『忍びの国』

 封切は7月1日。それから、1ヶ月以上経った木曜日の晩。夜7時からの回を新宿ピカデリーで観て来ました。嵐の一人が主人公でメインの女優は石原さとみです。人気が出ない訳はないのですが、それでも、観客動員にはかなり翳りが出て来ていたようで、新宿ピカデリーでもこの日まで1日4回の上映が翌日からは1日2回に減りました。もともと観に行くつもりで(人気作故にまだ大丈夫だろうと)先延ばしにしていたのですが、週間上映スケジュールをネットで映画情報サイトで見て、慌てて行くこととしました。新宿では歌舞伎町のゴジラ生首の映画館も含めて3館が上映していますが、そのいずれでも上映回数は激減していました。23区内の他地域の映画館では8月10日終映を決めている所も見られます。

 新宿ピカデリーに行くとロビーはやたらの数の観客でごった返していました。その日上映している中には、封切られたばかりの『東京喰種 トーキョーグール』や『君の膵臓をたべたい』、さらに、私の想像以上には人気があるらしい『怪盗グルーのミニオン大脱走』、そして、トレーラーで散々見た『銀魂』などがあり、霧雨が時折降る曇天の平日の夜とは言え、夏休みシーズンの真っ只中、これぐらいの混雑は当たり前かと思えました。

 数百人を収容できるシアターに入ると、観客は約30人ほどでかなり閑散としています。男女構成はほぼ半々で、カップルも多いですが、男女どちらかの二人連れもたくさんいました。女性の方は、嵐の大野とかいう男のファンと勝手に想像していましたが、年齢層は20代から40代後半ぐらいまで広がっています。男性の方は、必ずしも石原さとみファンばかりとも言えないようには思いますが、概ね30代後半から60代前半と言った感じに見えました。

 私が観に行くことにした理由の一番は石原さとみです。映画出演作が少ないので、やはり観に行かねばなりません。嵐の男が伊賀の里で一番の忍びですが、その恐妻の役です。パンフにも「目力がハンパない」と言った表現がありますが、長い髪を後ろでまとめ、掘立小屋のような当時の農家の家の暗がりから窓辺に現れてくる時の目はやたらに際立っています。

 主人公の嵐の男演じる忍びは、無門と言う名で、この男の前に忍び入ることのできない門は無いという意味からつけられています。そのような無門が武家屋敷に忍び入った時にその美しさに惚れて、金をどんどん稼いで幸せにするから一緒に忍びの里に来てくれと懇願して、攫い帰ったのが石原さとみ演じる妻です。ところが、実際には忍びの村で平素は百姓状態であることに幻滅し、金を持って来ない無門を家から閉め出し、一人小屋に籠っているのです。無門が彼女に締め出され、戸を開けようとすると、閂が中から掛けられているようで、開けられません。掘立小屋に無門が入れない訳がないのですが、「ん。開かない…」と、締め出されて途方に暮れるていたらくです。この二人の関係が物語の進展と共に、微妙に変化して行くのが、楽しめる作品です。

 もう一つ、私がこの作品を観に行きたいと感じた理由があります。それは、映画『300』や、比較的最近の邦画で言うと『のぼうの城』や『真田十勇士』のような圧倒的多数に対する少数の戦いを見てみたいと思ったことです。ランチェスターの弱者の戦略が多くの場合採用されていて、「おお、なるほど」と面白がれるものと思っていました。ところが、こちらの動機の方は見事に裏切られています。伊賀の隣国の伊勢を治める信長の長男の軍が最初に攻め入った際には、それほど大きな戦力差ではありません。そして、伊賀の方は離反者(・逃亡者)が多数発生していたために当初劣勢に立たされますが、その後、石原さとみの決断で大金を使って逃亡者を引き留め参戦させることで巻き返し、伊勢軍を撃退することに成功します。

 総大将である信長の息子の首に大金をかけたため、一群の忍びが戦場にかけ戻った後、多数の伊勢軍に分け入る形になっても、基本は一人の首に向けて戦力が集中しています。一応、選択と集中が旨のランチェスターの弱者の戦略が採用されていることにはなるのですが、乱戦が延々続きつつ、伊勢軍の中枢部分が総大将を逃しつつ撤退を重ねる形なので、必ずしもその様子が俯瞰的に見られる訳ではありません。

 この数年後に父親信長の采配で、今度こそ圧倒的多数の軍が伊賀に攻め入り、完全に伊賀の国を崩壊させることに成功しますが、それは物語のほとんどが終わった後なので、山崎努が務めるナレーションで語られることがメインで、映像としてほとんど表現されません。

