『風俗行ったら人生変わったwww』

 月曜日の遅い午前中の回を、23区内でもたった二館しかやっていないうちの一館、新宿のコマ劇場跡地の近くの映画館に行って観てきました。封切から約一週間。観客は決して多くなく、かなり広いシアター内に30人程度しかいませんでした。年齢的には私よりは若い、オッサンなりかけのような人々がぎりぎり過半数と言った所だったと思います。

 これは面白いです。私はこの映画の原作をネットで話題になった時に、まさに掲示板に延々書き連ねられている状態で読みました。単に、いつも常用しているブラウザのスレイプニルのポータル的な画面にぶっきらぼうに羅列される流行っている言葉の中にあって、一度クリックしてみたのがきっかけで知りました。

 それから、このストーリーが記憶の奥底に埋没してしまうのは勿体無いかなと思い、単純に備忘目的で書籍を購入しました。ところが、後に、この主人公に近い人物像をターゲット・モデルとして、AV系の(AVではないので、18禁作品ではありません)作品の企画と脚本書きを行なうこととなり、この書籍も何度も読み返しました。

 それが映画化されるとなれば、(私の仕事の方でも企画・脚本作品の続編を作る話も一応あるので)参考に観ておかねばなりません。主演の男優も、確かに、観たら絵にかいたような美少女系の主演女優も全く知りませんでしたが、映画館に赴きました。

 のっけから、主人公の男、遼太郎のストレスにやられ、道路でのたうちまわり、過呼吸に陥るシーンなどには、ドン引き一歩手前までに共感できない状態で、これは先が思いやられると思っていました。キャラクター設定として、「ここまでわざとらしいオタクはいない」だろと思っていました。この思いは最後までぬぐいきれませんでしたが、オタク・マインドからの観点を仔細に抽出した数々の演出には、なるほどと唸らせられました。

 例えば、主人公が彼女から名前を呼ばれるだけで、その声を録音しておきたかったと悔しがる気持ちや、電話番号を交換し、会った後にもすぐ声を聞きたくなる気持ちなど。さらに居酒屋デートを重ねる中でも、何がおかしいのか分からないような他愛のない話題を重ねられるだけで嬉しくて仕方ない気持ちなど、見事な叙情に成功しているように思えました。

 遥か以前、オタクと言えば、メガネをかけて、プクプクとデブで、ダサい服を着て、コミュ障で、暗い部屋に引きこもって働こうとしない…と言ったイメージが誰の口からも語られていたことがあります。今でも、オタク市場などを議論すると、そのイメージから抜け出ていない人はマーケッターの中にさえ存在します。確かに、アダルト業界のクライアントさんの案件の場では、35歳男性の童貞率が二割を超えているなどと言う話も頻出します。体感値的にも、童貞かどうかは別にして、性行為に全く関心を示さない成人男性(+成人女性もですが…)は、それなりに見つかります。

 しかし、これらの、志向的にはオタク的に感じられる私の周囲に見つかる人々は、決してコミュ障でもありませんし、プクプクしたデブでもありません。勿論、やたら汗をかいたりもしません。普通に社会に出て稼いでいますし、場合によっては嬉しそうに働いていることさえあります。ただ、少なくとも生身の性、つまり、恋愛だの交際だのを前提とした性に関心を示さず、比較的内向的な感じがするという程度のことです。先日の脚本書きの仕事の際に、このモデル像を私はかなり掘り下げて設定して、「ソフト・オタク」とか「ニュー・オタク」と呼んでいました。(設定を描いている文章だけで、A4で半ページぐらいありますが、読んだ方からは一様に「これ、いますね。何人か思い当たる」と言われます。)

 その観点からすると、今回の映画の主人公は、どうも昔ながらの典型的オタク像のイメージと「ソフト・オタク」の人々との中間ぐらいに位置しています。この主人公がデリヘル嬢の彼女を見つけ、その苦境から救い…というストーリーですが、どのような理由からか分かりませんが、映画は、原作(特に本ではなくて、もともとの掲示板情報の方)からかなり逸脱したストーリー展開になっているのが残念なポイントです。

