『結婚』

『いそぎんちゃく』を観た映画館でそのまま待つこと約1時間。土曜日の1時半の回を観て来ました。6月下旬の公開から約2週間経った7月上旬の土曜日です。1日に3回ぐらいやっていたと思いますが、如何せん、上映館数が少なく都内では4ヶ所ぐらいしか上映していません。私もこの映画の存在を『カフェ・ソサエティ』を観に行った際に気付いただけのことで、その機会がなければ観に行こうと思い立つことはなかったと思います。

 観客は数百人入るシアターにたったの10人余り。男女はほぼ半々で、女性は30代前半も数人、中高年数人。男性は概ね私よりも高齢者のみ。同時に行なっている『大人の大映祭』を観つつ、上手く隙間にこの作品のスケジュールを挟んでいる男性も結構いるように感じました。詰まる所、退職後で暇を持て余している高齢者ということなのだと思いますが。

 待合室で家に電話をかけて、「晩御飯は、うん、要らない。帰りは遅くなるから。家に着いて夜の11時頃だ。7本観ることにしたから…」などと話している猛者もいました。『大人の大映祭』の方が1日に何本ずつ上映しているのか、きちんと確認していませんが、7本の組み合わせには、驚かされました。私は、遥か以前、高校生の頃に、小学生の頃には確か4館近くあった往年の北海道の道北地区の産業中心都市の映画館は、あっさり総てなくなっていて、私が所属していた「留萌シネマファンクラブ」なる市民サークルが「シネマラソン」と言う上映会を開いたことがあります。その際に、主催者側の人間として、シアターの隅っこのパイプ椅子で上映している映画を5、6本観たような気がしますが、4本目以降は頭痛がひどくなってきて、映画を観ることが苦痛にしかならなかったように記憶しています。前回の『22年目の告白―私が殺人犯です―』と『LOGAN/ローガン』をバルト9で連続で観て、さらに、数日後の今回、明治通り沿いのミニシアターで『いそぎんちゃく』と『結婚』をまた連続で観ることとなりましたが、2本、3本ぐらいが、頭痛なく観られる限界ではないかと思えます。

 さて、少数の女性全員の目当ては主演のディーンフジオカなのだと思います。私は全くこの男優を知りません。日本人なのかどうなのかもウィキを見てもよく分からないぐらいです。ただ、いつも行く理容店でビューティシャンの20歳少々の子に「最近映画は観ていないんですか」と尋ねられたので、「今度、『結婚』って言う結婚詐欺師の映画観に行くよ。主演はなんかカタカナ名の男優。んと。ナンチャラ・ナンダカオカ」と言った瞬間に、映画好きと聞いたこともない彼女が、「ディーンフジオカ」といきなり答えたのにはびっくりしました。それぐらいの人気なのでしょう。

 私がこの映画を観に行くことにした理由は、最近趣味と実益を兼ねて学んでいる催眠技術の関係で、男性脳と女性脳の違いを何冊かの本で読むことになり、女性が騙されるパターンにちょっと関心が湧いたことが、ほぼ総てです。あとは、名優なので演技に安心感があり、好感を持てる(けれども、ファンと言うほど好きと言う訳でもない)貫地谷しほりが脇役で出演するということぐらいでしょうか。

 作品を観てみると、主たる目的はほぼ達せられたと思います。2時間に満たない比較的短い作品ですが、全編で4人の女性が騙されています。その中の最初の女性は未遂に終わり、そのまま、彼の仲間になって残り3人の女性を騙すプロセスでの協力者となっています。ディーンフジオカ演じる主人公は、女性に最高に幸せな表情をしてもらうために結婚詐欺をしていると言います。

 そして、結婚詐欺のプロセスの中で、彼が最も楽しみを感じるのはターゲットと最初に合う場面だと言います。一目見て、服装や服飾品・携行品などから、その女性の弱点を見抜くと言います。判で押したように退屈な日々が繰り返される中で、自分にもときめく幸せが訪れて欲しいという密かな思いを抱く女性もいますし、仕事でいつも自分を振り回し続けている男性同僚を見返すために、仕事も認めてくれる男性が現れ自分のプライドを満たしてくれることを願っている女性もいます。それを見抜き、それをまぶした何気ない、しかし、女性の警戒が解けるような会話を仕掛けていくのです。彼の心の声が「このターゲットは、プライドだ」などと聞こえます。