 映画全体を見ると、やはり、無門と石原さとみの夫婦関係がコミカルに描かれつつ、徐々に石原さとみの死に向かう物語の展開と共に、夫婦の互いに思いを寄せる姿が強調されるように遷移する表現は秀逸で、この映画の核となっているウリだと思います。ただ、それ以外にも結構、楽しめたり、興味を持てたりする部分が見つかります。

 伊賀の国の社会構造・経済構造が非常に特殊で、歴史を習ってもあまり考え至ることのないものでした。伊賀の国は多数の土豪と呼ばれる豪族が戦国時代でも互いに争いつつ、外敵に対しては一致協力して戦うという変わった形態の統治が行なわれていたようです。この土豪群は忍びの村を形成していて、劇中では虎狼の族(ころうのやから)と呼ばれ、人間ではないものと認識されていたとされています。

 彼らは一応普段の生業を持っているので、地場の経済は存在することになりますが、主たる収入は何と傭兵なのです。伊賀の外の他国に戦力を貸しては多額の報酬を得ることで、「外貨を稼いで」いたのです。山に囲まれて周囲の国と隔絶されている点などにおいても、ヨーロッパの中央に位置するスイスの社会制度に似ているように思えました。おまけに、常に土豪同士で小競り合いを繰り返し、そのたびに下忍は大量に死にます。子供も幼いうちから実戦の訓練の渦中に投げ出され、どんどん命を落として行きます。子供が足りなくなり、周囲の国からカネで買ってくるという状態だったのです。

 傭兵集団の経済だけに、総てはカネ次第で、無門もカネを払う者の仕事をするだけです。村人たちは、「伊勢の織田軍が攻め入ってくるぞ。皆で戦うのだ」と評定衆と言われる土豪の意思決定組織がお触れを出しても、「他の国で戦えばその国がカネをくれるが、織田と戦ったら、誰がカネをくれるんじゃ?」との疑問が一番に頭に浮かぶ人々なのです。淡々とした拝金主義の武装集団。カネがもらえるとなると、うきうきした笑顔で敵の大群に駆け入って行く、おかしな人間像の村人たちが非常に印象に残ります。特にその中でも、飄々と打算で生きている嵐の男が際立っています。イメージで言うと、初期の『ドラゴンボール』悟空や、お気楽な頃のルフィと言った感じの発言が多く、楽しめます。

 もう一つ、面白く見たのは、忍びの者達が使う催眠術です。わざとに自分たちの情報を漏洩させたりして、裏切者をあぶり出したり、あぶり出された裏切り者の行動そのものを読んで、敵の動きを操るようにするなど、最近、コンビニなどでよく売られている『人を操る黒いテクニック』的な技術を総動員しているケースも、この映画のストーリーの主軸になっていますが、それ以外にもガチの催眠術の場面も登場します。

 相手の寝屋に忍び込み、枕元に来て、寝ている相手に暗示を聞かせる催眠技です。しかし、アバウトな性格故か、先述の「黒いテクニック」系のことは勿論、この直接的な暗示の書き込みでさえ、劇中で二度も無門は失敗しています。そのうち一人は武家の娘、石原さとみで、暗示を聞かせている最中に、いきなり「忍びですか!」と目を大きく見開き問い詰めてきます。無門の剽軽さと言うか、笑いネタが炸裂する幾つかの場面のうちの一つです。

 それ以外にも、一般論で言われるこの映画の魅力はやはりアクションです。嵐の男のアクションは、剛の武道と言う感じではなく、敵の動きを躱しまくる軽業の連続と言う感じの動きです。「侍vs忍び」と言うアクションの構図を常に意識したとパンフにも書かれている通り、剛対柔の肉弾戦があちこちで繰り広げられるのも、確かに見所と言えます。

 忍びは毒の吹き矢を用いたり、各種の風変わりな道具を用いたり、地面の下に潜り込んで敵を待ち伏せしたりと、ありとあらゆる手法を繰り出しつつ敵を攪乱し、混乱の中で倒していきます。おまけに、それを楽しげに行ないますし、味方が何人もやられていても、「まあ、そういうこともあるっしょ」的な軽いノリで受け止めていて、人間の倫理観や情愛などと言ったものがほぼゼロの感じです。虎狼の族とは、こういう風に生きるのかと、矛盾なくあちこちに描かれる価値観に、深く頷かされました。

 総じて面白い映画です。その絶大な跳躍力を活かして、高い空中から襲い掛かる際に無門がよく使う「変わり身の術」の藁人形のちゃっちさや、ヘラヘラ嬉しそうに戦場に走る無門がちらりとカメラ目線で横を見ることなど、なかなかふざけた場面もあるのですが、全般に楽しめますし、嵐の男のファンなら尚更でしょう。

 石原さとみは落ち着いた演技が光っていますが、特にすごく目立つというほどでもありません。伊勢の織田側の物語もかなり肌理細かく、そちらの尺が使われ過ぎと言うきらいも感じましたが、DVDは買いです。