『GODZILLA 星を喰う者』

 11月上旬の封切からほぼ丸一ヶ月経った12月上旬の水曜日にバルト9で観て来ました。アニメ作品の三部作の完結編です。12時5分からの回に全部で6人しか観客はいませんでした。小さなシアターに全員男性の観客が一組の二人連れとあとはぽつぽつと散らばって観ている感じでした。90分の短い作品ですが先行二作品同様に、暗くてスタイリッシュな映像で全編が満たされていて、私はかなり気に入っています。しかし、一般のウケはイマイチだったのか、先述の通り6人しかいない観客の状態で既に1日2回しか上映されていません。上映館数もこの週に入ってからガクンと減ったように記憶します。

 オリジナル作品からの翻案が非常によく練られているシリーズだと思います。第一作は当然ゴジラとの戦いなのですが、第二作はメカゴジラを操って人類がゴジラを済んでのところまで追いつめる話です。ところが、このメカゴジラが全くメカゴジラの形をしていません。ナノメタルと呼ばれる自己増殖する特殊な金属でできた都市なのです。そこに(多分過去の映画シリーズのゴジラに比較しても最大級に)巨大なゴジラを誘き寄せて激烈な攻撃を波状的に仕掛ける展開でした。

 今回は宗教哲学がメインのテーマとして打ち出されています。そして登場する怪獣はキング・ギドラです。しかし劇中では「破壊王」などと呼称されていますが、名称は「ギドラ」だけで、「キング・ギドラ」とは呼ばれていません。この宗教哲学の展開がなかなか凝っていて、21世紀初頭に既に二種類のビルサルドとエクシフという人型の宇宙人が地球上には存在していて、両者ともに母性は各々のゴジラのような怪獣によって滅ぼされていました。ビルサルドはナノメタル技術を核とした高度な武器技術を発展させ、それを地球で第二作に登場したメカゴジラとして活用しますが、敗れ去り、(宇宙船で地球の周回軌道上に残った一部を除いて)壊滅します。

 残るエクシフは、怪獣による滅亡を宗教的に受け止めることにしています。勿論、ただの宗教ではなく独自の数学体系によるゲマトロン演算と言う技術で未来予測を重ねて極め、それを神器「ガルビトリウム」と連動させることに成功しています。彼らが未来予測を極めて行ったら、すべての存在には滅びが待っていて、存続や繁栄というものがないということが分かります。それが決まっていることと受容すると、滅びの中にこそ栄光や誇りがあるとして理解するしかなくなってしまっています。彼らの理解に拠れば、人型生命体文明がは栄えて技術を発展させ、その先に汚染その他の問題からゴジラのような絶対的な破壊者を生み出す…と言うことではなく、星の滅びの最終段階にすべての歴史の「果実」としてゴジラのような絶対の存在が生まれるのであって、それまでの人類の歴史は「前座」や「果実が実るための成長過程」でしかないという位置付けだったのです。

 そして、人型生命体の文明がゴジラと言う果実を実らせると、それを星全体の滅びをもたらす形で収穫しに異次元から現れるのがギドラと言う解釈なのです。そしてエクシフの神官は、メカゴジラも失い、巨大なゴジラに対抗する手段のなくなったほんの十数人程度の地球人に対して、「ゴジラを倒す力のある神を償還するために命を捧げなくてはならない」と誘うのでした。カルト教団に取り込まれる信者のように多くの地球人が念じると、その人体は「ガルビトリウム」から忍び寄ったギドラの影に無残に破壊されて行き、地球上空に三つの異次元との接続点が発生するのです。

 その各々の接点から一匹ずつ三匹の竜の顔を持つ金色の蛇のようなギドラが現れます。翻案されたこの作品の中で、ギドラは一体に三つの頭があるのではなく、少なくともこちらの次元の世界で見る限り三匹の別個体のように行動しています。(ただ、三匹は接点からこちらに出てきてしまうことがなく、常に向こうの次元に接続された状態ですから、向こうの次元空間では一つの胴体に接続されているのかもしれません。実際、ガルビトリウムから出現したギドラの影には一つの胴体が存在します。)

 エクシフの宗教観に拠れば、ゴジラと言う文明の果実を実らせ、そのゴジラが支配する星単位のギドラに拠る収穫に参画することが、滅ぶことが決まっている人類にとっての栄光であるということになっています。必ずほろぶというのが無常観であるなら、或る種の無常観ではありますが、通常言われる無常観は、個体各々の無常であって、すべてが同時に滅んで無になるということではありません。しかし、エクシフはギドラ召喚に積極的に関与し、ゴジラを圧倒することに成功します。

