『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』

 4月下旬の封切から約3週間経った木曜日にバルト9の深夜12時10分からの回を観て来ました。私の知る限り、いつぞやの「日本よ、これが映画だ」と言った、超自意識過剰な『アベンジャーズ』プロモーションのテイストは、この作品に関してはあまりなかったように思います。(このキャッチコピーの不愉快さは、かなり話題になっていたようで、あちこちでこのパロディを目にするようになりました。私が好きなのは、『桐島、部活やめるってよ』のコピーの『ハリウッドよ、これが日本映画だ』です。)
 
 現実にマーベル人気に翳りが出てきているのか、この作品も封切一ヶ月を待たず、動員状況に敏いバルト9では上映回数が激減するようです。観に行った週には、2D字幕版だけで1日5回ほどの上映で、他に2D吹替え版が同じぐらいの回数上映されていました。翌週からは、前者が1日3回で後者は1日1回しかありません。新宿にあっても、動員状況に鈍感な新宿ピカデリーとゴジラ生首ビルの映画館は、バルト9のように深夜の上映がある訳でもないのにまだまだ1日に4回も5回も上映をしています。

 終電時間を過ぎたロビーには人がまばらで、シアターに入って見ても、20人弱しか観客が居ませんでした。平均年齢は非常に低く、20代前半と言った感じです。男性客が6割以上で、女性客は主に男女カップルの片割だったと思います。時間帯の要因も大きいと思いますが、以前のマーベル作品に比べて、ファン層の偏りが大きくなっているように思えなくもありません。私もそうですが、結局、飽きが来たのだと思われます。

 所謂「マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)」は、この作品も入れて19作もあるとパンフレットに書かれています。(なぜか、その文章に従って各々のストーリーと本作品につながる部分を詳解するページ群の中に、『スパイダーマン:ホームカミング』が含まれていず、合計で18本しか載っていません。)その詳解を読むと、改めてこれらの作品群がどのようにつながっているのかが非常によく分かります。

 DVDで観たモノも含めると、私もそのうち15作は観ているので、「ああ、そう言えば、そういう話だった。あの石がこの話のあれか…」などと、今回の強敵サノスが集めて回る6個のインフィニティ・ストーンの各々の経緯を思い出しました。サノスが集めて回る先の惑星や場所、そして攻め挙げて石を強奪する相手なども、以前の作品につながっているので、「ああ、そうだそうだ」と頷けます。よく分かります。しかし、よく分かるのですが、何かハマれないのです。

 これが私の好きなテレビ・シリーズの『THE FLASH/フラッシュ』であれば、かなり入れ込めます。キャラが好きとか設定が好きと言うことの前に、多分、少なくともシーズン毎の全体をほぼ一気に見られることが大きいように思えます。MCUの第一作の『アイアンマン』は2008年に公開されていて、その後同年に『インクレディブル・ハルク』が公開されて、第三作の『アイアンマン2』が2010年で既に2年が経過しています。このペースでダラダラと10年に渡って、ありとあらゆる変な設定だけれども、あまり構造的には大差ないようなキャラを世に紹介して来ているのですから、飽きも来て不思議がありません。やはり、この作品の前に観たMCU作品『ブラックパンサー』の感想でも書いた通り、「MCU作品は取り敢えずもう劇場で観る必要はないな」との確信を持てる作品でした。

 今回はシリーズ初のヒーロー側の大敗で終わる作品ですので、「あらら、今までの減らず口はどこ行ったのかな…」と言う風に、MCUシリーズ作品の典型的勧善懲悪型(/二元論単純バカ型)の物語からの逸脱が多少は楽しめました。本来、このような大敗は、もっと早く来るべきでした。『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』の感想で私は…

> では、何にこの映画はフォーカスされているかと言えば、
> 能力のパワーレベルと言うかインパクトもまちまち、考え方もまちまち、
> バックグラウンドもまちまちのアベンジャーズの面々の離合集散です。
> パンフなどによると、「尊重されるべき個性のぶつかり合い」と
> 言ったことなのでしょうが、どうも、
> ただ幼稚な欲求の振り回し合いにしか見えません。
>
>  ハルクに恋してしまい戦場から逃避行しようと
> 言い出すスカヨハもそうですし、
> 自分が金も知恵も出す中で、どんどんことを進めようとする
> ロバート・ダウニー・Jr.やら、どうも気になるとか、
> 意味不明なことを言って戦線を離脱するソーやら、
> 細かく見るときりがありません。これが人間ドラマと言うなら、
> アホな人間の集合体のお粗末を描いたドラマです。
> 集団の価値観がもっと重たい日本人の感覚で言う集団のドラマは、
> 各々の欲求を、如何に抑制し、如何に犠牲にして、
> 集団の価値や原理を優先したかに美徳が生じてくるものと思えます。
> その美徳のようなものが見当たらないのです。
>
>  たとえば、強大な敵を前にして、絶望的な戦いに敢えて打って出る
> 零戦のパイロット達が、うまいこと彼女と逃げようという話をしていたり、
> 勝手に機銃を改造してみたりしたり、「夢で何か気になることを見たから、
> ちょっと出かけてくるわ」と言っている映画のシーンがあったら、
> 多分、誰も「人間味あふれる映画の展開だ」と
> 感じないのではないかと思います。

