6月19日の封切から1週間経たない水曜日の午後3時近い新宿ピカデリーの回を知己と二人で観て来ました。ここでは1日4回上映されています。封切1週間以内のスタート週にしては少々少なめな上映回数の設定に思えます。上映館数の状況は、新宿では1館。都内20館。全国197館。全国での上映館数に比して、都内が結構まばらに感じられます。
シアターに入ると、観客は60人超ぐらいいました。2人連れが15組ぐらい。男女の組み合わせも同性の組み合わせもいました。客席を見渡した印象ベースでは、男女比はほぼ半々で、年齢層は20代から70代・80代の高齢者層まで薄く広くばらけているように感じました。ネットで確認したシアター席数157に対して稼働率は半分弱という感じです。
この作品に私が関心を持った理由は主役の有村架純です。有村架純は私にとって、私が「真面目妹系」と呼ぶイメージが一定していて分かり易い女優で、本作のパンフを読んでもそうした性格が複数の人物から指摘されていますし、実際に演じる役柄も、そのイメージを多少拡大した程度の範疇に概ね収まっているものと思っています。ただ分かり易いキャラとは言え、それが各々の作品でジグソーパズルのようにカチッと嵌っているかというそうでもなく、当たり外れが結構大きい女優です。
私が観た中で、大当たりと言える有村架純は、やはり劇場で観た『映画 ビリギャル』です。小樽で観た感想で以下のように書いています。
[以下引用↓]
こうして、原作をかなり読み込んだ私が、この本の映画化の話を聞いた時には、「はあ、なんだそりゃ」と言う感想しか湧きませんでした。それぐらいに、私には、原作が“物語”ではなく“教育本”だったのです。映画の公開が近づくと、単行本化された原作の表紙は有村架純のものに変わりました。石川恋に比べて、明らかに可愛らしすぎて、イメージが合わず、「なんだよ。ここまでして宣伝すんな」的なネガティブな印象しか持てませんでした。
このイメージは、映画のトレーラーを初めて観てかなり変わりました。確かにグレたギャルとしての有村架純は中途半端ですが、危うげにも目標に挑み、すべてを投げ出して、意地と周囲の支えだけで、苦手だった勉強に打ち込んでいく姿には、有村架純がぴったりなのです。トレーラーだけでも、挫折と再挑戦の連続が十分窺え、そのたびに脱ギャル化していく主人公を描くにはスタートのイメージの合致度はあまり重要な要素ではなかったと認識するに至りました。
これは、最近観た例の『寄生獣』シリーズの深津絵里にも同じことが言えます。前半の作品では、私の好きなキャラ、田宮良子を演じるには深津絵里は線が細すぎました。しかし、完結編の方ではキャラの方が深津絵里に近づくように変化するので、不気味なほどにぴったりになるのです。
現実に本作を見てみると、スタート時点のギャル像には有村架純の配役は明らかに無理がありましたが、その無理感は、映画の中盤に至る前に解消されたのでした。そして、トレーラーの中の有村架純の変化には、「年取ってきて涙腺緩んで来ているのに、これは、完全に泣かされるな…」と確信できるほど、彼女の努力に引き込まれていった周囲の人間の協力と信頼がまとわりついています。
(中略)
有村架純は、娘によると「テレビをつけるとすぐ何かに出てくる」ほどの人気なのだそうですが、私はそれらを全く知らず、小樽の映画館で同時に上映されていた『ストロボ・エッジ』にも全く関心が湧きません。有村架純と言えば、私には単に『女子ーズ』のヘルメットがやたらに似合うグリーンであり、その正体は全く演技が下手で「森の木B」などと言ったあり得ない端役を宛がわれる劇団員の印象しかありません。
その有村架純が、ツケマを取り、茶髪を止め、髪をバッサリ切り、ジャージ常用に変わっていくと、どうも劇団員「森の木B」にしか見えないぐらいでした。ただ、彼女が体現した直向きさや自分を信じてくれる人々へ報いる信念は、心に深く刺さるのです。
