『シンクロナイズドモンスター』

 封切から約3週間。結構人気作なんだろうと思っていたら、見る見る上映回数が各館で減って行き、上映館自体も前からそうだったのか、減ってそうなったのか分かりませんが、23区内では渋谷と新宿の2館しかない状態になっていました。これはヤバイと、スケジュールを色々考えたのですが、新宿の上映館バルト9では、日によって早朝になったり夕方になったりで、1日たった1回の上映時間枠が一定せず、観に行くことがままならない状態が続きました。漸く何とか行ける時間枠を見つけましたが、金曜日の午前8時25分からの回です。ちなみに、渋谷でも1日1回しか上映していないので、23区内で1日たった2回しか上映していないことになります。

 バルト9に入ると、もうすぐ公開になると言うアニメのゴジラの像がドーンと置かれ場所を取っていました。24時間ぶち抜きでやっているような印象があるバルト9ですが、早朝未明過ぎに一応営業時間の区切りはあるようで、今回の8時25分がスタートの映画が6、7本はあったように思います。同時スタートで、一気に多くの映画の上映が始まると言うことなのでしょうが、所定の階に行くと、開場するシアターが複数あるので、珍しくシアター入口ではなく、通路途上でチケット確認のスタッフが一人ぽつんと立っていました。この状態なら、チケットと違う映画を観ても気づかれることは全くなさそうでした。一応完全入換制でしょうが、かなりアバウトな管理です。

 シアターに入ると、私が最後の客でしたが、男ばかりぱらぱらとシアター内にばらけて座っていました。私も入れて10人丁度で、場所柄、同性愛関係も疑われるような男性二人連れも二組いました。年齢は概ね30代以降に集中していました。上は私のような50代ぐらいだと思います。どちらかと言うと「装い」と言った概念とは縁遠い感じの服装の人々ばかりです。前日が祝日なので、羽目を外した人々の残党と言うこともあり得るかもしれません。活力にあふれる印象の人もいませんでした。

 私がこの映画を観に行こうと思った動機は、単純にトレーラーで観て、「これ、どう終わらせる話なんだろう」と疑問が湧いたことです。タイトルの通り、なぜか韓国の首都ソウルに出現した巨大モンスターと自分の動きが完全にシンクロしていることに気付いた女性の話というのは、ネタとして面白いですが、それをどう展開させるのかと言うのが大問題です。たとえば、自分がその立場だったら、「なぜ、そうなのか」を考えるなり調べるなりに没頭することでしょう。そして、それを周囲の人に明かすのか明かさないのかも大問題です。明かせば、それを何らかの便益に利用しようとするものが現れるでしょうし、場合によっては、クスリか何かで強制的にモンスターを操る道具にされてしまう可能性も十分考えられます。仮に明かさなくても、何かのきっかけでそれがばれてしまうなり、政府機関などがその事実を発見して迫ってくる可能性もそれなりに存在しそうです。

 大体にして、トレーラーを観て設定を知った際に、大きな疑問だったのは、たとえば彼女がトイレに行っている時とか風呂に入っているなどの場合はもちろん、ソファに座ってテレビを見ている時など、モンスターはどうなっているのかと言うことです。この謎がなにか非常に気になって、観に行ってみることにしました。その背景には、先日、DVDで観て好印象だった『マイ・インターン』や過去にも幾つかの好感の持てる役をこなしているアン・ハサウェイのコミカルなダメ女ぶりは、一見に値すると思えたことも消極的理由の一つと思います。これが好きではない女優だったら、判断は覆っていたことでしょう。

 トレーラーを観て思った疑問の幾つかは、モンスターが本格的に暴れはじめる時点で解消しました。まず、モンスターは出現してもほんの数分単位なのです。それも、ほとんど同じ時刻に同じ狭いエリアの中に現れます。突如、中空から転送されたかのように出現し、同じく転送されたかのように消失します。四六時中、彼女とつながっているいない以前に、いつも存在していないのです。

 存在しているときは、彼女と完全にシンクロしていますが、私は何かの理由で「モンスターが彼女と結果的にシンクロした」と言う風に、勝手に思い込んでいましたが、そうではなく、彼女自体の強い“思念”のようなものが無意識のうちにモンスターを作り出していたのです。ですから、出現したモンスターがシンクロする彼女は、常に一定条件を満たしているので、風呂に入っていたり、トイレに行っていたり、セックスしていたりと言うことはありません。

