『グッバイ・ゴダール!』

『BLEACH』を観終って9階から降りてきたロビーは、9時近くになって先ほどの混雑が嘘のようにスカスカになっていました。まだもう一本みられるなと精神的な余裕のようなものを確認して、券売機に向かい、封切からまるまる1ヶ月少々のこの作品のチケットを購入しました。9時50分からの回は終わりがほぼ終電時間ですので、既にチケットを買っている観客も数人しかいませんでした。所謂大作でもなく、どちらかと言うと武蔵野館かどこかのミニシアターで扱いそうな作品で、PVがガンガン流されている訳でもないのに、封切から1ヶ月も経って、まだ上映が為されている珍しい映画だと思います。

 その時点で全国でこの作品を上映しているのはたったの二館。新宿ピカデリーと銀座のミニシアターです。向こうでは1日3回ほど上映していたようですが、ピカデリーでは二週間近く前から上映回数は急減して、1日1回になっていました。終映が近づいているのを感じて、これまた、終映が間近に感じていた『BLEACH』とセットで観てしまえたら観てしまえと言うつもりでいました。

 チケットを購入した直後にパンフレットも買って、中途半端に余った時間を同じ靖国通り沿いのKFCの二階席で過ごすことにしました。KFCではよく食べることのあるツィスターを一本食べながら、パンフを読んで予習をしました。

 私がこの映画を観に行きたいと思ったのは、フランス映画について多少なりとも学びを得る…と言った感じの漠然とした動機に拠ります。

 1963年生まれの私は、所謂映画の全盛期を知りません。日本ではクロサワ作品の名作の多くもリアルタイムで観ていません。また一方で、8年ほど前に市川雷蔵没後40年特別企画の大雷蔵祭で観た『眠狂四郎 魔性剣』や4年ほど前に池袋の新文芸坐で観た『鉄砲玉の美学』や『狂った野獣』もそうですし、昨年『大人の大映祭』という大映設立75年記念企画の1本として上映されているのを観た『いそぎんちゃく』も、すべてこの日本映画の黄金時代ともいうべき時期の作品群です。

 新文芸坐で観た特別企画のタイトルは『祝 80歳&監督生活50周年 遊撃の美学 映画監督 中島貞夫映画祭』というもので、「エロチシズム・バイオレンス・アナーキズム 混沌の中にすべては存在する!」と言うキャッチ・コピーがでかでかと書かれています。他の作品もタイトルからして、『セックスドキュメント 性倒錯の世界』や『ポルノの女王 にっぽんSEX旅行』など、今なら普通に映画館の看板に書くことさえ、かなり憚る感じの26本もの大上映会でした。驚くべきことにこれらの映画がほとんど同時代に作られているのです。

 さらに、先述の『大人の大映画祭』も、概ね1950年代から1970年にかけてのエロスを前面に押し出した作品ばかりで、『鍵』や『痴人の愛』、『氷点』などの文学系の作品や『女体』、『十代の性典』、『不倫』など、タイトルからして、そのまんまの21作の作品群を上映するものでした。先述の『いそぎんちゃく』を原点とする軟体動物シリーズは、『続・いそぎんちゃく』、『でんきくらげ』、『夜のいそぎんちゃく』、『でんきくらげ 可愛い悪魔』、『しびれくらげ』と続きますが、たった1年の間に、6本もの軟体動物シリーズ作品が続々と製作され、公開され続けていたのです。映画黄金期の膨大な作品群には驚かされるばかりです。

 そんな私が映画評などに出て来る古典的な名作を観ておいてみようかと、一時期クロサワ作品のDVDを集中的に見てみたこともありますし、上述のように、時たま古い名作と呼ばれる作品群を観る機会を作ってきました。『ウルトラセブン』のアンヌを務めたひし美ゆり子がその後多作したエロ系映画の代表作『好色元禄(秘)物語』を観に阿佐ヶ谷に行ったこともあります。

 同じ状況はアメリカ映画やフランス映画の名作群に対してもあります。たとえば、私が子供の頃にLPで買ってもらった映画音楽全集にはアラン・ドロン主演映画の『太陽がいっぱい』などが入っていましたが、私は今でもそれらの映画のストーリーを知りません。またその時代にはヒッチコックの名作群も多々作られていますが、『鳥』や『裏窓』、『サイコ』などの一部作品を除いてほとんど見ていません。

 特にその後の系譜が或る程度現代映画にも残っているアメリカ映画と異なり、フランス映画は、どうもその「色」が、他の映画群と違うと感じながらも、何とも表現できない程度の知識の持ち合わせしかない状態で今に至っています。4年前に観た名作『17歳』の感想でも…