 掲示板の方では、主人公遼太郎は、天使のようなデリヘル嬢のかよさんの客として彼女を知り、ホテルで触ることすらままならないような時間を持っては金を払うと言うことを繰り返します。金を貰うことに遠慮したかよさんは、「話したりするだけなら、お金は要らない」と外で会うことを提案してきます。

 そして彼らの友情から交際は始まって行くのですが、かよさんが教師になりたくて入学した大学で早々に男にだまされ、その男のギャンブル資金を貢がされ、闇金の男からの借金まで背負わされ、デリヘル嬢になった経緯が分かります。遼太郎はネットで知り合ったデイトレーダーらしき人物の晋作の助けを得て、かよさんを苦境から救い、かよさんの過去も何もかも受け容れ、かよさんと本当に交際することになり、そして初めてセックスに至ると言う話です。正確に言うと、かよさんとのセックスがうまく行かなそうな気配を感じて、先にソープランドに行って、女性の優しい扱い方を仕込まれて帰ってくるので、遼太郎の初体験相手はかよさんではありません。目的通り、遼太郎はかよさんとのセックスに成功します。

 この物語の中で、ソフト・オタクの遼太郎には幾つかの危うく挫折しそうになりながら越えた壁があります。最初はまずデリヘルに連絡すると言うプロセスです。文字で読むとその判断の過程にもの凄い文書量が費やされていることからも、実は最初に位置するこの壁が最も高く厚かったことが分かります。

 次はかよさんの境遇との対峙です。かよさんから連絡が取れなくなって、何度も連絡を重ねる所さえ、途中で諦めかけています。そして、しつこくかよさんに着き纏う男の暴力にも向き合います。そして、社会の理不尽な仕組みへの対峙です。ここは晋作がうまく参謀役、ガイド役を務めてくれていますが、それでも、闇金の男を逆に脅して金を取ると言うのは、かなりの神経の太さが要求されるプロセスです。

 そして、かよさんの過去を受け容れること。さらにかよさんに告白すること。その上に、かよさんとのセックスを大切に完遂すること。幾度も遼太郎にとって未曾有の経験が畳みかけるように立ち現れます。そして、それらは決してマニュアル通りに行かず、やってみるまで結果が分からないことばかりです。遼太郎が避けてきた世界がどんどん展開し、その過程で遼太郎が確実に変わっていく、優れた話だと私は思っています。

 その原作に対して、映画は、かよさんの境遇とかよさんを絆す男への対峙までは描きますし、最後のかよさんへの告白という最大の山場も感動のシーンで描きます。ただ、間の闇金のプロセスは何の理由か、おチャラけたおかしな話に完全に置換されていて、全くよく分からないマンガストーリーに落ち着かされています。そして、最後のかよさんの全てを知った上でかよさんと本当に付き合うことになった後の遼太郎の幾つもの逡巡が全く描かれていません。

 非常にもったいない展開だと思います。晋作が遼太郎に教えたこと。ソープ嬢が遼太郎に教えたこと。それらは原作の中で光り輝く珠玉の箴言です。これらをどうしてカットして映画にするのかが私にはよく分かりませんし、とんでもない愚行に感じられます。

 それでも、私はこの映画が好きです。DVDもゲットしなくてはなりません。かよさんに巡り合う遼太郎と初めて女性と電話で何度も話せることを至福の喜びに感じる遼太郎、そしてエンディングで、全てを受け容れ、かよさんに自分の思いのたけを吐き出しぶつける遼太郎。ソフト・オタクの叙情を非常にうまくやりきっています。

 かよさんの衣装やメイクの変化が楽しめるとパンフにありますが、私には彼女が喫茶店で自分を絆しだました男に対して(作品中たった一回だけ)ブチ切れるシーンで、彼女にアンヴィルのTシャツを着せたこの映画の配慮に喝采します。