『リアリティ・プラス』

 10月23日の封切ですが、全国でたった1館。1週間限定。1日1回という上映の変わった映画作品です。製作そのものは2014年なので、古い映画をこの映画館の独自企画で掘り起こして上映している中の1本です。映画.comの作品紹介もその点に言及しています。

[以下引用]

デミ・ムーア主演による世界的ヒット作「サブスタンス」で注目を集めたフランス出身のコラリー・ファルジャ監督が、同作の前身として2014年に手がけた短編SFロマンス。1日12時間だけ理想の自分になれるチップを埋めた男が見せかけの恋に翻弄される姿を通し、作られた美に依存し本物の自分を見失っていく現代社会の危うさを鋭く描き出す。

近未来のパリ。自分の容姿に強いコンプレックスを抱える青年ヴァンサンは、最新の脳内インプラント「リアリティ・プラス」を頭部に埋め込む。このチップを起動すると、デジタル技術により理想通りの完璧な容姿に変化し、周囲のユーザーからもその姿で見られるようになる。理想の身体を手に入れ自信に満ちあふれたヴァンサンは、同じくインプラントを使用している美しい女性ステラと出会い、瞬く間に恋に落ちる。しかしこの魔法のようなテクノロジーには、1日12時間しか作動しないという制限があった。

世界各地で製作された15~25分のショート映画を上映する企画「20分シネマ」の1作として劇場上映(2026年10月23日~10月29日、ヒューマントラストシネマ渋谷)。

2014年製作/22分/G/フランス
原題または英題:Reality+
配給:SAMANSA
劇場公開日:2026年10月23日

[以上引用]

 上映館も上の解説にある渋谷エリアの映画館で最も北にある所で、知己と10月最後の日曜日の18時25分の回を観て来ました。1週間の限定上映で混雑も予想され、わざわざ雨の中で渋谷の外れまで行って席が取れなくてはお話にならないので、珍しくネットで予約してから向かいました。ネットで予約したのは上映開始数時間前で、15人ぐらいの観客がモニタ上で確認できました。現地に行ってみると、シアター内には30人弱の観客が居たように思えます。ネットで見ると座席数は60のこの館での3つのシアターのうち最小でしたので、30人程度でもかなりの稼働率です。

 尺が20分余しかないので、料金は一律1000円でした。通常の2時間程度が2000円とするとかなり割高で、おまけに一律料金になると、通常で既に安価に設定されているシニア層の方が、不当に割引率が少なくなっていますので、何か非常に損をした気になります。

 30人の観客層は宮下公園からこの館のあるビルの周囲を歩いている人々のものに近く、男女比はほぼ半々で年齢層は40代前半ぐらいまでで7割ぐらいを占めているように思えました。2人連れの観客も2、3組居たように記憶します。全員男女ペアだったと思います。

 私がこの作品を観たいと思ったのは、短い尺で気軽に観に行ける作品でレアな作品を観ようというモチベーションはいつもの通り持ち続けているので、まずそれに合致したということがあります。取り分け、今月は先日漸くノルマを達成し、劇場鑑賞2本となったばかりで、先月9月も劇場鑑賞2本となっているので、多少本数を稼ごうという気持ちもありました。

 そうした背景的な要因に加え、この作品は私が多少関心を持てたテーマ設定だった『サブスタンス』の女性監督が『サブスタンス』に先行して創り上げた小品であることも関心を持った理由です。『サブスタンス』は、「その意気や好し」という大上段にルッキズムやメール・ゲイズ(男の視線)の状況を抉って観客に突き付けようとした意欲作ですが、意欲ばかりが空回りして、細部は杜撰なままに「ボディ・ホラー」という聞き慣れないホラージャンルを徹底したような演出に終わって見せてくれましたが、如何せん、不発感が止められない作品だったように思えます。(それでも個人的には往年の(鳴かず飛ばず)ハリウッド映画アイドルだったデミ・ムーアのその後を観られたことには価値がありましたが…)一般論で観てかなり辛い作品でした。