[以上引用↑]
モロに「真面目妹系」役が炸裂していることが分かります。同様の位置付けで、彼女を配して大きな賭けに成功したテレビシリーズがあります。『どうする家康』です。徳川家康の最初の正妻「築山殿」こと瀬名を初めて非悪女として描いていますが、それが有村架純なのです。歴代大河ドラマでは必ず悪女・悪妻として描かれる築山殿の立ち位置を180度転換させたこの大役は、少なくとも私には大成功に見え、強く印象に残っています。私の中の有村架純のイメージはきちんと劇場で観たりテレビシリーズの物語を全作観たりという「重さ」の中では、この二作がとても強いように思っています。これら二作に大分差を付けられた第三位が上にも登場する『女子ーズ』です。その中のふんわりした一生懸命キャラも「真面目妹系」の一つのパターンとしてがっちり成立していることが分かります。
主にDVDで観た作品でこれらに次ぐぐらいの印象に残る脇役もあります。私がかなり好きな『SPEC』シリーズの不倫婦警役です。不倫女子ではあるものの、艶めかしい場面は全く登場しませんし、資格の勉強はするし、それなりに職務に忠実で、恋愛でちょっと踏み外してしまった「真面目妹系」というぐらいの位置付けです。他にも結構あります。例えば『ディア・ファミリー』の終盤に登場するインタビュアー役です。実は、彼女自身が主人公の発明品で命を救われた体験者で、命の恩人への感謝を当初胸に秘めてのインタビューに臨む真剣な姿勢がまさに「真面目妹系」でした。
「真剣」という言葉で連想されるのは、やはり『るろ剣』の2作の主人公の悲劇の妻役です。低評価どころか存在否定ぐらいの評価も多いコミックの実写化作品群の中で、レアなほどに評価の高い『るろ剣』ですが、その中でも主人公を超えるぐらいに評価の高い再現度のキャラが雪代巴という彼女が演じた役でした。ここでも思い詰め、命を投げ出す超「真面目妹系」です。
ハズレ感が色々な切り口で暴発してしまい、駄作に堕している作品群もあります。劇場で観た中では『何者』がまだ辛うじて許せるぐらいの位置付けです。他の就活生仲間とは異なり無名の中小企業にいきなり就職を決める思い詰めた顔をした女子大生です。「真面目妹系」にはぴったりなのですが、作品封切時実年齢23歳の筈の彼女が、どうも世の中の経験が有り過ぎるのが滲み出るのか、私がよく見るリアルの就活生に比して、どっしりと安定していて、浮ついたおどおど感が微塵もないため、場違いに感じられました。
劇場で観た『人と仕事』は通称武漢ウイルス禍下の職業紹介ドキュメンタリーでしたが、映画の方向性がグダグダの中で、準備もよくできなかったのか、それとも即興のインタビューは得意ではなかったのか、相手に真面目に向き合っても中身の薄い会話を連発して空転する「真面目妹系」女子の傍迷惑な(悪い)見本という感じの作品でした。
妹に立ち位置的には類似している「姪」を演じたのが私が劇場で比較的最近鑑賞した『ブラック・ショーマン』でした。福山雅治との掛け合いがまあまあ面白いのですが、敢えて言えば、ただそれだけでした。何となく血の巡りも悪く、次々現れる彼女の同級生のエピソードを説明してくれるだけの人物紹介係になり下がってしまっていて、彼女が他作で見せるような肌理細かな感情表現が全く活かされていない作品でした。他にも端役で『勇者ヨシヒコ』シリーズのニセムラサキなど、色々ありますが、辛うじて記憶に残る程度かと思っています。
濡れ場で言うと、『ナラタージュ』が有名で私はDVDで観ましたが、映画自体が退屈に感じられた中で、あまり印象に残っていません。どうも真面目妹系の人間には揺れて矛盾を孕んだ恋心を描くのは難しかったのではないかと思えてなりません。私がDVDで観た中では、『前科者』にも少々エロイ場面が混じり込んでいます。『波紋』の感想の中で磯村勇斗を相手にしたその場面に言及した文章があります。
