バルト9で『響 -HIBIKI-』を見終ってから25分後の午後5時25分の回を梯子して観て来ました。『響 -HIBIKI-』と同日の封切ですから、こちらも約3週間が経過して、バルト9での上映回数は既に1日2回になっていました。『響 -HIBIKI-』の方はかなり鳴り物入り的なイメージを私は持っていたので、動員状況が急失速のように感じられますが、この作品の方は、バルト9のトレーラーで何回か見ただけで、特段どこぞのメディア露出もあまり私は見ることがなかったので、1日2回でもまあ順当な落ち加減に見えなくもありません。
クライアントにカチカチなオタク層をターゲット客としている会社があり、元々オタク層の消費には関心がありましたが、最近はそれが「クール・ジャパン」の主要物品になり、オタク層の人物像からオタク文化に関心の対象が移行しました。世界的に見て記号消費のメッカである日本市場のほとんどすべての消費活動には、オタク消費と同質の付加価値尊重の構図が大なり小なり含まれていると私は思っています。一方で、単純にクライアント企業のターゲット客としてだけではなく、多くの零細クライアント企業の新卒採用の場に現れる就活生達も一定割合でかなりヘビーなオタクであることが分かって来て、またぞろオタクについての知見を得ることに傾倒しがちになりました。
この作品のトレーラーで観た主人公のオタク高校生の言動はかなりコアなオタク層のそれを再現していました。加齢と共に耳が悪くなってきたのかと思っていましたが、最近のオタク・コア層の発話のスピードがやたらに速く、通常の発音スピードに慣れていると非常に聞き取りにくくなるということも、最近クライアント企業経営者と話をしていて認識しました。そんな中、トレーラーで観た主人公の発話スピード(、加えて独り言と区別がつきにくい発話スタイル)はまさにオタク・コア層のそれを再現しているように思え、非常に印象に残りました。
以前、オタク・コア層の価値観を知るために、本田透による『電波男』を読みました。体系的にオタクの恋愛観を解説した書籍で、ウィキもこの書籍に対して単独でページが設けられています。論旨についての記述をそのまま引用すると…
「酒井順子などの「オタクを否定する女ども」に「お前らの世代のまともな独身男は、みんなオタクになっているんだよ」と反論。彼女たちは「負け犬」を自称しながら、その実オタクを恋愛対象にしようとせずヒエラルキーの下位におき、自己の精神的安寧を得ているに過ぎず、そのオタクを否定する価値観も「恋愛資本主義」に洗脳されているに過ぎないと主張した。
恋愛資本主義とは、恋愛そのものを商品化し、恋愛を消費行動に結びつける、マスメディアと電通が支配しているシステムであるとしている。また、恋愛資本主義に冒された社会は純愛の存在し得ない社会であり、「日本が駄目になったのは、80年代に女の脳が腐ってしまったために、愛を見失った男がやる気をなくしてしまったのだ」と評している」
とあります。この本を読んで、上述の論旨に深く頷けた私もそれなりにコアに近いオタク感性を持ち合わせていると自覚できた記憶があります。このヒエラルキーは劇中でも(当初)チャラ男が主人公に黒板に書いて説明している場面が存在します。私にとっても、この構図や『電波男』の主張は真実性が高いので、それに対して、ヒエラルキーの頂点にいるような美人女性が彼女の方から真性オタクに告白する荒れようがとても見てみたいものに思えたのです。
それ以外の付随的な動機に、中条あやみの存在もあります。私がこの女優を認識したのは、劇場で観た『チア☆ダン~女子高生がチアダンスで全米制覇しちゃったホントの話~』です。広瀬すずにその外観からどうも好感が持てない私は、勢い天海祐希とチアのチームのリーダーを務めていた子を注視することになりました。このリーダーの子が中条あやみです。このブログの感想でも…
「前述の部長を務める真面目な子も、天海祐希の覚悟を受け容れ、天海祐希が書くように指導した「夢ノート」に、「みんなで必ず全米を制覇する。そのために私はみんなの敵になる」と書き込み、後悔を心に秘めながら、全員の欠点や弱みを暴き、妥協のない指導に打って出ます。このような厳しく努力と向上を求め続ける姿勢は、シチュエーションが似ている『フラガール』にさえ見られません」
と書いています。実は、中条あやみ演じるこのリーダーの子は…
