封切後、僅か二週間にして、既にバルト9では毎日たった一回の上映になっていることに気付き、慌てて観に行きました。祝日の月曜、10時過ぎからの回です。終映はほぼ12時。バルト9で多分一番小さいシアターに観客はたった5人でした。そのうち4人は男性で、1人が20代後半か30なり立てぐらいに見える若い女性客でじっとスクリーンを見詰めていました。私を含めた男性客二名は最後列のほぼ両端に座っており、この女性客はまさにこの最後列の真ん中よりややもう一人の男性に近いところにぽつんと座っていました。こんな観察の余裕があるほど、観客の気配がしない観劇であり、且つ、集中させられる山場が全くない映画でした。観客の気配がしないのは当り前で、最後列の男性客と前方のもう一名は、あまりの退屈さに飽きたということなのでしょうが、劇の中盤を待たずに出て行ってしまいました。
甘く見て行って思いの外無残な映像が連発するスプラッタ映画を途中で放棄したことはほんの数度過去にありますが、それ以外で私は、どれほど退屈でも、どれほどイライラしようとも、映画を途中で諦めることはありません。今回はかなり我慢比べ状態に近かったように思います。
映画は(なぜ他の映画も含むシリーズ名まで、作品タイトルの一部に含まれているのか分かりませんが)タイトルそのままです。SMの縄縛りに嵌った女子大生、後のOLの物語です。彼女は大学生時代に自縄の世界に嵌り、部屋で一人鏡を前にネットで調べた縛り方をビニール製の荷造り紐で実践したりしているのですが、不意に訪れた、「健全なセックスをしない奴は変態だから嫌い」と言い張る(割には、自分は杉本彩演じる女と変態的なセックスをしている)彼氏から別れを突きつけられます。
それにショックを受けて封印していた自縄を、OLとして主任に昇格した後、部下を持たされたストレスから再開します。それも金銭的に余裕が出たせいか、ストレスが嵩じたせいか分かりませんが、本格的に麻縄をなめし、さらに手錠まで持ちいる周到な用意が必要な深い世界です。映画紹介の文章やトレーラーを観ていると、劇中、二つの大きなイベントがあるように期待させられます。一つは、自縄仲間がネット上で登場し、紹介文では「運命の人」と言うこととなっています。ネット上で、「Tさん」、「Wさん」と呼び合いつつ、どんどん自分達の自縄を人に気付かれるギリギリまで進めて行き、その破滅の波打ち際を歩くような興奮を楽しむようになっていきます。
中年男性のWさんは、わざわざ女装して自縄をする人物で、最初は夜に書斎のベランダにその格好で立つのが趣味でした。家族にばれたら破滅と言うリスクを興奮に換えて楽しんでいましたが、とうとう深夜に外出するようになり、警察に不審者として追われ、本当に破滅します。このWさんが劇中でかなり早い段階で(映画のプロットとしての狙いではないように思いますが)ネタばれで、主人公の会社の役員であることが容易に想像できてしまいます。この後、主人公とWさんは対面しますし、互いの自縄を同じ場所で行なうという展開が待っていますが、特に運命の人としての何かが大きく起こる訳でもありません。
一方、主人公の方は、会社で酷く叱責されて、体調を崩し三連休を取った時に、手錠のカギをわざわざ自分宛に郵送して出して、部屋には施錠をせずに、自縄して手錠をかけて、目隠しまでして誰かにこの姿を発見されたら…とこれまた破滅の危機に向かっていくのです。映画の紹介文では、「意外な人物が訪れ…」となっているのですが、これもほぼお約束的に劇中の登場人物で最も尤もらしい人物と思える、叱責したチャラい直属上司が訪ねてくるのです。驚いた彼は、手錠は外せないので縄だけは全部解き、「なんか見ているとさ、俺も興奮してきちゃったよ」と、タンクトップとパンツ一丁の彼女を全裸にし、抵抗する訳でもない彼女とセックスに及ぶのです。
このセックスシーンがまた、よく分からないもので、全編、主人公の顔やバストから上のアップです。よがる訳でも叫ぶ訳でもなく、ただ、荒い吐息とピストン運動に従った前後運動だけです。行為開始後は(たしか)キスする訳でもなく、体位も(たしか)後背位のみで、射精もどのようにしたのか(たしかあまり)定かではありません。映画のかなり早い段階のシャワーシーンで乳房もモロに出る映画であることが示されているのですが、セックスシーンでは上半身だけです。事後、目隠し手錠状態の全裸で、床に転がっているところへ、上司の男がタオルケットのようなものをかけますが、その直前で陰毛まで見えるフルヌードが顕わになります。タオルケットをかけて、「ごめんな」と言う上司に、「いいんです。気にしないで下さい」と淡々と目隠し顔で言うものの、彼が帰った後には、ベッド脇に上体を起こし、すすり泣くシーンが続きます。
では、この後、この上司とどうにかなるかといえば、どうにもなりません。では、上司とは今まで全くどうでも良いような関係であったのかと言うと、そうでもなく、セックスには至ってなくても、それなりになんやかんやを乗り越えて、彼女の方が、それなりには慕っていた関係性が見て取れます。では全くその後職場で何もなかったかと言うと、Wさんがコネを持つクライアントの会社の中国進出に伴って引き抜かれ、中国の街並みを軽快に歩いていく彼女の姿がエンディングになります。
パンフレットを見ると色々な説明が為されています。「男性主導で描かれてきた官能の世界とは異なる」と言われれば確かにその通りではあります。「ペニスが一本も出てこなくても…(中略)「性」をこんなにものびやかに味わえるのだわぁ、とじんわりしてる」と言われれば、まあ、出る機会はあったが、出さなかったよねとか、これは伸びやかだったのかとの軽い驚きが湧きます。
