封切から約一週間ほど。バルト9の10時半過ぎからの回で観て来ました。三連休の初日。それでも、そのマイナーさと時間帯からか、それほどの入りではなく、老若男女合わせて20名ほどでした。どちらかと言えば比較的高齢の男性が多かったように思いますが、かなりばらけた客層です。
映画サイトで検索すると、『アンダー・ザ・スキン』と言うタイトルの映画は1999年ものでも存在するようで、この少々わざとらしい「種の捕食」の部分が付け加えられたのであろうと思われます。この前は、『LUCY ルーシー』で脳の能力を100%全開にした人類史上初の存在を演じたスカヨハが、今度は異星人になって、男性を食いまくる…と言った話だったので、これは見に行かねばと、思い立ちました。
告知らしい告知もされていず、上映館もほとんどなく、寂しい限りの公開です。「種の捕食」とあり、映画紹介によれば、被害者は男性ばかりという話なので、これはもう、『スピーシーズ 種の起源』とその続編群を連想させます。『スペースバンパイア』と言うのもありました。最近ですと、邦画の『女の穴』です。いずれにせよ、異星人や場合によってはヴァンパイアなどが、地球人の男性の精子だの精気だのを得ることを目的に男性とセックスをしまくる、ないしはレイプするといったネタのストーリーは、オリジナルSFとそのパクリモノやパロディAVなどで枚挙に暇がありません。
観てみると、特撮もほとんどない、今どきあまり観ない作風のSFと言うべきだと思います。敢えて自分の記憶の中から似ているSFを探すと、『ソラリス』とか、美しいイザベル・アジャーニの異形の生物とのセックス・シーンが話題だった『ポゼッション』などでしょうか。
いずれにせよ、まず今どきの特撮めいたシーンがほとんど出て来ません。会話も非常に少なく、明示的な何かの情報と考えられるものもないので、説明的な設定情報が全くなく、スカヨハも只の無口な変人女に見えます。
舞台はスコットランドのようですが、映像は昼間でも曇天や激しい雨天ばかりで、あとは夜間の明度が極端に不足した画面が続きます。おまけに効果音も昔の特撮映画やサスペンス映画さながらの、「う?ん、う?ん」というような、重機械か何かの唸りのような音に、時折ストリングス系の金切音が混じったような感じが、まるで催眠でもかけようとしているかのように、だらだらと単調に続きます。
で、『スピ―シーズ…』のように、スカヨハはセックスしまくるのかと思えば、全然しません。単に男を引掛けては、自宅に連れ込み、セックスをするような感じで服を脱ぎ始めるのですが、そこが、何か真っ暗闇の空間になっていて、服を脱ぎながら歩き去るスカヨハを追いかけて男が脱衣していくと、歩むうちに男だけ床が液面になっているかの如く、徐々に沈んでいくのです。不思議なことに、男は沈降に抗っている風がありません。ただ、スカヨハを追いかけて、沈んでいくのです。数人この罠に引っかかりますが、思い留まったり、叫び出したりする者はいません。これは映像通りのことが起きているのではなく、何か男が精神的に操作されて逃れられなくなっていくことの象徴的なイメージと言うことと理解すべきです。
大体にして、このように捕獲された(?)男たちが何の目的に使われるのかもよく分りません。沈んだ後、皮だけのように吸い取られ、その後、何か溶鉱炉のような暗いイメージが出るシーンがありますので、多分、中身だけ、何かに加工されると言うことを言っているのだと思われます。
しかし、それが例えば『ソイレント・グリーン』のように食品になるのか、何かのエネルギー源になるのかは、全く説明が為されません。スカヨハの男捕獲のペースは非常に緩慢なので、何か非常に切迫したニーズと言うことではなさそうです。何等の説明もないので分かりませんが、何らかの特徴を持った男が良いのかとか、なぜ男ばかりなのかとか、そう言ったことも一切分からないのです。さらに言うと、スカヨハの男拉致活動はかなり場当たり的で、その男の失踪の手掛かり隠滅作業を黙々と行なっている、バイクを乗り回す変な男が存在します。これも特にスカヨハと会話してる節もなく、どのような関係なのかもさっぱり分かりません。
現実にこのような事件があったら、当事者がきちんと説明してくれない限りは、傍から見てこのような推量を重ねるしかない現象の連続と言うことだとは思います。なので、その見方からすれば、この映画はリアルなのだともいえます。
スカヨハは、足がつかないようにという配慮なのか、身寄りのない、一人暮らしの男が単独でいるところを狙って、声を掛けます。なぜかでかいキャンピングカーのような外形のトラックを乗り回し、あちこちで止めては、一人で歩いている男に「道に迷った」と進路を尋ねつつ、男の情報を探ると言う、非常にトロ臭い手続きで男を車内に連れ込みます。全く「種の捕食」っぽくありません。目的も判明しないのですから、「種」に関わることなのかも、「捕食」と呼べる行為なのかも分からない中で、このタイトルのいい加減さには、少々腹が立ちます。
最後に連れ込んだのは、先天的なのか、『エレファント・マン』の主人公の顔の一歩手前ぐらいの外観上の障害がある男です。スカヨハは異星人ゆえか全く違和感を持たずに接しますが、相手の男は女性に構って貰えたのが酷くうれしかったようでした。その様子を見て、スカヨハは何か考えるところがあったようで、拉致活動を止め、放浪の旅に出ます。そこで知り合って親切にしてくれた男の家に転がり込み、いざセックスという段になって、突如(言葉もなく男を押しのけて)拒否します。どうも、セックスという行為自体を知らなかったと言うことのようです。そして、ベッド脇の照明を股間に近づけて、女性器がどうなったのかを入念に確認するのでした。
このタイトルの意味は何だろうと思っていて、スカヨハも本当は人間じゃないし…と言う象徴的な意味かなとか、皮膚の下は結局異星人も一緒で、愛欲に溺れうると言うことだ…と言うことかなとか、男の皮膚の下は結局性欲の塊でバンバン捕まっちゃうよね…ということかとか、色々考えていて、終盤、一気に(少なくともこの)謎が解決します。
放浪中のスカヨハを拾った男とのセックスから逃れて、山中を歩いていると、レンジャーらしき男に強姦されそうになります。揉みあう中で、なんと、スカヨハの体が脱げてずれてくるのです。つまり、スカヨハの皮をかぶった異星人だったと言うことで、恐怖に駆られた男が去った後、スカヨハはずれた頭部をべろりと脱ぎ、『X-MEN』のミスティークがコールタールでできたような上半身を曝すのでした。「ああ、これがタイトルの意味か。何という直球勝負。これなら、挿入されそうになったら、女性器確認しちゃうよね」と、少しだけ爽快感が湧きます。その後、スカヨハを手籠めにしようとした男が、ガソリンを持って戻って来て、スカヨハを脱ぎかけている異星人に火をつけます。燃えて彼女らしき生物は死んでしまいます。以上です。
50年前に『Xファイル』を作って、その一話を映画化したら、こんな感じになるのかもしれません。最後の15分以外は、只管トラックを運転しては変な現象の部屋に男を連れ込む無口なスカヨハを描いている、不思議なロードムービーのようでした。それが、突如、言葉少なの恋愛逃避行のようになり、そして、50年前の『Xファイル』状態で終焉を迎えます。
「そうか、アクションのないスカヨハはこんなだったか。妊娠の関係もあるのかもしれないが、再三出てくるブラとパンティのセミヌードも、あまりスタイルがよく見えないし」と、何か、色々想像を巡らせる余地のある映画でした。DVDは要らないものと思います。