『愛の渦』

 水曜日、新宿靖国通り沿いの地下の映画館の夕方の回を、ビッグサイトでの仕事を終えてりんかい線のお蔭で滑り込みで観ることができました。どういう設定なのか分かりませんが、サービスデーと言うことで1000円で観られました。封切からまだ二週間弱。かなりの混雑です。100人は観客がいたのではないかと思われます。女性客も多く、女性二人連れなどもまあまあいました。性別構成比は男性6割女性4割ぐらいかと思います。男性は年齢がばらけているのに対して、女性は比較的若い人が多いのが特徴的です。

 一日五回も上映しているのに、ロビーに入る前の地下に下りる階段から、行列こそできていないものの、かなりの混雑で、この映画の話題性の高さを物語っています。この映画は、よくスポーツ紙の三行広告などに載っている「大人のパーティー」の様子を描いたものです。男性二万円、女性千円で参加できる集会ですが、全員でセックスするための集まりです。ただ、スポーツ紙に載っている場所などと異なり、舞台は六本木のこ洒落たビルです。時間もやたら長く夜中の12時から翌朝5時です。参加者も新聞広告ではなくネットを見てきます。店員曰く「乱交パーティー」で検索しないとたどり着けないページとのことです。

 私は「大人のパーティー」に行ったことがありません。けれども、この映画の描く中身はかなり一般論と異なるように感じます。まず、女性は通常不足するので、仕込んでいる人々が圧倒的多数で、畢竟、風俗感が強まるはずですが、劇中では、女性3人男性3人(後にカップルが短時間加わるので一時的には女性4人男性4人)ですが、一応仕込みと言える店長の愛人(「よく来るんですか」と尋ねられて「週五」とぶっきらぼうに答えます。)は一人いますが、残りは全員素人と言う設定です。さらに、これらの客のほとんどが初めての参加で、そのうち主人公格の「ニート男」と「女子大生」は全くこの手の場の経験がないと言う設定のようで、やたらに素人が右往左往する場面がかなり続きます。

 そのような人々の心理劇と言うことでは、まあ一応成立しているのですが、「乱交パーティー」に集まる人々、または風俗としての「大人のパーティー」に集まる人々として考えるとかなり特殊であるように感じます。「大人のパーティー」潜入ルポなどを読むと、基本的に知らない相手とセックスすることに躊躇なく、おまけに風俗慣れしているような“参加者”か“客”が、参加するなり、「それじゃ」とばかりに女性と連れだってセックスルームに行くと言う展開ばかり描かれていて、この映画にあるような素人同士が、「あの?、皆さん、お仕事は何しているんですか」などとうだうだ会話して交流を図ろうとなどしないように思います。やたら不自然な場面です。

 そんな劇中の人物達も、一旦パートナーが決まってセックスを始めると、だんだんと本性が出てきて、ニート男と女子大生以外は、あからさまに「オナニーしますか」とか「私は保母ですが、保母がみんなスケベだと言うのは本当です」などとバンバン臆面もなく会話するようになります。不思議なことにほとんど皆同時に一回戦を終えると、またリビングルームのような場所に戻り、セックスをバンバン語れる人間だけが何となく固まってスワッピングして二回戦目に臨むのです。一度そのような関係になると、次は誰とセックスしたい…、と言うよりは寧ろ、誰とセックスしたくない…という欲望が出てきて、仲間割れや罵り合いが始まります。特に少々可愛いと自信を持っていた派遣OLが、保母から「お前のまんこがくせぇって噂になってんの、わかんねぇのか。ここ来る前に病院行け!クラミジアだろ」とか罵られるような場面が展開します。

 この罵られるSTD派遣OLを演じるのが、私がこの映画の話題性以外にこの映画を観たいと思った大きな原因である、三津谷葉子です。私にとっての三津谷葉子と言えば、やはり、『月刊三津谷葉子』であり、『メタル侍』です。かなり好きな映画の『紀子の食卓』にもチョイ役で出演しているのも好きです。私のストライクゾーンからすると、ちょっと豊満すぎますが、タヌキ顔が大好きです。ところが、私の好きな横長丸顔がなぜか失せてしまっていて、かなり映画冒頭から出演している彼女にエンドロールまで気づかず、「一体全体どこに三津谷葉子は出てるんだ」と苛立ち、パンフを買って確認して愕然としました。三津谷葉子をきちんと見直すだけでも、もう、DVD入手は決定です。あまりにもイメージが違い、単に痩せたと言うことなのかどうかよく分りませんが、面長な顔になっていたのは間違いありません。

 映画評の大方は、性欲が強いが一見おとなしい女子大生役の門脇麦とか言う女優のこの映画への挑戦が話題になっていますが、或る意味ひと夏の冒険的な構造の設定ですし、『バトルロワイヤル』とか幾つかの学園ものホラーなどによくある最近流行の“究極の状況におかれた若者群像劇”的な展開でしかないので、私には全く面白さが分かりませんでした。このような掛け算の妙と言うことは分かりますが、前者ならその分野で秀作は山ほどありますし、後者の要素なら、さらにてんこ盛りに名作は存在します。

 そして、この映画を陳腐にしているのはセックス描写です。映画には時々時刻表示が出て、一回戦目はほぼ皆一時間で終えたことが分かります。座位、騎上位、女性の足を高く掲げた正常位など、如何にもな体位でのスピードピストンや、如何にもなグラインドで激しいセックスをしたと言うことになっています。何かセックスに規格とか基準があるかのごとく、「激しいセックス」、「好きモノのセックス」と言う描写が、手あかのついたものばかりなのです。前戯に時間をかけている奴もいなければ、カラダをみっちり重ねた正常位で目を見つめたり、キスをねっとりしたりしている奴もいません。AVでもこんな陳腐な激しい動きだけを見せるセックス描写はないのではないかと思います。女性の方も、「激しいセックス」の結果、何をするのかと思えば、ただ「わぁわぁ」とでかい声を出すだけで、身をよじる様子もなければ、陶酔の快感に溺れてとろけた瞳になるようなのもいません。「潮吹きしてみたいんだけど…」と保母は言っていましたが、その場面も出ません。スローセックスをする者もいなければ、シックスナインをしている者もいません。

 私は、有り得ないような大人のパーティーの場に、無理矢理、及第点レベルのヒューマンドラマを持ってきて、陳腐なセックスを「どうだすごいだろ」とばかりに見せつけるこの映画が、非常に稚拙に見えてなりません。これを凄い凄いと言いながら映画館を出て行くカップルのセックス観はどのようなものかインタビューしてみたいぐらいです。それでも、初心者レベルの人の風俗に対して抱く違和感、そしてそこから透かし見えるセックスと愛の位置づけ、そんなものを描くチャレンジとしてはこの映画を評価しますし、何にせよ数少ない三津谷葉子の“激しいセックス”シーンも、それなりの心理劇的演技も、貴重な保存版に思えます。嫌いではありません。