渋谷のロフトの坂を上がったところにある映画館の土曜日15時35分からの回を観て来ました。記憶にある限り二度目に訪れた映画館です。前回来たのは比較的最近で、昨年12月に『彼女がその名を知らない鳥たち』を観たのがこの映画館です。それ以前には、存在も知らなかったような気がします。
トレーラーをその映画館で観たせいで、マイナーなミニシアターに何度か連続して足を運ぶことになるということが時々あります。たとえば、シネマカリテやケイズシネマなどに一度行くと二度三度行くことになるのがそれです。しかし、今回のこの映画館のケースはそうではありません。前回来た時には、確かこの作品のチラシがあったようには思いますが、それと並行して同じ主役の松坂桃李がドアップの『娼年』のチラシが置かれていたはずですが、両者似たイメージのデザインで、どちらのチラシを見かけた記憶なのかは定かではありません。いずれにせよ、その際に観たチラシやトレーラーが理由でこの映画館に足を運んだ訳ではありません。
この作品が封切られたのは2月1日で、5週間以上が過ぎています。既に元々少ない上映館の殆どがこの日を境に終映していて、翌日からは23区でもこの館のみになると映画サイトに書かれていました。この館でも1日2回の上映です。それでは大分客入りも落ちているかと思ったら、全部で50人ぐらいは観客が居たように思います。客層は定かではありません。なぜかというと、多分、映画館で今まで一度も経験がないはずの2階席に陣取って見たからです。スクリーンを見降ろす珍しいアングルで映画を観るという経験も良いかと思いそうしてみました。以前、新宿の高島屋に入っていた映画館では強烈な傾斜の座席になっていて、席によっては見下ろすことになりましたが、そういうレベルではなく、完全にスクリーンを見下ろす座席位置です。
1階席の方にも座席表で見る限り30人以上は観客が居たはずで、2階席は上映開始時に10人でしたが、その後3、4人増えてきました。2階の年齢層は流石渋谷と言う感じで、非常に若く、平均をとっても、多分、30代前半ではないかと思えます。
私はこの映画のトレーラーを見たことがありませんでした。チラシも読んだことがなかったように思います。実際見てみると、犯罪を引き起こす(と考えられている)異能の人物を女性警察官が追うという構図で見ると、『脳男』が結構酷似した展開です。異能ではないものの、あまり世の中にない自己犠牲の考え方に裏打ちされた犯人の謎の犯行を追う女刑事なら『予告犯』もまあまあ似たテイストです。さらに、ここ最近の『ミュージアム』や『22年目の告白―私が殺人犯です―』など、派手な犯罪を犯す犯人を追いつめる刑事モノはかなりあるように思います。その手の作品に鑑賞作品が偏ることを良しとしないようにはしているので、タイトルの『不能犯』と言う言葉を見ただけで鑑賞対象から外していたのだと思います。
それでも、観るべき映画が2月にはやや不足気味になり、見逃しがないように終映間近の作品から映画サイトでチェックしている中で、この作品を見出しました。この映画に決めた最大の理由は、当然、私がここ数年趣味と実益を兼ねてちょいちょい勉強している催眠技術がばっちり使われている作品であることです。
催眠技術を悪用する犯罪作品群はたくさんあり、テレビでは『ケイゾク』シリーズが非常に有名ですし、単品の映画でも広末涼子が出ていない方の『秘密』(正確には『秘密 THE TOP SECRET』です)や『CURE』などがありますし、古くは菅野美穂が貞子並みに怖かった、そのまんまズバリのタイトルの『催眠』などもあります。どれも現実的にはかなり困難な催眠技術の悪用が行なわれていますが、その中でもこの『不能犯』はトップクラスに難易度が高い催眠技術の使いようです。
主人公の目を数秒見つめるだけで深いトランスに入るというのは(当たり前ですが)尋常な暗示力ではありません。ただ、深いトランスに入れた後なら、或る程度、多くの事例が、実現可能な域に収まっているように私には見えました。催眠術師は自分たちが催眠術の悪用をしないイメージを周囲に与えるため、「自殺をするように暗示を入れても、防衛本能が働くので、そんなことを無理強いすることはできない」などと言いますが、全くそんなことはありません。
眼前のナイフをトランス状態の人間に「その先にかゆみ止めがついている棒」とでも認識させて、「さあ、首の辺りが凄く痒くなってきた。痒み止めを力を入れて塗り込まないと、痒みは止まりませんよ」などと言えば、誰しも首にナイフを突き立てることでしょう。トランス状態の人間を高速道路の縁に連れて行き、「さあ、目の前の横断歩道を渡りましょう」と言うこともできるでしょう。
自殺させるのではなく、他殺させるのはもっと簡単です。殺害の対象者が「襲ってきているから自分で身を守らなくてはならない」などと暗示を入れればよいだけです。この作品では、そのような暗示がかなり独創的なレベルで多数登場して非常に勉強になります。観てみて、その点だけでも非常に満足感がある作品でした。おまけに買ったパンフにも精神科医の名越康文と言う人物の解説が書かれていますが、これがまた非常に秀逸な説明で、1ページに細かい字でびっしりと書かれた解説文を入手しただけでも、この作品を観に行った価値があります。DVDも買い決定です。
