『プラネタリウム』

 木曜日の深夜、12時40分からのバルト9の上映に出掛けてきました。封切からほぼ1ヶ月。上映館も元々少ない映画でしたが、上映回数も1日にたった1回になっていて、来週の上映はかなり怪しい状態になりました。1日1~2回の上映には既に先週の段階からなっていましたが、月末近い時期の真昼間の上映ではなかなか観に行くことができず、苛々する日々を過ごしていました。とうとう1日1回の上映になったものの、それが深夜時間枠であることで、とうとう鑑賞が実現しました。

 当然、終電過ぎの時間帯で、上映回数の推移などから、観客は非常に少ないものと思っていましたが、(座席予約を実際にしないにもかかわらず)ネット上の座席予約画面で上映1時間前に見てみても、観客はゼロでした。カウンタでのチケット購入時点では、最後列中央に一人存在しましたが、それは結局最後までそれ以上に増えることはありませんでした。

 私以外のたった一人の観客は、どうみても60過ぎの体格の良い、と言うより、(最近聞かない言葉となりましたが…)メタボ症例のモデルのような体型で、生活習慣病を複数併発していても不思議なさそうな、ザビエル禿のおっさんでした。背広をきちんと着ていて、ショルダー・ストラップ付の大きめのビジネスバッグを横の席においていました。出張中か何かに、何故か宿泊場所の都合がつかず、バルト9を選び、さらにこの作品を選んだと言うことのようで、暗がりで分かりにくいものの、映画開始後30分ぐらいには、既に寝息を立てていたように思います。

 この映画の舞台は、第二次大戦直前のフランスです。主人公は霊媒を行なう美人姉妹で、妹が霊を呼ぶ“媒介”となっていて、姉は交霊術を仕切る進行役です。成人しているであろう姉の方はナタリー・ポートマンが演じ、まだ学齢の妹はジョニー・デップの娘が演じています。私にとって、ナタリー・ポートマンは名演技が光る人です。先日劇場で観た『ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命』も彼女の鬼気迫るジャッキー再現への入れ込みが結実した素晴らしい作品でした。ただ、彼女の出演作を片っ端から見たいと言う欲求が起きるほどのファンではありません。

 かたやジョデの娘は、特段なんだと言うことではありません。母のバネッサ・パラディもフランスでは非常に有名な人であったようですが、B級とも評価できないような理解不能な映画『エイリアンVSヴァネッサ・パラディ』しか観たことがありません。父のジョニデの方は、勿論出演作をたくさん観たことがありますが、それほど好きと思える作品が存在しません。敢えて挙げると、『エドウッド』と『スリーピー・ホロウ』が鑑賞の反復に耐えられる程度です。マリリン・マンソンが名付け親と言う娘本人について、私は全く認識がありませんでした。映画を全編観た後でも、彼女についてだけで言うと、湧いた関心は右眉に禿げている所があるのは素なのかどうかぐらいです。

 そんな私がこの映画を観に行くことにした最大の理由は、降霊術師をモチーフにしていることです。この映画のポスターに、「人の心を狂わすこの姉妹は、高名なスピリチュアリストなのか、世紀の詐欺師なのか-」とあるのも、気になったポイントでした。私が趣味と実益を兼ねて調べている催眠術は、ヒプノセラピーと呼ばれ、心の病の治療に欧米で使われているのが日本でも細々ビジネス化されている以外に、実質的にショーでしか見ることがありません。私は催眠の技術そのものに関心を持っているので、ショーで催眠をやってみることに全く関心が湧きませんが、一般の人々が持つ催眠術のイメージは、間違いなく、対象者を思いのままに操るおかしな演芸であろうと思います。

 その演芸系の一環としても、心の傷を癒す真面目なサービスとしても、催眠で死者に会わせると言うサービスが存在します。そのサービスに近い話にナタリー・ポートマンが挑むと言うところが、私がこの映画を観てみたかった最大の理由です。

 催眠とこの手の心霊現象系の話の結びつきはあちこちで散見されます。前述の死者に会わせるサービス以外にも、憑依現象の多くは催眠現象であると説明されることは多いですし、前世が見られるという信憑性がかなり怪しいサービスも、実践催眠の第一人者吉田かずお先生に拠れば、「深い催眠状態で出てきた人格が、前世のものなのか、憑依によるものなのか、単純に本人の無意識の深い所にある願望的なものなのか、判別は非常に困難」とのことでしたが、そのように言える吉田先生も、このような実験的な演芸に一時期凝っていたことがあるはずです。

