいたセリフ」を吐く人物は全然登場しません。場面進行から物語の展開を想像せざるを得ない形の、或る意味、表現を抑制することで観客の心の中に「含蓄」を補完させる構造が新鮮でした。

 有名俳優があまり居ず、純粋に物語の描写を楽しむことになっているのも、結果的にプラスだと思います。主演のロイ・シャイダーは、何でか分かりませんが、ロイ・シェイダーだと思ってた時期が私にはあります。ネットで調べると、どうも、そう誤ってクレジットされていた映画があったということのようではあります。『ジョーズ』も良かったけど、やっぱり、『オール・ザット・ジャズ』が良かったと思います。それでも特にすごく好きな男優でもありませんし、特段、何か着目している訳でもありません。

 少なくとも私にとって多くの無名俳優たちが、南米の最果ての油田村に流れ着くまでのニトログリセリン運搬屋に仕立て上げられる4人の昔の姿を前半で丹念に描くことで、彼らの街を出るためのカネを得ることに向けた情熱も十分理解できるようになりますし、仕切り一つ隔てた荷台に一触即発のようなグリセリンをトラックを何度も吹っ飛ばせるほどの量を載せて走らせる狂気をより的確に表現できているように思えます。

 タイトルの「sorcerer」を暗示するように、1台のトラックは前面から見ると歯をむき出した顔に見えるようなデザインだったり、1台のトラックのボディに「sorcerer」との殴り書きのようなものがチラリと出たり、劇中で何度かガーゴイル的な彫刻や絵柄がアップになるカットがあったりします。しかし、私には運命に翻弄される4人の姿自体が、悪霊的な何かに憑りつかれているように見えました。

 今回の上映でDVD化の道も開けるのかもしれません。私にとってこの作品と高岡早紀主演の『モンスター』がいつまで経っても発売の目途が立たないDVD作品群で長くあり続けましたが、漸く一本は入手ができるようになる可能性は膨らんだと思っています。多少先のことになるのかもしれませんが、出るならDVD購入はマストです。