2月最終日の水曜日、午前中の案件が終わった後、渋谷の映画館の3時半からの回を観て来ました。この渋谷の映画館は、記憶を遡っても、遥か昔に一度来たことがあるようなないようなおぼろげな記憶しかありません。世田谷区祖師谷在住の時代に、絵画展などをよく見に来たり、年に一度、中島みゆきの夜会を見に来た施設の中にある映画館です。ここのアート系の特化した書店も、以前から私が好きな店で、今回上映一時間前に施設に着いたので、久々に仲を見て回ることができました。
1月下旬の封切から既にまるまる1ヶ月。元々ロードショー的に多数の館で上映されていたわけではないものと勿論思いますが、少なくとも、観に行った段階で、全国でもたった三館でしか上映されておらず、そのうち二館は東北地区でした。関東圏ではたった一館、この渋谷の映画館で一日二回上映されています。
最近、シリーズモノのSF系映画やら、コミックが原作の作品、さらにサスペンス系邦画などを観ることに偏り、観る映画館も新宿の大型館にかなり偏っていたのが、少々気になっており、そのパターンからの逸脱を一度計ってみようと思ったのが、当初のきっかけです。その後、映画のポータル・サイトで上映映画の一覧を見て、この作品を見つけました。
東京でしか見られないようなマイナーな映画であること。避けようと思っていた作品ジャンルのどれにも属していないこと。最近、コミック誌『週刊モーニング』で連載されているのを時々読む『ガカバッカ』と言う天界の有名画家が現代日本に転生してくる話で、主人公であるゴッホ、ピカソに続いて、ダヴィンチやダリ、ムンクに北斎までが現れた末に、とうとう先週からゴーギャンが(若い女の子に転生して)登場したので、丁度、ゴーギャンの映画に目が留まったことも理由の一つです。
他にも、(英題が“Vincent & Theo”の)ロバート・アルトマン監督の名作『ゴッホ』も良かったので、アルルで共同生活をしていたことがあると有名であるゴーギャンも映画作品を観てみようかと興味が湧いたこともあります。
ついでに言うなら、芸術家や文筆家に多い、言わば 「火宅の人」型の人生とその女性関係発生の背景を見てみたい気がしたのも本当です。最近は、不倫がやたらめったらメディアで報道され、別に当事者だけで片付ければよいものを、仕事面その他で、社会的な制裁を加える風潮が強まっていて馬鹿げていると感じます。小室哲也の看護師と不倫しただの一夜を共にしただけだがセックスする能力はなかっただのと言った話から流れが変わって来ていると言いますが、モテない男女や恋愛に情熱を湧かせられない男女の妬みなのか、不倫に対する議論は喧しいままにあるように感じられます。
しかし、現代に至っても評価されている多くの芸術家の男性の女性遍歴は、不倫と叩けばきりがないほどの状態で、「火宅の人」の檀一雄も作品通りの様子だったようですし、有名な所ではほとんどメンヘラ状態と言える太宰治の女性遍歴などは時系列に追っても整理しきれないぐらいです。
もともと、日本でも戦後すぐぐらいまでは、「お妾さん」や「二号さん」はかなり当たり前に使われている言葉でしたから、金銭的に余裕のある男性は勿論、そうでなくても何かの魅力がある男性には婚外の恋愛関係が当たり前にある時代が長く続いていました。石川啄木などは、学歴も低く、万年貧乏でしたが、カネが入れば女遊びに精を出し、単身赴任すれば現地妻を作ると言った状態で、剰え交際相手の芸者を他の男に売り、さらにその後もその芸者に借金の申し込むと言った「辣腕」ぶりです。今時、ヤクザ系映画や闇金系映画などでしか、こういう人間は登場しにくくなりました。僅か26歳で死んだ貧乏人石川啄木でさえこの有様です。
また地方では明治中期ごろまでは、共同体生活の中で性が大らかな愉しみとして普及していた時代は長く、当然そこには、不倫だのの概念はほぼ存在していなかったことになります。ヒステリックに不倫を背徳扱いする米国文化の影響が色濃くなってくるにつれて、日本でも不倫が糾弾される社会的背景ができ、そこへ恋愛を求めても得られない層と、恋愛に価値を見いだせない層の、或る種のルサンチマンや嫌悪が被っての、不倫叩きブームなのであろうと私は思っています。
そんな世の中で、(一緒に行こうと誘って断られたのだとは言え、結果的に)妻に5人もの子供を残してヨーロッパを一人旅立ち、タヒチに二年も在住して、そこで13歳と言われる現地妻と同棲生活を送ったゴーギャンの姿はどう受け止められるのか、どう評価されるべきなのか、少々楽しく思えてならなかったので、この作品を観に行くことにした部分も否定できません。
