『ジャスティス・リーグ』

 明治通り沿いの映画館で『最低。』を観終った1時間後、午後10時15分から回をバルト9で観て来ました。『最低。』と二日違いの11月月末の封切。約1カ月半を経て、上映館こそまだ23区内にも多数残っているものの、観客動員に敏いバルト9では既に1日1回の上映になっています。それも、バルト9に着いてから知りましたが(注意して見れば本当はバルト9の上映スケジュールのページでも確認できた筈ですが…)チケット・カウンタやロビー、売店のあるフロアに存在する小さい方のシアターです。

 完全に終電時間枠とは言え、3連休です。もっと観客が居ても良いように思っていましたが、小さなシアターに居たのは10人余りでした。私はその中でもかなり高齢の方でトップ2割に間違いなく入っていたと思います。女性客はカップル客の1人だけだったように思います。男性客は20代から30代に見えるような若い層が中心でした。バルト9の状況だけを見ると、上映時間も遅くなっていて、おまけに入りも悪く、『最低。』よりこの作品の方が人気がないことになります。

 この映画を観に行くことにしたのは、DCのコミック・ワールドがその後どのように展開しようとしているのかを見てみたいと思えたからです。『スーサイド・スクワッド』は、正直、渋谷のハロウィンの路上乱痴気騒ぎの女子向け仮装ネタを新たに提供した以外に、何の意味があったのかよく分からない作品で、『ワンダーウーマン』に至っては何が見せ場なのかよく分からず、私にとってのDCの作品群は『バットマン vs スーパーマン…』を最後に迷走を始めています。

 私はテレビ・シリーズの『THE FLASH/フラッシュ』がかなり好きです。このシリーズはDCワールドをかなり広範に包含し始めており、『ARROW/アロー』や『レジェンド・オブ・トゥモロー』、さらに『スーパーガール』シリーズまで相乗りが始まっていて、既に十分DCワールドが形成されているように感じられます。私は取り分け『THE FLASH/フラッシュ』をシーズン3まで見てかなり入れ込んでいますが、逆言えば、数あるコミックのフラッシュも全く見ていません。DCコミックの世界観の中で、新たに創り上げられた部分が結構多いと噂の新フラッシュ・シリーズだけが私の中で屹立した魅力を持っているのです。

 そのフラッシュが別の役者で、設定も私の知っているフラッシュ・シリーズとは別に登場する作品です。勿論、先述の通り、私がよく知らないだけで、もしかすると、この映画作品のフラッシュが伝統的な設定に忠実度が高いのかもしれません。そのフラッシュを見届けておきたいと言うのが、この映画を観に行くことにした最大の理由です。元々、この作品が物語として完全に直結している『バットマン vs スーパーマン…』にも、いつもの感じでちらりと終盤にフラッシュの存在は示唆されていました。フラッシュ・ファンの私にとっては、それがどのようなものか見極められるチャンスが漸く到来したのです。

 マーベルの方のストーリー群で、スパイダーマンはサム・ライミが監督したものが、かなり原作に忠実であるように私は受け止めています。そして、そのテイストがかなり好きです。それに比べて、その後の『アメージング・スパイダーマン』のシリーズは、私には(設定やFXがではなく、主人公のキャラ設定がですが…)ちゃっち過ぎて、旧シリーズに対する冒涜のように感じられました。しかしながら、ここ最近のマーベルの映画シリーズに登場し始めたスパイダーマンは、それを更に大きく下回るただのアホ高校生に堕してしまっています。このスパイダーマンの劣化プロセスが、フラッシュではどの程度になるのかを見極めたかったのです。

 結論は、単純に性格面で見るなら、とんでもない劣化で、スパイダーマン・シリーズで言うなら、私の好きな『THE FLASH/フラッシュ』シリーズのフラッシュが(サム・ライミ監督作の)旧作スパイダーマンなら、今回のフラッシュはマーベル・シネマティック・ユニバースに最近登場し始めたスパイダーマンのガキのやや手前ぐらいの劣化でした。少なくとも単体でこのフラッシュの映画が出たら、カネと時間を投じて劇場で観ることは絶対にありません。しかしながら、一点面白いと感じられたのは、フラッシュとスーパーマンの共闘が実現したことです。