 ただ、杜撰な細部設定・細部描写を削り落とせば面白い作品になったであろうと思えていました。そして発展した科学技術による、美や若さに対する人間の欲求のありようを抉って見せるという観点では『サブスタンス』と共通しているのに、僅か22分で完結している本作は、映画.comの解説文にもあるように『サブスタンス』の前身として、完成度が高いものと想像されたのです。

 観てみると、『サブスタンス』の老いの恐怖といった概念こそ削ぎ落とされていますが、それ以外は基本的に『サブスタンス』が本来持つルッキズムに関するメッセージと同レベルの強さのものを持っている作品に感じられました。よく22分で相応に込み入った物語(特に設定をきちんと説明するとかなり時間を要しそうな物語)を描き切り、それなりの落ちに届くことができたなと、ちょっと驚かされます。冗長感はほぼありません。

 映画.comの説明にある通り、ヴァンサンはカフェのウェイトレスのステラの誘いに乗ってアプリ「リアリティ・プラス」がオンの状態でデートに行き、一気に恋にのめり込んでいきます。ただ、アプリの制限故に、なかなかデートが進展しません。初デートの二ケ所目は「リアリティ・プラス」装着者の屯するクラブでしたが、ヴァンサンの頭部を偶然酒瓶が強打し、「リアリティ・プラス」が不具合を起こし機能しなくなったため、素の自分を見られないようにヴァンサンはステラに何も言わず慌てて帰宅します。

 ステラの方もデートで盛り上がって、さあどうしようという感じの際に、あと10分が限界だから…と路上にヴァンサンを置いて慌てて走り去るという事態が発生しています。また、ヴァンサンがオペラに誘った晩には、ステラからアプリの充電サイクルとうまく合わないからという理由で断られています。なかなか面倒なARアプリです。

 さらにこのアプリの面倒な点がいくつか登場します。先ず先述の通り、外的で物理的なショックで誤作動を起こすことがあります。12時間駆動し続けると、次の12時間は起動できなくなります。つまり、半日ずつ毎日駆動し続けられるのですが、12時間は長いようで、微妙に非睡眠時間全部には足りないので、起きて生活している時間の中で、どこでアプリを起動しておくかをそれなりに計算し融通しながら使わねばなりません。これが16時間であれば、8時間睡眠以外の全部の時間は、自分の望む外見と声が常時手に入った状態になるのに、そうではないのです。

 さらに、こちらがアプリをオンにしていても、相手がオフであったり、アプリの未装着者であった場合、相手に見えるのは素のままの自分です。自分の方はオンにしていれば鏡に映る自分も、アプリを装着してオンになっている誰でもイケている理想の自分になっています。逆に自分がアプリをオフにしていれば、自分は他人に素のままにしか見えませんし、自分にも他人が(仮にアプリをオンにしている装着者でも)不細工な素のままに見えます。

 ヴァンサンはビルの守衛のような仕事をしていますが、その仕事は常に二人体制のようで、組む同僚のことは以前から知っているようです。或る日、ヴァンサンが出社して職場の守衛室に着くと、全く見知らぬ人間が既に守衛室に座っています。ヴァンサンは当たり前のように自分の席に着くと、隣の席のその見知らぬ人物が、「お前ヴァンサンか?」と驚いて尋ねてきます。その見知らぬ人物は、いつもの同僚だったのです。同僚は以前からアプリを装着して職場にオンにして来ていましたが、ヴァンサンはアプリを装着していないがために、ずっと素のままの関係だった訳です。ヴァンサンが装着者になってオンにして職場に行くと、同僚の方はアプリがオンになっているので、いきなり二人ともAR状態のイケメンになって、驚きあうという場面が生じてしまうということだったのです。この映画の設定がいきなりよく分かる良い場面展開です。

