2月13日の封切から丁度1ヶ月経った木曜日の夕方、17時55分からの回を明治通り沿いの映画館が複数入っているビルのワンフロアで観て来ました。ほぼまる1年前の『アプレンティス ドナルド・トランプの創り方』鑑賞以来であるような気がしますが、このビルのもう1館の方であった可能性もあり、記憶も定かではありません。
カルト的人気を誇る作品と噂で、映画.comにも特別記事が組まれていますが、流石に封切1ヶ月となって、大分上映館数に息切れが起きていて、翌日の木曜日を最後に、新宿では上映館から歌舞伎町のゴジラの生首ビルの映画館が消え、私が赴いた映画館と歌舞伎町の高額映画館しか上映館が無くなることが判明していました。この残った2館でも1日1回の上映ですから、風前の灯という感じがします。しかし、実は私は前日の夕刻にゴジラの生首ビルの映画館に上映開始の30分前に滑り込んで鑑賞しようと思った所、驚くべきことに残席が最前列の1席しかない見たこともないような満タン状態でした。
その様子から映画館を変えてみた所、突如、観客数は減り、ネットで観ると294席あるシアターに、30人余りの観客がいただけでした。それでもロビーの狭いこの館にしてはかなりの動員に思えますが、前日の満席からは間違いなく大きな落差と言えると思います。
観客は20代男女2人連れ4組、20代女性と40代男性の何やら不埒感が漂う関係に見える男女の2人連れ1組、そして、20代の男性2名と同年代の女性1名の3人連れ1組という、なかなか複数セット客が多い構成でした。残った単独客の年齢層はそれなりに高く、40代以上でほぼ全員に見えました。(つまり、若い観客はカップルで観に来たくなる映画という感じに見受けられます。)単独客の性別構成もやや男性多めに偏っており、6割少々を占めていそうに見えました。
私は先述の映画.comの特別記事などを流し読みして、この作品の存在を知りました。正確には無意識レベルではこの作品の原色をべったりと用いた抽象画のようなサムネイルが目には入っていて、以前から何か気になる映画だと思ってはいましたが、それが記事で読んだ内容となかなか結び付かないままにいました。記事内容から観に行こうと思い立って、劇場の上映予定などを検索してみた際に、初めて気になるサムネイルの作品がこれだと分かったのです。
拙宅で娘と話した時に、そう言えばという感じで最近観た映画を教えてくれたのですが、それがまさにこの作品でした。彼女は本作の監督とエマ・ストーンがセットで同じ過去作の『哀れなるものたち』を観て気に入り、本作も観ようと思い立ったと言っていました。私は『哀れなるものたち』もこれまた映画.comで物語まで軽くは認識していましたが、鑑賞リストに加えるほどの関心を持てないままに、上映期間は終りました。
変わった物語の変な映画ですが、そのカルト的な人気は先述のゴジラの生首ビルの映画館での大人気ぶりから分かる通りで、今回私が赴いた映画館でもパンフレットは売切れとのことでした。映画.comの解説文章は以下の通りです。
[以下引用↓]
「哀れなるものたち」「女王陛下のお気に入り」などで知られる鬼才ヨルゴス・ランティモス監督が、これで5度目のタッグとなるエマ・ストーンを主演に迎えて描いた誘拐サスペンス。「エディントンへようこそ」「ミッドサマー」の監督アリ・アスターがプロデューサーに名を連ね、2003年の韓国映画「地球を守れ!」をリメイクした。
世界的に知られた製薬会社のカリスマ経営者ミシェルが、何者かに誘拐される。犯人は、ミシェルが地球を侵略する宇宙人だと固く信じる陰謀論者のテディと、彼を慕う従弟のドン。2人は彼女を自宅の地下室に監禁し、地球から手を引くよう要求してくる。ミシェルは彼らの馬鹿げた要望を一蹴し、なんとか言いくるめようとするが、互いに一歩も引かない駆け引きは二転三転する。やがてテディの隠された過去が明らかになることで、荒唐無稽な誘拐劇は予想外の方向へと転じていく。
