『ワンダーウーマン』

 火曜日の夜10時15分の回。バルト9で観て来ました。

 1日に2回しか上映していませんでした。8月下旬の封切からほぼ1ヶ月経ったとはいえ、封切初週で色々な記録を塗り替えたと言われる割には、意外に長続きしない流行だったように思います。電車の車内広告でも、どこかのフィットネス・クラブがワンダーウーマンの音楽に合わせたエクササイズを大々的に宣伝していたりしましたが、そのクラブにとって思惑通りの流行の寿命であったのかどうかが少々気になります。

 火曜日の毎週午後からある仕事が終わって、その週はその後の会食もなかったので、御徒町でちょっとした打ち合わせを終えて、そのままバルト9に向かいました。ロビーに着いたのは上映約1時間前で、そのままチケットを買ってみたら、比較的小さなシアターで、一人目の客でした。

 ロビーには終了した映画から出てきて、エレベータを待つ長蛇の列がうねっていました。いつもの如く、若い女性客が過半数を占める観客の出所をスタッフに尋ねると、「『ベイビー・ドライバー』もかなり入ったようですが、『キング・オブ・プリズム』が多分一番だと思います」との話でした。またもやこの作品です。この作品が定番で大量の観客を動員していることが否応なく分かる現象ですが、私の日常の中の別の場所で、この作品の話を一度も聞いたことがありません。サブカルチャーや島宇宙の世界の実態を実感させられます。

 実際シアターに入って見ると、平日の終電時間帯にかかる上映枠とは言え、私も含めてたった6人しか観客が居ませんでした。最後列の端から二つ目の席に陣取った私と同じ列のど真ん中には、30代に見える飾り気のない女性一人客。その他の列にカップル一組、残り二人が30代から40代の男性一人客でした。やはり、人気の減衰は間違いないように感じられました。

 ミス・イスラエルになったこともあると言う、この女優によるワンダーウーマンを見るのは二度目です。『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』に既にこの女優のワンダーウーマンが登場しており、マーベル・シネマティック・ユニバースのように、DCコミックでも徐々に作品間連携が進んでいて、私にとっては『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』のスピンオフ的な位置づけに思えます。

 男女の壁を越え、ファンであるかどうかの壁も越えて、ロマンス、異文明遭遇型SF、美形スーパー・ヒロイン、アクションなど数々の強みの合成技が、観客動員に成功したという分析を何かの記事で読みました。私は、それらの強みもそれほど強い関心に結びついていません。

 子供時代を振り返ると、インターネットもない時代に、翻訳版のコミックが地方の書店でもたまに仕入れられるかどうかという状況の中で比較すると、圧倒的にマーベル・コミックの方が力があったように思います。DCコミックは、当時のちゃっちいスーパーマンのアニメやコミックや、テレビで執拗に再放送される実写版のタイツ姿が妙に妖しげなロビンが出るバットマンぐらいでした。マーベルの人気を押し上げたのは、日本で実写化までされたスパイダーマンだと思いますが、私は修学旅行で札幌に行った際にたった一冊入手できたままに留まるミズ・マーベルの方が強く印象に残っていました。(今尚、マーベル・シネマティック・ユニバースにミズ・マーベルが登場しないことが不思議でなりません。私にとっては『ドクター・ストレンジ』よりかなり人気度が高いキャラです。)

 そんな中でワンダーウーマンはいつの時点で初めて知ったのか分かりませんが、それなりにストーリーを把握したのは、テレビでリンダ・カーター演じる実写版のワンダーウーマンを見たことではないかと思います。当時、テレビでSF系やアクション系の米国製のテレビ番組が放送されていましたが、『600万ドルの男』、『地上最強の美女バイオニック・ジェミー』、『チャーリーズ・エンジェル』などは比較的好きだったと思いますが、ワンダーウーマンのテレビ番組は、それらよりも古臭く特撮もちゃっちかったように思えます。透明の飛行機の座席に座った姿勢で空を飛ぶ変なヒロインぐらいの印象しか思い出すことができません。先述の番組群もまあまあの好感度でしかなく、海外もののテレビドラマで子供時代にド嵌りになったのは、今でもDVDシリーズを全部持っている『事件記者コルチャック』と『謎の円盤UFO』と『刑事コロンボ』だけです。