[以下引用↓]
「この前観たばかりの山本直樹原作の『ビリーバーズ』で女優北村優衣と孤島で全裸アオカンを重ねていたあの男で、毎週日曜の朝には爽やかな笑顔で『ミライ☆モンスター』でまともなコメントを色々と吐きます。最近DVDで観た劇場版の『前科者』では有村架純を刑事のくせにいきなり押倒し胸を揉みしだくあの男です。そして、『ホリック xxxHOLiC』では女郎蜘蛛の忠実な僕(しもべ)のイカレた妖怪男を演じていますし、さらに、公開が予定されているのん主演でさかなクンのこれまでを描く『さかなのこ』では、イカレたツッパリ学生を演じることを、トレーラーで観て私は知っています。芸が達者です。」
[以上引用↑]
「真面目妹系」キャラ設定が演出上のハードルに感じられる場面の発生が何となく想定されて、大ヒットだった『花束みたいな恋をした』は未鑑賞のままです。DVDでサラッと観た『ちひろさん』も元風俗嬢の役ですが、特段当時の映像が出る場面がある訳でもなかったように記憶しますし、言葉の少ない暗いキャラで、真面目さが風俗引退につながったのかもしれませんが、イマイチインパクト不足に感じられました。
そんな有村架純について、やたらに興奮した文調の記事を見つけたのです。映画.comの中のスペシャル記事で、異常に長いタイトルは以下の通りです。
【有村架純、まさかの“子連れで金密輸”!?】さらに…
“ぶっ壊す”“叫ぶ”“爆走する”――エクストリーム架純
が止まらない!!!! “激幸薄女性”の人生一発大逆転劇&
まさかの結末に感情はちきれる【この物語、ほぼ“実話”】
https://eiga.com/movie/105486/special/
この記事では初盤から「とんでもない迫力の有村架純が映った映画がやってきます!!!!!!」や「同作の有村架純は、突き抜けまくっています。“新境地”なんて言葉は生ぬるくて、何層のもの壁を粉々にする勢いで“演じている”。とにかく早く見てほしいという思いが止まらない!」、「【NEW有村架純、爆誕】彼女の魅力がとんでもない!密輸、荒稼ぎ、暴走…“一線を超える”にもほどがある!金の密輸、はじめました」などと煽り文句がオンパレード状態です。
有村架純の鉄壁の「真面目妹系」キャラが良くも悪くも固まっていると思っていた私は、この突き抜けまくっているという有村架純を観てみたくなったのでした。
もう一つ、以下のような映画.comの紹介文章を(一般的な順番とは逆で先述のスペシャル記事を読み込んでから、映画紹介の通常ページを読んだのですが)読んで気づいたことがあります。
[以下引用↓]
周りに流されて生きてきた3人の女性が金の密輸を通して絆を深め、それぞれの人生を取り戻していく姿を描いたクライムドラマ。「ミセス・ノイズィ」の天野千尋監督が、2017年に中部国際空港で主婦たちが金の密輸で逮捕されたという実在の事件に着想を得て、「佐藤さんと佐藤さん」でも組んだ熊谷まどかと共同でオリジナル脚本を執筆。シンガポールで大規模なロケを敢行し、きらびやかで危うい金密輸の旅路を描き出す。
2児の母として平穏な日常を送っていた和歌子は、夫が横領により会社を解雇されたことを知る。夫の借金を返済するため、シンガポールで金の密輸に加担することになった彼女は、奨学金の返済に追われる非正規雇用の研究員・清恵と、貯金ゼロの未婚の妊婦・麻由と出会う。密輸を成功させ味をしめた3人は、自分たちで密輸を始めることにする。お金と自由、そして自分らしく生きる喜びを初めて手に入れ、魔法のような時間を過ごす3人だったが……。
夫の横領を知った2児の母・和歌子を有村架純、借金を抱える研究員・清恵を黒木華、未婚の妊婦・麻由を南沙良が演じ、和歌子の夫・高志役で塩野瑛久、清恵の同僚・椎名役で青木柚、高志の上司・田ノ上役で斎藤工が共演。
2026年製作/116分/G/日本