「(天海祐希は)描かれる主要メンバーのうち唯一のチアダンス経験者で全体を引っ張る優等生の部長の子も、人間的魅力が足りないと評価し、全米大会のファイナル直前の土壇場でセンターから外します」
と感想にも書いた通り、ファイナルの場でセンターから排除される子です。ネットで見ると、中条あやみが美人なのかどうかで多少の議論が見つかりますが、取り澄ましている感じに見えるのに、話をすると嫌みがない、白人と日本人のハーフのモデル系に女子に共通する一種の透明感がウリの女優なのだと私は思っています。次に彼女を私が発見したのはDVDで見た『セトウツミ』でした。こちらでも、本作と同じように、かなりオタク系の強い池松壮亮演じる高校生に強い好意を抱いてしまった寺が実家の美人で、樫村一期(かしむら・いちご)と言う変わった名前の女子高生を演じています。『3D彼女…』とは異なり、この作品での恋心は成就することがありませんでした。演技としてやたらに優れた様子はありませんが、一定の範囲のキャラに収まっている役柄を演じさせたらピカ一だと私は思います。
その後、私は中条あやみが認識できるようになり、ハーゲンダッツのCMのパーティー・ドレスを着た彼女やGUのCMでスウェットを着て闊歩する彼女を、少ないテレビの視聴時間の中でも見つけることができましたが、どちらも先述の枠の中のキャライメージとなっているように感じられます。平手友梨奈のヤクルトのCMとは大違いです。
この作品の前半では、主人公のオタクぶりの描写は非常に満足のいくもので、『電波男』に詳解される価値観をきちんと押さえています。中条あやみ演じるいろはというアダルト・グッズのような名前の子に付き合おうと迫られても、「何か新手のイジメ」としか認識できないところも、全くその通りです。また、その前段で中条あやみが友達になろうと二人で水中に落ちたプールサイドで言っても、「オタクを蔑んで憐憫を見せた」と解釈するのも、全くその通りだと思います。さらに、本田透が指摘する「お前らの世代のまともな独身男は、みんなオタクになっているんだよ」もきちんと採用されていて、話しかけようとして付け回し隙を見ていた都合上、一部始終を見ていたので、万引きを疑われているいろはを救う証言をしたりします。それ以外にもいろはを気遣う数々の場面が登場します。非オタク層からはあまり着目されない「まともな人間性を持つオタク」がきちんと描かれていることに好感が持てます。
変な北海道弁がちょっと鼻に付く二次元キャラ『えぞみち』があちこちで主人公の周囲に現れてきて、主人公と濃密な会話を展開するのも、二次元のヨメや妹を愛でる本田透の世界観とガッツリかぶっています。オタクのリア充的な恋を描いた作品では(少なくとも原作レベルで)『風俗行ったら人生変わったwww』が秀逸で、映画化された際の主人公のオタクぶりもかなり優れものでしたが、二次元キャラを映像化して登場させている部分でこの『3D彼女…』の方がさらに精密なオタクの日常のトレースに成功しています。
おまけにオタク特有の緊張によるぎこちなくおどおどした動作の再現にも高いレベルで成功しており、主人公を演じた役者がパンフで自分が好きな『トイ・ストーリー』のウッディの動きをまねたと語っている、教室の机の隙間を腰をひねりながら慌ててすり抜けるシーンや、もう一人登場する真性オタク女子高生綾戸の驚くごとにショックで投げ出されるように倒れるシーンなど、各種オタクモードが連発します。非常に楽しめます。
観客は20人少々しかいず、男女半々ぐらいでしたが、カップルはほとんどいず、同性の複数客か単独客と言った感じでした。女性はかなり若い方に偏っており、原作ファンなのか、軽めラブストーリー・ファンなのかと言ったところだと思います。男性の方は半分がかなり高齢で、50代後半以上に見えました。残り半分はまあまあ若い方に年齢が分散している感じです。オタク層の分布として初期の世代は男性比率が多く今となってはそれなりに高齢になっていて、徐々にライトな方向と腐女子や乙女女子などにも広がりを増やした傾向はあると思いますので、基本的にはオタク層が集まっていたということなのかもしれません。もし、そのオタク層の人々が私の想定する価値観に近いものを持つ人々なら、かなりこの作品は楽しめるものだと私も思います。
