『だれかの木琴』

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 封切から2週間弱。木曜日の祝日、東京では記録破りの雨天ばかりの9月後半、都内たった2館の上映しかなく、私の行った新宿の明治通り沿いのミニシアターでも、1日3回しか上映されていません。その3回目の回は午後7時5分からです。

 ミニシアター内には、そこそこ観客がいました。大雑把に数えて30人ぐらいだと思います。男女比は半々ぐらいで、男性は40代後半、女性は40代前半ぐらいに中心層があるように思えました。私はいつもの通り、最後列の端の席を取りました。チケット・カウンタで示された図では分かりませんでしたが、私の席の側には通路がなくいきなり壁であったため、「端の席=列のどん詰まりの席」ということでした。

 チケットを買った際には、列の中央ぐらいに数人の先客がいて、間に3席以上空いていたはずですが、トイレに行って戻ってみると、何を考えたのか、私の隣の席を取った女性客がいました。列の中央の数人との間には2席も空いていて、わざわざ私の隣の席を取った理由がよく分かりません。この女性客は、多分、シアター内で最低年齢で、女子高生ぐらいの感じに見えました。幼く見える女子大生かもしれませんが、いずれにせよ、20歳前後に見えました。

 この作品は(観る前からの私の予想通り)性的(あくまでも「的」なですが)描写が頻繁に登場するにもかかわらず、年齢制限がかけられていません。無表情にじっとスクリーン方向を見つめていましたが、「この子、なんでこの映画に興味を持ったのだろうか」と映画が始まって暫くするまで、頭の中に疑問が渦巻きました。

 私がこの映画を観に行きたいと思った理由は幾つかあります。一つは、トレーラーで観て、職業上の理由を見出したことです。私が商品企画にまで関わっているクライアント企業にアダルト・グッズ・メーカーがあり、男性用商品が圧倒的に市場ボリュームを占める中、昨今、新規市場として女性向け商品を開拓しようという業界全体の動きがあります。そのため、女性の性的欲求の在り方を男性目線、ないしは男性からの期待目線に拠らず描写した、何かのコンテンツには相応の関心が湧くのです。

 おかしなことに、男性向け商品市場においては、ヘヴィ・オタクだのライト・オタクだの、幾つものターゲット消費者像が存在するのに比して、女性向け商品群の開発に当たっては、単に「女性」との括りしか想定されないことがほとんどです。それが、市場開拓の最大の障害となっていると私は思っています。男性以上に多種多様な女性の価値観と言う想定で、在り得る像を見出していくことが重要であると思っています。

 そんな中で、特に中年女性の性的関心や性的欲求を追求し尽くす亀山早苗の『愛と快感を追って あきらめない女たち』と言う本には、韓流スターを中高年の女性達が黄色い声を上げて追いかけまわすのも、男性マッサージ師のマッサージや男性美容師の美容院に通うのも、セックスの代償行為であると書かれています。

「それもやはりセックスの代償行為だと思う。男性に触られること自体が重要なのではないだろうか。それがマッサージや美容院なら誰に見られてもかまわないし、自分自身に対しても言い訳が立つ。不倫や浮気などはとてもできないが、無意識のうちに「男性に触られたい」と言う願望があるはずだ。それがいけないというのではなく、それが自然だと私は思う」。

 この核心を衝く文章が頭にこびり付いていたので、男性美容師にストーカー行為を始めてしまう主婦の話には、私を引き付ける強い力がありました。

 そして、二つ目の理由は、一つ目の理由を認識して、最近非常に増えているように感じる、主に女性の性欲や恋愛欲求を赤裸々に描写する作品群に連なるものとして、観てみたいと思ったことです。たとえば、比較的最近観た中でも、十年以上の原作発表からの時を経て映画化された『海を感じる時』や『花芯』などは最たるものです。他にも、『私の男』や『戦争と一人の女』などもこの範疇に入るものと思っています。瀬戸内寂聴の作品なら『夏の終わり』も挙げられます。勿論、いつの時代にも、そのような問題作や話題作はあったのかもしれませんが、私には、どうも、この手の方向性の作品(の映画化)が多いように思えてならないのです。