配給:アスミック・エース
劇場公開日:2026年6月19日
オフィシャルサイト
スタッフ・キャスト
[以上引用↑]
何か既視感があります。それは先日劇場鑑賞したばかりの『黄金泥棒』です。共通点が幾つもあります。まず、両者共に実話を基にしていること。『黄金泥棒』の方が実話に寄せてある感じがしますが、両者共に完全に実話をフィクション化したのではなく、あくまでもモチーフ的なレベルの物語構成です。そうしたふんわりした「実話に基づく」感じまで共通です。
主婦が主役であることも共通です。本作の方は初めて子持ちの母を演じた有村架純だけが金の密輸を行なう主人公ではありませんが、彼女だけに着目した場合、平凡な主婦が犯した犯罪(を基にしているという意味でも共通ですが)であることです。
そして、それらの主婦の犯罪目的の一部に「閉塞感ある日常からの脱出」という面が強いことも共通です。この二人の主婦の犯罪後の末路には家族を失い、自らひとり歩むことになった人生が待っていることも共通です。『黄金泥棒』では姑が、本作では実母がこれらの主婦に無理解である、ないしは助けの手を差し伸べないこともまあまあ共通かもしれません。
さらに犯罪の対象が金の強奪であることも共通です。本作の方は「金の密輸」と紹介されていますが、最終的には有村架純演じる主婦は、金の密輸グループを出し抜いて、彼らの金を強奪することに成功しています。(強奪することには成功しましたが、それを国内に持ち込む時点で、初めて税関で持ち込みが露呈してお縄となります。)
ギリギリ、シチュエーション的に大きく異なるのは、『黄金泥棒』の方の犯罪動機は無意識的な誘惑であったり、人生になかった興奮の獲得といった感じであったのに対して、本作の主婦の方は一義的には貧困からの脱出で、その後、何物にも捉われない自由を謳歌することが目的として膨らんできます。
観てみるとそこそこ楽しめる作品でした。ただ、元々のお目当てだった有村架純の期待していたハッチャケぶりは、単に想定の範囲内でしかなく、それほどのものではありませんでした。先述の映画.comのスペシャル記事には…
[以下引用↓]
[いろいろあって、スポーツカーで爆走!]
葬式に参列している和歌子。とある“電話”が波乱を巻き起こす
このあと“爆走”がスタートします
[以上引用↑]
と書かれているスポーツカーの爆走シーンは確かに我を忘れて運転席で興奮する有村架純が見られて、確かに新鮮でした。(私も18歳の頃に運転免許を取立てで、運転するのは職場の業務用車両のみという日常の中で、若手先輩職員のセリカを寮から駆って、夜の歓楽街に酔い潰れかけている持ち主の先輩社員を迎えに行くのが、その加速感と湧き上がる解放感や全能感のようなもので、癖になるほどだった人間なので、この有村架純の高揚にはとても共感できます。)
ただ、こうした場面も敢えて言うなら、「真面目妹系」のキャラが続いていたからこそ引き立つのですし、別にその後、こうしたぶっ飛び状況がデフォルトになる訳でもありません。その後彼女は金塊密輸ではなく金塊強奪に手を出す所に突き進んでいきますが、同様の行為に及んだ『黄金泥棒』の田中麗奈演じる中年主婦のような、日常の閉塞から逃れて糸が切れた凧のような心情を悪乗りでウキウキ楽しんでいるような、そんな感じは本作の有村架純の役柄には見られないのです。彼女の場合は金塊強奪にも真剣に思い詰めて及んでいて、終始、「悪い汗が噴き出る」ような必死感の中でことを進めています。
一方で、観てみて非常に印象に残り、その一挙手一投足に見入りがちだったのは、黒木華の方です。先述の映画.comのスペシャル記事には以下のように書かれています。
[以下引用↓]
奨学金の返済に追われる非正規雇用の研究員・清恵(演:黒木華)
黒木が演じるのは、奨学金の返済に追われる研究員。私生活では韓流グループの“推し活”にどっぷりのめり込み、時には感情爆発で完コピダンスを踊る、踊る、踊る――!!!! 愛すべき“限界オタク”。この弾けっぷりが半端ない。