 いずれにせよ、ワンダーウーマンは元ミス・ユニバースのリンダ・カーターが演じても尚、私にとってまったく影の薄い存在であり続けました。ウィキに拠れば、何かの理由によって、「”DC Trinity”としてスーパーマン、バットマンと肩を並べる重要人物である」にも関わらず…

「作品中ではスーパーマン、バットマンに比肩しうる存在ではあるが、上記のように映像化は少なく、両者に対して大きく引き離されているのが現状である。また、1970年代のライバル番組、すなわち女性を主人公にしたアクションドラマ『地上最強の美女バイオニック・ジェミー』(1976年-1978年)と『チャーリーズ・エンジェル』(1976年 – 1981年)が続編やリメイクを放送・公開している中、実写版『ワンダーウーマン』にはそのような現象が起こっていない」とのことですし…

「また、1996年の『DC VS マーベル』において、それぞれの世界の存亡をかけて11組のスーパーヒーローが戦ったが、スーパーマンとバットマンが勝利したのに対し、ワンダーウーマンは敗北している(11組の内、6組は3対3の引き分けに終わるよう出版社で取り決めがされており、残り5戦を読者投票に委ねた)」なのだそうです。

 どうも世の中全般の評価として影の薄いキャラであったようです。私の中の印象の薄さは、やはり、ファッション・モデルにイメージ化されるキャラであることによるように思います。留学した米国オレゴン州の田舎大学のキャンパスにも、何かバービー人形を連想させるようなモデル系の美貌とスタイルを持つ女子大生は数千人の学生のうち何十人かの単位で存在していました。女性間の立ち位置のカーストは洋の東西を問わず、それらの女子大生は「恵まれた人」ないしは「恵まれて当然の人」と言った振る舞いをしていたように記憶します。所謂マッチョ系に偏りがちな幼稚な男子学生は、彼女らに入念にチヤホヤし続けていました。

 私はこれらの生けるバービー人形たちに何か嫌悪感が湧きました。「あなたも私のことが好きになるでしょ。だから当然数学の宿題を教えてくれるわよね」風に、2年目以降どんどん学業成績が目立つようになった私に話しかけてくるようになりましたが、何かマネキンが話しかけてきているようで気持ち悪く、あまり相手をせず、十人並みのルックスの女子達を含む以前からの学生仲間と時間を過ごしていました。この好悪は大学に行って始まったのではなく、遥か以前からそのような傾向が私にはあり、表現に苦しみますが、所謂女性性として完成した外観を持つ女性に私は好感を持てたことがあまりありません。少なくとも「“私イケてるでしょ”オーラ」が全く出ていないことが確認されるまでは、仄かに嫌悪感が湧くケースもあるぐらいです。

 その結果、先述の世の中的な評価による影薄さとは別の所で、モデル系美女演じる新旧ワンダーウーマンが私は好きになれないのだと思います。勿論、新ワンダーウーマンの方は、その外観を『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』で見知ってはいましたが、明確な人物像として描き出される場面は少なかったのが幸いしたと思います。今回の作品は、ワンダーウーマンが人間にみつからないようになっている島から一般人間世界に出奔する物語です。そして、オリジナルの原作に忠実に、世界平和を守ることを宿命とされたアマゾン族とか言う部族の女王が神ゼウスに頼んで粘土から創り上げた女性と設定されています。(その後の原作コミックでは、女王の出産によって生まれたという設定に変わったという話も聞いたことがあります。)

 当然、王女様然とした態度になります。人間社会のことをよく知らないのに、自分の価値観をぎゃんぎゃん主張しますし、自分を世話してくれている人々の迷惑も都合も関係なく、鬱陶しい二元論そのものの幼稚な正義感の下、すぐに走り出して行ってしまいます。この映画の構図として、冒頭とエンディングで、現在のワンダーウーマンが第一次大戦と思われる戦争に関与する形で島を出奔した時代を振り返るという形になっていて、「当時は、単純な善悪を信じていた…」的な振り返りをしています。既にその時点で、幼稚な正義感を振り回すことの多い女性の話であることが見えているのですが、本編を見ると、本当に鬱陶しいのです。おまけにモデル・ルックスです。最悪です。