 三つ目の理由は、やはり常盤貴子です。私が観た映画作品の中では、あまり登場していないのですが、遥か以前に観た『アフタースクール』とDVDで観た『20世紀少年』が印象に残っています。トレーラーで観た常盤貴子は、妙に肩の力が抜けた色気が溢れ出ていました。一つ目の理由と相俟って、観ずにはおけないと確信したポイントです。

 四つ目の理由は、監督です。この監督は昔私の記憶に残る作品をたくさん作っている人物であることをネットの映画紹介欄で知りました。『サード』、『もう頬づえはつかない』、『四季・奈津子』、『マノン』、『ザ・レイプ』など、先日書きだしてみた邦画ベスト50にばっちり入っているものではないものの、「ああ、いい映画だよな」とタイトルを見ただけで思い出せるものが多々あります。2000年代に入ってからは発表作品が減っていますが、最近では『酔いがさめたら、うちに帰ろう。』も名作だと思います。自分の心の奥にあるものに忠実であろうとして、周囲に溶け込むことができなくなった人々のやるせない姿がどの作品にも描かれているように思います。

 観てみてとても練り込んで作られた作品だと思いました。常盤貴子演じる専業主婦は、新居に越してきます。場所は、パンフレットに拠れば流山市です。私も、仕事で流山市界隈を何度も訪ねたことがあるので、見覚えがあるような景色が続出します。そこで、常盤貴子は、偶然或る美容院に行くのですが、その(劇中の本人もそのように言っていますが、私にも、あまりイケメンには見えないものの、一応)イケメン美容師とのコミュニケーションが気に入り、彼から「ご来店御礼」のメールが届いたのをきっかけに、それに返信をどんどんするようになっていきます。

 常盤貴子が、この界隈のおいしい飲食店を尋ねると、彼は自宅至近のバーを答えるのでした。おまけに、「酔い潰れても這ってでも帰れるほど近い、徒歩一分のメゾネットタイプの住宅」などと自分の家について口走ってしまい、常盤貴子が訪ねてくるようになってしまうのです。

 こうして書くと、劇中でも美容師の半同棲中のようなカノジョが詰っている通り、常盤貴子がストーカーのように見えます。現実に、定義として考えればストーキングの行為になっていると言えます。しかし、新たな生活の場所の家の中にポツンといる専業主婦の新たな人脈作りの一過程と見做すこともできるように私には見えます。

 営業メールから2往復目のメールで、美容師が自分の自慢の鋏の写真を送ると、常盤貴子は、新居にその日届いて、予想外の大きさに驚いたベッドの搬入後の様子を写真にして送ります。その写真を見て、美容師は「なぜ、ベッドの写真?」と訝りますが、カノジョは「誘ってんだよ」と、即、浮気の可能性を疑います。

 常盤貴子の夫は、住宅用のセキュリティシステムを販売する会社の中間管理職です。既に中学生の娘を一人設けているのに、いまだに常盤貴子と家に上がり込んできたセールスマンと言った変態じみたプレイを真昼間からするほどに、端的に見て仲が良い夫婦です。セックスレスではなく、寧ろ、子供に振り回されることなく、自分たちの生活スタイルを守っている、欧米の夫婦のようにさえ感じられます。

 夫は、飲み屋街で行きずりの女に誘われてセックスをしたりしますし、職場の部下の女性を何気に食事に誘ってみたりして(「誰かも一緒に連れて行っていいですか」とあしらわれていますが)でき過ぎているほどに、爽快な人物です。仕事もそこそこできるようですので、現実感の増した島耕作のようにさえ見えないではありません。