[以上引用↑]
同記事の有村架純についての煽りは先述のような状態であったのに、私には想定内の「ハッチャケ」というより「一時の乱れ」という感じに収まっていたのに対して、黒木華の状況は、上の記事の文章では表現しきれないぐらいにダレて乱れて、吹っ切れています。
パンフでは、色々な役を確実にこなす女優として称賛されていますが、(有村架純ほどではないものの)私にとってはそれなりに演じる役の枠が決まっているのが黒木華という女優です。私にとっての彼女のイメージを最もよく表現している代表作は、このブログでたった二本しかない二回エントリーの鑑賞作品『日日是好日』です。以下のように書いています。
[以下引用↓]
私の母が「この人は最近いろんなところに出ているよね」と私のパンフを見て言っていた主演の黒木華には、私は全く関心を持てません。理由はほぼ完全に顔だちを中心とする容姿だと思います。大きく縦に長く眠い感じの顔が基本的に好きになれないのです。寺島しのぶに対する印象とほぼ同じ理由です。多部未華子と並んだ時の黒木華の妙にデカいガタイも悪印象を私に抱かせます。黒木華は雑誌の映画評のコラムを書いている人との認識が強いのですが、特に面白い文章として読む込む気は湧きませんし、特に動く彼女を見たいとは全く思っていませんでしたし、実際にみてみても、特に好演とは感じられませんでした。
[以上引用↑]
このような私の彼女に対する評価・認識はその後、『映画 イチケイのカラス』などを観て、やや好転しました。その感想に以下のように書いています。
[以下引用↓]
それでも、主演の一人である黒木華はこのブログでも数少ない2回レビューの作品である『日日是好日』の記事でも…
「主演の黒木華は、やはりガタイが大きく顔は縦に長く多少浮腫んで見えて、どうもイマイチ好感が持てません。しかし、そんなことが気にならないぐらい見どころがたくさんある映画です。」とか…
「主演の黒木華には、私は全く関心を持てません。理由はほぼ完全に顔だちを中心とする容姿だと思います。大きく縦に長く眠い感じの顔が基本的に好きになれないのです。寺島しのぶに対する印象とほぼ同じ理由です。多部未華子と並んだ時の黒木華の妙にデカいガタイも悪印象を私に抱かせます。黒木華は雑誌の映画評のコラムを書いている人との認識が強いのですが、特に面白い文章として読む込む気は湧きませんし、特に動く彼女を見たいとは全く思っていませんでしたし、実際にみてみても、特に好演とは感じられませんでした。」などと言っていて…
外見的に好きではないことが繰り返し述べられていました。しかし、劇場で最近観逃してから、DVDで観た『先生、私の隣に座っていただけませんか?』の主役はなかなか見事で、考えてみたら、同じくDVDで観た『来る』の育児ノイローゼからどんどん奇行に走って行く妻も名演でした。もしかすると、等身比があまり違わないような、ないしは等身比が目立たないような、シチュエーションが多かったのかもしれませんが、デカい顔、デカいガタイがあまり気にならなかったように記憶しています。黒木華の負のイメージが多少は払拭されていたのも、観に行くことにした背景の一つにはあるように思えます。
(ちなみに今回、彼女のウィキの記事を読んでいて、「黒木華」は「くろき・はる」と読むことを初めて知りました。勿論、「くろきはる」とタイプして変換して出て来ないので、入力の際には「くろきはな」と打ち続けています。以前から知っていて、先述のように、多少印象が良くなってきても、まともに名前さえ覚えていないぐらいの関心でしかないということでもあります。)
(中略)
