『散歩する侵略者』

 9月初旬の封切から約2週間経った木曜日。新宿ピカデリーの午後4時からの回を観て来ました。2週間経っていない段階で、1日4回ぐらいの上映だったと思います。元々上映館数も多くなく、23区内で10館余りで新宿でもピカデリーでしかやっていないようです。

 この映画のオフィシャル・サイトを見ると、第70回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門正式出品作品と書かれています。ウィキに拠ると、この「ある視点」部門には、「あらゆる種類のヴィジョンやスタイルをもつ、「独自で特異な」作品群」が出品されるとあります。独自で特異な作品群というのはどういうことかよく分かりませんが、この作品の監督の黒沢清は2008年に『トウキョウソナタ』で審査員賞、2015年に『岸辺の旅』で監督賞を受賞していると、ウィキの該当ページに書かれています 。

 確かに観てみると、独自の視点が感じられます。概念的に言えば、或る種のPOV作品と感じられるようにも思えます。私は映画化もされたコミック作品『寄生獣』が好きですが、そのヒロインの女子高生村野がかなり好きです。アニメやコミックの作品の中で、好きな女子キャラで言うと、綾波レイに次ぐぐらいに好きです。『寄生獣』の主人公シンイチに振り回されながらも、シンイチへの好意ゆえに、危険の気配がする道に敢えて一歩また一歩と踏み込んで行ってしまうキャラです。時々、村野の視点で描いた『寄生獣』の物語があったらなあと思うことがあります。

 この作品は舞台作品の原作を映画化したものだと聞きますが、作品のモチーフは『寄生獣』に酷似しています。単なる宇宙人や宇宙生物による人間の乗っ取りだけの話であれば、類似作品は枚挙に暇がありません。有名どころでは『SF/ボディ・スナッチャー』や『ヒドゥン』もそうですし、本当に挙げればキリがありません。ただ、乗っ取る側が同時多発的に複数出現し、各々に個性のようなものを持ち、場合によっては反目することもあり、人間との関係性においても単なる侵略対象としてのみではない見方が出てくる流れにまで限定すると、類似例はかなり絞られてきます。

 さらに、そのうちの一体が相応に人間側に理解をきちんと示すようになるという展開は、さらに絞られてきます。良心的な宇宙生物が宇宙に帰るために、主人公の女性の死んだ夫の保存してあった毛髪のDNAから夫を再生し、その夫に主人公が徐々に結果的に感情移入しセックスに至り、授かることのなかった子を得ることになる『スターマン』は、似ていますが、宇宙生物は一体だけでした。その点、『寄生獣』は、数千ぐらいのオーダーで現れ、その中で人間の脳を乗っ取ることができず、人間と宇宙生物が共存する形になった例は主人公のシンイチも含めて劇中でも2例しか出てきません。

 乗っ取った側は、乗っ取った人間の身体能力を限界まで使いこなすことができるのも、それがよく分かっていないうちは、無茶をし過ぎて骨折したり怪我を負ったりするのも、『寄生獣』と同じ設定ですし、乗っ取った体がダメージを受けると、近くの他の人間に「移る」ことで自分の存在を維持することも、全く同じです。さらに、何らかの複製や生殖などの機能は無く、死ねばそれで終わりというのも、『寄生獣』と同じ構造なのです。

 この作品で取り敢えず描かれている範囲では、3体の宇宙人が登場しますが、そのうちの加瀬と言う松田龍平が演じるサラリーマンが一応主人公として扱われています。松田龍平の宇宙人は妻の長澤まさみとのやり取りの中から、夫としての役割を果たす意識が芽生えてきます。残り2体は乗っ取られた人間の記憶もあるにはあるようですが、全く関係なく、宇宙人としての地球侵略の事前調査活動と言う目的を黙々と果たそうとしていて、松田龍平とはかなり態度が異なります。

 松田龍平は出張と偽り会社の女性社員と不倫旅行に行っているなどして、長澤まさみとの夫婦関係は冷え切っていて、離婚話が持ち上がっていたようです。その複雑な事情をきちんと理解できないままに日本語もおかしく、散歩に出かけるたびに犬に噛まれたり、転んだりして戻って来られなくなる松田龍平を、最初は精神障害か何かになったものとして仕方なく長澤まさみは面倒を見始めます。出したご飯は、以前嫌いだったおかずまできちんと食べ、「おいしい。なんで、こんなおいしいものを食べなかったんだろう。鳴海(長澤まさみの役名)が作ったものなら何でもおいしくて、何にも残すことなんかないのに」などと無表情ながら、冷静に分析したりしています。そんな様子を、宇宙人であるということを半信半疑ながら理解した後も、長澤まさみはどんどん好ましく思っていくのでした。

