『見知らぬ人の痛み』

 映画.comの月別の作品一覧のサムネイルの端に「インターネット上の不適切なコンテンツを監視するコンテンツモデレーターを題材に撮り上げた短編映画。」とあったのを見て、(一応意味も分かり、その存在は十分知っているものの)過去に映画作品中で観たことがない職業に関心が湧き作品の紹介文を読んでみて、なんと私が無条件に観たいと感じる女優の一人、佐々木心音が出演している作品と知りました。彼女は脇役の様なので、その出演場面の多いことを期待しつつ、作品の概要を読み込んで、たった27分の作品と知りました。クリック前にも「短編映画」と認識はしていましたが、凄まじい短さです。脇役佐々木心音の作品中の重みはかなり期待薄に感じられましたが、あまりDVDも出なさそうに感じられる作品なので劇場で観なくてはと劇場鑑賞作品リストに加えていたのでした。

 4月19日の封切から約2週間。水曜日の夜6時45分からの回を観て来ました。靖国通り沿いの地下にある単館です。この映画館を訪れたのは多分昨年の7月に観た『探偵マリコの生涯で一番悲惨な日』以来ではないかと思われます。

 尺が極端に短いだけではなく上映館数・上映回数もやたらに限られています。上映館は私が観に行った時点で全国でたった2ヶ所。東京と大阪に各1ヶ所という状態です。大阪の心斎橋の方は確認していませんが、東京のこの映画館では1日1回しか上映していません。おまけに翌日の木曜日には既に上映が終了してしまいました。(東京では5月中旬から下北沢で上映されるようです。)

 少々ハズレ作品の予感を持ちながらも、佐々木心音見たさとコンテンツ・モデレータの職場環境を画像で見てみたく劇場に足を運ぶことにしたのでした。小雨の降る日。劇場に着いてチケットを買い、横のコンセッションを見ると、パンフはありませんでした。売り切れではなく、元々制作されていないとのことでした。若い女性スタッフが大変丁寧な接客全開で、「チラシならあるはずですが…」とわざわざカウンターから出てきて、複数のチラシ・ラックをチェックしてくれましたが、(パンフとは異なり)既にすべてなくなっていました。私のようにパンフ代わりにチラシを観ようという人々が重なった結果と考えると、観客動員は当初それなりにあったのかもしれません。

 シアターに入ると、当初観客は私も含めて8人しかいませんでした。どう見ても10代後半の女性の2人連れと私以外の残りの男性5人はやや高齢に偏っていて40代から70代という感じでした。ガチガチの背広姿の人はいませんでしたが、時間帯故かビジネス系の服装の男性が目立ちました。シアターが暗くなると、なぜこれほど遅れて入って来る人間が多いのか全く理解しかねますが、次々と観客が入場して来ました。

 ザックリ数えて男性は8人ほど、女性は4人ほどで、明るい段階の観客数をまるまる上回る数で驚かされます。加わった人々のうち男性は元々の母集団とあまり変わらない年齢分布だったのに対して、女性の方は20代から40代までばらついていたように見えました。最初からいる10代の2人連れ以外は男女とも全員単独客でした。先述の通り、終映前日で20人の観客というのは、私には結構微妙なラインに感じられます。私の知る限り全く何のプロモーションもなく、(どうやって知って何に関心を持ったのか分かりませんが)これだけの観客を封切2週間後でも動員できるのはマイナーな映画としてはかなり頑張った結果に見えます。コスパ・タイパをやたらに意識する人々が増えていると言われているのが本当なら、27分の映画作品を観たいと思わない方が普通に思えます。

(ただ流石に短い尺で通常の料金と言う訳には行かなかったようで、料金は特別価格1000円とされていました。しかし、これも多くの人々にとって、行ってみて初めて分かる事実だと思いますし、2時間作品が1900円で27分作品が1000円でも、コスパは極めて悪いと言わざるを得ません。)