主人公のうち、竹野内豊は自分のアタリ役を嬉々として演じているように見えます。一方の黒木華は、どういう条件だと光る女優なのか未だに分かりませんが、なかなか良かったのではないかと思えます。元々演劇畑の出身の人なので、極端な性格が際立っているようなキャラを演じると、水を得た魚のようになるのかもしれません。少なくとも『日日是好日』の彼女を大きく超えて、『来る』、『先生、私の隣に座っていただけませんか?』を超えているぐらいの快演に思えました。実際にレビューでもそのような指摘は多いように見えます。
[以上引用↑]
さらにその後、私は『せかいのおきく』の途中から声の出ない主人公と『八犬伝』の目の見えない父の口伝を必死に文字を習いつつ書き留める嫁を演じる彼女をDVDで観て、上のような舞台仕込みの彼女の大技の演技力に結構好感を持てるようになったのでした。同様の舞台仕込み系の女優には、江口のりこや小西真奈美、木村多江、筒井真理子などがいます。役の幅の広さや、振り切った役どころや演技表現の豊富さなどに目を見張るものがあると私は思っています。黒木華はまだまだこの域になっていないように私には見えていました。どこか直向きで思い詰めた感じのキャラが、ぼんわりした顔の印象からも定着していたものの、本作でそれをかなりぶっ壊してくれているように思えました。
本作での黒木華は、遺伝子工学の学者(研究員と言うべきかと思います。)ですが、過去の彼女に(少なくとも私が)観ることがなかった関西弁前回の役柄で、奨学金返済苦に喘ぎつつも韓流系アイドルの推し活を行ない、踊り歌い狂うという、なかなか濃いキャラです。おまけに酔っぱらって詐欺に遭い、皆から預かったカネで買った金を丸ごと騙し取られます。皆から預かったカネの一部は、自分の研究テーマを横取りした教授(これが佐野史郎なのでクセ強ですが)の裏金を勝手に自分の口座に振り込んだものだったので、こちらも焦げ付いてしまいます。そして、バックれた所を教授に追及され、自分は窃盗で検挙される一方で、教授の裏金の不正蓄積を暴き、互いにすべてを失う状況に引きずり込んだのでした。なかなかぶっ飛んでます。
金の密輸の消費税差益の構造を残り二人のメンバーに解説したり、シンガポールで金の買付けの際には英語力を駆使するなど、なかなかのインテリ・リーダー役ではあるのですが、研究職故に男性経験は少ないのか、栄転が決まった後輩男の家には(推し活が共通だったという理由はあるものの)ホイホイついて行って酔いつぶれてしまいますし、シンガポールでも詐欺男に煽てられて泥酔し、まるまる金を盗み取られてしまっています。珍しくメガネ・キャラですが、相手に絡みつくような関西弁の、印象が深く突き刺さってくる濃厚キャラです。
三人女の残り一人、家族を貧困のどん底に突き落とす毒親と、真面目JK妹と同居している“妊娠キャバ嬢”を南沙良が演じています。南沙良という名前を見ても、全然ピンときませんでしたが、パンフやウェブを見て、今年2月に劇場で観たばかりの『万事快調〈オール・グリーンズ〉』の主人公、朴秀美であると知りました。そちらの印象がガッツリ残っていましたが、(前作では黒髪で今回がキンキンの茶髪と)髪色が全く違い、服装も全く違い、おまけに本作の中でも普段とキャバクラでの外観が全く異なるので、全然気づきませんでした。
パンフで本人も語っていますが、前作では大麻栽培を学校の屋上で行なうJKで、今回が金塊の密輸で、おまけに全作でも貧困と閉塞感故に犯罪に三人女で挑み、結果的に稼いで潤う刺激ある生活は暗転し、最後には上京してのブツの現金化にも失敗してすべてを失う役どころで、同じような構図を演じ続けているように思えます。本作の三人の中で、最終的に被害が一番少なく、捕まることもなく、おまけに子供を産んでリセットされた人選を歩む最も順当な立ち位置です。