 この宇宙人の侵略前の事前調査の方法論は非常に特殊です。まるで、往年のウルトラセブンの優れた物語のように、ミステリアスです。散歩しつつ色々な人間に話しかけ、宇宙人が関心を持てた「概念」を対象者から奪い取るのです。松田龍平は前田敦子演じる長澤まさみの妹からは、「家族」と言う概念を奪い取ります。すると、実家から家出して転がり込んできたはずの前田敦子は、長澤まさみに対して突如よそよそしくなり、荷物をまとめて家を出て行きました。

 この後に、宇宙人であることのカミングアウトが来て、さらに、地球侵略が目的であることのカミングアウトが数日後に続きます。先に合流した2体がたくさんの概念を収集し終わって、それをどこかに通信機で発信する段取りがどんどん整っていきます。発信が完了すると、地球侵略と人類の根絶が実行されるらしく、「最初は3時間ぐらいで終わるかと思っていたけど、3日ぐらいかかるかな」などと言っています。かなり激烈な侵略方法ですが、その侵略の実際の方法が描かれることはほとんどありません。

 作品を通じて、侵略全体がどんなものなのかが全くよく分かりません。松田龍平の宇宙人は長澤まさみと逃避行に出かけるまで、ほんの数人の概念しか盗んでいません。盗んだ概念は、残りの2体がコンタクトしてきた際の一瞬で相互共有できたようで、自分の役割は終わったとばかりに、残り2体と合流することなく長澤まさみと車で東京を離れますが、旅先で侵略が始まります。

 不思議なのは、2体はどの程度活躍して廻っていたのか分かりませんが、精神障害状になった被害者たちはその地区の病院に溢れかえるほどになり、何をどうしようとしているのか分かりませんが、自衛隊が治安出動をしている状況になっています。さらに(この辺は、『亜人』に酷似していますが)厚生省の役人率いる特殊部隊が2体を追い詰めようと画策しています。これらの活動は体系的に把握されることが観客には全くありません。これが、『寄生獣』と決定的に異なる所です。物語全体が2体の活動を最低限描いて地球侵略に至る時系列の出来事がちょこちょこと描かれ、一般道を走る特車群などが描かれるだけのことです。そして、ほとんどの物語の内容は長澤まさみの日常の延長線上に描かれているのです。「まるで村野の視点で描いた『寄生獣』のような話だ」と言うのが私がこの作品を一言で言い表せる唯一の表現です。

 観ようによっては、ニューヨークの街のすぐそこで暴れ回っている巨大怪獣をビルなどの蔭で見ることが全くできず、ただ、斬首された自由の女神の頭部が吹っ飛んでくるなどの異変を次々と見せられて前半が終わる名作『クローバーフィールド』のような感覚でもあります。

 曇天の夕方にシアターに集まっていた観客は50人居なかったようで、あまりきちんと観察しませんでしたが、老若男女かなり入り混じっていたように思えました。シアターから出る際に耳にした感想の声も、「良かった。長澤まさみカワイイ」とかも混じる中、「色んな他の話が混じってできている感じで、既視感がハンパない」と言うような主旨のものが多かったように記憶します。『寄生獣』に言及している声は聞けませんでしたが、そういうことなのであろうと思います。

 全くよく意味が分からないうちに人類が滅亡することになり、ただただ死ぬことを受け容れるよう劇中の登場人物に迫るだけのような終わり方の『ノウイング』の滅亡の描写は、ハリウッド系映画の中で極端にちゃっちくて記憶に残っています(が、それ以前に、拍子抜けのおかしな展開の方がよっぽど悪い意味で記憶に残ります)が、それに並ぶぐらいに、この映画の滅亡のシーンはお粗末です。むしろ、往年の名作『サクリファイス』の全く描かれないラジオの向こうの人類滅亡とか、キルスティン・ダンストが異様に目立つ『メランコリア』のエンディングであっさり滅ぶ人類など、そう言った概念としての人類滅亡と捉えた方が良い感じです。やはり、この作品はSF風味にした濃厚な人間ドラマと捉えるべきです。

 誰の人間ドラマかと言えば、当然、長澤まさみです。私は長澤まさみと言う女優をあまり知りませんでした。たくさん映画に出演していますが、最近でも『アイアムアヒーロー』に出演していますが、ゾンビ系の映画がどうも好きになれず見ないままになっていましたし、何か微妙に私が観ない映画に出演しているか、『黄泉がえり』や『海街diary』のように、観ても他に注目する女優が存在したため、ほとんど印象に残らないままに終わっていました。『銀魂』も『ジョジョの…』を観るのに忙しくて、手が回っていませんでした。

