『ドラマなふたり』

 8月21日の封切から2週間余り経った水曜日の雨が降り続いている夜。六本木ヒルズの映画館の18時20分の回を知己と二人で観て来ました。1日2回の上映です。新宿では歌舞伎町のゴジラの生首ビルと明治通り沿いのミニシアターで上映していましたが、どちらも夕刻以降の上映がなく、大分観客動員が細った結果、早朝時間枠を中心に1日1、2回程度の上映が配置されるようになっている様子が窺われます。

 夕刻から夜の上映回を探すと、六本木では今回の18時台の回があり、渋谷では駅のかなり北側に位置する映画館で20時台の上映があるようでした。時間的に気楽で、且つ、普段いかない街を見る機会を創るという観点から、六本木に行くこととしました。(私はこの館に1度ぐらい来たことがあるような記憶が朧気ながらありますが、定かではありません。少なくとも当ブログの中にその記事はないようです。)

 上映館はかなり多かったはずで、その多くが上述のような時間枠にシフトしていたものと思われますが、鑑賞後の翌々日の金曜日に再度この作品の上映状況を見ると、六本木のこの館は上映を終えており、新宿でも明治通りのミニシアターで1日1回(それもとびとびで毎日ではない変則的な)上映がなされているだけになっていました。その状況で都内では7館(23区内6館+吉祥寺1館)、全国では23館でしか上映されていません。かなり終焉が近づいた状況ですので、やはり水曜日のタイミングで鑑賞することにして正解であったと思えます。

 私がこの作品を観たいと思った動機にはそれほど明確なものがありません。基本的には元々楽しみにしていた『TOKYO MER~走る緊急救命室~』の劇場版の公開が延期され、ガッツリ鑑賞予定の大作『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ〈ワルプルギスの廻天〉』は既に8月28日に封切られていますが、まだ大混雑の様相なので鑑賞を控えていると、微妙に鑑賞作品が少ないままに、9月の中旬になりかかってしまいました。鑑賞ノルマ的に見ると、やはり1本は月の前半で消化しておくべきかと思ったのが最大の要因かもしれません。

 そのような(季節的には大分初秋になりましたが)「夏枯れ」状態の中で、私の本作鑑賞の後押しをしたのが、本作封切直後の週末に放映された『王様のブランチ』で、その中の毎週登場する訳ではないため久々に見る感じのマイナー作品の紹介コーナーで、この作品が扱われたことです。トレーラーで見る限り、それなりに面白いように感じられました。私は米国製の映画の7割は問題解決の主手法を銃乱射に落とし込むと思っていますが、米国のそれなりに知性がある層の恋愛コメディということで、関心が持てたのです。

 米国の格差社会は私も2年前に訪れたオレゴン州でさえ明確に日々の生活に顕わでしたが、その上層部の人々は非常に限られたそうであるはずです。その観点から或る意味、ファンタジーのような恵まれた人々のラブコメディーしかまともに描けなくなった状況を観てみたいと思えたというのもあります。

 物語は映画.comの

[以下引用↓]

「スパイダーマン」シリーズのゼンデイヤと「THE BATMAN ザ・バットマン」のロバート・パティンソンがそれぞれ主演を務め、結婚式直前に暴露された“最悪の秘密”をきっかけに、完璧なカップルの関係が崩壊していく姿を描いた恋愛ドラマ。

ボストンのカフェで運命的な出会いをしたチャーリーとエマは、結婚も決まり幸せの絶頂にいた。結婚式まであと7日に迫った夜、付添人の親友夫妻と4人で食事していた彼らは、これまでに自分が犯した最悪の行いを告白することになる。軽い気持ちで始めたゲームだったが、エマの“最悪の秘密”に全員が衝撃を受け、チャーリーは彼女に別の顔があるのではないかと恐れを抱く。幸せな日々は一転して疑心暗鬼のどん底に陥るが、今さら結婚式の準備を止める訳にもいかず、ついに当日を迎えてしまう。

