『東京闇虫パンドラ』

 4月初旬の封切から実質一週間しか経っていないのに、来週末には上映終了となる上に、全国でたった二館、都内ではたった一館でしか上映しておらず、おまけに一日に一回しか上映していないと言う悪条件です。

 その都内唯一の上映館、新宿の明治通り沿いの映画館に雨の金曜日の夜に足を運びました。夜7時過ぎからスタートする上映には、私も含めて6人ほどしか観客がいませんでした。全員、年齢的にもばらつきが少なそうな40代以上の男性に見えました。一般論で考えると、この映画の魅力は主演の篠崎愛と言うグラビアアイドルなのだと思いますが、彼女のファンのメインの層がとてもこのような年代の男性であるとは思えません。彼らが何を動機としてこの映画を見に来たのかが非常に不思議です。

 篠崎愛が何者なのか全く分からず、映画もシリーズ化されている人気作だと言うことをほぼ知らなかった私が、この映画を観ることにしたのは、観に行きたい映画がここ数カ月少なく、毎月二本は映画館に映画を観に行くと言う自分のノルマを守りにくくなっているためということが第一です。敷居値を下げ、普段観に行かない映画でも行ってみるかと思った中で、この映画を選んだのは、タイトルに“東京”を冠しているからです。

『東京公園』や『東京難民』など、基本的に“東京”を冠したタイトルで、関心が湧かない内容ではなく、他に観るものが無い…と条件が揃えば、観てしまっている事例が幾つかあります。DVDも入れれば『東京日和』などもう少々増えます。

 この映画は「援交デリヘル嬢が闇社会へと落ちてゆく姿を描く…」などと映画紹介サイトなどで書かれていますが、実際にはそれほど闇に落ちていません。

 少女たちが援交デリヘルをすると、ロクでもない客とのトラブルが相次ぐのでケツ持ちのヤクザと組むことにしたら、集られるようになったと言う構図です。まさに、最近、『闇金ウシジマくん』や『ギャングース』などのコミックで表立って描かれるようになった世界観をそのまま踏襲しています。踏襲はしているのですが、基本的に二度と戻ってこられないような状態になったのは、たった一時間半程度の短い話の終盤に急速に立場が悪くなり自滅したケツ持ちのヤクザ本人だけです。敢えて言うと、あとは援交デリヘルで支払を踏み倒してヤクザに追い込まれた学校教師ぐらいでしょうか。

 ケツ持ちヤクザの鯖田に吹っ掛けられた1000万円の足抜け保証金をカラダで支払うと主人公の篠崎愛が言うと、鯖田はビデオに出てもらうと言い出します。AVメーカーもクライアントに居た私が、「何本分の撮影契約だよ?」と思っていたら、早速私の疑問を吹っ飛ばしてくれて、そのDVDはスナッフモノだと明かされます。

 そのスナッフモノの撮影もメスで腿に一筋切れ目を入れた所で中止され、どんでん返しとなるので、全然「闇社会に落ちて行く」感じはありません。Vシネのヤクザ系の人々のように、部屋で二人きりになった女性には、ほぼ100%「まずは、味見しておくか…」的な展開をするのかと思いきや、皆随分紳士的です。篠崎愛以外の援交デリヘルの少女三人を演じる女の子たちはどのような立場なのか、パンフも売られていない作品なので分かりませんが、彼女らにもセクシーさが打ち出されるような場面がほとんどありません。その意味で、この「闇社会に落ちて行く」感じはずいぶんすっきりした感じです。

 この作品は寧ろ、「汚れているとされている若い女性が、その手の社会とは全く縁のないパンピー男性の純情に触れても、それを信じることができず、紆余曲折を経た上で、ついに結ばれても、その幸せを自分のものと確信できず、純情パンピーのもとを去る…」と言う典型的なストーリーの純愛モノとして観たら秀逸です。僅かながら泣かせるような場面もあります。ヤクザこそ出てこないものの、私が好きな『恋人たちの時刻』もそうですし、時代劇などでも遊女の恋物語などによく登場するパターンです。

 グラビアアイドルと言う篠崎愛の演技も(典型的なアイドル映画のそれのような)“学芸会の棒読み”と言ったほどひどいものではありません。ウィキによれば舞台作品にも出ている様子です。その演技レベルがあるので、純愛モノとして観ると、ギリギリ成立しているように思えるのです。ギリギリという理由は、やはり、少々現実離れしているパーツが多いことでしょう。

 まず、篠崎愛に転がりこまれて以来、彼女を住まわせ、彼女を好きになって、総てを賭して彼女に足を洗わせようとする学校教師がいますが、この男は、ヤクザから足抜けの金の肩代わりを要求されると、「分かりました!僕が返します!」とあっさり回答して金策に走るようになります。

 今時、どこの公共施設にも、ヤクザと下手に取引するだけで自分も犯罪者と言うようなポスターが貼られている中で、この対応は明かに変です。さらに、「自分で話をつける」と一人出て行った篠崎愛の足取りを探し回る場面では、この教師は、舞台となっている池袋の街を走り回り、ヤクザらしき人々や裏風俗系の女性などに手当たり次第に情報を求めて回るのです。パニクっていたということを差し引いても、こんな方法で、鯖田の上役に辿り着くことにも疑問が湧きます。

 さらに、描かれていませんが、特に何らの因縁をつけられる訳でもなく、単純に上役に事情を話して、ヤクザ組織を味方につけ、鯖田を破門に追い込む手はずを取るなど、先述のようなオタオタぶりの中からは到底考えにくいのです。ついでに言うと、街中のマンションの一室でチンピラレベルを超えていない鯖田の采配で、凄惨なスナッフ映像の撮影を行なうことも、その尤度に(私がそういうこととは縁遠いだけかもしれませんが)疑問が湧きます。

(『闇金ウシジマくん』には、覆面の富裕層による高層マンションの一室での残酷ゲームのような場面があるので、実は、この手のことはそれなりにはあるのかもしれません。『悪の法則』や『ボーダータウン…』、『皆殺しのバラッド』などの作品で描かれるように無法地帯でスナッフ作品がよく作られるのは、私でもイメージが湧きます。)

 既に昨年一気に公開された前作『東京闇虫』の?と?の二作とは異なり、本作は、女性が主人公で、その上、(画像によっては目じりがちょっと上がっていることもありますが)私の好きなタヌキ顔のアイドルが主演する、バイオレンス・テイストの純愛物語として観たので、それなりに楽しめました。けれども、DVDで見直すほどのインパクトも独自性も見当たらない作品だったので、DVDは不要です。