『私がビーバーになる時』

 2月13日の封切から1週間を経た三連休中日の土曜日。午後3時45分からの回を多摩センターの映画館で最近親しくしている人と二人連れで観て来ました。1日4回の上映がされています。驚くべきことにこの午後4時近くの回が1日の最後の4回目の回です。子供の観客を想定していることは分かりますが、1日の最終上映回が午後4時前という事実は結構意外です。

 この作品を選んだ理由はいくつかありますが、基本的に消去法的消極的な発想によるものです。まず前提にここ1、2ヶ月打ち続く飢饉のような「夏枯れ状態」があります。(「夏枯れ」と言っても季節はまだ来週に桜の満開を予定しているような寒い時期ですが、表現としてそういうものとして使っています。)どうも観たい映画がないのです。公開されたばかりの新作群を見てもパッとせず、バルト9やピカデリーなどの新宿の主要な映画館の上映作品リストを見ても、食指が動くような作品は皆無と言っていい状態です。

 一応、観たいと思えそうな作品群を概ね2ヶ月ほど前からリスト化はしていて、それらの過半数はマイナーな映画なので、場合によっては1週間の上映期間を経て消滅してしまうようなこともあり、気づいた時には既に上映終了ということもあります。先月観た『ヒューマンエラー』の感想の中にも以下のように書いています。

[以下引用↓]

 この作品を観ようと思い立った最大の理由は、観たい映画作品の夏枯れ状態です。(実際には冬か早春といった季節感ですが、言葉上「夏枯れ」と呼んでいるだけです。)単に観たい映画が少ないだけではなく、主要な大作がない中で、細かな映画作品は簡単に上映が打ち切られたり、元々1週間の上映期間を設定されていたりなど、非常に鑑賞が困難な状態なのです。例えば1月23日封切の『愛のごとく』は、私の好みの顔をしている山崎真実が珍しく映画出演している作品なので、マストと思っていましたが、映画サイトになぜか上映館が表示されない期間があり、その後、「2月13日より吉祥寺アップリンクにて上映」と出たので、それから1週間後に観ようかと上映スケジュールを調べたら、その日が最後の上映日で時間的に間に合わず、それ以降上映は打ち切られたままでした。山崎真実の出演作ながら、あとはDVD発売を願うばかりとなりました。

 また2月14日『ヴァリドマン』はインディーズ作品の中で傑作の(低予算)SFとの評価をネットの何処かで読んだので、是非観たいと思っていたのですが、なぜか「1週間限定公開」という情報を見逃していて、封切から約10日後にチェックしたら既に全国どこにも上映館が無くなっていました。こうして、観てみたいと仄かに思っていた作品群が掌の一握の砂のように、指の隙間から漏れ出て消えてしまう状況が続いていたのでした。

[以上引用↑]

 先月の状況では、辛うじて月2本の劇場鑑賞のノルマは果たせた後の夏枯れ状況でしたが、今月はさらに厳しく、先日の『ブゴニア』の1本しか劇場鑑賞ができていず、ノルマ達成が危うくなった中での夏枯れ現象への直面ですので、事態はかなり悪化・切迫しています。そのような中での候補作リストに辛うじて残った作品は2月27日公開の『#拡散』と3月13日公開の『放送禁止 ぼくの3人の妻』でした。しかし、前者は上映館数と回数が極端に限られていることを発見し、予定などを調整しているうちに、3連休を待たずに劇場から消滅することとなりました。元々主演の成田凌は(テレビドラマ『アリバイ崩し承ります』と劇場鑑賞作品『ブラック・ショーマン』の各々別タイプのイケ好かないキャラの印象が強いせいか)あまり好きになれず、観るとすれば沢尻エリカ狙いというだけのことになります。その沢尻エリカも『食べる女』の中で以下のように書いている通り、特段好きと言う訳でもありません。

[以下引用↓]

 沢尻エリカ、前田敦子、壇蜜の三人は、どれも気に入った作品はありますし、嫌いではありませんが、だからと言って特に観たいというほどのことでもありません。沢尻エリカは、観た中では、彼女が役に嵌まり込み過ぎて精神を病んだと噂の『ヘルタースケルター』も演出的にダメダメなのと、寺島しのぶがかなり嫌いなので好きではなく、ギリギリ『不能犯』が記憶に残っている程度です。前田敦子は、比較的最近映画館で見ただけでも『シン・ゴジラ』の汚れ顔や『散歩する侵略者』の痴呆顔があり“見ていられる”程度の存在でした。私の中でのベストはやはり『もらとりあむタマ子』です。壇蜜は映画出演本数が少ないですが、私にとっては『地球防衛未亡人』のぶっとんだ役柄以外に『フィギュアなあなた』のチョイ役が辛うじて思い出せる程度です。