私は中小零細企業の経営支援の仕事をしていて、クライアントの中には創業半世紀弱のAVメーカーさんもいます。その仕事の関係で、男性主導ではなく製作されて、現実に一定数以上の女性に受けているAVが存在することも知っていますし、それを観たこともあります。それらの作品群に勿論ペニスは登場しますが、それ以外の要因で確実に胸奥にエロスを湧き起こす力が備わっています。この映画にはそのエロス的な要素がほぼ全く感じられません。
場面自体には「要素」は間違いなくあります。例えば、自縄をがちがちに行なって(パンフレットによれば)「麻縄で全身亀甲縛りした主人公が、縄で身動きできないカラダのまま、芋虫のようにむにょむにょと蠢き捻り喘ぐ姿」が目隠しをしていても分かる上目遣いの表情でハアハア言っていて、なぜか紐は通っていない股間を中心にカメラは舐めるように下着姿の下半身をアップで写したりします。それでも、これで興奮してマスターベーションができる男性がいるとしたら、主人公役平田薫の長年の大ファンとかの限られた人々だけではないかと思われます。
具体的なセックスシーンが一つも出てこない(筈だったと思います)のに、セックスを中心とした物語である『人のセックスを笑うな』と言う映画があります。しかし、そこに現れる飄々とした悪女たる永作博美には間違いなくエロスが宿っていると思いましたし、男として彼女に振り回される不快感も焦燥感も、それでも諦めきれない恋慕が十分共感できます。
遥か以前、『20世紀ノスタルジア』の頃の(既に人気アイドルだった筈の)広末涼子を指して、「ぬけないアイドル」と言う評価が定着していたことがあります。(今の広末涼子から湧き出す磁力的なエロスからは想像できませんが)どのような淫猥視線をも中和するような“透明感”が彼女にはあったように思います。それと同質の“透明感”がこの映画の全編に徹底されているように見えます。
多くの女性にとって、仮にこれが伸びやかで且つ共感できる「性」の表現であるなら、冒頭で「この物語はこの世で最も厄介な人間の欲望がつたのように絡まった物語である」と言う台詞で始まるのにも関わらず、あまりにも「性」や「欲望」が日常で軽く上滑りしているように思えてなりません。
映画全体で不発と感じられるこの映画におかしなところがもう一点あります。それは監督の竹中直人の遥か以前の芸風の如く、微妙におかしくクドいキャラクターが全体に目白押しで登場することです。興奮すると馬の嘶きを真似る馬油製造会社社長や、殊更に理不尽に主人公を詰る九州の母親、良い大学を出たのに就職活動に失敗してから引き篭もりデブニートになった人間のクズのような兄。さらに、先述の飲むと単なる嫌な奴になり、職場でも調子いいだけの上司、変態が嫌いだと言って自分は変態癖を隠し持つ元彼。誰しも変であると言う主張は理解できますが、皆、中途半端な芸人に見える絵面を延々続けられると辟易します。
多少の発見もあります。例えば、自縄の麻縄は煮たり焼いたりしながら手間をかけねば仕上がらないと言うこととか、自縄癖の人々は、自縄の状態で上に服を着て外出したり出勤したりすることにエスカレートしてゆくとか、そのような事実です。(主人公の場合、下に自縄をしていて、どうやって用便を足すのだろうと思っていたのですが、どうやら出勤時の自縄は上半身だけの様子でした。)特に麻縄のなめしは、大学で投げ縄を体育で選択し、Aを取った私ですので、一応そのようなことをしなくてはならないことを知っていたのですが、実践で、それも家庭内で行なっているのを見るのは初めてです。
そんな中、唯一、私が「おおっ」と小さく驚嘆した登場人物がいます。私が15年ほど前に新宿のプリンスホテルで実物を見たことがある蛭子能収です。彼の役柄は通りがかりの主人公を見かけ、その後、注視しているだけで、主人公が自縄していると見抜き「同類だよ」自分の自縄を見せて話しかける謎の男性です。変な小細工的奇行も披露することなく、その後、何かの展開を見せる訳でもなく、自縄の熟練者としての眼力を披露してただ消えてしまいます。
微妙な作品です。しかし、「性」の表現としてこれが一定数以上の人々に受け容れられるものなら、DVDは買う価値があります。シアター内が明るくなって、出口に近い男性客一名が早々に去ると、広いシアター内に先述の女性客と私だけがぽつんと残り、まさに映画の主人公よろしく、むにょむにょとコートなどを着込んでいる時間が数分ありました。視線も何度か合いました。
「ずっと、真剣に見ていらっしゃいましたけど、これ、何か共感できる映画なんでしょうか。感想書くブログの参考にしたいのですが」とよほど声を掛けたくなりましたが、内容が内容だけに、それこそ変態呼ばわりされるのを恐れて断念しました。彼女の意見が聞けていたら、もう少々バシっとした感じで、DVD購入の可否を断じることができたように思えます。
追記:
映画のオープニングとエンディングに流れるラブサイケデリコの曲は最高に格好がよかったです。こちらこそ間違いなく買いで、iPODに入れるのが楽しみです。
追記:
パンフを見て主人公が、私が娘とよく見ていた『魔法戦隊マジレンジャー』に出演していたことを知りました。iPODにその頃から入りっぱなしになっているエンディングロールの画像を見て、マジブルー(「とても落ち込んでいる」と言う意味ではありません)の子かと思っていましたが、ウィキで調べて、マジレッドの憧れの子の方と分かりました。どちらにしても、かなり当時のイメージと違うので、全く分かりませんでした。