『映画HUGっと!プリキュア・ふたりはプリキュア オールスターズメモリーズ』番外編@小樽

 10月下旬の封切から約3週間が過ぎた日曜日の午後に小樽市の小樽築港駅隣接の商業施設内の映画館で、今やプリキュア・フリークと化した娘と共に観て来ました。邦画だけなのか全体なのかカテゴリーがよく分かりませんが、娘によると興行成績1位にもなったことがあるという大人気作品です。数年間新作が出ていなかったらしい『プリキュアオールスターズ』系劇場作品の復活ということによる盛り上がりも大きいことでしょう。シリーズ開始後15周年の記念すべき年に出演するプリキュアは全部で55人になっていました。この大人数のシリーズは(或る意味、当然と言えば当然ですが…)世界的にも珍しいらしく、ギネスに「アニメ映画に登場する最も多いマジカル戦士の数(Most magical warriors in an anime film)」というジャンルで登録されたというニュースまで、映画公開にあたっての話題を盛り上げています。ギネスに登録された人数の55人はテレビシリーズのもののみのようで、実際には劇場作品にしか登場しないオリジナル・プリキュアが2人存在するようですが、カウントされていません。劇場作品オリジナルのほんの数人のうちの最初の一人は私も認識できる「キュア・エコー」ですが、彼女は後続のオールスターズ系作品に再度登場していました。しかし、今回の作品にはもう一人の劇場作品オリジナル・プリキュア同様に登場していません。

 復活してもだいぶ予算は厳しかったのか、尺は1時間程度しかありません。55人で割ると1人1分ぐらいしかないことになります。これでは全員の変身シーンを経ての名乗りまでのプロセスを描いただけで全編がほぼ終わり、ストーリーなど全くない変身シーンクリップ集のようになってしまいます。そこで、この作品では、歴代プリキュアのうち、私も馴染みが最もある初代プリキュアである『ふたりはプリキュア』の登場人物に最新作のプリキュアである『HUGっと!プリキュア』の登場人物たちを組み合わせることで構成を絞り込み、敵に捕らえられている総勢50人ほどのプリキュアを救出するような物語になっています。

 タイトルや前宣伝に微妙に違和感が残るのは、「初代プリキュアが登場している」という部分です。物語の冒頭に登場しているプリキュアは3人います。これは初代プリキュアの二人に、シャイニー・ルミナスと言う(まだプリキュアの設定が全然固まっていない時代であることが分かる、「キュア」を冠さないたった二人しかいないプリキュアのうちの一人である)プリキュアが加わったメンバー構成です。これは初代プリキュアではなく、翌年に放送が開始された『ふたりはプリキュア Max Heart』のメンバー構成であって、厳密には初代プリキュアではありません。「初代プリキュアを含む第二期プリキュア…」が正解であるように思えます。ただ、冒頭から少し経った時点で、シャイニー・ルミナスは残る二人を敵から身を挺して庇い、敵の虜の一人にされてしまうので、物語の展開上は「初代プリキュアの二人…」という解釈がギリギリ成立する危うい構成になっているのです。

 私が歴代プリキュア作品群の中で相応に精緻にストーリーを把握しているのは、第二期と第三期だけです。それ以降は娘と共に観たオールスターズ系劇場作品を観る毎に、その時々のプリキュア最新作の情報を追加的に何かの資料で概括する程度でした。そのオールスターズ系作品が制作されなくなると、その世界観を逐一更新する機会が失われてしまい、今回のプリキュア最新作についてウェブ上の情報などを久々に読んでみると、アンドロイドのプリキュアは登場するは、LGBT系の配慮対応の産物であろう物語が存在するなど、展開のふり幅が大きくなっていました。

 劇場作品の物語も、比較的早い段階のオールスターズ系の作品群から見られた「敵役を改心させる展開」にさらに磨きがかかり、孤独の奈落に居た敵役が仕方なくやってしまったことという設定になっていて、最新プリキュア・チームの一人、キュア・エールがその深い闇のような孤独に寄り添い解消してしまうことで最終的に敵の戦闘意欲を完全に消し去ってしまいます。それまで残りのプリキュアは全員で敵役の無数の小型分身を攻撃し続けていましたが、キュア・エールの行動を讃え、その上、敵にまで深い共感と精神的支援まで与え、大団円を迎えています。初代プリキュアが殴る・蹴るメインの超近接パワー型の攻撃を敵に加え、敵を滅却し続けてきたことを顧みると、隔世の感があります。

 初代プリキュアは、ブラックとホワイトの二人ですが、この二人の唯一の(遠隔攻撃を可能にしている)光線技も各々が生み出す「ブラック・サンダー」と「ホワイト・サンダー」を混合して創り上げる「プリキュア・マーブル・スクリュー」というものですが、これでさえ敵の光線技との力比べになることが多く、単なる遠隔型の止めの技には終わらず、押し負けることさえあり得るパワー型攻撃でした。敵が強くなるごとに「プリキュア・マーブル・スクリュー・マックス」・「プリキュア・マーブル・スクリュー・マックス・スパーク」へと進化していくことからもパワー型攻撃の延長線上にあることが分かります。第二作でシャイニー・ルミナスが加わると、三人で放つ渾身の光線攻撃技『エキストリーム・ルミナリオ』は、より決定的な破壊力を持つ設定になり、パワー比べの要素が激減していました。その後、プリキュア・シリーズ全作品を通じて、接近パワー型の攻撃の比重はどんどん下がり、まさに魔法少女的な非パワー型の攻撃が主流となっていきます。