 観てみると非常に価値ある作品だと思えました。

 映画.comの紹介文にある通り、

「勤務していた中学校で生徒からのいじめに遭い、教員を辞めた倫子は、仕事を探す中で、あるアルバイトに応募する。それは「インターネットの動画サイトにある残酷な動画をひたすら削除し、検閲する」というものだった。ネットに拡散し続ける死や暴力など、恐ろしい内容に最初は戸惑った倫子だが、削除した内容を被害者の名前と共にノートに書きつづることで気持ちを落ち着かせていく。夫の和也にはコールセンターのバイトをしていると嘘をつき、倫子は次第にこの仕事にのめりこんでいくが……。」

というまんまの作品ですが、酷い映像はほぼ全面カットと言う状態で描写されています。倫子が受ける虐めも、最初に黒板一杯に書かれた彼女に向けた罵詈雑言の画面が出てくるだけです。後に問題のノートの1ページに自分が受けた行為を書き綴っている場面があり、その内容を劇中で読むことができます。ネットを中心に誹謗中傷が重なって行き、レイプするだのといった脅迫罪が成立し得るような発言も生徒から受けていることが分かります。ただ具体的なそう言う場面はありません。

 倫子が仕事で見ることになる残酷な画像・動画(静止画も動画も両方とも倫子のチェック・削除対象です。)も画面に登場することはありません。倫子がノートに書いている動画の内容を劇中で読むことができるので、それが特に中東や南米、アフリカなどの地域と思われる民兵組織やテロ集団、武装宗教集団などの蛮行と言った感じの事柄で、鎖につないだ女性に白い布を掛けて多数の男達が取り囲んで次々に石礫を当てて女性を殺害したり、逃げる母娘を銃殺したり、どのような背景か分かりませんが斬首の場面などもあり、倫子の上司の男が初日の業務体験の中で「首ってなかなか切り落とせないもんなんだよねぇ」のようなことをしみじみと言っています。

 倫子には夫がいますが、夫は何某かの会社勤めをしていて、それなりに収入もあります。そしてどうも倫子がどのような理由で教員を辞めたのか明確に認識していないようです。倫子は自分の心のダメージを誰に共有することもなく家に塞ぎ込んでいる中で、コンテンツ・モデレータの仕事を見出し応募して採用されるのでした。(それまでも幾つかのバイトに応募していますが、前職退職の理由を明確に答えられず、面接で落とされたりしています。)

 この物語は人間が自分の心の痛みとどう向き合うかという深淵な、しかし有り触れたテーマを短い尺で極端な描写もなく丹念に描くことに成功しています。心の痛みと向き合うことを描いた作品は、本当に有り触れているほどに存在していて、世の中の虐待だの虐めだのの体験人数の全人口に占める割合よりも、制作される国内映画の中に占める虐待や虐め、激しい差別体験などをテーマにした映画の比率の方が数十倍あるのではないかと思えるほどです。最近でも、鑑賞リストに入れていましたが優先順位の問題で見逃し掛けている『52ヘルツのクジラたち』や『市子』など深刻な作品ばかり選んで出演しているように見える杉咲花のたった半年ほどの封切作品をみても簡単に見つかります。しかし、2時間の尺をもってすれば、それはそれは色々と物語の展開を描けることでしょう。この作品はそれを通常作品のたった4分の1以下の尺で実現しているのです。

 倫子は映画.comの紹介文にある通り、ノートにどんどん自分が削除した人々の記録を書き綴っていきます。体験業務の初日に例の上司から「削除すると永遠にネットの世界から消え去る」と言われた言葉が劇中ではさらっと流されますし、倫子が心の声で反芻するような場面さえ登場しませんが、やたらに重く圧し掛かってきます。それは倫子もその言葉を重く受け止めて、それらの虐げられ命を軽んじられ消え行く人々を看過できず、せめて忘れず記録に留めることで彼らを「供養」しようという倫子の無意識の働きの結果であったろうと思われます。