 映画を観て分かったのは、特定の早朝の時間に、特定の場所(彼女の生家がある街の道路脇の公園)に彼女が踏み入るとモンスターが現れて彼女と同じ行動をとり、彼女がその場所から歩み出ると、モンスターは消えると言うメカニズムです。一旦モンスターが現れてから、彼女が長時間そのエリアに留まっても、エヴァのような数分の活動限界のタイムリミットと共に、自動的にモンスターは消えます。確かにこれならば、あまり大きなシンクロ上の問題は起きませんし、彼女から言いふらさない限り、そう簡単にこのメカニズムに気付く人間はいなさそうです。おまけに、なぜソウルかとか、なぜこのモンスターなのかとか、なぜもう一体も出てこられるのかとか、そのようなことの謎も、彼女が25年前のその場所での激昂体験と落雷が同時に起きたためであることの記憶を甦らせたことで、一応氷解します。その意味ではめでたしめでたしです。

 問題はもう一つの私の疑問で、それでストーリーはどうなるのかと言うことです。シンクロが判明しました。そして、物語の途上でこの現象が発生してしまったメカニズムも一応分かりました。さらに、25年前の激昂の原因が解消されたと同時に、どうも、モンスター出現のメカニズムも解消してしまったようであると、映画のラストで提示されます。それはそれで一応物語なのですが、これでは、何かの呪いの封印を解いてしまって呼び出してしまった悪霊などをまた封印し直す物語構造のホラーなどよりも数段陳腐で、盛り上がりに欠けます。

 この映画は、その問題の解決のために、全く可笑しな展開を見せます。先述の激昂の対象の男がいて、この男も同時刻にこの場所に入ると、モンスター同様の大きさのガンダムの出来損ないのようなロボットの姿で現れることが判明するのです。それで、円谷プロから評価してもらったら、造型の悪さが酷評されるであろう不細工なモンスターとパチモンガンダムが揃ったら何をするのかと言うことになります。

 まず彼女が自分がモンスターとシンクロしていることを発見し、知らず知らずに街を歩き回って死傷者を出していることに驚愕し、良心の呵責に苛まれます。その後、地面にハングル文字をモンスターに書かせることによって、謝罪を行ないます。それで終わるにしては時間が有り余ると思っていたら、謝罪の前に、彼女は、自分がニューヨークから戻ってきた成果の街で、数年ぶりに邂逅した男友達に、このメカニズムの相談に乗ってもらうのでした。ところが、この男は最初は優しい友人と言う立場をとっていましたが、彼女が街の若い男と付き合い始めると徐々に本性を現して、彼女を自分の支配下に置こうとするのです。単純に交際を迫るなどの思い通りにすると言う意味よりも、寧ろ、自分に服従させようとする態度です。

 彼は自分がパチモンガンダムに成れることに気付くと、彼女に対して、「俺から離れると、毎朝ソウルの街を破壊する」と脅して服従を迫るのです。男女の構図が逆ですが、『危険な情事』のグレン・クローズのような感じで、彼女に付きまとい、見せしめとして、複数回、ソウルを破壊し、死者を出します。

 主人公の彼女にとって、この「死者を出すこと」は妙に重たいことのようで、彼を諌めようとします。ここからの対応が非常に変なのですが、彼が公園で実際にロボットとしてソウルを破壊しているのに対して、彼女はいきなり、そこに踏み込んで、モンスターとなって戦って止めようとするのです。つまり、公園の砂場のような枠の中でただ男女で取っ組み合いをするだけなのです。最初はヘラヘラして彼女の強気に従っていた男ですが、段々と本気をだし、彼女を公園で殴り倒してしまいます。そして、倒れた彼女の前で、砂場を踏みつけて回るのです。つまり、見せしめに彼女の前でソウルを破壊して見せたと言うことです。

 それで、彼女は何を思ったか、ソウルの街のそのエリアに実際に赴き、そこに現れたパチモンガンダムに対峙します。ソウルの街では、巨大なロボットの前に人間の女性が立ち向かっていくような構図ですが、アメリカの田舎町の方では、初めて、モンスターが出現し、ソウルとは逆の構図で、公園の男に向かって迫って歩いてくるのです。公園の男は敢え無くモンスターに捕まって、エヴァのタブリスのような感じで握られて、遠くへ投げ飛ばされてしまいます。事実上、殺されたと考えるべきでしょう。ソウルの街では、ロボットが突如空中で握りつぶされているような形に浮き上がり、そして遠くに飛んで行って消えます。

 一応めでたしめでたしです。しかし、色々な疑問が湧き起ります。まず、どうせ、ストーカーのようになってソウルの人々を実質的な人質にして迫ってくる男を殺す決断ができたのなら、別にわざわざソウルに行くことなく、その街で男を何らかの方法で殺害すれば良かった話です。仮に殺さなくても、公園で殴り倒されて酷い状態になっているので、そのまま警察に行って、男からの暴行を申告して逮捕してもらえば、もう公園に定時刻に行くことはままならなくもなったことでしょう。