 しかし、今回の設定を見ても分かる通り、初代プリキュアの人気は歴代プリキュアの中でも抜きんでているようで、初代プリキュアの二人、ないしは、シャイニー・ルミナスを加えた三人は、他のプリキュアに比べて最も頻度高く後続のプリキュア・シリーズテレビ作品に登場しているように聞いたことがありますし、オールスターズ系劇場作品でも、それなりの注目度合いが配されていることが多いように思います。そして、出てくるたびに、この二人は他のプリキュアの眼前で敵を殴る蹴るして圧倒し、多くの場合沈黙させることで、他のプリキュアを驚嘆させるのです。後続するプリキュア達と全く異なる圧倒的な近接パワー型の二人のプリキュアを、畏敬の対象として描き続ける姿勢に対して、彼らのテレビシリーズの物語をよく知る私は強い好感を持っています。

 映画館のロビーにプリキュアについてのアンケート結果が貼りだされていましたが、回答者の年齢は非常に幅広く、3、4歳の子どもから58歳男性まで広がっています。58歳男性は私よりも数歳年上なだけです。私も積極的に楽しみたいとは思わないものの、機会があれば見ても良いぐらいにはプリキュア作品群を評価していますので、何となくこの男性の愉しみの有り様が想像できなくはありません。

 比較的小さなシアターに入ると、3、40人の客で席の半分弱は埋まっていたように見えました。多くは親一人と子供複数のセットで、平均すると、親一人に対して子供二人と言う感じだったかと思います。親は圧倒的に母親が多かったですが、私も含めて父親も数人存在しました。子供の方は概ね幼稚園から小学校中学年ぐらいに集中しており、中学生っぽい女子も見受けられましたが、多分高校生のウチの娘が親と来た子供中では最高齢だと思います。

 先述した通り、『HUGっと!プリキュア』のキャラ設定には世相の反映を感じますが、それ以上に、色々と特筆すべきポイントが今回の作品には存在します。たとえば、ミラクル・ライトの頻用です。従来ミラクル・ライトは来場の子どもたちに配られて、劇中の「プリキュアを応援しよう」との呼びかけに応じて、観客の子どもたちが応援に“参加”できるツールとなっています。この呼びかけは、今回も突如劇中のプリキュアの支援にあたっている妖精がいきなりスクリーンから観客に向かって「そや。観ているみんなも、一緒に応援してや」などと関西弁で話しかけて来て促される形になっています。これは『デッドプール』でいう所の「第四の壁」そのものですが、プリキュアの方ではまるでVR作品か何かのように、見た目上のインタラクティブ展開が繰り広げられるという、『デッドプール』の遥かに上をいく発想です。それが、従来の作品では、当初1回だったのが2回に増える傾向にありました。それが今回はたった60分の尺で3回もあり、最後の一回は劇中のプリキュアたち自身までミラクル・ライトを手にして、劇中の妖精たちと観客の子どもたち全員と共に、改心した敵の立ち直りを声援するのです。驚きの展開です。

 ちなみにこの敵は、ヲの字の方のエヴァ劇場シリーズに登場したゼルエルそっくりのフォームで、てるてる坊主のようなフォームで宙にヨラヨラと浮いています。玄界という漢字を当てられている『ワールドトリガー』のミデンとは全く関係がありませんが、ミデンと言う名前を付けられています。このミデンは劇中ではカメラのブランド名で、生産されても一度もフィルムを装填されることもなく箱に入れられたまま放置された旧型フィルム・カメラの付喪神的な存在です。てるてる坊主状の頭部についた眼を閉じる際、カメラのシャッターのように閉じるところや、プリキュア達が奇しくもよく大事なものとして挙げたがる「(苦楽を共にした)想い出」や「(共に過ごした)時間」などへの執着を見せているところなどから、かなり早い段階でどうもカメラ関係の敵であろうという推察が可能です。

 スマホで高画素の写真が手軽にバンバン撮れる現在でも、フィルム・カメラやチェキの味わいは一応一定の評価がされているようですし、レンズ付きフィルム(所謂「使い捨てカメラ」の業界呼称)でさえ一定の需要を今でも維持していると言います。さすがエコ世代とかロハス世代ということなのか、「モッタイナイ」が世界で評価される概念になる中、古く使われることのないままになった1台のカメラの存在にスポットライトを当て、エピローグでは公園で集う全プリキュアのスナップを撮る大役を担わせる設定自体が、何か世相を感じさせるのです。

 恒例のエンディングの全体ダンス・シーンは初期のオールスターズではかなり人形感がありましたが、今回の作品では本編のキャラの描写タッチとの隔たりがかなり埋められました。ミデンはプリキュア達の貴重な記憶を盗んで収集するのですが(その結果、キュア・ブラックの記憶を盗んで、『ぶっちゃけありえない』とまで言ってくれます)その想い出がコラージュのようにスクリーン全体に広がるシーンが、なかなかないプリキュア・全シリーズ横断的なアート作品的な見栄えになっていました。

 オールスターズ系なのにキュアエコーが登場しないのが残念ですが、観るべきポイントがそれなりにあり、DVDは買いです。