 それに対して、常盤貴子の方は、或る面、不思議ちゃんのまま、主に美容師の側の目線で描かれていきます。『愛と快感を追って あきらめない女たち』にもある通り、二週間に一回の頻度の美容院通いは、セックスの代償行為です。彼女は例の大きなベッドに昼間一人寝転んで、洗髪の際のように髪を撫でられている自分を想像します。それと同時に、想像の中で、別の手が彼女の胸をセーターの上からなぞるのです。カメラは現実世界の常盤貴子の寝込んだ姿を上から撮りますが、彼女は膝を抱えるように横臥に移るのでした。明確ではありませんが自慰だと思われます。

 では、このような妄想をして、どんどん美容師に迫って行き、不倫にのめり込んでいくのかと言うとそうではありません。ただ、彼をよりよく知り親しくなりたいという枠の中に行動が収まっています。彼とのセックスの欲求を無理矢理に抑え込んでいるような様子もありません。大体にして、美容院に行って、美容師が髪を触り始めると、彼女の妄想の中では、夫が髪を弄っていることになっています。その点で、彼女が追求しているのは、夫以外の男性との恋愛ではありません。

 ただ、美容師に全く恋愛感情を抱いていないかと言えば、そうでもありません。嫉妬に狂って彼女の自宅に押しかけてきて、彼女をストーカー呼ばわりし、彼女の夫にも娘にも事態を暴露してしまった美容師のカノジョには、それ以前の段階から、カノジョが働く原宿のロリ系ファッション店に突如現れて、5万円の服を試着もせずに買うなどして、あからさまな鞘当て的な行為をしています。

 この常盤貴子演じる女性について、ストーカーなのか否か、そして、不倫願望があるか否か、などがパンフでも映画評でも論じられています。私は、両方ともに否定的です。

 常盤貴子が男性で、気になる若い女性に対してこのようなことをしていると置換してみたら、彼女の行動は結構納得いくものであるように思います。そして、男性で社会的な立場もあり、妻との関係にも満足していて、セックスも重ねていると言う状態なら、特に対象の若い女の子に肉体関係を求める訳でもなく、会話したり、食事したり、何かプレゼントしたりすること自体が嬉しくて楽しいと言うことは有り得ます。当然、その若い子を妄想しつつ自慰することがあっても不思議ではありません。近くなら、家を見に行くこともあり得ると思います。

 そのように考えてみると、常盤貴子が何かポーっと熱に浮かされたような感じのまま、美容師を知ろうとし、美容師に自分を知らせようとし、美容師に触られようとする行為の過程を描いた物語として、すんなり理解できそうです。この物語が、異常性の範疇に踏み込みそうになってしまっている理由は、偏に美容師のプロとしてのできの悪さに拠っているように見えます。

 明らかに自分に好意を感じているお客、つまり、自分のファンに向かって、普通は自分の行き付けの飲み屋を教えたりはしませんし、まして、そこから自分の家がすぐ近くだとか、家のタイプまで探してくれと言わんばかりに告げるなど、脇が甘すぎます。(劇中で、本人も後悔しています。)さらに、このようなファンづくりは、この手の商売において、或る種必然であるにもかかわらず、自分のカノジョにそれを理解させられない体たらくも、馬鹿げています。

 その上、トチ狂ったカノジョが常盤貴子の家に押しかけるのにはただついて来て、場を仕切るでもなく、ただ同伴者のような素振りをしています。さすがに、カノジョが常盤貴子の夫に向かって、「お前ん所のクソババアは、ストーカーなんだよ!」とか叫び始めると、無理矢理にカノジョを家から引きずり出し、そのまま去って行きます。

 例の島耕作もどきの夫の方が、凛としていて、ただ叫びまくる美容師カノジョに向かって、「ウチの妻は、そんなことは決してしない」、「君は誰なんだ。まず名乗り給え」などと、沈着で社会人の鑑のような対応をしています。それに対して、一応イケメン美容師の態度たるや、客商売をする自分の立場が全く分かっていない、くだらないものです。最近まで『週刊モーニング』に連載していた『銀座からまる百貨店お客様相談室』でも全巻買って読んでほしいものです。