 けれども、こう言った騙しのテクニックは、どちらかと言うと『クヒオ大佐』の方が少々とっ散らかり気味でしたが、事例数も多く比較検討の余地が大きかったように思います。むしろ、この映画の面白さは、騙された女性達の心理の遷移が肌理細かく描かれていることです。「結婚指輪を買ったんだ。あ。しまった、今度の仕事のギャラが入るのがちょっと先だった。悪いけど、ほんの少し出してもらってもいいかな」や、「この部屋に一緒に住もう。良いだろ。じゃあ、敷金・礼金の半分を振り込んでくれるかな」など、色々なパターンがありますが、幸せの絶頂で毎日ウキウキと彼との時間を心から喜ぶ女性たちの姿がまず描かれます。

 金を振り込んだ途端、「ごめん。ちょっと仕事が…」などのような“これはダメなパターンでしょフラグ”が立って、すぐに連絡が完全に途絶えます。周囲に自分の幸せは知られていますから、皆からの祝福や羨望、嫉妬が続く中、体裁は幸せ一杯のままに維持しますが、疑念がどんどん膨らんできます。そして、何とか連絡をして何が起きているのかを知ろうとします。その頃には、頭の中には「自分が騙された」という受け入れがたい認識がすでに多く芽吹いています。それでも、何かのっぴきならない事情があったのではなどと信じ込もうとします。そして、探偵に調査を依頼します。探偵から「結婚詐欺」と告げられても、自分は違うと否定し続けます。

「見つかったらどうするのか」と探偵に尋ねられても、「何があったのか話がしたいだけだ」と言い募ります。見つかったディーンフジオカの写真は既に次のターゲットと手をつないで歩く姿のものでした。すると、信じられないという想いと共に怒りがこみ上げてきます。そして、その怒りはディーンフジオカに向かうのではなく、ターゲットの女性に向かうのです。探偵に「このまま様子を見て、新しい女が破滅するのをみたい」と言いだします。探偵が介在するか否かは別にして、基本的にこのパターンが繰り返されています。

 自分の幸せは何とか本物だと信じていたい。だから、彼を恨むことはできず、ただ、理解ができないと言う形に留まる。しかし、募る激情は嫉妬となって、まるで浮気相手に向かうように、新たなターゲットの女性への憎しみに転化されていくのです。なるほどと頷かされる展開でした。特に最初の詐欺未遂の女性は、主人公が妻帯者であるから一緒になることができず、一緒に詐欺をし続ければ、犯罪の秘密を共有する運命共同体になれるメリットと、その後のカモを自分が選び、破滅していく様を見られるメリットを享受する選択をしたことになっています。彼女は単なる結婚詐欺の片棒ではなく、打ち合わせなどもラブホテルのセックス付で行なっていて、事実上の愛人兼ビジネス・パートナーの座に収まっています。

 実生活では団地住まいの主人公の妻は、貫地谷しほりが演じています。初々しく言葉少なでちょっと物憂げな、飾り気がない中にやたらにエロスが感じられる生活感が薄い妻です。ところが、主人公の過去が徐々に明らかになっていきますが、施設で育った彼は、小学校にも上がらない頃に、シングルマザーだった母が、裕福な男性と再婚するのに邪魔にされて、埠頭のガードレールの上から港に突き落とされたのでした。埠頭のガードレールの上の母の台詞がしつこいぐらいに何度もフラッシュバックで登場します。「お母さんさ。結婚するの。幸せになるんだ。じゃあね」のような淡々とした台詞です。このフラッシュバックの回数を半減させても、ストーリー展開にはほとんど影響はなく、尺も15分ぐらい短くなるのではないかとさえ思えます。結局、彼は一命を取り留め、母は逮捕されます。シルエットや声などから徐々に明らかになる母の姿も、なんと貫地谷しほりなのです。