[以上引用↑]

 おまけに『#拡散』のテーマは、ここ最近、自身の社会勉強の一環として『恋愛裁判』や『俺ではない炎上』、古くは2021年にまんまのタイトルの『裏アカ』なども観ていて、どうも社会的な意義が大きいのにもかかわらず、不発な作品が多いという印象が強いジャンルです。(『恋愛裁判』は不発作品では辛うじてありませんが、その評価がそれなりに得られたのは、SNSの炎上騒ぎの構造を描いたからではありません。)

 後者の『放送禁止 ぼくの3人の妻』の方は、封切日から日が経っていませんが、なんと23区内では池袋の1館しか上映していません。東京都に拡大しても昭島が加わって2館になるだけで、全国でも19館という限られた上映状況である上に、レビューの内容が総じて悪く、読めば読むほど鑑賞動機がそがれるような状況でした。その結果、鑑賞リストの現状の残弾はなくなり、困り果てて、何かの話題作から新たな鑑賞作を上映中作品からスクリーニングし直す必要に迫られたのでした。

 万人受けしているような映画を敢えて上映中の作品群から選ぼうと思い、2月27日公開の『映画ドラえもん 新・のび太の海底鬼岩城』と本作『私がビーバーになる時』を候補にすることにしました。調べてみると、流石三連休だけあって、人の波は新宿に押し寄せているらしく、上映館の殆どの回が「残席僅か」や「満席」の状況であることが分かりました。そこで、ここでもまた敢えて、山手線沿線ではなく私鉄沿線の離れた所を狙うことにし、最近何度か行って気に入っている調布と多摩センターの映画館に行くことにして、都合の良い時間の上映状況をこれら2作について調べてみました。その結果、シアターの座席数が少なめの調布は「残席僅か」の状況で良い席もなかったので、時間帯と混雑状況の都合から、多摩センターの本作の上映を観に行くことになったのです。

 繰り返しになりますが、三連休だけあって、二度目に来たこの館のロビーは初めて来た前回の『かくかくしかじか』鑑賞時とは打って変わって大混雑でした。

 シアターに入ってみると、(ネットの情報では122座席あるシアターの中で)概ね7割は席が埋まっているように見えました。観客は大別して2つのグループと少数の例外に分かれていました。1つ目のグループは親子の2人連れです。母、または父らしき大人と小学生ぐらいの子供1人という組み合わせです。概ね20組近くはいたと思います。私の席の近くには、両親と子供1人という3人連れの組み合わせも居ましたが、シアター全体を眺めまわしてみても、3人連れはこの親子だけのように感じられました。

 もう一つの大きなグループはカップルです。やや偏った見方かもしれませんが、一定度合い以上の恋愛関係になければ成人になってから男女で観る作品には思えないように感じられますので、20代に年齢層が集中している男女セットの2人連れは、所謂「カップル」と見做して良いように思えます。こちらもざっくり数えてみて、15組以上がいたように思えます。仮に2人連れが親子20組、カップル20組だとすると、これだけで80名になりますから、残りは私達2人連れも含めて極めて少数派であることが計算上も分かりますし、見渡した感じも全くその想定にたがわない状況でした。

 観てみると、とても面白い作品でした。まず動物たちの見た目の可愛らしさが一番に挙げられる魅力だと思います。パンフでも何度も強調されていましたが、『モンスターズ・インク』の辺りからも顕著に見られた動物の毛並みのモフモフ感は、CG技術などが分からない素人から見ても、さらに大きく改善されているように見えます。濡れたビーバーの毛並みまで、そのようにしっかり見えるという点でさえ驚かされます。動物たちの目も、まるで日本の縫い包みや人気キャラを参考にしたかのようなポツンとした黒目で、大きな表情変化を生んでいませんが、だからこそ、それを読み取ることによる解釈の余地が生まれて良いのだと思っています。

 ただ、このモフモフ縫い包み系ルックスは、劇中を通して描かれ続ける訳ではありません。人間目線で観ている場面では皆基本的にポツン黒目の可愛らしい縫い包みルックスです。しかし、主人公がロボットビーバーに転送されて動物たちの会話(動物たちは種類に寄らず(爬虫類や昆虫でさえ)共通の動物語を話しています。)が展開される場面になると、俄然動物たちは表情豊かになり、或る意味、往年のディズニー映画作品のキャラクターのように笑ったり泣いたりして感情を表現しています。

 映画.comでは、この作品は以下のように解説されています。

[以下引用↓]