 大体にして、自分がソウルに行ったら、交差する形でアメリカの田舎町の方にモンスターが登場すると言うメカニズムがなぜ分かったのかと言う謎も残ります。きっとそうだろうと思ったとしても、もし、そのメカニズムが発生しなかった場合、単純に自分がわざわざ来たソウルくんだりでただ踏みつぶされるだけのことになってしまいます。さらに、もし、男が理解力の高い人間だったら、即座に彼女がソウルにいて迫ってきていることに気付き、彼女が劇中でやったことを逆に先手で仕掛けることもできたはずです。つまり、ソウル側でロボットに近寄ってくる彼女を(目視ではどこにいるか分からなくても)先手を打って、手で払いのけて死に至らせることもできました。その返り討ちにされる危険を冒して、わざわざソウルに行って対峙することをするぐらいなら、別に田舎町の中で男を処分してしまえば良かっただけのことです。

 さらに言うなら、彼女にはもう一つの選択肢があったと思います。それは気にしないことです。モンスターの自分は謝罪をしたのですから、そのまま二度と現れなければよいだけです。男を捨ててニューヨークに戻ればそれで済みました。ニューヨークで彼女に三下り半を突き付けた男も未練がましく彼女を迎えに来ていて、現実に、結末として描かれていませんが、彼女は復縁する気でいたのは間違いありません。ならば、このストーカー男を単純に見捨てればよかっただけです。ソウルの街はさらに数回は破壊されるでしょう。しかし、それは彼女のせいではありません。男の目的は破壊を楽しむことではなく、彼女を服従させることです。ソウル市民を人質にとっても、彼女が言うことを聞かないと分かれば、早晩、飽きてしまうことでしょう。

 大体にして、ソウル市民もかなりイカれた人々です。定時刻に決まったエリアに現れるとほぼ分かっているのに、その場に多数の市民が常にいるのです。仮にロボットが毎日現れて特定エリアで数分暴れ回ると言うのなら、そのエリアを見捨てればよいだけのことです。多分、ほんの一丁角だけのことですし、地上の建造物を作れないだけのことで、地下には何を作っても問題なさそうです。(そもそも、ロボットが現れなくても、デパートが自壊する事故が起きるような国ですから、それほど大きな問題になることはないでしょう。)

 それに、昔のジャンボーグAやエヴァのように、ロボットやモンスターの受けるダメージは、そのまま本人達に戻ってきているようです。ですので、ロボットも軍事的な攻撃をガンガン加えれば、高い確率で倒せそうな気配です。今でも、北朝鮮と戦争状態にあり、徴兵制度まで布いている国なのですから、それぐらいはできそうです。如何に武器装備が陳腐でメンテも行き届いていないと言われる韓国軍でもそれぐらいできることでしょう。

 単に彼女が男を見捨てても、ソウル市民がもう少々被害を受けるだけで済みそうと書きましたが、セウォル号の沈没現場付近の海岸では、露天商まで繰り出て、お祭り騒ぎをしていた国民性ですから、ロボットが定期的に破壊に現れる街の一角に、何時までも留まる馬鹿者がいる上に、それを囃し立ててお祭り騒ぎにする人間も多数登場するのではないかと思われます。色々考えると、彼女が男を見捨てても、大きな被害がずっと続くと言うことはなさそうに思えます。

 コミカルに始まった物語は、突如、ストーカーと被害女性が対決するライト・ホラーの様相を呈し、よく分からない解決方法でエンディングを迎えます。どうしてそうなったのかも、激昂した少女に落雷したからと言う、まるで放射線を浴びた蜘蛛に噛まれたらスパイダーマンができたのと同じぐらい非科学的な理由も何の言葉による説明もなく、ぼんやりした子供の頃の記憶で描かれるだけです。

 何か綾瀬はるかと印象がカブることの多いアン・ハサウェイは、だらしない女を演じても憎めませんでしたが、彼女を見下さねば気が済まない男から見捨てられて折角別れたのに、素朴な田舎青年に迫ってセックスをして、ストーカー男の本性を引き出します。そのストーカー男に激しく恨まれて結局殺害し、そして復縁を迫る見下し男とよりを戻そうとする、本格派のダメンズぶりには、さすがにげんなり来ました。DVDは要らないものと思います。

追記:
 アン・ハサウェイが劇中で使っているノート型PCの外側には北斎の浮世絵の波濤が描かれています。ダメンズ女の趣味なのか、アメリカではこれがクールだと言うことでPCにそういう模様を描くのが流行っているのか、よく分かりませんが、不必要なほどに見せびらかされます。
 ダメンズ女は、大体にして、これが日本の北斎のものと知っているのだろうかとか、頭に考える余裕がたくさんできる映画だったので、登場のたびに考えましたが、劇中ではその登場頻度にもかかわらず、そのデザインに言及する人物は一度も現れませんでした。