特にネット上で不倫を叩く傾向が強いのは、比較的若い世代に多いように私は感じていますが、その仮説が合っているのか、シアターの中の30人弱の人々の年齢層は完全に私よりも遥かに上で、60代後半に平均があるように見えました。男女比はほぼ半々で、カップル客も何組も存在しました。
ウィキに拠れば、ゴーギャンはタヒチに二回滞在していて、一回目は2年、二度目は6年滞在しています。二度目の滞在の後、そのままマルキーズ諸島に移り住み、さらに2年を過ごした後、現地で死亡します。
捨てられたのか捨てたのか、はたまた話し合って冷静に別れたのかよく分かりませんが、ゴーギャンはこれらの三ヶ所の各々で現地妻を得ています。劇中で描かれる一度目のタヒチの現地妻は13歳で、ゴーギャンの子を流産していますが、二度目のタヒチの現地妻は14歳半でゴーギャンの子供を二人も生んでいます。さらに最後のマルキーズ諸島では、既に50歳を過ぎていて、再び14歳の女子を妻として、子供を一人設けています。二度目のタヒチ渡航の段階で正妻のメットとの破局はほぼ確定的と言われていますが、正式に離婚が成立していたのか否か、私にはよく分かりません。
いずれにせよ、ロリ、ペド、何と呼べば良いのか分かりません。現代なら、かつて、大統領のミッテランが女性問題に関して記者から質問を受けた際に、「それが何か?」と応えたエピソードさえ有名な多情的なフランス文化でさえ、フランス人ゴーギャンの児童愛を受け容れられるのか怪しいように思えます。
この作品は、ゴッホとの共同生活の後にゴーギャンが一度目にタヒチに赴いた際の日々を描いています。この期間のゴーギャンの生活は、彼自身が書いた『ノアノア』という旅行記に描かれており、本作もその内容がベースとなっています。現地妻テフラは本来13歳の少女の筈ですが、さすがに作品中でそれなりに明確なゴーギャンとのセックス・シーンもあるのに、13歳の女優は使えなかったものと思えますが、パンフに拠れば、17歳の女優ツイー・アダムスが配されています。
「パリは腐っていて薄汚い。描くべき風景も顔もない」と言うのがゴーギャンがタヒチへ一人出奔した理由です。いざタヒチに着いてみると、そこには教会まであり、近代文明が既に押し寄せていたので、更に奥地に一人旅立ち、所謂「現住部族」の集落に落ち着きます。そこでゴーギャンを客人として世話している一家の母から、「ウチの娘を妻として欲しいか」と尋ねられて、ゴーギャンは「ああ」と単に合意して、(劇中で見る限り)特段婚姻の儀式のようなものもなく、いきなり同棲生活が始まります。
日本でも江戸時代までは元服などを済ませ夫婦となったりするのは、10代半ばぐらいであった文化は現実に存在しますし、人里離れた山中の家などでは、武家の者が泊まると、持成しの一環として家の若い娘を抱かせたりするなども普通に習慣としてあったと言います。多分、この現住部族の人々でもそのようなことであったのだろうと思われます。ゴーギャンは、タヒチに行く前も行った後も、現地の文化や習俗を研究していた頭脳派芸術家でしたから、このような文化背景も理解していた可能性はありますが、それにしても、あっさりと妻を娶っています。
ゴーギャンは出奔前に同行する画家仲間を募ろうとして、彼らに「旅費だけあれば、現地につける。向こうでは金などなくて生活できる。魚を獲って、木の実を食べて、後は絵を描いて暮らせる」と言っていますが、観る限り全くそのようなことはありません。事前に習俗まで分かっていたのなら、事前にそのようなことも分かっておくべきでした。
あっという間に、彼の持ち金は底をつき、後半、漁師に混じって魚を獲って食料にしたり、港湾の日雇い労働者として荷揚げ労働をしたりと、到底、絵を描いている余裕などない、貧乏生活のどん底に陥りました。
大体にして、「パリは腐っている」と言っているそのパリの画商に、タヒチで描いた絵を送って、その上がりが送金されてくるのが、速やかに行われるという想定を19世紀の終わりの時代にするのが間違いの始まりですし、元々、パリそのものに描くものがない以前に、パリで彼の絵が売れなくて困っている状態が続いているのです。少しの売上が上がって、タヒチに出奔しましたが、自分が否定し、自分を否定した街とその文化に、出奔先でも経済的に依存しているという構造が既に矛盾を孕んでいます。
その絵を描く画材もパリから持ち込んだもの頼みで、すぐに消費し尽してしまい、キャンバスさえ、村の雑貨屋のガラクタの山から掘り起こして使うようになり、絵の具も足りなくて困窮するようになってしまっています。