 映画はこうしたヴァンサンのアプリ装着後の数々の体験を通して、アプリにまつわる物語設定を丁寧に説明して行きます。単にアプリの機能そのものの説明もありますし、アプリ装着者同士の関係性や、首の背側にある十字の手術跡によるアプリ装着者の識別などの方法なども観ていると理解できるようになります。非常に効率的な尺の利用だと思えます。(この辺が『サブスタンス』では非常にもたつき、冗長に感じられる部分が膨張していますが、本作は極めてシンプルで、サクサク進みます。)

 映画.comが紹介文で触れていない、この作品の物語のもう一つの流れがあります。ヴァンサンは古いアパートの地上数階(多分3階以上)に住んでいますが、このアパートの各室には小さなベランダがあり、隣室のベランダと中空を挟んで隣り合っています。(日本のマンションのベランダのように防災用の壁1枚で仕切られていて、相互に見えないという環境とだいぶ異なります。)

 ヴァンサンがベランダに出て外の空気を味わっていると、隣室のちょっとオタク系の白人女性がヘッドフォンで音楽を聴きながらベランダで絵を描いています。どちらかというと、海外の新聞の風刺絵に近いようなタッチのペン画です。化粧っ気のない小柄な少女ですがそのブロンドの髪は美しく印象的で、ヴァンサンと目が合うとはにかんだりする様子は、(大分日本の可愛い文化のそれとは距離がありますが)愛らしい感じさえします。

 アプリをオンにしている際もそうではない際も、自然に習慣的にベランダに出て、じわじわとその隣人の少女を意識するようになります。或る日、ふと自分のベランダの枠の先を見ると、少女の作品の一枚が風で飛んだのか挟まっていたので、それを取って、少女のベランダ枠の方に引っ掛けておくということをしました。翌日、ベランダ同士で目が合った際に、少女は「絵を拾ってくれてありがとう」と唐突に言い、ヴァンサンがそれに応じたことから、拙い会話を自然に重ねる関係になります。そしてヴァンサンはオペラにステラを誘って断られた際に、ベランダの会話の流れの中でふと「オペラは好きか」とその少女に尋ねました。

 結果、ヴァンサンは少女とオペラに行き楽しんで帰り、(それまでは映ったことがなかった)アパートの隣り合ったドアを二人で意識しながら別々に開け、部屋に入ると、互いに同じタイミングでベランダに出て来て、笑い合います。そんな時、その少女が手を滑らせ、スマホが発信をします。同時にヴァンサンのスマホにステラからの着信が来ます。ヴァンサンがアプリがオンになっていないステラの「素」がこの隣人の少女だったと気づいた驚きの表情で映画は唐突に終了します。

 少々クリシェな構造の気もしますし、余韻の残し方が(たとえば、そこで二人のうちのどちらかが一言だけ台詞を言うなど)もうちょっとだけあっても良かったようには思います。けれども、しつこさもなく、変な冗長さもなく、まるでオーヘンリーの短編集(『最後の一葉』や『賢者の贈り物』などが有名ですが)の一編のような淡い味わいの終り方です。

 よくよく考えてみると、ヴァンサンはいつも行っている(一見少々安っちい感じですが一応)スタバかタリーズのようなカフェに行ってステラを見つけます。その時はアプリを装着して初めての外出だったはずです。アプリをオンにして魅惑的なブロンド・モデルようなステラを見つけ、相互に目が離せなくなり(列の後続の客からクレームが来るほどになり)、ステラがくれたレシートに電話番号が書かれているのをヴァンサンは見つけてステラとの関係は始まっているのです。

 そのような発端と、隣人だったことや、以前から素のステラはベランダで絵を描いていたことなどを考え合わせると、素のステラはベランダではアプリをオンにすることなく過ごしつつ、素のままでヴァンサンに好意を募らせていたと考えるべきであるように思えます。そして、ヴァンサンが装着者になってオンにして店に来た際に、それがヴァンサンであると分かり、一気に動いたと考えるべきであるようなのです。