と書いています。

 こんな連中が劇中では「地球にいる最強ヒーローチーム」だと呼ばれていますが、到底同意できません。現実に反目は『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』で頂点に達し、アベンジャーズは事実上解散してしまいます。そのゴタゴタで結束が遅れ、情報共有もできず、散発的にサノス勢と戦闘を各所で展開することになった結果の大敗北です。おまけに、そのサノスが地球に侵攻してくる前に宇宙空間からソーやロキの犠牲のお蔭で辛うじて地球に着いたハルクがわざわざその情報を提供しているにも拘らず、その情報が広く共有されるのが遅すぎて、すべてが後手に回っています。

 おまけに、戦略面でも非常に稚拙です。負けが込んで来たら、ないしは苦戦が見えたら、普通は誰かが殿を務めたり時間稼ぎをして、態勢立て直しを図るものですが、負けが込んでいる中で、結束も共闘もほとんどなく、限られた戦力でいきなり奇襲に打って出ます。さらに負けが込んでくると、今度は太平洋戦争の日本軍のように逐次投入で倒されて行くのです。さらにまずいことに、概ね戦いは石を持つアベンジャーズ側とサノス+手下の戦いですので、アベンジャーズ側が負ければ石はサノスの手に渡り、サノスをどんどん強く倒しにくい存在に変えて行きます。

 そんな負けられない(つまり、勝たなくても良いので、逃げ回るなりなんなりして、勝算がない限り戦わない)局面なのに、結束・共闘もなく、相手の脆弱性や相手の戦略の分析もほとんどなく、情報共有もなく、身勝手な都合と変なヒューマニティを振り回して、勝てる所で勝たないのです。低能にもほどがあります。最悪なのは、MCUの幾つかの「石取り合戦」の物語は、裏にサノスが存在する戦争だったことです。つまり、サノスの側は過去の敗戦から多くを学んで満を持して打って出て来ていて、既にアベンジャーズ側の構成や石の所在などを非常に詳しく把握しているのです。それにぶつかるアベンジャーズが前述のようなガキ臭い正義感とエゴを振り回す低能集団では勝てる方がおかしいと考えるべきでしょう。

 個別に見ても、アイアンマンのエゴはいつも通りですし、ドクター・ストレンジは初出作品の強大な敵に対する「時間ループ延々嫌がらせ攻撃」をやりさえすれば時間はいくらでも稼げるのに全くそれを行動に出さず、ハルクはいつまでたっても変身できず殆ど役立たずに終わっていますし、ブラックパンサーはあれだけ高い科学力を殆ど活かすことなく白兵戦に打って出て苦戦を重ねます。ソーはおかしな名前のハンマーを失っていて、今度は斧だか鉞だかを創り上げサノスに匹敵する強さを単体で身に付けますが、サノスが地球に現れてからも雑魚を相手にして時間を潰し、致命傷を与えればよかったのに、中途半端に息を残してしまいます。

 大体にして、サノスは6つの石を全部装着できる特殊な手袋型の武器を左腕に付けていますが、ソーはその武器を作った宇宙人の職人に斧だか鉞だかを作って貰っているのです。その職工の場所には、サノスの手袋の試作品まで放置されていて、その秘密を知るとか、無効化する方法なども知ることができたはずです。それなのに、サノスが現れてからだいぶ時間が経って、サノスに対峙し、胴体を貫通する一撃を喰らわせるのです。サノスが言った通り、「頭を一撃で破壊すべきだった」ですし、若しくは、左腕を切断してしまえば良かっただけの話です。手袋は左手用に指の配置もできていますので、右手にすることは決してできません。

 さらに、サノスは地球にテレポートしてくる前に、アイアンマン達と戦って彼らを撃破していますが、アイアンマン達の戦略は一応功を奏していて、私が観ていない『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』のくだらないことばかり喋っている主人公が、作戦通りに動かない低能ぶりを発揮しなければ完勝できたはずでした。その際のアイアンマン達の作戦は非常に単純明快で、サノスの左手を握らせないないようにありとあらゆる攻撃をする中で、手袋を脱がせるというだけでした。この作戦をソーが知っていれば、彼がサノスに対峙した際に、単純に左腕を切り落として終わりになっていたはずです。馬鹿げています。

 前述の『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』では、地球全体を振り回すぐらいの勢いでドタバタを重ねての辛勝でしたが、今度はとうとうお待ちかねの「当然の大敗」が訪れたと解釈すべき展開です。漸く現実的な話になりました。そのようなことに深く頷けるという意味での楽しい作品でしたがDVDは要らないように思います。

 この作品の私にとっての見所は久々に登場したアイアンマンの彼女だか妻役のグウィネス・パルトロウと、何気に少々太ったように見える(、しかし、いつもの如くアクションが冴える)スカヨハぐらいでしかありません。どうせなら、劇中で死んだと考えられているソーも執拗に登場するのですから、地球上のカノジョ役のナタリー・ポートマンにも登場して欲しかったと思います。

追記:
 今回もドクター・ストレンジの名前ネタが炸裂しているのは、それなりにウケました。スパイダーマンがマスクオフ状態でドクター・ストレンジと自己紹介し合うという場面があります。若いスパイダーマンの方から「僕はピーター」と言うと、ドクター・ストレンジがそのまま「ドクター・ストレンジ」と応えます。すると、スパイダーマンが「なんだ、変な名前の方で名乗るのか。じゃあ、僕はスパイダーマンだ」と応じるのです。全く可笑しなラストネームですが、ドクター・ストレンジの苗字は本当にストレンジです。彼は普通に「ストレンジ博士だ」と名乗っているのです。常に名前ネタで弄られるキャラと言うのが笑わせてくれます。