『食べる女』

 封切から僅か4日目の月曜日にバルト9の15時からの回を観てきました。世の中的に見るとどこかの雑誌で広告を見るでもなし、一週間日本の数時間しか見ないテレビで広告を見るでもなし、メジャーな作品ではないと思います。それでも、複数の映画サイトの紹介文で、主役の小泉今日子以下、沢尻エリカ、前田敦子、広瀬アリス、山田優、壇蜜、シャーロット・ケイト・フォックス、鈴木京香と、劇中でもあまり登場時間のムラなく並ぶ女優陣を「豪華キャスト」と評しているように、このうち誰か一人のファンであれば、この映画の存在には気づくのかもしれませんし、観たくもなるのかもしれません。バルト9では、ロビー階の奥の位置の小型モニタでトレーラーを流しっぱなしにしてある程度のまあまあの力の入れ方です。

 そのバルト9では、1日6回の上映がされていて、23区内たった12館の一つとしては気合が入っていると見做せそうです。ただ上映はロビー階の小型のシアターの方で、中央付近にゴチャッと固まった観客は60人を超えていたように思います。老若混ぜて8割近くは女性観客に見えました。

 劇中にはかなりセックスの話題もあればセックスの場面も登場します。「食がテーマの映画」という認識できたカップルなどがいれば、期待とはかなり食い違った印象に終わると思います。特にセックスの「行為そのもの」を描く場面は、シャーロット・ケイト・フォックスが映画のかなり早い段階での唐突にキッチンのシンクの隙間で夫から結構無理強い的にするセックスと、沢尻エリカがユースケ・サンタマリアの挿入中にも料理法を耳元で呟き続けるという奇妙なセックスに身を任せるものと二回ありますが、どちらも所謂普通のベッド・シーンとは一線を画しています。広瀬アリスが男に優し過ぎるが故に都合のいい女になっていて、セックス・シーンが少々登場しますが、部屋着のジャージを脱いでごちゃごちゃとモノが色々ある雑然とした部屋の中のセックスという以外に特段の描写ポイントもないような普通のものです。一般的なセックス・シーンの尺が短く、クセのあるセックス・シーンや和風小料理屋の女将である鈴木京香がバイトの若い男を次々と寝倒す話や前田敦子が不倫三昧だった話などにかなりの尺を割くバランス感覚は、好意的に受け止めれば、登場人物たちのナマの生きざまを描こうとしたこの作品のテイストそのものなのであろうと思えます。

 私がこの映画を観に行こうと考えた動機のほとんどは、小泉今日子と広瀬アリス見たさに尽きます。豪華女優陣と言っても、シャーロット・ケイト・フォックスと山田優は全く誰なのか知らず、あとで前者は『まっさん』の主演女優で知名度がそれなりであることを知りましたが、後者はパンフを見ても何ら記憶が蘇る作品が見当たりませんでした。

 沢尻エリカ、前田敦子、壇蜜の三人は、どれも気に入った作品はありますし、嫌いではありませんが、特にだからと言って観たいというほどのことでもありません。沢尻エリカは、観た中では、彼女が役に嵌まり込み過ぎて精神を病んだと噂の『ヘルタースケルター』も演出的にダメダメなのと、寺島しのぶがかなり嫌いなので好きではなく、ギリギリ『不能犯』が記憶に残っている程度です。前田敦子は、比較的最近映画館で見ただけでも『シン・ゴジラ』の汚れ顔や『散歩する侵略者』の痴呆顔があり“見ていられる”程度の存在でした。私の中でのベストはやはり『もらとりあむタマ子』です。壇蜜は映画出演本数が少ないですが、私にとっては『地球防衛未亡人』のぶっとんだ役柄以外に『フィギュアなあなた』のチョイ役が辛うじて思い出せる程度です。