エマ・ストーンが髪を剃った丸坊主姿も披露し、陰謀論者に囚われたミシェル役を熱演。彼女を宇宙人だと信じてやまない誘拐犯2人組を、「憐れみの3章」「シビル・ウォー アメリカ最後の日」のジェシー・プレモンスと、オーディションで抜てきされた新星エイダン・デルビスが演じる。2025年・第82回ベネチア国際映画祭コンペティション部門出品。第98回アカデミー賞では作品賞、主演女優賞ほか計4部門にノミネートされた。
2025年製作/118分/PG12/アイルランド・イギリス・カナダ・韓国・アメリカ合作
原題または英題:Bugonia
配給:ギャガ
劇場公開日:2026年2月13日
[以上引用↑]
特別記事には、「ジャンルが分からない」とか、「どういう顔をしてスクリーンを見つめていれば良いか分からない」というような表現が散らばっています。確かにその通りで、少なくともこの映画のジャンルを問われたら、私も困るように思えます。全体のテイストが、米国の田舎町の夏の日々の日常という感じで、暑苦しさがずっと滲み出ています。その感じだけを見て、予想がつかない物語展開を睨み続けていると、タランティーノの幾つかの作品を彷彿とさせるものがあるように感じます。しかし、音楽が時折俳優達の台詞を掻き消すぐらいの音量で流れ、それが交響楽団の演奏で何かのオペラの劇的な場面のように鳴り響いたりするので尋常ではありません。
その上、上述の通りのジェットコースター的な展開で、息を飲みあれよあれよという内に、次々と状況が進展して行ってしまい、それも次々と現在の場面の斜め上に移行するような感じなのです。当初の誘拐劇に至るまでに相応に長い尺が当てられています。女性社長の如何にもビジネスライクなカリスマの姿が描かれつつ、並行して山沿いの古ぼけた一軒家に棲みついて養蜂を細々としている男性二人の姿が描かれていきます。
後者の二人はその上下関係も緻密に描かれ始め、一方がカチンコチンに信じている陰謀論を大分おつむが弱そうな肥満気味のもう一方に常に一方的に語ると言った構図です。これだけなら、よくある悪党二人組の兄貴分・弟分という感じですが、彼らが企図しているのは地球を救うための行動で、地球を我が物にし人類を服従させようとしているエイリアンのトップと交渉し、地球から手を引かせる行為でした。そのために彼らが見つけたエイリアンを誘拐し、交渉の場まで自分達を連れて行かせようとしているのです。
因みに彼らが劇中で見つけたエイリアンの女性社長は、農薬系の化学会社でその製品によって誘拐犯兄貴分の母は植物人間状態になっています。ですから女性社長はまだ子供時代の誘拐犯兄貴分に会社としての今後の保証のありかたなどを説明していて面識があったのですが、そこから時間経過が長く、女性社長は家の中の服に縫い付けてあったネームタグで問題の母の名前を見るまで、誘拐犯兄貴分があの時の少年であることに気づいていません。
(逆に言うと、劇中の現在の段階で、下手をすると、女性社長よりも年上に見える誘拐犯兄貴分ですので、劇中でも言われている通り、女性社長のアンチエイジングはとんでもない効果を生んでいることになります。)
ネタバレ上等のこのブログですので、全く遠慮なく書くと、最初は、恰も誘拐された普通のプライド高い経営者のように、あの手この手の交渉術で、陰謀論カチンコチンで「お前はエイリアンだ」という姿勢を全く崩さない誘拐犯兄貴分への働きかけを諦めない女性社長ですが、いきなり、この陰謀論者の考えていたことがほぼそのまま真実であることが発覚します。おまけに、この女性社長はエイリアンの中の意思決定者、皇帝であるのですが、その事実を誘拐犯兄貴分は彼女を電気椅子で拷問した結果のデータから発見しています。誘拐犯兄貴分のエイリアンの状況把握には恐ろしいものがあります。
それもそのはず、誘拐犯弟分が自殺し、誘拐犯兄貴分を嘘で騙して出掛けさせ(そして、母を救えると嘘をついて母の救済のために病室に活かせますが、実際には車の不凍液を母に点滴させて殺害させるのですが…)、その間に地下室のあちこちを見て回ります。その中の一室には、誘拐犯兄貴分が過去に殺戮してきた人体のパーツがホルマリン瓶詰で並び、各種の実験データや状況記録が見つかります。次々とエイリアンと考えられる人物を誘拐しては拷問してきたようで、後に女性社長との会話で誘拐犯兄貴分は、その中でエイリアンは2人いたと答えています。