 パンフや公式サイトでは、数々の有名人がこの作品の感想を述べています。永作博美は、「女は狂うモノだと言っていた。確かに女は危険だ。私もそう、時々危険だ。どうにかまともに過ごしていきたいものだ…」と述べています。けれども、少なくとも、この映画の常盤貴子は不思議ちゃん主婦のまま愛くるしい範囲に収まっていて、「危険」と言うほど危険ではありません。

 最初の狂い始めた歯車として象徴的に言われるベッドの写真でさえ、少なくとも、相手にそんな勘繰りを与える可能性など配慮することもなく、単純に自分の日常のビッグイベントを送っただけのことのように見えます。多分、届いたものがベッドではなくて、大型の乾燥機付き洗濯機でも、同様の結果になっていたのではないかと思えます。

 美容師の家のドアホンを押してしまい、挨拶に来たのも、まさに顔を見たくて来たのであって、「じゃあ、どうぞ、中に…」とおずおずと招き入れる美容師に対して、完全にキョドってしまっている常盤貴子の様子には、計算づくで演技しつつ、あわよくば肉体関係を作ろうと言うような算段は見てとれません。(現実は、例の猜疑心旺盛のカノジョが居て、お茶を一杯ごちそうになってただ帰っているだけです。もし、美容師一人しかいない状況で、仮に美容師が迫っても、セックスに至るようなことはなかったであろうと思われます。)

 なので、ストーカーに変貌するような執念も、不倫さえ問わない居ても立っても居られない欲情も、この映画には存在しません。敢えて言うなら、亀山早苗の言う「もっと男に触られたい」と言う女性が秘めている大きな塊としての承認欲求なのだろうと思います。この作品は周到に、そのポイントを抉り出して見せてくれています。劇中の話の進行には直接関係のない、付近で起きている連続放火事件のエピソードがそれです。

 派遣切りにあったと言う在りがちな想定のこの犯人は、例の美容師の店に現れ、明らかに拗らせたコミュ障を全開にして、「女性の美容師にきっちり3センチ切ってほしい」と要求しています。店に唯一の女性美容師が対応します。後に、美容院の休憩室のテレビで、犯人逮捕の報を見て、女性美容師は「私、連続放火魔の髪切ったのか〜」と言い、「結局、女性に触られたかったんだな。触ってくれる女性もいないのか。寂しいヤツ」などと、吐き捨てるように言っています。

 劇中のメインストリームと全く関係のないこのエピソードがわざわざ挿入されているのは、この象徴的な一言を劇の流れの中に埋め込んでおくためでしょう。原理的には、連続放火魔と常盤貴子の求めているものは同じ構造ですが、女性のものの方が、男性の場合よりも、セックスに向かう関係性の欲求よりも、承認される自分を確認する欲求に偏っているようには思えます。

 ちなみに、この女性美容師はどこかで見たことがあると思ってパンフで確認したら、どうも『ヒメアノ〜ル』で連続殺人鬼に脅されていて、殺害を企てるものの返り討ちにされるカップルの女性の方であったようです。

 いずれにせよ、凄い映画です。「ひと気のない空き家の二階の開いた窓から聞こえてくる、子供のへたくそな木琴の音」が、空虚な気持ちが広がる中、何かに駆られてもどかしい女性の気持ちの喩えであると言うのも、とても示唆的です。それに加えて、ぽやんと眠い顔と抑揚の少ない声が、やたらに妖しい常盤貴子を手元に置くためにもDVDは買いです。

追記:
 美容師の半同棲中のカノジョは、名優佐津川愛美が演じています。これまた『ヒメアノ〜ル』以来ですが、今回はそれほど個性が光る役どころではなく、少々、残念です。役どころの重要性で見ると、『nude』よりも少々上ぐらいの感じです。