「フランス映画に対して私が持つイメージは、解釈の余地を味わいとして残し得る、不親切な描写。そして、恋愛に対して日本よりも自由な価値観故の、スタイリッシュな恋愛劇、そういった感じです。子供時代に映画が好きになったプロセスで色々な意味で露出が多かったのがアメリカ映画で、中学校時代には『ロードショー』を定期購読していましたが、多少古くは『大脱走』とかですし、印象に残るのは『タワーリング・インフェルノ』や『ポセイドン・アドベンチャー』などのパニックもの。『ジョーズ』や『グリズリー』などの動物パニックもの。そして、『キャリー』や『エクソシスト』、『オーメン』などのオカルト系の作品群です。今の時代に結構リメイクの対象となったり、オマージュの対象となったりする映画が目白押しに出てきた時代でした。

 そんなハリウッド的映画全盛の中にどっぷり浸かっていたのが映画事始めなので、それを基準に、そうではない映画として、日本映画や、フランス映画(というよりもヨーロッパ映画が全般)と言うことぐらいの位置付だったのだと思います。地方都市に住んでいて、DVDどころかビデオもない時代に、映画館以外に映画を観るのは、テレビのナンチャラ・ロードショーの類しかありません。映画館の映画がハリウッド大作や各種の邦画に占拠されていく中、フランス映画などに触れる機会がほとんど残っていなかったのでした。この映画分類についての大枠の構図は今になっても私の中に存在します。そして、映画が好きとは言われるものの、実は名画と言われるフランス映画類をほとんど見ていないことが何となくコンプレックス化しています。

 この名画コンプレックスは邦画に対してもあります。非常に素人っぽい発想ですが、クロサワ作品ぐらいは色々見ておこうと、何作もDVDで連続で観てみた経験もあります。その後、英語が分かるようになると、ハリウッド大作の多くの単調であまりに分かり易く、予定調和的な味わいに飽きが生じてきますが、逆に話している言葉が分からないので、余計フランス映画からも距離が生まれてしまいました。テレビのナンチャラ・ロードショーや●曜劇場で遥か昔に見たアラン・ドロン主演作などは、朧気な記憶として残ったままです。

 そんな状態の私が、『17歳』のトレーラーを観て、目を奪われたのが、老いて尚、妖しい魅力を放つシャーロット・ランプリングが主人公の美少女に年齢を尋ね、17歳との答えに「17歳。最も美しい歳ね」とぼそりと言うシーンでした」

と書いています。“フランス映画をよく知らないコンプレックス”が、今回の「フランス映画の今を作ったとさえ言われる、しかし、私が全くその作品を観たことがない映画監督ゴダール」の人生の断片が描かれた映画への関心を生んでいます。

 まだ9時台なのに、まるで12時を過ぎた時間かのように、疲れて覇気を失った男子学生群やら化粧が崩れっ放しで電話に向かって罵り続けている30代前半女や、神待ち系にさえ見えるヘッドホン少女やらが屯しているKFCの二階席で開いたパンフレットには、前述のような私のコンプレックスを見透かすように、『はじめてのゴダール入門』と題されたバカ丁寧な作品群紹介や「カルチエ・ラタン」や「ヌーヴェル・ヴァーグ」などの言葉を細かく背景から説明する用語集が配置されていました。

 上映開始時間の少々前にピカデリーに戻り、上映開始5分前ぐらいにシアターに入ってみると観客は10人ほどしかいませんでした。そのうち、6、7人が30代ぐらいに見える女性で単独客と二人連れの組み合わせでした。残り数人が私も含めた男性客で、女性客の年齢の平均値よりやや上の平均年齢のように見えました。

 戦後米国でも「アカ狩り」が吹き荒れ、共産主義の政党結成は違法とされていました。日本では、私が子供心に記憶が朧気な、私の大好きな漫画家山本直樹が『レッド』で描く、学生運動から浅間山荘事件に至る一連の流れや有名なよど号ハイジャック事件が世の中を騒がせていた時期でした。今でこそ、これらはすべて全世界規模で実行された当時のソビエト連邦によるコミンテルンに連なる動きの一環で、遡れば、第二次大戦中に日本をユーラシア大陸上陸後南進させるようにしたのも、果てしない太平洋戦争の泥沼に引きずり込んだのもソビエト共産党の暗躍によるものと、(陰謀説系にはあまり与したいと思っていませんが)主だった歴史系の著述は指摘しているように私は認識しています。