タヒチに行っても教会を忌避して山奥に逃避しますが、テフラとの関係が冷めて行った一つの大きな理由は、ゴーギャンが否定する西欧文明の象徴である教会に、他の村人同様にテフラも行きたいと希望したことでした。文無しになり、食うものも満足にない極貧生活を強いるゴーギャンにテフラも愛想を尽かすようになり、村の若い男とテフラは不倫に走ります。フランス語がそれなりにできるようになっているテフラは、ゴーギャンがフランスに妻子を置いてきていることも、あわよくば彼らと一緒に暮らしたいと常に考えていることなども、すべて悟っています。
テフラの不倫相手は、ゴーギャンから木彫像の制作技術を教わり、小型のトーテムポールのような民芸品(らしき商品)を手作業で量産し、売り捌いて財を成すようになっていきます。ゴーギャンは彼に芸術を教えたつもりでしたが、彼は同じ木彫像を幾つも作っている所をゴーギャンに見つかり、「同じものを何個も作るなど、芸術ではない。俺が教えたことが分からないのか」と激昂されます。しかし、彼の量産作品は市場でどんどん売れ、急ぎのカネを作ろうと市場に持って行ったゴーギャンの絵は、誰にも見向きもされないままに売れ残るのでした。
詰まる所、ゴーギャンが自分に都合よく理解した未開の文明は存在せず、売れるものを市場に持ち込まねばカネは得られず、カネがなければ人間としての生活も尊厳も儘ならない現実から、タヒチの山奥にまで行っても逃れることができなかったのです。馬鹿げています。
どう転んでも現地の生活に困らない程度のカネを貯めてから、タヒチに行けば良かっただけのことですし、それでも困ってしまったのなら、自分の芸術品を作る傍ら、売れる量産品を作ればよかったでしょう。(ウィキに拠れば、二度目のタヒチ渡航では、それなりに困窮に喘がなくて済んだようです。)パリが厭で文明文化が厭でタヒチに行ったのですから、未開の文化文明の中での芸術作品作りに勤しめば、画材さえ要らないはずでした。原始の時代にも洞窟の壁画が描かれていたりするのですから、何かの描画方法は存在するはずです。未開の文明が良いなら、未開の文明の芸術の追求をすればよかったのではないかと思えます。
テフラとの関係も、養えなくなることが見えているぐらいの経済状況で来ているのですから、最初から貰わず、独身者として振る舞って、単純に多くの女性とその都度交際を続けて行けば良いのではなかったかと思えます。大体にして、村の男がテフラを誘惑に来るのが怪しからんと言うのなら、自分も他の女を嘗てテフラが感じた自分の魅力で誘惑して回れば良いはずです。成り行きで手に入れたテフラへの独占欲が中途半端に嵩じた結果、テフラの不倫を責めるに責められない「痴人の愛」状態に陥ってしまっています。
こう言う馬鹿げた考えに絆された人生を、「美への欲求に忠実な人生」とか「芸術家としての激情に衝き動かされた人生」と評する向きもあるのだと思いますが、単なる現実逃避・現実否定のイタいおじさんが、元々芸術家が犇めき鎬を削るメッカのパリで否定されたので、幻想でしかない未開の地をVR三昧で始めてみたが、現実との乖離が埋められなくなって破綻した話と見た方が普通でしょう。
この生活の結果、ゴーギャンが後世で評価される作品群を生みだしたのも本当です。それは、多くの芸術家が放蕩や愛憎劇を繰り広げても生み出す作品群の質との相関があまり見出せないのと同じです。ですから、私はタヒチ出奔が馬鹿げていると言っているのではありません。ゴッホと違い、ゴーギャンは一度は実業家として大成した人間です。もっと周到なタヒチ出奔の姿があり得たのではないかと思えるということです。
また、殆どの著作の殆どの議論で私が全く理解も賛同も共感もできないことばかりの上野千鶴子が、亀山早苗著の『人はなぜ不倫するのか』で、唯一、私が深く頷ける言葉を吐いています。それは「人は守れない結婚と言う約束をどうしてするのか不思議」です。ならば、なぜゴーギャンは村にたくさんいる女子に自由恋愛の概念さえまだるっこいぐらいに、人間が本質的にいつでもできる愉悦としてのセックスをして回るようなことをしなかったのかが不思議なのです。
映画『ゴッホ』に描かれる、精神が侵され、まともと思える人生の判断をほとんどできなくなって破滅していくゴッホの姿の方が、私にはまだ共感できるようにさえ思えます。そこには、欺瞞に満ちた自己都合の理想を周囲の人々に押し付けがましく投影する姿勢がないからなのだと思います。それでも、芸術家の多情な人生の一つの形を描く作品として、一定量(かつ最低限の)価値は見出すので、DVDは一応買いかなと思います。