誘拐犯兄貴分のエイリアン理解の度合いは素晴らしく、エイリアンが頭髪で通信をしていることも知っており、女性社長を誘拐した後すぐに誘拐犯弟分に髪をバリカンですべて刈り落とすように指示して、エマ・ストーンはその後ほぼずっと丸坊主姿になります。エイリアン側の意思決定構造も把握しており、先述のように電気椅子拷問で女性社長が高貴なエイリアンであるとすぐさま見破っています。さらに、自分と弟分に化学物質の注射をして一時的に去勢をし、エイリアンのハニートラップさえ無効化しようとしたりするのです。劇中序盤までの彼の言動は、イタイ陰謀論者そのままで、やたらに痩せこけて、髪はぼさぼさで、爪が伸びていて、かなり頻繁に感情を爆発させと…、スティーブン・キングの描く米国の田舎に本当によく居そうなタイプのヤバい奴です。
女性社長の終盤の説明によると、恐竜時代ぐらいからこのエイリアンたちは地球を監視していたようで、恐竜が絶滅したのを見て、自分達に似せて猿から人類を作ったということのようでした。アトランティスだったかどこだったか忘れましたが、そうした文明で今どころではないぐらいに進んだ文明を持つ人類から彼らは神と崇められていたとのことですが、人類の方が驕り、核戦争を始め地球滅亡の大洪水に襲われ、辛うじて生き残った一部が現在の人類になったというような話でした。そのような歴史の中で人類を監視し、存在に値するものになるか否かを評価してきたのがこのエイリアンだったのです。
そして、今回の誘拐劇以前からの人類全体の所業を見て、女性社長のエイリアン皇帝は新月の際に催される宇宙船母艦での意思決定会議に、転送されて参加し、人類の抹消を決定します。実際にそうであるということなのかどうか分かりませんが、地球は平板であるかのように描かれていて、その平板で円形の地球を模した装置が宇宙船母艦(と言っても、内装は全く未来的でもなければメタリックでもなく、どちらかと言えば巨大生物の体内であるかのような有機的な壁のある洞窟のような空間が母艦の内部です。)の中に設置されています。皇帝はその地球に風船のように被さった(細胞でできているような微妙に生体臭い)被膜を長い針のようなもので一刺しで破ります。そうすると、地球上のすべての人類が一瞬にして苦しんだ様子もなく、そのまま死んでしまうのでした。
最初の暑苦しい米国の田舎町の日常から想像もつかないようなとんでもないエンディングです。そして、この全人類死滅の状況がかなり長い尺を使って、海辺の行楽中に死んだ人々やら病院の手術室で手術中に死んだ医師と患者などや、ありとあらゆるシチュエーションで描き続けられます。なぜかこの時には穏やかで微かなBGMに変わっていたように記憶しますが、静けさの中の夥しい死が延々と描かれるのです。人間以外の生物に影響はないらしく、犬が死体の持つ食べ物をあさっていたりする姿も描かれています。
測った訳でもありませんが、全体の最初からの3割ぐらいまで過ぎて漸く誘拐が実行され、その後4割以上を使って誘拐後の尋問劇や、揺らがぬ兄貴分と段々と疑心暗鬼になってくる弟分の様子などが描かれます。そして、高貴な身分のエイリアンだと分かると、兄貴分は地下室の幽閉状態から(拘束はされているものの)1階の日常空間に彼女を招き、食事などを高貴な身分の虜囚相手に振る舞ったりします。そしてラスト2割弱ぐらいで一気に現実が姿を現し、信じられない全人類滅亡のエンディングに辿り着くのです。
特にその冒頭3割で描かれる米国の格差社会の様子はなかなかです。自宅にジム施設もあり、ボクシングらしき種目のトレーナーも居て、ヨガなども含めそうしたトレーニングで体を鍛え、広く明るい建設物のオフィスでCEOとしてテキパキと仕事をする女性社長と、山間の一軒家で薄汚れた生活を送る二人の対比は、格差社会をどこまで描こうとしたか分かりませんが、効果的にその目的を果たしています。