共演は3人姉妹バンド「HAIM」のメンバーで「ワン・バトル・アフター・アナザー」など俳優としても活躍するアラナ・ハイム、「憐れみの3章」のママドゥ・アティエ、「マーティ・シュプリーム 世界をつかめ」のヘイリー・ゲイツ。監督・脚本は「ドリーム・シナリオ」「シック・オブ・マイセルフ」など独自の世界観をもつ作品で注目を集めるノルウェー出身のクリストファー・ボルグリ。製作には「ミッドサマー」のアリ・アスター監督が名を連ねる。

2026年製作/105分/G/アメリカ
原題または英題:The Drama
配給:ハピネットファントム・スタジオ
劇場公開日:2026年8月21日

[以上引用↑]

という解説文にもある通り、主人公のエマの過去の「ドン引きやらかし」が軸となっていて、『王様のブランチ』でも当然ながらそれは明かされることがありませんでした。それは何であろうと気になっていましたが、知己がネットのネタバレサイトから、中学生時代に学校内の銃乱射を企てたことであると知り、私に教えてくれました。

(ちなみに、私はネタバレで鑑賞動機が影響されることがほぼ全くありません。私自身がそうであるので、当コラムでもネタバレ全開です。良い映画はネタを聞いて鑑賞しても観るべきところが山ほどあります。そして良いかどうかは観てみなくては分かりません。)

 そして銃乱射がその「ドン引きやらかし」であると聞いて、多少関心が増しました。一般論では(劇中でも議論されている場面を鑑賞時に発見しましたが)銃乱射犯は男性、特に白人男性であることが多いからです。女性のそれも中学生が銃乱射を企てる背景がそれなりには描かれることが期待されたからです。

 そして、主演は『王様のブランチ』でも強調されていた通り、私も比較的最近劇場鑑賞したばかりのスパイダーマン女優ゼンデイヤです。噂ではスパイダーマンの主演男優と実際に結婚しているとのことですので、名実ともにスパイダーマンヒロイン女優になっています。相手男優の方はロバート・パティンソンというようで、『王様のブランチ』でも何か有名男優扱いでしたが、私は全く知りませんでした。鑑賞後になってからウィキで見ました。『マップ・トゥ・ザ・スターズ』を私は劇場で鑑賞しましたが、特段彼を記憶していません。DVDで観た『TENET テネット』は名作でしたが、ここでも彼を特段記憶していません。ウィキで見る限り、最近のバットマンシリーズの主役を務めているのが、高知名度の原因であるように思えますが、バットマンは過去にありとあらゆるバージョンが存在し、私は既に関心を失っていて、『ダークナイト』辺りが限界だったように思えます。

 上映時間ギリギリにシアターに入ってみると、水曜日のサービスデーだったせいもあるのか、雨天にも拘らず、非常に混んでいました。ロビーでの席指定の時点で2人分の並んだ席が少なく、前列から2列目になってしまいました。着席後、上映までのわずかな時間にシアター内を振り返り見回すと、概ね70人以上は観客がいたと思います。女性比率は大雑把に見て6割強という感じで、2人連れの観客の全体構成比が7割程度という感じでした。年齢層は若い方に大きく偏っており、20代から30代がこれまた7割程度という風に見えました。男性客で私は最高齢からのトップ3に入っていそうに思えました。

 数日後に判明するこの劇場での上映終了が信じられないほどの客入りです。おまけにパンフは売切れとスタッフから言われました。後から考えると、翌日には上映が終了する作品のパンフが売り切れていても補充する訳がありません。ネットに書かれたこのシアターの席数は100丁度のようですから、かなり高い稼働率です。「MX4D上映対応」と表示されたシアターでいかつい座席でしたが、今回の映画で何等スペクタクルな展開はなく、その機能は全く活かされることなく、普通のシアターとして用いられただけでした。大体にして私は「MX4D上映」なるものがどのような演出をするものなのか(劇場の入口にピクトグラムの表示が色々あったように記憶しますが)全く知りませんし、関心もありません。3D作品でさえ、試しに面倒な特殊メガネを装着して観た『トイ・ストーリー3』で、あまりに無価値な演出と理解したので、その後全く観ていません。

 先述の米国の東海岸アッパークラスの人々のラブコメディという意味では、若者のドタバタという意味で、少々斬新な設定だったようには思えます。NYなどのエリアで考えるとウッディ・アレン作品群などが思い出されたりしますし、若者のラブコメで言うと、遥か昔のブラット・パック作品群しか思い出せず、この層の30ギリギリ前のラブコメはあまり記憶に浮かびません。