 鈴木京香は、あちこちの作品の彼女を記憶から呼び出すことができる名優だと思っていますが、如何せん、劇場で見た作品が非常に限られています。DVDで観た中で強く印象に残っているのは、『ジャッジ!』、『血と骨』、『39 刑法第三十九条』、『ラヂオの時間』、『ザ・マジックアワー』とシリアスな役かコメディエンヌかに振り分けられている感じになっています。

 広瀬アリスは劇場で見た中では『探偵ミタライの事件簿 星籠の海』ぐらいしかありません。私は常に目が腫れぼったく浮腫んだように見える広瀬すずが単に見た目的に好きではなく、『探偵ミタライの事件簿 星籠の海』を観て以来、誰かと広瀬すずの話題になるたびに、「むしろ、広瀬アリスの方が好感が持てる」と答えることになり、周囲から「アンチすず、アリス・ファン」であるように認識されるに至りました。『探偵ミタライの事件簿 星籠の海』の広瀬アリスも目立たない役でしたが、自然で好感が持てるとは思っています。今回は漸くライフ・スタイルや恋愛観までバッチリ分かる役柄で、何かとうとう一つの形の広瀬アリスを捉えることができたように思えます。山田優が店番に立つバーでいつも酔い潰れ、行きずりの男ともどんどん寝てしまい自己嫌悪に堕ちることばかりの役柄ですが、ずぼらだけど一所懸命で憎めない等身大キャラには好感が持てました。

 小泉今日子の方は、劇場で見ただけなら、『散歩する侵略者』のチョイ役の医師、『ふきげんな過去』の奔放な母親、そして、『リアル 完全なる首長竜の日』のチョイ役の母などがありますが、何を観ても、キャラの範囲が狭く小泉今日子そのものが駄々洩れの状態になっているようにしか思えません。

 一昨年観た『ふきげんな過去』においても…

「小泉今日子の方は、最近ですと『あまちゃん』の出演が最大の話題だったように思いますが、私はテレビをほとんど見ないので、全然その印象はありません。映画では、DVDで観た『空中庭園』が良かったと思いますが、『ユメ十夜』や『リアル~完全なる首長竜の日~』などのチョイ役でも存在感があります。ただ、私の小泉今日子のイメージはやっぱり「自称アイドル第一号」と言う存在です。早い段階から喫煙をあからさまにしていましたし、当時の「アイドル」のイメージをぶっ壊しつつ、自分は『なんてったってアイドル』を歌い上げる、或る意味、孤高のアイドルです。

 音源がどこにあるどのようなものなのかが、今尚分かりませんが、高校時代に友達からコピーを貰った、彼女のライブの様子を収めたカセット・テープがありました。その中には、『東の島にブタがいた』などの、これまたアイドルらしからぬ曲が続く中、『なんてったってアイドル』が始まるのですが、冒頭のセリフで予告した後、曲の歌詞まで徹頭徹尾、他のアイドルの暴露話や駄目出しの替え歌となっていて、唖然とさせられた記憶が鮮明にあります。この後に『非実力派宣言』などを出し、『私はオンチ』と言う曲まで歌った森高千里が、ただのアイドル破壊者であったのに対して、小泉今日子は自分がアイドルから別のものへと変容することで、相対的にアイドルの価値を引きずり落として見せたのだと私は思っています。

 今でもiPODには、小泉今日子のベストヒットが入っていて、さらに、ノーランズが英語でカバーした小泉今日子の曲ばかりのアルバムも入っています。歌えばコンスタントにヒットを出し、グラビアでも写真集でも人気があり、コマーシャルに出ればヒット商品が続出し、ドラマに出れば映画にも出て人気者となる。それでも自分のスタイルや主張を続け、先述の通り、喫煙も隠さない。長年所属する“あの”バーニングプロの力の結果の部分もあるでしょうし、秋本康との関わりの結果の部分もあるのかもしれませんが、抜きんでている人であるのは間違いないことだと思います」