 たとえば、人気テレビシリーズの『メンタリスト』でも主人公のメンタリストの前職は似非霊能力者で、催眠の技術やら、コールド・リーディングの技術などを総合して、霊能力者として名を売っていたと言うことになっています。このような中で、この映画は美人姉妹の降霊術をどのように描いていたのか。この答えを私は劇中ずっと追い求めていました。

 姉妹二人はパリでユダヤ系フランス人の映画会社社長と邂逅し、姉は「本当の霊媒師が霊媒師を演じる…」という触れ込みで映画に出演することになり、妹は交霊術にハマったその社長の依頼で心霊実験に駆り出されて行きます。当時の超心理学実験は、エックス線撮影で呼び出された霊を写し撮ろうとするもので、結果的に妹の方は大量被曝によって白血病になってしまいます。白血病を発症し、死を意識した妹は、「これは運命だ。亡霊を迎え続けて来て、亡霊の所に行くことになっただけのこと」のような話を、取り乱す姉に伝えます。

 すると姉の方は、「そんなことはない」と否定しますが、妹は頑なに自分の考えを繰り返します。その時に姉は、「ケイト、あなたも分かっているはずじゃない」と降霊術の本質を指摘するのです。終盤とは言え、いきなり、主人公の口から降霊術の構造が語られてしまいます。それは、吉田先生が言っていた中の第三のケースで「本人の無意識の深い所にある…」会いたい人物が、トランス状態になった対象者の心の中にリアルに再現されるにすぎなかったのです。

 勿論、これを持って、総ての心霊術者の技は実際には催眠状態の為せる技と決めつける訳には行きません。私は、「分からないものは分からないままであって、あるともないとも言えない」と言うスタンスなので、バカ単純に、「霊は存在しない」も「霊は存在する」にも与しません。しかし、この映画そのものは、明確に主人公に降霊術ではなかったものとして語らせています。催眠の技術を使ってどのように降霊会を演出して見せるのかが、非常によく分かる、参考教材です。

 もう一つ、予期せぬ発見がこの映画にはありました。それは、映画会社社長の末路です。アメリカ映画に押され、画期的な映画を撮らねばと焦っていた彼は、この霊媒師の姉妹の撮影に活路を見出し、特撮も何もなく、本当にリアルの降霊を映像化しようと尽力します。その結果、株主にも見放され、役員会でも愛想を尽かされ、更迭されるに至るのです。しかし、その背景には時代が社会的なユダヤ人排斥に大きく傾いていたことが劇中でこと細かく描かれます。

 現在でも、イスラム系のテロ事件が多発するフランスは、移民に寛容な国だからこそ、そのようなことが起こるのであり、それは第二次大戦以前から、そのようなモノであろうと私は単純に思っていました。しかしながら、隣のドイツではナチスが台頭し始めたタイミングであろう時代に、フランスでもユダヤ人は迫害され、不当に財産を奪われ、国外に追放されていた様子です。

 その殺戮・虐殺は甚だしいものであることは間違いありませんが、ナチスの経済政策にはケインズも賞賛する優れた部分が多々見つかります。私はそのようにナチスを正当に評価すべきだと思っていますが、一方で連合国側の後の戦勝国にもユダヤ人迫害の時流があったことは、多分分かっていなかったと思います。『ワンダーウーマン』でも『アイアン・スカイ』でも『キャプテン・アメリカ』シリーズでも、いつも、何かと言えば、ナチスを悪役に仕立ててばかりの陳腐な勧善懲悪劇が展開することに、ウンザリしている私ですが、連合国側の国の中でのこの事態は、非常に興味深く感じられました。

 星空を見るシーンがほんの少しの長さで、2、3回登場するので、それがタイトルの由来かと感じますが、あまり感慨を呼ぶネーミングではありません。ほとんど全編がフランス語なので、細かな機微もくみ取れず、私には映画の味わいが半減しているとも言えます。けれども、降霊術のトリックをナタリー・ポートマンが暴いてしまう展開と、社会的にユダヤ人迫害に動いていたフランスの実態を観る価値は十分にありました。DVDは買いです。