全体的を見ると、『黄金泥棒』と先述のように非常に酷似した構図を持っていますが、犯罪行為の状況が本作はかなりリアルで、よりのめり込めます。ただ、この映画の売り手の打ち出し内容をみていると、首をかしげる部分が幾つかあります。その一つは「自分らしい生き方」です。例えば、主人公の女性達は、今回の物語の内容にある人生の大イベントで「自分らしく生きる喜び」を得たというような方向性の評価です。本当にそうでしょうか。
まるで、それまでは奴隷か何かであったように、本来の自分の姿や能力やあるべき姿は抑圧されていてどうにもならなかったのが、金塊密輸によって本当の自分に変わり得たというような言い分です。本当の自分とは何であるのか、非常に不思議に思えます。私は「自分探し」などという概念が大嫌いです。ヘーゲル以降ぐらいの哲学において、誰が正確にどのようなことを言っていたのか、私も詳しい訳ではありませんが、よく出てくる主張として「自分は他人によって定義される」のようなものがあります。
クズのような男を選び結婚し子供を作り、漫然と結婚生活を送っていた有村架純のキャラも、そういう「自分」だったのでしょうし、大学の研究室で教授の横暴や犯罪を知りながら、そこの中で波風を(わずかな例外を除いて)起こさず、昨日から今日、明日へと続く研究活動を続けようとしていた黒木華のキャラも、そういう「自分」だったかと思います。キャバクラ嬢の毒親との関係性も、一応、かなりの冒険であったかもしれませんが、妹と二人で家を出る選択もあったのではないかと思えてなりません。それを選ばなかったのは「自分」です。その自分は、他者との関わりの中でその役割のポジションに嵌って、演じ続けてきた訳ですから、ヘーゲル以降の哲学、主に実存主義などだと思いますが、そこで言われる「他人によって定義される自分」でしかないように思えてなりません。ですから、本編の物語が発生する前の段階でも、彼女達は彼女たちなりのそれまでの「自分らしい生き方」をしてきたことになるはずです。
そして「自分らしい生き方」なるものを選択した結果、金銭的にも肉体的にも大変であっても、一応世の中の物差し的に見て、まあまあ希望がある生活を掴み得たのはキャバ嬢ぐらいで、有村架純の主婦は離婚し子供の親権も失い、逮捕歴までできたようで、一般的な「人生再スタート」というには、かなりスタート・ラインが奥まった所にできています。黒木華の研究員は窃盗犯となって逮捕もされていますし、裁判結果は描かれていませんが、執行猶予が仮についても、研究職などの立場は完全に失われているでしょうし、それどころか、まともな就職が思うようにできる立場では(少なくとも一旦は)なくなることでしょう。これを紹介スペシャル記事のキャッチの中にある「「好きに生きる」大切さが胸に沁みる」などと括るのはかなり無責任に思えます。
映画では、三人の女性達が日本での日常から逃れて味わうシンガポールの異国の自由さが際立って描かれています。それはその通りです。そしてそれが「自分らしい生き方」を発見したものと解釈する雰囲気は一応理解できます。しかし、そこにおける自由は、ひったくりにも詐欺にも自分で対応しなくてはならないリスクを伴う「自由」です。荒稼ぎもできる代わりに、すべてを失うリスクもある生活です。日本の彼女達の日常のローリスク・ローリターン状況と、シンガポールの茹だる暑さの中のハイリスク・ハイリターンの状況と比較するとき、単純にシンガポールに「自分らしい生き方」を見出し、「好きに生きる」ことができたなどというのは、かなり幼い発想に見えます。
パンフでは武田砂鉄が主に有村架純のキャラのありように着目しつつ、『ちゃんと話を聞けよ』と題した文章を寄せています。タイトルから想像がつく通り、話を聞いてもらえない不満や焦燥を抱えた人間に焦点を当てた文章です。映画の物語も上手く絡めて紹介する上手いまとまりの文章でした。しかし、人間大なり小なり人に話を聞いてもらえないものであるのが本当だろうと私は思っています。別に有村架純の主婦キャラのみの話ではありません。有村架純が金銭の融通を頼ろうとする実家の自動車修理工場も借金苦と老父の介護苦に喘いでいて、有村架純の話を聞かないだけではなく、同じ屋根の下の会話も殆ど意味を為していない状況に見えます。つまり、彼らも「ちゃんと話を聞いてもらって」はいないように見えます。ちゃんと話を聞かせようとすれば、執拗に繰り返すなり声を大にするなり、場合によっては劇中の有村架純のように怒鳴るなり、そうしたことが必要そうです。
