『日日是好日』 ≪2nd View≫ 番外編@小樽

 自宅から西に位置する小樽の映画館で『映画HUGっと!プリキュア・ふたりはプリキュア オールスターズメモリーズ』を観終わってから約30分後の13時20分に始まる『日日是好日』を娘と二人で観ました。娘にとっては初めての映画梯子体験でした。

 10月半ばの公開から既に1ヵ月以上。小樽のこの映画館でも1日1回の上映になっていました。私がこの映画を東京で観てから、その内容が気に入って書籍を読んでいると、まず私の母が気に入って映画に行くことになったのですが、その際に試験準備で忙しかった娘は同行できませんでした。そこで今回『映画HUGっと!プリキュア・ふたりはプリキュア オールスターズメモリーズ』を観るついでに、時間の調整もつきやすかった『日日是好日』を娘に見せることになったものです。

 高2の娘は学校の書道同好会の部長(本来「会長」ですが)で、三歳からバレエ・スタジオにも通って趣味の範囲で習い続けています。これら二つに共通するのは、練習の際に、フロー状態(/ゾーン状態/トランス状態)が発生することです。

 人間の五感は毎秒1100万要素の情報を脳に送っていて、そのうち約1000万は目から来る情報ですが、それを「無意識」が処理しています。そして、「意識」が処理できるのは毎秒たった40要素程度。二つの間には30万倍近い処理能力の違いがあります。「意識」の処理速度を歩くスピードに例えると、「無意識」の処理速度はマッハ900にもなり、マッハ20~30程度のICBMとさえ比較になりません。精緻な動きを体全体で行なおうとすれば、「無意識」に体の制御を任せるしかありません。その「無意識」に精緻な動きのプログラムを覚えさせるのが反復練習であり、その「無意識」が「意識」の妨げなく全開に発揮されるのが、フロー状態(/ゾーン状態/トランス状態)ということになります。

 茶道では体を動かすことがない分、膨大な処理能力は正しい姿勢を維持して決められた繊細な動きを再現することでもお釣りが来ます。その残りは周囲から細かな情報を察知し収拾する鋭敏な感覚となって発現します。それが、この作品の原作『日日是好日 「お茶」が教えてくれた15のしあわせ』に書かれた“しあわせ”のうちの「見て感じること」、「季節を味わうこと」、「五感で自然とつながること」、「雨の日は、雨を聴くこと」などを実現するのだと考えられます。

 この鋭敏な感覚が創り上げる自然との一体感(それは自然の気配を受け容れることと、同時に自然の一部として存在する自分自身の自覚ということだと思われますが)は、1996年のレイチェル・カーソンの著作『センス・オブ・ワンダー』に以下のように描かれた、子供たちの驚きや感激に満ちた世界観そのものです。

「子供たちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。残念なことに、わたしたちの多くは大人になるまえに澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直観力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。
もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない『センス・オブ・ワンダー=神秘や不思議さに目をみはる感性』を授けてほしいとたのむでしょう。
この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、私たちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になるのです」。

 禅は「心を洗うこと」と言われますが、大人にさえ忘れ去られていた「センス・ワンダー」を取り戻させる茶道のフロー状態も、“心の解毒剤”となっているということで、それは書道のフロー状態でもバレエのフロー状態でも同じ効果を持っていると考えられます。そんな話を娘にしていたので、「観よう」と思い立ったようです。

 シアターに入ると、20人少々の観客がいました。皆中高年という感じで男女構成はほぼ半々という感じです。その前に観た『映画HUGっと!プリキュア・ふたりはプリキュア オールスターズメモリーズ』では、連れて来られた子供群のうち間違いなく最高齢だった娘が、今度は観客全体の最年少となっているように見えました。

 二度目に観ても、俳優陣の細かな表情や、茶碗・掛け軸・庭の植物・茶菓子・着物など、細かく見るべきポイントが溢れている映画なので、(それでなくても画像記憶が元々できない私には)非常に新鮮な気持ちで鑑賞できます。特に樹木希林のアド・リブであろう「あら、どうしましょ」、「そんなことを言っても、ねぇ…」など、微妙なトーンまで計算されつくしたような短い台詞は前回の鑑賞よりもより味わいを増しました。僅かな斜視は美人の条件と言われることがありますが、斜視がかなり明白な樹木希林の表情は、その明確な意図が読みにくく、こちらに何かを読み取らせるべき含蓄のようなものが存在するように見えてきました。

 主演の黒木華は、やはりガタイが大きく顔は縦に長く多少浮腫んで見えて、どうもイマイチ好感が持てません。しかし、そんなことが気にならないぐらい見どころがたくさんある映画です。

 二度目の今回は原作を読んでいたので、原作中にない想像の中の亡き父との海岸での邂逅のシーンなどは、(私が黒木華をあまり好きではないことも相俟って)多少冗長に感じたりしましたが、「原作の文字で表現された情景の映像化がこのような関係にあるのか」と感嘆させられる場面が何度もありました。やはり、DVDは買いです。