 そんな共産主義者による「世界革命」の思想がフランスではどのように受け止められていたか、そして、その流れの中、ゴダールはどのようなポジションを取っていたのかが、当時の彼の(二番目の)妻、アンヌ・ヴィアゼムスキーの目から描かれた作品です。物語開始当初に二人は結婚しますが、既にゴダールはウィキの作品分類で言う所の前期ゴダールの終盤に差し掛かっていて、彼の言う「商業映画」で名を馳せ、まさに「映画に革命をもたらした男」として知られていましたが、商業映画に背を向けて「革命が世界を変える」という思想に浮かされはじめていた時期でした。結婚時点でアンヌは20歳、ゴダールは37歳でした。

 アンヌはゴダールに知り合い、『中国女』と言う毛沢東系の共産主義を多々ただ登場人物たちが語ってばかりいるゴダールの怪作への主演を機に、ゴダールとの恋に落ち、彼からのプロポーズですぐに結婚に至るのでした。当時のアンヌにとって、知的刺激としても、新たな(日本の現在のものとはだいぶ違うと思いますが)芸能界や社交界の世界での生活など、今までの自分をまさに革命的に破壊し、新たな自分を創り出す「すべて」と言って良いような存在がゴダールでした。ただ、アンヌにとっての最大の不幸は、彼女が知り合って恋に落ちたのは、「映画監督のゴダール」だったことです。

 その後、ゴダールは1968年の「五月革命」に向け、どんどん政治活動を激化させていきます。映画などほとんど撮ることもなくなり、自分は労働者や農民の生活をしたこともなければよく理解もしていないのに、革命思想にかぶれて、「労働者と結束して社会を変える」などと常に唱え始め、友人知人で(当然ですが)ブルジョア側の多くの人間たちを攻撃し始め、対立し孤立して行きます。映画に関しても「革命で社会が変わろうとしている時に、商業主義に侵された映画を作ろうなどというのは、革命に対する裏切りだ」と言う認識で、カンヌ映画祭を中止に追い込んだり、映画に対するシンポジウムに呼ばれ、自分の過去の名作と呼ばれる作品も含めて「商業主義の映画は糞だ」と執拗に主張し、ディスカッションの場から追放されたりを繰り返すのでした。

 五月革命が実質的にゼネストや学生運動などの激しい展開に終始しただけで、政治的にも社会的にも何等の変化をもたらさないまま、時のシャルル・ド・ゴール政権による、軍隊による鎮圧と国民議会解散総選挙によって、実質的な支持者が存在しないことが証明されてしまった後も、ゴダールは執拗に「まだ、大衆の中に革命の火は燃え続けている」などと主張し続け、単なる孤立ではなく侮蔑までを当初の彼を知る人々から受けるようになっていきます。

 既に『中国女』も「(共産)思想を説明する道具としての映画」になっていますが、思想や哲学を理解させるためのツールとしての映画を作り、映画監督として革命に大きく貢献することがゴダールの一つの使命と本人によって認識されていましたが、そのような映画の概念は当時の社会に全く受け容れられなく、単純に映画批評家や一般大衆(さらにそれを見た中国共産党有力者までも)から全く評価されないものにしかなりませんでした。当たり前のことですが、誰も理解してくれない自分の中の革命思想のうちにどんどんゴダールは囚われて行きます。

 その様子を憧れと共に見続けていたのが、段々とすべてが冷静に見えるようになって来て、アンヌはゴダールへの尊敬や敬愛を失って行き、別れに至ります。面白いことに、彼の革命思想は「旧態依然たる仕組みの破壊」全般に適用されるようになり、彼は映画の制作プロセスにも革命を齎そうと1970年発表の『東風』の撮影現場では朝から出演者(、と多分制作関係者)全員と毎日ミーティングを重ねて、皆で公平に意見を言い合い、多数決で映画の撮影内容を決めるという取り組みを始めます。当然ですが、ゴダールが良いと思うカットの撮影が非常に煩雑なものである場合、役者陣や制作陣は、「そんなことに拘っても、映画の質を上げることに貢献しないし、それで伝えたいメッセージをより効果的に表現できる訳ではない」などと主張して、楽な方向に流れようとします。そうすると、ゴダールは「君らには分かっていないものがある。私は監督だから、君らが分かっていないことを分かっている。そういうことに配慮すべきだ」などと反論し、大混乱を来すのです。『東風』にも出演していたアンヌと監督のゴダールは、事実上、夫婦生活をこの撮影期間に破綻させ、1979年に正式に離婚に至ります。