 つまり、ラブプラスのように、母の姿を妻の姿として日常の自分の生活に蘇らせているだけで、主人公は独身者だったのでした。私は、貫地谷しほりが、主人公の母の面影を持つ女性として描かれているため、一人二役をしているのかと思っていましたが、驚きの展開でした。正直、ちょっと無理のある展開であるように感じました。しかし、このタネ明かしをされた、共犯者になった最初の被害者の女性は、「結婚しているというから、共犯者になって犯罪に手を染めていたのに。独身だったのなら、ただ結婚して、そのまま逃がさずにおけば良かった」のようなことを言って憤慨しています。

 彼女は特にそうですが、他の三人も、どうも被害者であるという自覚が乏しいままに次のターゲットへの嫉妬や(筋違いの)復讐心に身を焦がしているだけです。騙されたと結論付ければ、幸せだった日々がただ踏みにじられただけの悍ましい時に瞬時に変わってしまいます。それであれば、自分も納得でき、留飲を下げることができ、そして、周囲にも上手く誤魔化せる落とし所を探しているというのが、本音であろうと思います。つまり、ディーンフジオカがイケメンであることは大きいと思いますが、好きになった男と過ごした時間をそのまま美しいものとしておきたい気持ちが、総てに打ち勝っているということです。

 ちなみに、彼女たちが失ったカネもそう高いものではありません。正確には分かりませんが、概ね、100万円から200万円程度の金額です。騙す女性は一人ずつで、一人に決着をつけてからしか次のターゲットに着手することはありません。どう考えても、デートの回数と進展などを見る限り、1ヶ月では済まないほどの時間を要しています。その間に雰囲気ある高級レストランで食事をしたり、レンタカーを借りたり、共犯者の女性ともターゲットとも、シティホテルかブティックホテルのような、安ラブホテルではないような所に何度も泊まっています。経費はかなり出ていくはずです。

 おまけに、共犯者の女性に総売上(?)の4割を渡しています。これは彼が負担していると思われる経費を引く前の丸々の売上です。勿論、共犯者の女性も何らかの経費を使っているでしょうから、御相子とは言えますが、全く利益性の薄いビジネスです。今時、100万のカネを一ヶ月に稼ぐ商売は、きっちり努力すれば、それほど難しくなく実現します。自分を殺してまで幸福を追求しようとした母の呪縛に拠ることと言うのはあるとしても、これでは持続がままならず、破綻は見えています。実際、依頼された探偵が、被害額を女性達から聞いて、「犯罪のリスクに比べて割に合わない殆ど素人の犯行」と言っていますが、全くその通りで、結果破綻します。

 主人公の苗字は、古海と書いて「ウルミ」と読むようです。ネット上には、「100万ぐらいでウルミーと1ヶ月付き合えるなら、私もすぐ付き合ってほしい」などと言う記事やコメントが散見されます。ウルミーのルックスやら何やらは勿論あるとして、それぐらい、いい男との恋愛に飢えている女性が多いということなのでしょう。歌舞伎町に行くと、石膏で固めたような顔色をしたホストの顔がデカデカと並んで描かれた看板がビルの横壁に貼り付けられています。そうしたホストにでも、身を滅ぼすほどにカネを注ぎ込みたくなる女性が多数いることはよく知られています。ホストにカネを注ぎ込んで身を滅ぼすぐらいなら、比較論で言うなら、ウルミーと疑似婚約状態を1ヶ月過ごして、100万ちょっとを払った方が余程健全でしょう。

 それなりに色々なことを考えさせられる映画でしたが、妻のラブプラス設定は貫地谷しほりの安定の演技でも何かぎこちなさは拭い切れていませんし、母のフラッシュバックは執拗過ぎたように思えてなりません。『ヘルタースケルター』ほどではないものの、かなり冗長感があって、倦怠を感じる面が否めないので、DVDは要らないものと思います。