 ウィキを読んで、「そう言えば、『東京難民』を観て大塚ちひろが気に入って、もっと観るためにミレニアム・ゴジラ・シリーズの作品のモスラの小びと役を観たら、二人セットだったけど、もう一人は長澤まさみだったっけ。ん。長澤まさみは大塚ちひろの中学時代のルームメイトか…」とか、「あ、大好きな『黄泉がえり』に出てるって、げっ、いじめに遭ってた同級生が好きで、生き返らせてしまう、あの女子学生か!」とか、「『クロスファイア』好きだけど、出てたっけ? はあ?あのもう一人のパイロキネシスの少女か。何歳だよ、げっ。今30なのに、あの時は12歳かよ」とか、驚きの連続でした。際立っていなくて、気づかないままとも言えますし、それだけ自然でレベルの高い演技だから、馴染んでいて分からなかったとも言えます。

 観ようとしてレンタルしていた『グッドモーニングショー』もどちらかとエロ系の魅力が炸裂していることを知っていましたが、今回も抑制された愛情表現が強烈にセクシーさを醸し出しています。ウィキに拠ると、セクシー系の演技が要求されたのは私が観ていない『モテキ』が初めてとあるので、それまでは、確実に落ち着いた役をこなすと言った感じだったのかもしれません。『海街diary』で共演して綾瀬はるかと親友になったとウィキにありますが、コメディ系の作品を激減させた綾瀬はるかを想像すると、『モテキ』までの長澤まさみの役柄群のテイストに近づくように思えます。

 私は今回の作品で長澤まさみに目が釘付けでした。特に、松田龍平をじっと見つめる丸く大きな瞳の奥深くにある輝きには、引き込まれるものがあります。似たような表情と丸い瞳の組み合わせの魅力が炸裂していたのは、パッと思い出せる所では、最近観た名作『だれかの木琴』の常盤貴子とだいぶ前に観てDVDを買った『ゼロの焦点』の広末涼子ぐらいです。『グッドモーニングショー』も速攻観なくてはなりません。

 相手のことを好きで好きで仕方なくて結婚したのに裏切られ、心のやり場に困っていた時に、偶然現れた宇宙人に乗っ取られて、自分をきちんと見つめてくれる真摯な夫。彼への愛情がどんどん膨らんでいくのに、自分を含めた人類が全滅すると分かる。それでも、愛することができるようになった夫との限られた時間を一緒に過ごすために、(2体からは引き離し、人類滅亡への積極的加担は妨げていますが)何等の政府への情報提供も密告も行なわず、最後の二人の時間を全うしようと奔走を始める長澤まさみの姿には胸を打つものがあります。

 私の非常に好きな『海と毒薬』の根岸季衣(ねぎしとしえ)演じる看護婦が、自分が肉体関係を持つ教授と、これ見よがしのボランティア活動に勤しむ外国人妻が知らない秘密を共有するために、敢えて道徳をも犯す重大犯罪である米兵生体解剖に加わる姿がふと思い出されました。根岸季衣の動機ほど歪んではいませんが、愛情故に人類の命運を放置できる長澤まさみの姿は見応えがあります。

 そして、その愛情を「どうせ死ぬなら」と松田龍平に奪うように迫ります。躊躇を続ける彼を押し切って「(前に奪おうとした神父はイメージが固まってなくて奪えなかったけど、)今の私の頭の中は愛でいっぱいになっている。私の中に入ってきて、それを奪って」とモーテルらしき部屋のベッドで迫る台詞は、最高にエロチックです。その結果、その時点での心の総てを奪われた彼女は口も利かぬ廃人になって、2か月後の野戦病院のような場所のベッドに腰掛けて過ごすようになってしまいます。一方、いきなり登場して目立ちすぎている小泉今日子演じる女医と、愛を知ってやたらに人間らしくなった松田龍平との会話から、宇宙人の侵攻は道半ばにして終わり、地球から去ったことが分かります。

 後の平成シリーズも含む名作ウルトラセブン・シリーズにもよく登場する「人類は欲が深く、地球をどんどん汚染し破壊しているが、良い所もあり、これから成長する。この成長の可能性に賭け、今は絶滅させることを止めてくれ」的展開が起きたようです。比較的最近観た中では『地球が静止する日』でも、キアヌ・リーブスが命がけでこの主張を猛威を振るう人類殲滅の流れに向かって訴えかけています。

 この作品では具体的にその場面が描かれていませんが、多分に松田龍平が侵略開始直前に長澤まさみから奪った愛が侵略を中断させたものと思われます。クリシェです。全くのクリシェで、マクロスの宇宙空間に響く歌を聞くと異星人が戦うのを止める展開以上に手垢がついています。しかし、その展開さえも、ちゃっちい地球侵略の特撮さえも、長澤まさみの好演が光輝いていてるが故に気にならずに終れるのです。色々な作品が思い出され、色々な作品を見返してみたくなる不思議な魅力のある作品です。DVDは買いです。