 例の上司は倫子に、モニタに映っているものは人間じゃないと思わないと心が壊れてしまうと警告します。それは多数の離職が発生する職場で、管理者として適切な助言であるように思えます。しかし、この上司の知る限り初めてのアプローチを倫子は無意識の中で採用し、先述のノート記録が延々と続くことになります。それを発見した上司は倫子の異常性に驚愕・恐怖しますが、その後、今までのスタッフにはいなかったタイプの倫子に関心を抱き、下心と共に飲みに誘ったりします。(短い尺なので、たった一回のお誘いで劇中では終わりますし、この上司が倫子に強く欲情しているような場面も見当たりません。)

 上司から早々に辞めると思われていた倫子は、自分が削除する人々の記録を残す行為をせめてもの弔いとして延々と作業に没頭するようになります。そして、夫もそのノートをとうとう発見し、倫子を詰問しセラピーに連れて行きますが、夫も同席したセラピーは単に現状をヒアリングした程度で終わったようで、夫もセラピーに期待しすぎていたことを反省し、倫子にも謝り、倫子を理解しようと向き合います。

 それまでの間に、前半を残酷な記録が倫子の丁寧で几帳面な文字で書き連ねられたノートの後ろの方の1ページに倫子自身の虐め体験が箇条書きで書き加えられていました。このノートに書けば、残酷な体験そのものが消えてなくなる…というこれまた無意識の期待が倫子の中にあったように窺われます。しかし、そんなことは起きず、佐々木心音演じる同級生の主婦に邂逅しお茶をすることにしたら狭い町の中で、その主婦まで倫子があったいじめの事実を知っていることが判明します。ネットの残酷映像と異なり、クリック一発とノートへの記録によって、事実関係が倫子だけが知るものに転化することはありませんでした。

 さらに倫子に対する虐めを校内で傍観していた女子高生が田舎のファミレスで見かけた倫子に駆け寄ってきて、泣きながら赦しを乞います。しかし、それも倫子にとって単に自分の体験が消せない事実の上塗りでしかなかったことでしょう。

 一旦はノートから破り取った自分の虐め体験の記述を倫子は夫に見せます。そして夫は多分初めて自分の妻のずっと止まったままの時間を理解して倫子を抱き寄せきつく抱擁するのでした。ここで映画はふっと終わります。

 谷崎潤一郎は『文章読本』の中で「含蓄」という概念が創る文章の美しさについて述べています。短い文章で核となる事実関係を伝えつつ、細かな部分を必然的に導かれる読者の想像による補足に委ねることによる美しさです。上司の言う世界中の悲劇に対する「人間と思わないこと」による究極の傍観者的態度、それを第三者が記録・記憶として残すことの意義と本人の救済の無関係性、そして辛うじて共有することによる救済などなど、短い尺の中に配置された要素が無駄なくきちんと支え合って、きっちり誰の発言の中にも示されることもないままの主テーマを構成しています。秀作だと思います。

 主演の大西礼芳(「おおにし・あやか」という難読名です。)の暗く凝固したような表情が、妙に物語にフィットしています。大西礼芳を映画.comは…

「主演は『鯨の骨』『夜明けまでバス停で』『花と雨』など多くの映画作品で活躍する大西礼芳。」

と紹介していますが、私が観たのは劇場鑑賞した『夜明けまでバス停で』だけです。モチーフとなった実際の「幡ヶ谷バス停殺人事件」からあまりに逸脱した物語で私はただただ残念にしか思えなかった作品でした。この中の誰が大西礼芳だったろうと調べてみて、主人公の勤め先の居酒屋の女性店長であったことが分かりました。物語そのものが破綻していて、残念ながらこの店長の行動も終盤に至って破綻というか支離滅裂になってしまったのが残念です。

 私が当初お目当てだった佐々木心音は『クオリア』に続き、ここでも裸体を出すことはなく、全編で2度登場します。先述の通り主人公の同級生の主婦ですが、偶然路上で出会って連絡先を交換し、主人公とファミレスで会うことになります。主人公に対して、自分が以前夫の不倫で心を病んだ時に新興宗教に入ってとても救われたとそのパンフを倫子に広げて一緒に参加しようと勧誘します。