と書いています。さらに今なら事務所から抜けたのと同時に不倫を発表した話やら、如何にもなライフ・スタイルそのままです。どの作品を観ても常に同じ人に見えるというのは、キムタクなどの例でも分かる通り、一般的には悪評価だと思いますが、先述の駄々洩れている価値観そのものが30年以上前から私は好ましいものに思っているので、小泉今日子(多分)だけは、何を観ても同じに見える人の中で、さらにそれをどんどん観たくなる人物です。

 その小泉今日子が堪能できる映画かと言えば、今回の作品は少々微妙です。例の「女優陣」全員が皆抱えているものをぶちまけるように劇中で自分の存在を主張するような構成になっているので、かなり埋没してしまっています。学生時代からの盟友役の鈴木京香との掛け合いの魅力が強く、二人でセットと捉えるべきかもしれません。

 逆に期待していなくて、「おおっ」と思えたのは壇蜜です。(完全に離婚が成立しているのではなく別居しているようでもあり、その割には男の方がきちんとした家に住んでいるのが不思議な描写ではありますが、いずれにせよ、)別れて住む(元)夫のことをまだ好きでもいて、残された二人の幼い子供たちには自分の辛さを見せまいとしつつ、経済的にきつい暮らしを送る耳専門パーツモデルの役柄です。

 漸く取れた休みの日、大人の事情が分かってきた小学校高学年っぽい姉と無邪気なままの小学校低学年臭い弟の二人の子を連れてピクニックに行こうと言い出します。行く先を言わないままですが、いきなり(元)夫を尋ね、恨み言一つ言わず、笑顔で「こんなにいい天気だから、皆でピクニックに行きましょう」と微笑顔で玄関先で伝えます。結果的に(元)夫はそれを拒否し、壇蜜は丘のある公園に二人の子供とピクニックに行くのでした。小学生の娘が母のざわめく心情を察しているのを壇蜜も知っていて、ワインを開け、「オトナになったらおいしく感じる」と言って娘にも飲ませます。そして、抱き着いてきた娘と泣きながら嗚咽を重ねるのです。多分、娘の人生に残り続ける子供時代の記憶になるであろう、恐ろしいほどの重量感を持つ晴天の清々しいピクニックの場面です。妻として一人の女性として、(元)夫との生活を取り戻したい。一方で母として子供たちに不安を与えず経済的にも不自由させずに育てていきたい。その役割の狭間で悩み苦しんでいる様子が、他の(シャーロット・ケイト・フォックスを除く)女優陣の演じる独り身の悶々とした或る意味“お気楽”な悩みに比べて、極端に浮き上がって見えるのです。この役柄を制作側がどうして壇蜜に当てたのか分かりませんが、今までの(少なくとも私の持つ)壇蜜の従来のイメージを完全に破壊し尽くす際立ち方でした。

 経済の縮小と共に、核家族の無理がどんどん露呈して、身内・非身内を問わず誰かと暮らすライフスタイルが見直され始めているように感じます。エコなのかロハスなのか、クール・ジャパンなのか分かりませんが、日本型の古い家の生活も何やら劇中でよく見るようになりました。この作品は古民家というにはやや新し過ぎる家に一人で暮らす小泉今日子のところに、皆が集まって来て交流するという古くて新しい生活スタイルを見せてくれます。

 女性同士の人生が交錯する同居家という観点からでは『ストロベリーショートケイクス』を思い出しましたし、古い日本住宅に人が集まりワイガヤする様は、最近観た『モリのいる場所』と重なって見えます。女性の多く広がってしまった人生の選択肢、そして戦前辺りの古い時代にじわじわと回帰していく日本社会での生活単位。何かそのような色々なものをまとめて雑多に見せてくれる面白い映画です。

 食べることにほとんど関心がなく、当然料理にも全く関心が湧かない私ですが、料理の素晴らしさなどを語る場面は思いのほか少なく、生きることの重要な一部として食と性を打ち出しているだけだったので、楽しむことができました。DVDは壇蜜の姿を見るだけでも買いだと思います。