ただ、この作品の難点は後半です。主人公が「まともな高校生としてのオタク」からただの「まともな高校生」に変わってしまうのです。自分から乗り出してキスもしますし、いい場面で良い台詞をバンバンいうように変貌し、到底コミュ障感が見いだせなくなってしまうのです。その点では、ラブホテルの中でも満足にデリヘル嬢に触ることさえ躊躇し続けた『風俗行ったら…』の主人公の描写の方が物語に一貫性があります。
さらに『風俗行ったら…』と同じく、構成上の馬鹿げた演出も後半にガッツリ入れ込まれています。『風俗行ったら…』の感想には…
「映画は、かよさんの境遇とかよさんを絆す男への対峙までは描きますし、最後のかよさんへの告白という最大の山場も感動のシーンで描きます。ただ、間の闇金(ゴロツキとの対決)のプロセスは何の理由か、おチャラけたおかしな話に完全に置換されていて、全くよく分からないマンガストーリーに落ち着かされています」
とある通り、おかしなファンタジー映像にされてしまっているのです。同様に『3D彼女…』でも彼女との恋が完全に成就したと思われるシーンがなぜか屋外のハロウィーン・ダンス・パーティーになっていて、多くのダンサーが主役の二人にかしづいてくれるようなシーンにされています。原作のコミックではどうなっているのか分かりませんが、突如、非現実的な夢幻世界に放り込まれるのは全く納得ができません。
いろはは主人公のオタク“つっつん”と付き合い始める際に「半年間」と期限を切っています。半年後には脳の腫瘍の摘出手術を受けるために皆の前から消えることが決まっていたためでした。その事実が突如明かされるのが、このおかしなハロウィーン・パーティーの場なのです。そして、5年後、失っていた記憶を甦らせ、結婚式場に新郎を置きざりにして、ウェディング・ドレスのままつっつんを求めて走り出したいろはがつっつんに再会するのも、再び始まったハロウィーン・パーティーで、またもや二人は他のダンサーがモブ化した中で抱擁することになります。
なぜこの演出が盛り込まれなければならなかったのか、さっぱりわかりません。『風俗行ったら…』の際もそうでしたが、なぜかオタクの物語をファンシーに仕立てあげないと気が済まない非オタク層の偏見や差別の存在を、オタク・マインドをそれなりに備えていると思われる私は疑わざるを得ません。
ウィキに拠れば、キャラ設定などはかなり原作に忠実ですが、物語の方の忠実度はよく分かりません。ただ、次々と不条理な事件を起こさねば気が済まない携帯小説的な軽薄さで、いろはに脳腫瘍を患わせ、記憶も失わせ、おまけに結婚式までぶち壊させる展開が本当に必要だったのか、私は疑います。もっとオタクの日常の中の発展形としての恋愛があり得たのではないかと思えてならないのです。
『風俗行ったら…』も原作の方では、デリヘル嬢との本当の恋愛の果てのセックスに備え、予習として主人公はソープランドに行っています。その上で、彼女との満足度の高いセックスを初体験するのです。高校生の物語にいきなりそこまでの描写は求めませんが、それでもリアルさを向上させた後半を構成することはできたでしょう。
大体にして、つっつんの前からいろはは姿を消し、5年が経過しますが、物語上につっつんの家族は登場しても、いろはの家族は全く登場せず、消えた後の事情や状況を尋ねることさえ全くなされていないのです。もし、つっつんがそれほどまでにいろはを大切に思え、諦めきれないのなら、今時、(つっつんもきちんと就職してそれなりにコミュ能力も身に付け、サラリーマンを溌剌とやっていますから)探偵でも雇ってその後を調べてみても良さそうなものです。
後半、あまりに携帯小説的でストーリーもかなり予想可能な範囲に収まってしまっているのも残念ですし、現実離れした世界観も首を傾げさせます。さらに、ファンタジーを入れなくてはオタク世界は間が持たないという制作サイドの価値観も、全体の評価を著しく毀損していると言わねばなりません。しかし、前半の主人公のオタク描写のこの上ない精密さや、嫌みのない美人としてうまく中条あやみを配した妙は、この映画の私にとっての高い価値を保全していると思います。少なくとも綾戸が登場してダブル・オタク状況が楽しめる中盤までは、また観てみたいと思えるので、DVDはゲットしなくてはなりません。
追記:
ここまでうまく一定範疇のキャラを演じることに長けた中条あやみを知ってしまうと、近日公開予定の『ニセコイ』も観なくてはならないかと、少々悩んでしまいます。原作も読んで知っていますが、トレーラーで観る限り、コメディ・アクション・ロマンスなどなどをぐちゃぐちゃに盛り込んだ迷走作品であるように思えるからです。