陰謀論者に誘拐された女性社長が登場人物で、それがエイリアン話であるということ。そして、あちこちに書かれた「荒唐無稽な誘拐劇は予想外の方向へと転じていく。」といった解説文章で大まかな展開は想像に難くはありませんが、仮に本当にエイリアンだったら、結末はどうなるのだろうと疑問に持つのが普通です。そしてレビューの中の一部のネタバレ投稿を読んで、何と人類滅亡がエンディングだと分かって、私はこの作品を観に行くことが最終的に決断できたように思えます。
実はやや似ているシチュエーションの映画を観て、私は強く憤慨したことがあります。2009年に劇場で観た『ノウイング』です。その感想の中心部分を抜粋します。
[以下抜粋↓]
この映画の予告では、学校のタイム・カプセルから出てきた数字の羅列を書いた紙を受け取った現代の小学生が、ニコラス・ケイジ演じるMIT教授の父親に見せて、その数列の謎解きに入っていくストーリーを想定させる形になっています。数列は、ここ数十年の大災害の年月日と緯度経度、そしてその災害の死亡者数と判明します。
ここまでは、分るのですが、予告では、その災害予言が当たることを示すような災害の場面がなかなかのSFXの見せ場と共に提示されて、ディープ・インパクトのようなレベルの大災害が迫ることが予見されるような映像が展開され、ニコラス・ケイジが息子を守るために災害を防ぐ努力をするという風に読み取れます。
しかし、実際には、多分、観客動員をあげるために、一つこの映画の大きな要素を省いていることが、映画を見て分りました。それは、この災害予言がどのようにできたかと言うことです。そして、予告には現れないこの説明に、映画はかなりの時間を割いています。
あまり、ネタバレに踏み込みたくはないのですが、この映画は、ストーリーの構図で見ると、かなり『地球が静止する日』や『地球の静止する日』と似ていて、予言の発信者である地球外生命体の存在が映画の早い段階から提示されるのです。あとは、ニコラス・ケイジの奮闘がどの程度、実を結び、この高度な文明を持ち、空中に舞い上がるときには、光の羽のようなものさえ見える宇宙人達がどのように、それに絡んでくるのかだけの謎解きでしかなくなります。
そして、映画を見ながらそこまで読み込むと、もう一つの謎解きをしなくてはならなくなります。それは、宇宙人が警告を与える人々は、何かの条件によって選択されているのかと言うことです。これにも、一応の答えが提示されます。そして、数十年前からこの選択条件に合致している人は存在し続け、その人々の間では、状況設定そのものを聖書になぞらえて理解されている様子で、新興宗教の宣伝映画だったら、全くさもありなんと言う展開で映画は終わるのです。
[以上抜粋↑]
まだネタバレ上等の覚悟が決まっていなかった頃の記事なので結末は書かれていませんが、この『ノウイング』では、宇宙人が一部の可能性ある人物を選抜して安全圏に連れて行き、地球に置き去りにされた人々は太陽フレアか何かの異常な熱波で焼き尽くされ一瞬にして全滅亡するのでした。この『ノウイング』のケースで、私が一番憤慨したのは、文中にもある通り、『ディープ・インパクト』のような大災害映画のような見せ方が延々とトレーラーで続き、全く物語の本質が描かれないことでした。
今回の『ブゴニア』は、レビューのネタバレ情報の助けも得て、そのような誤解なく鑑賞を決めることができましたし、寧ろ、平板な地球はどんなふうに描かれ、人類はどのように全滅するのかという関心が掻き立てられました。『ノウイング』のような激しい肩透かし感がないだけではなく、寧ろ、どんな描かれ方をするのだろうと、期待を高められたのでした。
そしてその期待は、カルト映画テイストてんこ盛りで良い方向に裏切られたと思えます。面白い映画でした。パンフもなく(実際には娘が買って来たものにペラペラと目を通していますが、この記事を書いている現在手元にないという意味です。)、タイトルの『ブゴニア』がどんな意味かは正確に理解できていませんが、レビューの中に「『bugonia』 とは、牛の屍から生まれたミツバチが世界を再生する、というギリシャ・ローマの言い伝えだそうだ。」との記述があり、娘もそのように言っていたので、パンフにそのような解説がなされているのかもしれません。私の知人が「熱帯の植物の名前のようだ」と言っていましたが、私もそのような連想が直ちに為されて、どうも映画のイメージとうまくつながりません。