 またステラはヴァンサンを初めてのデートで先述のような装着者ばかりがあつまり、一種の発展場と化したクラブに慣れた感じで案内します。ですから、ステラは装着者同士でのARイケイケ男女でのデートやセックスを既に楽しむ生活を送っていて、一方でそうした遊びではなく、素の生活の中の(或る意味健全な)交際を、あわよくば隣人のブ男ヴァンサンとと考えていた節があります。

 そのように考えると、都会の中のコミュ障オタク少女のARによる裏アヴァンチュールの生活とオモテの日常の淡々としたカースト下位の学校生活の延長線上のような孤独な社会人生活(多分にフリーター生活など…)のコントラストを二重生活として描いた方が魅力的であった可能性が感じられます。

 2008年の邦画の名作で『観察』という作品があります。私は劇場で鑑賞してかなり気に入りました。映画の前半と後半が断絶していて、前半は観察者の側の男性の立場、後半は全く同じ物語の被観察者の女性の立場で描いたものを機械的に接着したような展開でした。感想には以下のように書いています。

[以下引用]

主人公の男は、子供時代に望遠鏡でのぞき始めた女の子を、彼女が成人し結婚してからも、延々、彼女の転居先がよく見える場所に引っ越してまで、覗き続ける話なのですが、その事実に気づいた第三者では、まず男の父が登場しますが、驚きはするものの、どちらかと言うと、「たいがいにせぇよ」と言う感じで終わります。さすが、二番目に気づいた妻も、(気づき方だって、子供の怪我が原因なのであって、結婚前からの夫の趣味に気づかずに来ていた訳ですが)「不倫されている方がまだマシだった」様なことを言って、出て行くだけです。主人公は、そのうち目を患うようになり、それでも目薬を点しつつ、望遠鏡を覗き、緒川たまき演じる女性の方も覗いている存在を意識しながら生活し、病死します。

こんなおかしな話なのに、淡々と展開して、尚飽きさせないのは、多分、映画が二部構成になっているからでしょう。前半は主人公の男の視点から、描かれていきます。何がおきているのかはこれできちんと理解できるのですが、見ているうちにどんどん膨らむ疑問は、女性の方は、どの程度この「観察者」を認識しているのかと言うことです。ところが、後半は一旦子供時代に戻って、女性の方の視点から描かれていき、女性の方は、ある意味、足長おじさんか何かのように、この観察者のことを感じていたことが分かってきます。
[以上引用]

 仮に本作のステラが上に私が想像していたような生活を送る少女であった場合、本作の短い尺を倍の40分余にして、前半が既存のヴァンサンの視点、そして後半がヴァンサンの物語よりやや以前から始まるステラの視点だったら、非常に面白い作品になったのではないかと思えてなりません。

 ARに頼った虚像同士の恋愛より、素を見せ合う自然で無邪気な恋愛観が素晴らしいと押し付けることはないものの、その比較の結論を否応なく観客に思い巡らせさせると同時に、技術の持つ不安定さや不都合さにも気づかせるシンプルな佳作は、上のような二重構造にしたら、不安定で妙に毒々しく且つ画一的なセカンド・ライフの断面も、より構造的に深く、少女の目線から描けたのではないかと思えます。

 設定が良かった割に、それを十分に活用することなく物語を終わらせてしまったように思えます。しかし、設定の妙を活かそうとして、社会に当然のルッキズムの醜さを演出したり、テレビ・ビジネスのエロティック・キャピタルの搾取のありさまなどを、ぎゃんぎゃんに盛り付けて、最後はボディ・ホラーにしか持って行きどころが無くなった『サブスタンス』に比べると、非常に好感が持てる小品だと思えました。DVDは出ることがないと思いますが、出れば買いです。