「トイ・ストーリー」「モンスターズ・インク」「リメンバー・ミー」など数々の人気作品を生み出してきたディズニー&ピクサーによる長編アニメーション。ビーバー型ロボットに意識を転送して動物たちの世界に潜り込んだ女子大生が、動物界での思わぬ騒動に巻き込まれていく姿を描く。

人間の意識を動物ロボットに転送し、本物の動物たちと話すことができる技術が開発された時代。大切な森を守るため、ビーバー型ロボットに意識を転送した動物好きの女子大生メイベルは、もふもふの動物たちの世界に潜入できて大はしゃぎをしていたのもつかの間、動物たちが人間の世界を揺るがす、とんでもない計画を企てていることを知ってしまう。メイベルは、人間と動物の争いを阻止するため、ちょっとクセのあるビーバーたちと協力して極秘ミッションに挑む。

監督は「インサイド・ヘッド」でストーリーボードアーティストを務めたダニエル・チョン。日本語吹き替え版では主人公メイベル役を芳根京子が担当する。

2026年製作/104分/G/アメリカ
原題または英題:Hoppers
配給:ディズニー
劇場公開日:2026年3月13日

[以上引用↑]

 観る前に理解するという意味では、(特にネタバレを避けようとすれば余計に)この程度の説明に落ち着くというのは致し方ないものと思いますが、かなり細かな物語設定が省略されています。

 まず大切な森ですが、主人公メイベル(苗字は田中で日系人です)が或る池とも湖とも呼べそうな水辺を大切に感じています。それは彼女の祖母が守ってきた土地で、学校にも馴染めず、(シングル・ペアレントかと思われますが)母とも分かり合えなかった子供時代に、メイベルが祖母と一緒に過ごしたところでした。ところが、やり手の市長が市を取り囲む高架された環状ハイウェイの計画を実行に移し、メイベルの小さな湖(と呼ぶことにしておきます)にも、その頭上に高速道路が通ることとなり、埋め立ての危機が迫ります。

 市長にありとあらゆる機会で建設取りやめを交渉し、事実上の「プロ市民」のようになってしまっているメイベルですが、或る時、市長の演説の中で、「動物があの場所にはいないので、道路を作ることに全く問題ない」と発言していることに気づきます。そして、実際に小さな湖には動物がいないことに気づくのでした。そして、後にそれは市長の策略の結果であることが判明します。動物たちにしか聞こえない周波数の大音量を、樹木に偽装した鉄塔の上から流して、動物達を退去させていた結果なのでした。

 メイベルはこの「聞こえない大音量」のカラクリを知る前段階で、ビーバーを一匹、今は枯れかけた場所に戻せば、水が堰き止められて水辺ができ、他の動物たちが戻ってくる(可能性がある)と助言され、ビーバーの呼び戻しに打って出ます。その過程で見つけたビーバーはなんと自分が助言を仰いでいる大学教授が開発したロボットだということが判明し、意識転送のメカニズムを知るのでした。そして彼女は自分がビーバーになって他のビーバーを呼び戻そうと動物界に潜り込むことになるのでした。

 そして動物界に潜り込んだメイベルの視点で描かれる動物たちは実はとんでもなく表情豊かだったという話で、到底日本の典型的縫い包みフェイスに代表されるようなおっとりして可愛らしいだけの存在ではなかったのです。

 映画.comの解説で多分文章量的観点から割愛された物語事実関係は(ネタバレを避けるままに語ることができる範囲でも)まだまだあります。ロボットに意識を転送して動物界に潜り込んだメイベルは首尾よく「哺乳類の王」が偶然ビーバーであったので、そのビーバーと交流し、小さな湖に迫る危機を皆に訴えます。平和主義で性善説の森の哺乳類たちの反応は鈍く、少なくとも人間達に抗ってまで小さな湖を守ろうとはしません。業を煮やしたメイベルは、哺乳類の王に掛け合って、具体的に何が起きるかも知らず、哺乳類の王もそれに従う「評議会」の召集を要求します。そこには、哺乳類の王以外に、爬虫類の王や魚類の王、昆虫の王、鳥類の王、両生類の王などが集って、動物の最高意思決定を行なうことになっていたのでした。メイベルの小さな湖を守ろうという呼びかけは当初賛同を得られませんでしたが、メイベルが人間達を悪魔化して危機を訴えた所、過剰に王たちは反応し始め、平和主義の哺乳類の王以外は、「人類の王(つまり、この場合は市長)」を「潰す」決議をしてしまいます。