 無論、この佐々木心音の主婦にとって夫の不倫は大きな出来事だったでしょう。しかし、自分が受けた壮絶な虐めと日々見ている残虐且つ理不尽に奪われて行く多くの命の姿を知る倫子にとって、この佐々木心音主婦の話は御飯事でしかありませんでした。倫子は「人間の首ってなかなか切れないって知ってる?」と告げてファミレスを出るのでした。佐々木心音は現在の日本のお気楽な悩みや心の痛みの象徴として描かれているということでしょう。

 よく「少子化は、若者が未来に不安しか感じられず、収入も伸びないなかで、結婚もできず、子供も設けたいと思わないことの結果だ」などと言う言説を目にします。しかし、歴史を数十年遡るだけで、1950年から1960年ぐらいの間に、本当の人類滅亡の危機は何度も発生して、未来などどこにもないような時代が存在しました。高度成長期は既に終焉の兆しが見え始め、日本国内もあさま山荘事件など政治犯によって政治そのものが揺さぶられているような時代でした。それでも子供はたくさん生まれています。阪神淡路大震災や東日本大震災など、その後も近年に至るまで何度も壊滅的な破壊がかなり広域に起こっていますが、それでもそのせいで子供を産むことが控えられたという数字的な根拠はありません。(寧ろ東日本大震災後に結婚を急ぐようになった人々についての報道を見たことがあるぐらいです。)

 随分とお気楽な理由で未来に不安を感じるようになったもの…と説明することができそうです。多分、倫子の心の傷は夫の理解によってジワリと解消していくものではないかと思えます。佐々木心音主婦の心の痛みも「鰯の頭も信心から」よりまだ安易そうな新興宗教で解消してしまうようなものでした。全世界で理不尽に奪われる命の現実を前に、心の痛みなど物の数ではないことを倫子が自ら書き留めたノートの記録が物語っています。

 ギリギリ戦中を知っている年齢の私の人材紹介業界の初クライアントの社長が、嘗て当時の阪神淡路大震災の映像を見て、「心のケアが必要な人々がたくさんいるのか。俺の周りでは空襲で丸焼け黒焦げの死体を通学路で毎日見ていた人間が山ほどいるが、だれも心のケアなんか言わなかったし、必要としていなかったぞ。生きるのに必死だったらケアなんか受けてる余裕さえないだろ」と宣っていました。言い得て妙だと思います。

 他人の心の痛みを知ることは大事だと私も思います。しかし、区別することは社会の中で必然で、それを公平に相対的に見ることができない場面・人々は確実に存在します。それが虐めや虐待、差別につながることでしょう。それを過剰に意識して、ポリコレや逆差別もやたらに発生します。それにどのように対処していき何を理想とするか考えることは非常に大切だと思いますが、世界全体で見るなら、人類はまだまだそんな悠長な悩みを持っている余裕は全くないのだということと、日本の社会が間の抜けているぐらいの平和であることが、痛感させられる作品です。

 佐々木心音の活躍が少なく少々残念ではあるものの、濃縮された物語の強い主張は高く評価されるべきだと思います。何か期待薄には思えますが、DVDが出るなら必ず入手せねばなりません。

追記:
 パンフもなくチラシも入手できませんでしたが、映画館の入口のポスターがチラシのオモテ面と同じ内容なのではないかと想像し、老人用スマホで写真を撮ってきました。『遠い世界の死や暴力に画面を通じて直面する仕事を、彼女は選んだ』というキャッチ、そして『Pain of the Anonymous』という英題を知りました。
 私の理解では日本の一般人が蒙る虐めだの差別だのも劇中で対比上「Pain」に含まれていると思え、それらは倫子や佐々木心音主婦のものですから、「the Anonymous」が適訳ではないように感じられます。私なら「the Strangers」にしたのではないかと思えます。

見知らぬ人の痛み