 アンヌはその後、ゴダールが(少なくとも当時)忌み嫌った「商業映画」に出演する女優になり、さらにそれから作家生活に軸足を移します。元々ノーベル文学賞受賞作家の孫のアンヌですが、生涯ゴダールの二番目の妻としてのレッテルからは逃れることはできていないようで、ゴダールとの出会いを描いた作品とこの作品の原作となっている結婚生活とその破綻を描いた二編の小説が彼女の代表作となっているようです。

 色々なことが歴史的な知識として知り得たり、色々なことが個人の社会との関わり方について考えさせられる作品です。

 知識の面で言うと、やはり「世界革命」の見地です。前述のように日米の話は相応に知っていましたし、極論すると「資本論」と言う本だけからできた実験国家としてのソビエトとその思想に追随した中国共産党の話も一応はざっくり理解しているつもりでしたし、キューバも含めて、当時の“第三世界”と言われるエリアの幾つもの国々に共産主義が飛び火していた話もそれなりには知っていました。日本人にはあまり理解できないことですが、欧米を中心としてユーラシア大陸系の地続きの国々の多くでは、政治的体制が揺らぎ混乱が始まると、周辺国家が軍事的に介入してくる、ないしは実質的に侵略してくるというのが、或る意味常識です。発想は火事場泥棒のようなものですが、国家規模の火事場泥棒です。元々日本だった韓国による竹島占領も、ソビエトによる北方領土占領も或る意味そのような側面からも理解すべきだと思っています。

 革命後の共産体制になったソビエトも当然その介入や侵略を恐れた訳で、自国には血の粛清を強行して統治を固め、他国には一所懸命共産体制を増殖させて、資本主義に並ぶ一つの国家体制としての立ち位置を世界の中で作らねばならなかったということでしょう。その結果の「世界革命」は十二分な効果を発揮して、フランスではゴダールのようなインテリにおいても心酔者を生んで、大衆もまた学生を中心に扇動されて行ったということなのだと思います。その様子が実際に(と言ってもフィクションの映画ではありますが)観られたのはそれなりの収穫でした。『プラネタリウム』でフランスにおいてさえ第二次大戦前夜にユダヤ人への言われない迫害が広がっていたことを知ったのに並ぶぐらいの、私にとっての新しい歴史的知見であったと思います。

 さらに、もう一つ、私にとって新しい知見だったのは、そのフランスにおいて、ソビエト発の共産主義が東欧諸国でのソビエトの弾圧状況からどんどん色褪せて行き、その代替として、中国の共産主義への関心や心酔が発生していたことです。『中国女』のテーマそのものが、まさにその産物ですし、劇中でもマントルピースの上に小さな毛沢東の胸像が置かれている場面が登場することなどに反映されています。私にとって、第二次大戦中の本来の中国政府と日本軍との戦いから「漁夫の利」的に政権を奪取した後、数々の失政を繰り返した政治家としてぐらいの認識しかありませんでしたが、全く違う扱いをされている毛沢東を見る新鮮さがありました。

 新たな知見以外に、社会の動き方と言うか個人と社会の関わり方について考えさせられた点は、多数あります。主要なものは、やはり共産主義への熱狂だと思います。当時のソビエトを指して、「本一冊から生まれた実験国家」と言った表現をしているのを見ます。確かに、『資本論』に見る階級社会の構造は、世界の主要国の中で最も格差が小さいと思える現在の日本でさえ、僅かに当てはまる部分はあると思えますし、当時のヨーロッパの社会では厳然と存在するブルジョア達が社会を牛耳っていたのは間違いないことでしょう。ただ、それに対して、社会を俯瞰したり、人間をきちんと見つめることなく、政治の仕組みを考えることもなかった、多くの無学の労働者が適宜手を結び、仮に政府を倒すことができたとしても、より良い社会体制を作れることと話は全く別です。壊すことは簡単であるのに、より良く作ることは非常に難しいのが通常の物事です。もちろん、私利私欲に走ってばかりの独裁者も色々な国々に存在し、共産主義的革命によって、多少なりともマシになったケースもあるかもしれませんが、トータルとして質的にも優れた統治が安定して実現するなどは、考えにくいことだと思います。

 そんな子供でもちょっと説明されたら分かるようなことを、日本においても多くの優秀な大学の学生達さえ考え及ばず、フランスにおいても多くの文化人を巻き込んでゼネストなどが行なわれている様子を目の当たりにすると、人間の構造的な愚昧さや弱さに思い至らざるを得ません。