 これは明確に殺害を意味していることを知ったメイベルは「そこまでやる必要はない」とトーンダウンしますが、それが逆に王達の逆鱗に触れ、哺乳類の王共々裏切者として追われることになってしまいます。そして、哺乳類の王に平和の重要性を訴えて互いに共感し、動物達の攻撃から市長を守りつつ、市長にも高速道路建築を反故にさせるという、超難易度の高いミッションが開始されるのでした。このミッションがスタートしてから終劇までの時間は全体の4割ぐらいではなかったかと思いますが、かなりのアクションもあれば、ハラハラドキドキのスリルもそれなりにあります。山火事が街にまで迫る大スペクタクルまで、用意されていて見せ場は盛りだくさんです。

 さらに、興味深いのは動物達の知的レベルの高さです。動物に模した機械がスパイとして潜入していることを知り、メイベルの正体もバレ、そして音響により対象の動物を排除することができる事実を知ったあと、動物達(特に二代目昆虫の王)は人類の殲滅を狙い、何と人間の科学者達まで脅して、市長のロボットを作らせ、そこに虫の王の意識を入れて、市民を橋の開通イベントに集め、そこで死に至る大音響を人間に聞かせる準備を進めます。多分、この物語を観ている小学校低学年以下ぐらいの児童にはスピード展開するこれらの科学事実関係がそこそこ理解困難であるかもと思わざるを得ないぐらいのジェットコースター的展開が続きます。音響装置を改造して人間を死滅させようとするアイディアも昆虫の王が考え出したようです。

 昆虫の王は支配欲が強く、人間殲滅のみならず、他の動物の王達も排除しようとしている魂胆が露呈して、結果的に他の動物達を敵に回し、全計画は破綻します。しかし、もし昆虫の王の目的が人類殲滅だけで、その後に動物のユートピアの実現を図るというものだけであったなら、メイベルも含めてビーバートンなるその市の人々の多くは命を失っていたかもしれません。(会場に来ていた人々だけが殺害されそうになっていたように物語では見えますが、それで味を占めた動物達がそのまま人間達と対峙して、例えば軍隊などが動員されるまでの間は殺戮が重ねられた可能性もあります。)

 かなり危うい逆転劇でしたが、辛くも動物の王とメイベルが掲げる平和主義が皆に受け容れられ、小さな湖は元に戻り、高速道路はルート変更の上建設が進められることになったようです。メイベルが大問題を起こした結果(と言っても、どこまでこの仔細が公に理解されているのか分かりませんが…)、教授の研究資金は止められ、意識転送装置(この作品の原題は“Hoppers”で転送装置を意味しています。劇中、確かに転送装置は複数出て来ますが、転送装置で意識を機会に埋め込んだ者を指した言葉のようにも感じられます。)の開発は終りますが、教授は新たな研究に喜び勇んで移行し、大学を卒業したメイベルを助手として雇うことになって大団円となります。

 しかし、この意識転送装置とその受け皿となっているロボットの製造と制御の技術は恐ろしく高いレベルで、簡単に研究資金が止められるようなものには見えませんし、仮に止められとしても、それこそ軍事利用したいさまざまな国家がプロジェクトごと拉致・占拠してでも手に入れる価値があるように思えてなりません。そして、動物達が人間と対抗し得る知性を持っていることも人類にとって衝撃の事実であるはずで、メイベルの潜入によって、教授たちもその事実に驚愕しています。そんな発見も科学上の大発見である以上に、人類対動物の長い対立緊張関係を導き出すに十分であろうとも思えます。とてもふわふわモフモフの世界のほのぼのした大団円で終れるような物語規模ではありません。

 私はディズニーに吸い取られる前のピクサー作品を幼少時の娘とよく見ることがありました。先述の『モンスターズ・インク』は娘と100回に及ぶほど(1日に3回観たこともありますが)観たことがあり、その良さをよく知っている人間であると思っています。それを何度も鑑賞した際のように、動物達の可愛らしさに目を細めさせられ、動物達の王どころか人間殺害の刺客として多数の水鳥達に引き上げられた巨大なホオジロザメ(ダイアンという名のメス)が来るなどの大がかりな展開に驚かされ、祖母の教えを守り平和主義を貫き価値あるものを守ろうとするメイベルの言動に感動で涙させられ、盛りだくさんの優れた作品だと思えました。

 なぜか日本版エンディングは、PUFFYの代表曲『愛のしるし』が流れ、帰宅した後にネットで観ると「エンドロールでは芳根京子さんら声優陣がビーバーの着ぐるみでダンスを披露しています。」との事実を発見しましたが、気づけないままに終わってしまったように思えます。実写ではないアニメキャラの世界なら、結構吹替えでも違和感なく観ることができたと思いますが、必ずしも声優を務めた俳優達の「声」以外に少なくとも私はあまり必然性を感じませんでした。しかし、上述の通りの優れた作品なのでDVDは買いです。