オープニング直後の養蜂業の日常の場面で、ミツバチが人類の食生活を支える大きな要素であることがモノローグで入っています。オープニングの映像も兄貴分と弟分(実際には従兄弟同士ですが)が蜂を育てる作業をしていて、エンディングでは全人類が瞬時にして滅亡しても、蜂が忙しなく動き回り受粉するさまが描かれています。これがタイトルからの暗示ということなのかと思いますが、ちょっと捻りが利き過ぎで、ギリシャ・ローマの言い伝えも身近ではなく「ああ、なるほど。まさに!」と膝を叩けるようなものではありません。
しかしながら、上に書いたようにやたらに印象に残る作品で、さらに細かく言うと、丸刈りになったエマ・ストーンが目を向いて、自身の命を懸けたディベートに臨んでくる姿などは、まさに人間離れしていて、言っていることは至極人間のエリート臭くても、エイリアンでも仕方ないよねと(既に鑑賞前にネタを知っているからでもありますが)思えてきます。そして、いつになったら、(いつか明かすことが分かっている)正体を明かすのかと、その期待が否応にも膨らみます。
また、AI(copilot)さんに聞くと、米国では(時々ネットニュースにフィードされているネタですが)米国では天動説を本当に信じている人が4人に1人はいると言われていますし、地球平板説についても…
[以下引用↓]
1. YouGov(2018年・8215人調査)
ミレニアル世代(18~24歳)
9%:地球は平らだと「ずっと思っている」
16%:地球の形がわからない
9%:丸いと思うが懐疑的
→ 若年層では 約3割が地球の形に確信を持っていない
全体的な傾向
年齢が上がるほど「地球は丸い」と答える割合が増える
高所得層ほど科学的理解が高い傾向
2. 全体としての推定値
複数の世論調査を総合すると:
米国全体で地球平面説を信じる人:2~3%前後
若年層では最大 9% に達する調査もある
これは「陰謀論コミュニティ」の広がりや、SNSでの情報拡散が影響していると考えられています。
[以上引用↑]
とご丁寧に説明される状況ですが、この映画では結局その陰謀論者の認識が正しいものとして描かれ、その結末に人類は瞬時に滅亡するのでした。なかなか考えさせられます。奇妙なカルト作品ではありますが、怪作にして快作だと思います。DVDは買いです。
追記:
この映画は映画館の壁一杯に貼られた関連情報に拠れば、韓国のB級SF作品とされています。レビューにはこの作品を観てから本作を観たという猛者もいるようですが、B級の低予算映画というような印象を抱いたようです。そのような元ネタから、このような怪作(/快作)が生み出された際に、何が変わったことが大きな要素なのか、多少は関心が湧きます。(ちなみに元ネタでは拉致されるのは女性ではないようです。)
追記2:
宇宙船母艦の中では、アンドロメダ星人であるらしきエイリアンたちは独特な格好をしています。雰囲気で言うと、『キングダム』の橋本環奈のようなミノムシ・スーツです。丸刈りの皇帝エマ・ストーンが北国の田舎の子供が被っているようなニット帽のようなものを被りミノムシのような格好で皇帝を演じているのも、かなり珍しい情景に思えました。そのように見ると、余計のこと、本作でプロデューサーも兼任するエマ・ストーンの怪演ぶりが際立ちます。(怪演と言えば、誘拐犯兄貴分を演じたジェシー・プレモンスも間違いなく怪演だと思いますが、私は彼の以前の作品を観たことがなく、この作品のみでは評価が固まらないような風に感じています。)
私はエマ・ストーンも『アメージング・スパイダーマン』で観ていてもあまり印象に残っておらず、殆どノーマーク状態でしたが、今後私の印象の中では本作がエマ・ストーンの代表作として相応に長く記憶されるのではないかと思っています。