 ダイナウーマンと言うSFキャラが日本で創り上げられています。GIGAと言う特撮ヒロインAVと言うジャンルを掘り下げる非常に特異なAVレーベルの人気キャラです。このレーベルには、けっこう仮面やセーラームーン、戦隊モノのピンク、スーパーガールをベースとした各々(当然ながら)別名のスーパーヒロインの作品が存在し、通常のAVに比較して3、4倍の高い価格設定にも関わらず、売れ続けています。AVに無数にあるように見えるレーベル群を見渡す時、ダントツに秀でたマーケティング戦略が際立っていると私は常日頃感じています。

 その中でも高い人気を誇るダイナウーマンは、ベース作品であるワンダーウーマンの価値観までほぼ忠実に再現されている作品が多く、正義感を振り回すウザいキャラになっています。悪の組織はそれに辟易するうちに追い詰められて行きますが、起死回生の一手でダイナウーマンを逆に追い詰め敗北に至らせます。お決まりの展開ですが、それでも売れるのは、それだけその物語展開を求めるニーズが存在するということと考えさせられます。

 そのように考えると、当初鳴り物入りの「男女の壁を越え、ファンであるかどうかの壁も越えて、ロマンス、異文明遭遇型SF、美形スーパー・ヒロイン、アクションなど数々の強みの合成技」のうたい文句に惹かれて集まった観客の“なんかウザい”と言った多くは無意識レベルの反応が、時間を経てSNSなどで拡散したのかもしれません。物語の展開も分かりやすいものではあるものの、シンプル過ぎて特に捻りがないとも言えますし、アクションは『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』同様の練り込みようですが、既に慣れ過ぎてしまっていて、「おおっ!」と言った感じのシーンは特にありません。

 敵の光線技やら何やらで吹っ飛ばされたりするところはあるものの、基本的に粘土人間なので、そんなに苦戦しているような表情も出しませんし、セックスに至るシーンでも、何か無表情に近い感じがして艶っぽさが殆ど感じられません。18歳の時から2年間、イスラエル国防軍で戦闘トレーナーをしていた女性なので、その辺の役回りには無理があるのかもしれません。

 イスラエル出身のモデル兼女優の肌は有色で、リンダ・カーターよりも粘土製の感じが出ています。しかし、土からできているヒロインなら古代少女ドグちゃんの方が圧倒的な魅力を持っていますし、それ以前に、AKBなら2軍以上には確実になるぐらいのルックスのAV女優陣が役の上の心情を全身でガッツリ表現してくれるダイナウーマンの幾つかの秀作の方が、私には好感が持てました。マーケティングの基本を押さえているGIGAはダイナウーマン・シリーズの販促をどこぞのフィットネス・クラブ以上に的確なタイミングで打っています。

 最近、DCのキャラでフラッシュのテレビ物語のシーズン1から3を非常に愉しく見ていますが、そのフラッシュが(役者は全然違いますが)登場すると聞く『ジャスティス・リーグ』が公開予定です。ワンダーウーマンも主役級で登場すると言う話ではありますが、多分、全体の物語やフラッシュを含めた他のキャラ全般を観てみたいため、映画館に足を運ぶ可能性が大ですが、少なくともこのワンダーウーマン単体作品のDVDは不要です。

追記:
 この映画を観て「またもや」とウンザリさせられるのは、西欧人の近代の物語で巨悪と言えば必ずナチス・ドイツであることです。ナチスの大量殺戮は南京のホラ話とは全く次元が違い、目を背けることのできない重大な史実ですが、何かと言えば、悪者ナチスが出てくる短絡的な発想には飽きが来ます。たまには、連合軍によって収奪されたり殺害されたりした民間人などの設定の物語を見てみたいものと思えてなりません。アマゾン族の島に辿り着いた兵士がドイツ人だったらどういう物語になったのだろうと想像が膨らみます。