 主要な熟考のポイントとして、もう一つ、芸術家の社会との関わり方があります。ゴダールは、「商業映画などを作っている場合ではない」と言う考えでカンヌ映画祭を中止に追い込んでいますが、『中国女』などの革命思想を喧伝するツールとしての映画の立ち位置を模索し続けています。そこまでの部分は、たとえば大正期のプロレタリア―ト文学作家などのものと重ねてみても違和感がありません。しかし、デモに参加し、機動隊に罵倒や投石を行ない、警察官に助けられても、決して礼は言わず、侮蔑の言葉を述べるべきだと主張するなどにまで至っていきます。さらに、同伴しているアンヌが警官に礼の一言を口にすると、それを執拗に咎めたりします。客観的に見てゴダールは政府や警察から弾圧されている訳では決してありません。投獄されたことも映画上映禁止などの処置も取られていません。おまけに労働階級出身でもなく、労働者の立場で弾圧されたことも、何もないのに、勝手に当時の政府とその権力行使の手段となっている警官たちに対しても、宿敵として振る舞い、自分の妻や友人達にまでそのような態度を迫り続け孤立を深めるのです。

 彼が連帯すべきだと考えている労働者達が集まったデモに参加した際には、近くを歩く多くのデモ参加者から「あんたはゴダールか。あんたの映画は良い。商業映画をもっと撮るようにしてくれ。楽しい映画を見たい」と口々に“好意的に”言われています。また、彼が政府に対する情熱的な革命運動を展開すべきと考え、心から支援したいと考える大学生たちの集会に参加すると、「ただの映画監督が何を知った口を…」など、ありとあらゆる糾弾を受けることにほぼ必ずなっています。彼が夢想する革命に関して、共感者は結局全く見当たらなかったのです。この時点で、彼は作品以外で彼の思想を表現するのをやめるべきであったろうと私は考えます。

 アンヌや友人達からは距離を取られ、学生達からは糾弾され、デモ参加者からはいつまで経っても商業映画監督として期待され、新聞の映画批評家らは駄作・愚作の烙印を次々と押されます。そのたびにゴダールはなぜ理解されないのかと憤懣やるかたなくなり、さらに懊悩を重ねるのです。そんなに悩むぐらいなら、ただ黙々と映画制作の現場に籠ってしまえば良かったことです。「分かる人は分かる」という信念によって、彼の思想をただ表現し続け、誰にどのように映ったかを一切気にしなければ良いだけだと思います。つまるところ、“Beauty is in the eye of beholder.” ということでしかないものだと私は思います。聾が悪化した音のない状態でスペイン独立戦争の悲惨を黙々と『戦争の惨禍』という優れた作品群に収めて行った晩年のゴヤのような活動の方が、よほど後世に残る訴求力を生み出せているのではないかと思えてなりません。

 素人受けしない映画は世の中に多数存在します。文芸的な才もなく文学に親しんだこともないような私から見れば、『サクリファイス』を始めとするタルコフスキーの映画も長回しの台詞ばかりで只管字幕を読んでいるだけのような作品群です。3本ぐらい観て簡単に挫折しました。『アンダルシアの犬』など抽象画よりも意味が不明なぐらいです。ナチス・ドイツが制作したドキュメンタリーと言うことになっている『意志の勝利』も、記録映画とは言えない演出が積み重ねられています。そのような映画群が到底娯楽として楽しまれる訳はありません。それでもそのような映画を(信念をもって懊悩もなく)作り続けることだけで、知足すれば良かったのだろうと思えてなりません。

 彼の初期の名作と言われる映画でさえ、彼の特定の女性への想いを強く反映した画像集のようになっているものなどもあり、所謂ハリウッド的な「商業主義映画」とはかけ離れたものであるとパンフレットの作品紹介に書かれています。このゴダールの人物像を知った今、彼の作品群をレンタルして何本か観てみようと思います。ただ、共産主義思想も中途半端な社会参画の姿勢も私には全く共感できないものなので、この作品のDVDは要らないと思います。

 パンフを読んで初めて気づきましたが、アンヌを演じているのは『ニンフォマニアック』二作の主人公の若い頃を演じることで映画デビューを果たした女優なのだそうです。話題作ではありましたが、私にとって『ニンフォマニアック』二作は「ジコチュウの低能女が、悲劇のヒロインぶって、どんどん疎まれて行く物語」でしかなく、あまりの馬鹿げた物語の展開に開いた口が塞がらない状態だったので、ネットで画像検索をして確認しなくては、この女優が出演していたことを全く思い出せませんでした。