 フラッシュの説明文をネットで見ると、単純な速さの比較ならスーパーマンと互角と言った表記があります。スーパーマンは旧作の映画シリーズの中で、地球の周囲を超高速でぐるぐると周回して飛行することで、時を巻き戻すことができます。(そして、死んだロイス・レインを甦らせました。)一方でフラッシュも高速で走ることで空間にゆがみを作り、タイム・スリップをすることができます。どう見ても、空気抵抗がある分、地上に近い空を飛ぶ場合、スーパーマンの方が宇宙空間の場合よりスピードを大きく落としてしまうことでしょう。そのスーパーマンと(基本的に)地上を走るばかりのフラッシュとどちらが速いかと言うことの議論なのだと思います。それがほとんど同じ速度であると言う話が、この映画では贅沢にも数度の場面として登場します。フラッシュは『THE FLASH/フラッシュ』の中ではスーパーガールとかなり仲が良く、共闘する際にスピード比べのような場面が発生していることはありますが、スーパーマンとのものは存在しません。それが堪能できたのが、私にとってはかなり大きな救いではあります。

 他には、眼球が白くて何やら気持ち悪い飲んだくれのアクアマンも何だと言うことはありませんし、コンピュータを支配する部分の機能ばかり求められてあまり派手な活躍をしないサイボーグとか言う黒人も映像としての見せ場があまりありません。変な小芝居やらセックス(直前までですが)やら幼稚な正義感の振り回しやらをしないで、黙々と戦う面が強調されているワンダーウーマンは、ソロ作品に比べてかなり好意に値しますが、まあ、それだけです。主役級のバットマンはいつも思うことですが、ベン・アフレックの馬面がマスクから縦長に食み出ていて見苦しく、どうも貧乏臭くて超リッチなブルース・ウェインに見立てるには、結構強烈な自己催眠が必要です。けれども、これらの人々が共闘するシーンは、DCの映画作品ではまだまだ珍しかったので、まあ一応見所にはなっていたように思えます。

(『バットマン vs スーパーマン…』には後半に三人の共闘が見られますが、比較的短い上に、ただの体力勝負の反復で、結果的にスーパーマンと敵キャラとの相打ちで終わります。『スーサイド・スクワッド』では全員共闘の場面がそれなりにありますが、如何せん出てくる連中が皆(性格的にも能力的にも)小物で、大した話ではありません。)

 まあ、見せ場はこんなもんかなと思っていたら、「このチームではまだまだ戦力として十分ではない」と執拗に繰り返していたバットマンが、なんと死んだスーパーマンを甦らせると言う暴挙に打って出ます。そして、それを達成します。そのお蔭で、おきゃんなロイス・レインをガッツリ創造することに成功したエイミー・アダムスと、皺くちゃで髪がよれよれのバーさんになっても、じっと見ると深紅のボディコンに身を包みごろりと大きい金属性マイクを握りしめてシャウトする『ストリート・オブ・ファイヤー』の姿が透けて見えるダイアン・レインのダブル好演がドーンと打ち出される余地を作ってくれました。

 この二人がきっちり存在してくれなくては面白くなりません。その意味で、この作品は、辛うじてスーパーマンを甦らせることで、私にとって、パチモンのように感じられるとは言え、ガキのフラッシュとスーパーマンの競演も、エイミー・アダムス、ダイアン・レインの共演も実現することができていて、漸くDCの物語の迷走を食い止めた感じに見えたのでした。

『メッセージ(ARRIVAL)』は、エイミーアダムス演じる主人公のキャラ設定的にも物語的にも、肩すかしに終った作品だと思っています。何度も見たくなるかどうかは別ですが、この作品はエイミー・アダムス軸で見ると、『メッセージ(ARRIVAL)』より遥かにマシな映画です。DVDはギリギリ買いです。

 エンド・ロールの合間に二度も挿入されたティーザー映像には、丸坊主になったレックス・ルーサーが登場して、マーベル側の人の筈なのに、どう見てもデッドプールのように見える人物に「手を組もう」と話していました。このレックス・ルーサーは、あの『ソーシャル・ネットワーク』でザッカーバーグを演じ、その後『エージェント・ウルトラ』でイカれた工作員を好演し、『カフェ・ソサエティ』でも結構シンプルなストーリーを見入るものに変える立役者になったジェシー・アイゼンバーグです。次作は期待できそうです。そして、この人の存在が最後に少々現れたことで、『バットマン vs スーパーマン…』の私にとっての魅力の中に、この人物が含まれていたことを思い出しました。ティーザーを観る前や、1個だけを観た後に席を立つ観客が半数ぐらい居ました。マーベルやらDCやらのやり口を分かっていないアマちゃんだと思います。

追記:
 エンディングに流れたビートルズの『カム・トゥゲザー』は良いアレンジで結構気に入りましたが、空母に乗ってきた米国人を揶揄と言うよりもコケにしている歌詞内容なのに大丈夫なのかと、かなり疑わしく感じられました。ちなみに、ネットではビートルズのメンバーを示している内容とありますが私にはあまりそうは思えません。