ちゃんと話を聞いてもらえない方が世の中のデフォルトでしょう。嘗て勢古浩爾はその名著『自分様と馬の骨: なぜ認められたいか?』で、自分は自分にとってかけがえのない存在の自分様なのに、他人から見るとどこの馬の骨ともつかない程度の人間という構図で、人間の承認欲求を抉って見せてくれています。家族であってもどこぞの馬の骨で、偶然過去から積み上げられてできたその人間のステレオタイプの中での解釈が精一杯であるなら、話をちゃんと聞いてもらえないことに何等の不思議もありません。
このポイントに加えて、貧困に対する非常に偏った見方も劇中に存在しています。貧乏人はどれだけ努力しても報われることがないという考え方です。確かに貧乏であれば、スタートは苦労もするでしょうし、いきなり何かを元手に投資に臨むということもできません。(大体、まともな知識が揃ってなければ投資にも失敗してすってんてんかと思います。)
しかし、努力が報われる報われないはどうでも良いことです。報われるために行なうのではなく努力はデフォルトの行為です。と幸田露伴も名著『努力論』で述べています。そして、努力には正しい努力とそれ以外の誤った努力があると私は思います。前者は、その努力の結果を受け止める他者がおり、その他者にとって喜びや効用が、取り分けその他者が予想していなかった喜びや効用がもたらされるようにする努力です。そうではない努力は、自分の思い込みや結果を生まない行為の強化反復でしかないのが、普通でしょう。「金塊の密輸は『誰にも迷惑を掛けない行為』で犯罪行為とは言っても、殺人とか強盗とは違う」というような台詞を黒木華の研究員が飲んだ席で言っていますが、誰にも迷惑を掛けない代わりに、誰をも喜ばせず、誰にも歓迎されない行為であることには言及されません。それは正しい努力ではありません。
何かとことん稚拙な人生観・社会観がしたり顔で語られているように思えます。高級車を駆る有村架純は一応笑えましたし、踊り歌い、酔っ払い、羽目を外すアラフォー研究員の黒木華はかなりの収穫でした。実際の事件を基にして、分かりやすい物語に仕立て上げられている点も好感が持てます。しかし、どうもクリシェのステレオタイプの人生観・社会観が漂っているのが鼻に付くのも否定はできません。DVDはギリギリ買いです。
追記:
有村架純は終盤、とうとう密輸組織の金塊を強奪して自分のものにし、それを持って税関を通ろうとします。そしてあまりにもたくさんの金のバーが偽装妊婦の腹から落ちて、お縄となります。しかし、よく考えてみると、この強奪パターンであれば、金をすぐに売却して消費税の差額を得る必要はありません。(勿論、密輸組織の胴元に菌を成田で返却する必要もありません。)ですから、10%のカネであっても、その場で正規の手続き通り申告をすればよかったのではないかと思えます。
少なくとも劇中の時点では、こうした密輸は恐ろしく軽微な罪としての認識で、「見つかったら消費税を払ってきちんと申告し直す程度」のような話を劇中で黒木華のキャラが説明してくれています。ならば、強奪した金塊を普通に申告してしまえば、元手がかかっていない以上、手にした金塊がまるまる自分のものになったはずであるように思えるのです。
追記2:
ぶっとんだ有村架純は本作ではまだまだ見いだせない感じではありました。9月公開の『さとこはいつも』の不倫OL役の方がもしかしてぶっ飛んでいるのかもしれませんが、現時点であまり鑑賞動機は湧いていません。