催眠技術、特に非常に高度な瞬間催眠の技術と、練度の高い暗示文を組み合わせた能力を持つ主人公というのは、過去にあまり居なかったように感じます。特にパンフでは「ダークヒーロー」と称している部分がありますが、直接の危害を加えず、暗示によって対象者を死に至らしめるのは、間違いなく「ダーク」ですが、果たして「ヒーロー」と呼べるのか否かは微妙な所と思えます。
依頼者の殺人の願いを叶え、それを実行するという意味では、『ブラックジャック』のドクター・キリコでも同じ構図の仕事を受けていますが、彼を「ダークヒーロー」と言うものはあまり居ないのではないかと思います。同様に『グラスホッパー』に、催眠で自殺するように暗示を入れて“殺害”するように促す殺人者がいますが、彼も「ダークヒーロー」とは呼べそうにありません。その催眠誘導は到底「瞬間」では終わっていませんし、暗示文にも工夫がなくワンパターンで、おまけに、相手がトランスから冷めかけると、慌てて自分で殺害してしまおうとすることさえある体たらくです。さらにおまけに、自分が自殺に追いやった人間の幻覚に悩まされるという脆弱メンヘラ状態なのです。
催眠技術の独創的な悪用方法やその高い暗示性などから、非常にユニークなキャラ設定と思いました。原作がコミックとのことなので、原作も買ってみようかなと言う気になりかけています。先述の通り、ヒーローかどうかは別として、少なくとも多くの殺人依頼が、何らかの浅知恵的な構造になっていることが明らかになる、『笑ゥせぇるすまん』や一部の『世にも奇妙な物語』のエピソードのような物語の妙がありますので、コミックならその点がもっと楽しめるのかもしれません。
この映画を観てみたいと思ったもう一つの(どちらかと言えば)小さめの理由は、沢尻エリカです。彼女の鳴り物入り映画『ヘルタースケルター』はピカデリーのエスカレータの踊り場に本物の衣装が展示されるぐらいの熱狂ぶりでしたが、作品のとっ散らかり方はかなり酷く、一度まともな話のまともな役をやる沢尻エリカを観てみたいと思っていたということはあります。原作では男性の刑事役を女性の沢尻エリカが演じることになって、映画版の面白さが出たとパンフにはありますが、やはり(体ではなく言動そのもの全般の)線が細過ぎて、良い配役とは言えなかったように私は思います。体の線だけなら、多分、沢尻エリカより細いように見えますが、『予告犯』の戸田恵梨香の方が余程自然に見えます。ただ、『ヘルター…』よりは大分見られる状態だったのは間違いありません。
この映画の私にとっての難点は、こうした役者陣の話に偏っているように思えます。沢尻エリカに関しては上述の通りですが、他の役者陣は有名どころが集結し過ぎなのです。バタバタと人が死んでいくので、登場人物は比較的数が多く、死んでいなくなるまでの登場時間がそれなりに限られている状態です。(ただ、実写映画版の『進撃の巨人…』ほどではないかもしれませんが…)
たとえば、主演の松坂桃李は、私にとっては『ガッチャマン』の印象がなぜか一番強く、続いて『ユリゴコロ』の殺意に踊らされる息子で、『彼女がその名を知らない鳥たち』のヘタレデパート店員で、『万能鑑定士Q -モナ・リザの瞳』のオタオタする兄ちゃんです。多分、『娼年』を観たら、そこの印象が一番になるかもしれません。この作品のキャラは普段がっぷり被った髪型で俯き加減でいるので、口ぐらいしか顔が見えません。それがニタリと笑う不気味さがトレードマークになっています。そんなことまできっちりやってくれていて凄いのですが、顔がまあまあ全部見える場面になると、どうしても、他作の他のキャラに見えてしまうのです。
同様に、新田真剣佑とか言う目立つ脇役の男は、流石に顔に線が入っていないので『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章』の億泰には見えないものの、『チア☆ダン…』の広瀬すずのカレシにしか見えません。同じく目立つ脇役で如何にも「裏に何かありますよ」と言う感じの間宮祥太朗と言う男優は、つい最近DVDで見た『おまえはまだグンマを知らない』で何度も下半身を露出させる変顔自慢の変態高校生にしか見えません。矢田亜希子は流石にだいぶ老けて『クロスファイア』の印象は消えましたが、保険会社のCMばかり脳裏に浮かびます。
これまた「裏に何かを持っていますよ」的な印象炸裂の安田顕は、北海道系のネタを一切知りませんが、『女子ーズ』と『ビリギャル…』の両方で執拗に有村架純に嫌がらせをし続ける男か、『SPEC…』シリーズで、特殊能力を発動するために対象者の額に自分の額を当てたがる、妙に変態臭い医師にしか見えないのです。他にも、珍しく不細工感まで醸し出す汚れた感じの役回りを熱演した芦名星は、それでもやはり七瀬にしか見えませんでしたし、忍成修吾とか言う男優は、最近観て私が邦画ベスト50に入れようかどうか悩んでいる『ひかりをあててしぼる』のDV男にしか私には見えません。唯一他のキャラに見えなかった人は、デバガメ・逆ギレ老人を演じた小林稔侍ぐらいでしょうか。彼は本当にそういうオヤジに見えました。
デバガメ・逆ギレ老人以外は、やはり役を掘り下げる余裕がないままにストーリーがどんどん先に行ってしまったり、あっという間に死期を迎えたりするので、より印象の強い他の役が被って見えてしまうのだと思います。それでも、十分見所がある作品でした。