 ギドラの圧倒的な強みは、異次元からの攻撃であることです。こちらの次元では目には見え、音には聞こえるのに、物理的に存在していないことになっています。ですからどのようなゴジラの攻撃も全くダメージを与えることができません。ギドラに巻きつかれたゴジラがギドラをつかもうとしても、その爪はギドラの見えている所を素通りするだけなのです。ところが、ギドラの方からは次元を超えてゴジラを認識し、次元を超えて物理的に接触することができます。ゴジラの三つの首が咬み付き、そのありとあらゆるフォームのエネルギーをどんどん異次元へと吸い出していくのです。そして、ギドラの一方的な次元干渉を実現しているのが、エクシフの神官だったのです。

 星ごと消滅させられるよりは、ゴジラに支配された怪獣惑星であることを選んだ人類はエクシフの神官を倒し、ギドラをこちらの次元世界に捉えます。そしてゴジラにギドラを倒させるのでした。

 これで、地球は元の怪獣惑星に戻り、地上にはゴジラの破壊から隠れ済む蛾の遺伝子を持つ卵のままのモスラを奉じるらしい原住民族と生き残ったほんの一握りの人類が生活する状態になってしまいます。十人ほどの人類は原住民族の暮らしにじわじわと馴染んでいき、遺伝子的にどうやって適合しているのか分かりませんが、セックスして子供を作っている者も出ます。

 ところが、そんなときに、メカゴジラ戦の際に用いたヴァルチャーと呼ばれるナノメタル製の小型戦闘機が再起動できることが判明します。つまり、ナノメタルの増殖を再び少しずつながら始められることが分かるのです。ところが、主人公のハルオという男性は、原住民のシャーマンの双子のうち一人を妊娠させている立場で、ナノメタルに侵されたまま事実上脳死状態の女性部下の身体を抱いて、ヴァルチャーでゴジラに特攻を仕掛け、消滅するのです。これは、エクシフが居なくなってもエクシフが言う科学技術の先にある滅びを回避するために、科学技術の発展の芽を命を懸けて摘んだということのようです。

 確かに考えは分かりますが、浅薄であるように思えます。原住民も人間が二万年の時を経て宇宙から戻ってくるまでの間に、ナノメタルの矢じりを創ったりしていますから、何万年かの先には、そこら中に埋もれた文明遺産からいつか文明を構築する可能性は十分あります。そして、その力は巨大になったゴジラさえいつか凌駕するのかもしれません。原住民にとって、ゴジラは天災と同じ扱いになっています。しかし、現在の私たちでさえ、台風や地震を予測し被害を抑制するところまでは技術が進んでいるのです。ゴジラとの関係性を管理し、いつかゴジラに対抗する技術ができるのは、蛾のような遺伝子が混じって居るとは言え、原住民の人々にも歴史的な必然であるように思えてなりません。ヴァルチャー一機を潰した所で、結局最大数百年程度地球の滅びを先延ばしただけに終わるように思えてならないのです。

 結果論ですが、ギドラによってゴジラを倒し、その後、エクシフの誘導を断ってギドラをこの次元に捉われたただの巨大な金属製の蛇三匹にしてしまうことの可能性を、ビルサルドとエクシフの両方の知見を得て、人類が追求すべきだったように思えます。原住民族まで入れると四種類の人類が入り乱れて各々の価値観を押し出しつつ交互にリードを取ったら、ロクなことにならなかったという風に物語を解釈することもできます。

 本来そのようにしてゴジラから地球を奪還することができた四人類が、結局、技術で圧倒することに拘泥した者と滅びを迎え入れることしか考えられなかった者は完全に滅び、残りの二者もゴジラの抑圧の下で原始の生活を送らざるを得なくなる。そこには、遠い未来の技術発展の微かな余地とその先の滅びが残っているという物語を、スタイリッシュで圧倒的な画像と緻密な設定で語り切ったところがこの作品が優れている証左であると思えました。

 DVDは勿論三本総てゲットすべきです。

追記:
 卵状態のモスラはどこで登場するのかと思っていたら、原住民族のシャーマンの女子のテレパス能力を増幅する触媒として、思念世界の中でのみ一瞬登場するだけでした。実態を描くこともなく、ギドラ対ゴジラの対戦の重要ファクターとしてモスラを登場させる。ここにも、物凄い翻案の妙があります。

追記2:
 今回もシアター入口の段階で設定に関する大判資料が特典として渡されました。今回はエクシフについての地球人側の調査資料と言うことになっています。凝ってはいますが、作品は十分に好きになれても、マニアックにファンとしてきちんと総てを知り尽くしたいほどではない程度の立ち位置の私としては、開いて一瞥して、「これが嬉しいほどのファンってどれぐらいの絶対数いるんだろう」と訝るに留まりました。