『GODZILLA -怪獣惑星-』

 11月半ば過ぎの封切から10日経った月曜日の晩。バルト9で10時丁度の回を観てくることができました。本当はここ数日の空いた時間で『バリー・シール/アメリカをはめた男』を観たいと思っていたのですが、探してみると、23区内ではほとんど上映館がなくなっており、多少現実感のある行先の選択肢はお台場でした。普段なら足を伸ばすことも考えましたが、なぜか11月はありがたいことにやたらに仕事の引き合いなどが来て、私の苦手な午前中早めのアポも連発し、それに対応するために、夜遅くなる映画上映枠でさえ行くことが困難になっています。

 12月に入ると多少スケジュールが空くので、『バリー・シール/アメリカをはめた男』は、他の都道府県の選択肢(例えば、『キック・アス ジャスティス・フォーエバー』を観にわざわざ訪れてみたイクスピアリの映画館など)も含めて、行ければ行こうと諦めました。たくさんあるここ最近観たい映画のリストの中から代わりに観ることにしたのが、この作品です。

 観たいと思った理由は、基本的にゴジラ系の作品群はまあまあ好きであることが一番にあります。特に、平成ゴジラやミレニアム・ゴジラの一群の作品は、それ以前の子供向けはしゃぎ映画になってしまっていたゴジラ(当時の怪獣特撮映画の金字塔である第1作を除きます)に比べて、ジャニタレが騒ぎまくる一部の作品を除いて、非常に質の高い作品が多いと私は感じています。

 ここ最近では、『シン・ゴジラ』は石原さとみ以外に見るべきものが全くない映画でしたが、やはり、海外制作の妙に頭の小さいフォルムのゴジラも含めて、私はまあまあゴジラ作品群が好きです。そんなゴジラ作品群を振り返って見て、そこには全くアニメが存在しないことに今回初めて気づかされました。トレーラーを観る限り、かなり上質なアニメに見えましたし、フォルムが(遥か以前のトカゲのようなヤンキー・ゴジラは論外ですが)アメリカ版のゴジラになっているのが、何か妙にスタイリッシュに見えました。

 アニメとしてのゴジラの話も珍しいのですが、トレーラーを観てふと考えてみたら、ゴジラの未来像と言うのも、全く新規の設定です。宇宙SF、それもスター・トレックのようなぶっ飛んだ遥か先の未来でもなければ、スター・ウォーズのようなぶっ飛んだ異宇宙世界の話でもなく、地球文明の近未来SFとしてそこそこ今の延長のような宇宙服を着て、結構不細工な宇宙船を人々がやりくりしたりするSFです。或る意味、古典的な『2001年…』や最近だと『ゼロ・グラビティ』や(『2001年…』と原題が似ていますが…)『オデッセイ』などと共通するような世界観にゴジラが迷い込んでいるような、非常に珍しい構図です。期待感が盛り上がりました。

 1日7回もやっていて、おまけに1時間半にも満たない尺でも終電時間が近くなる月曜日の夜にどれだけの客入りかと思って、シアターに入って見ると、私以外にたった6人しか観客が居ませんでした。そのうち、女性客はカップルの片割れが一人と単独客が一人だけです。男性は若くても30代後半ぐらい(それがカップルの片割れです)とあとはそれ以上の年齢で私よりは若そうに見える男性ばかりでした。

 観てみると、トレーラーを観て抱いた期待感を上回る面白さでした。期待以上の、さらなる設定の妙は、ゴジラに敗退して移民先を目指すとはいうものの、実質、宇宙放浪のような状態になってしまうのは、生き残った地球人だけではないのです。ゴジラによって滅亡の可能性が出てきた人類に対して、以前から姿を隠して地球(、または地球周辺)に存在していた異星人二種も地球人にコンタクトを取って来て、協力してゴジラ打倒に動いたようですが、失敗しているのです。宇宙人のうち一種はメカ的にかなり技術が進歩していて、その技術を持ってメカゴジラを作ったようですが、まるでエヴァの如く起動が作り手の予想通りに行かず、多くのシステムや多くのロボットの比較的最近多いエピソードと同じように役に立たないうちにゴジラの襲撃を受け失敗したようです。

 ちょいとアニメのキャラの動きのぎこちなさを感じますが、いつぞやの『009 RE:CYBORG』ほどの違和感はありません。

 地球人も合わせて三種類の人型知的生物の存亡をかけてゴジラに挑む物語の流れが、よくこんなたった88分の尺の中にリアルに埋め込めたものだと思わざるを得ません。宇宙放浪の巨大宇宙船(どちらかと言うと宇宙ステーションと言ったフォルムですが)の中の政治劇や、地球に戻るまでの乗員である大衆の心理変化など、非常にきめ細かく描かれています。

 さらに、パンフレットに実際に計画書が綴じ込まれているゴジラ打倒の作戦計画も綿密ですし、その実行に当たってのギリギリ感や土壇場現場感は、スリルがあり、そのスピード感で手に汗を握るものとなっています。前半の逼塞の宇宙船内の環境での人間模様が濃密でじっくりと描きこんだものであるのに対して、いざ地球に降り立ってみると、予想外の地球環境の変化に翻弄されつつ、(宇宙船の中では20年余りの時間経過でしたが)2万年経った地球にさえ生き残っていたゴジラとの対決を余儀なくされる人々の必死の行動が、明確なコントラストを創り上げています。

 コントラストと言えば、このアニメの映像のタッチも、仄暗い宇宙船の中や地球に降り立っても太陽光が届かない密林の中など、常に陰翳が際立っていて作品全体の印象を引き締めているように感じられます。

「はあ、やっと倒した!」と一息ついても、どうも悪展開フラッグが立っているよなと思ったら、想像通り、倒した昔の儘の大きさのゴジラは別個体で、地中から本当に山のようにでかい昔から生き残って巨大化したゴジラが現れ、ギリギリ奏功した作戦に安堵する人類を絶望のどん底に叩き落とす展開も、展開だけならクリシェな気がしますが、その圧倒的な質量感の描写故に、「あちゃぁ、やられたぁ」と画面から目が離せなくなります。

 バルト9のロビーには既に貼り出されているポスターにある続編にこう繋がるのか…と思う間もなく、あっという間にエンドロールで、楽しめました。やたらに分厚くて立派なパンフを買って帰りました。DVDは当然買いです。