 物語の主要登場人物5人(主人公の2人とその友人夫婦の2人、さらに、主人公男の同僚かアシスタントらしき女性1人)についての私の評価は、映画.comに『藪蛇な試練でむき出しになる人間性、試されるパートナーの器』と題して「ニコさん」という人物が書いている文章が非常に的確で、私も完璧に同感です。以下一部を抜粋します。

[以下抜粋↓]

 予告でも流れて、ゼンデイヤ演じるエマの「秘密」に俄然注目してしまった「最悪の秘密」告白ごっこのシーン。
 ……あのですねえ。最悪の秘密を打ち明け合うなら、最低限その秘密の内容について善悪をジャッジするってのはナシってルールにしましょうや。現在進行形で犯罪やってますって話でもない限りは。
 個人的には、子供閉じ込め放置をしましたあ~テヘペロとか言ってたレイチェルが、エマには急に正義漢ヅラしてヒステリックに糾弾しだしたのが一番ムカついたんですが。
 それにレイチェルだけでなく、マイク(犬に襲われて彼女を盾にし、彼女が噛まれる)とチャーリー(相手が引っ越すレベルのネットいじめ)の秘密も結構エグくて笑えない。
 エマが高校生の頃に銃乱射を考えた、それは確かによくないけれど、いじめられて精神的に追い詰められてのことだし、結局は実行しておらず、”更生”して銃規制運動までしているのだから、酌量の余地があるように思えた。
 ところが、その告白によってチャーリーはどんどんおかしくなっていくし、彼がエマの名前を隠して相談した同僚のミーシャは、あくまで過去の話と伝えても典型的なサイコパスだとか自分なら通報するとか言うし、私の見方がおかしいのだろうかと戸惑ってしまった。

 ただ考えてみたら私でも、仮に友人が「昔どこそこの店とトラブルがあって、仕返しに放火しようと思って実際ガソリンを準備した」みたいなことを言い出したらやっぱりまあまあドン引きする気がする。
 彼らの反応には、それぞれの背景が影響しているということだろう。レイチェルがヒステリックに反応したのは、いとこが銃乱射の被害に遭ったからだし、チャーリーがエマの秘密を聞いて怯えたのは、彼がイギリス人で、アメリカのような銃社会で生まれ育っていないことも遠因になっているかもしれない。
(とは言ってもレイチェルには同情しない。彼女の閉じ込め放置の告白だって、他の3人の誰かが仮に過去に同種の加害によってトラウマを負っていたなら、その人間にショックを与えた可能性は十分あった)

(中略)

 アラナ・ハイムが上手いということなのだろうが、レイチェルのクズ女っぷりもすごかった。いやー腹が立った(笑)。秘密の暴露をけしかけておいてあの態度。プライベートでエマに嫌悪感を持ったのに仕事の連絡を無視する公私混同。連絡つかないからとプロジェクトから外されたら、結婚式に行かないとか言いだすし。社会人の自覚ないのかな? 結局出席して当てつけがましいスピーチするし。
 そんなレイチェルへの嫌悪感が強烈だったせいで、他の登場人物のおかしさが相対的に薄まって見えた。

[以上抜粋↑]

 この上なく頷けます。これらの人物評の上に、やはり考えさせられるのは、恋愛と結婚の重みです。恋愛が燃え上がる激情や欲情に支えられたものであっても、それが一定のお試し期間となって、その間に相手を見極め、それで結婚となるべきであろうかと思われます。正論過ぎて、そんな風に上手く見極めが行かないことの方が多いのが人生だと私も分かっています。ならば、それが仮に失敗であっても見極めの結果に責任を持ち、その結果を受容・寛容する覚悟が無ければ結婚に至ってはダメなのではないかと私には思えるのです。

 誰しも間違いは犯しますし、それで犯罪という形になってしまうケースもあります。そのような人生の形を単に許せないものとして排除一辺倒のエリート感がやたらに自然にしかしその厭らしさを全面に滲ませて描かれている物語です。取り分け、最も害がなく、配慮に溢れ、良識的に見える黒人のマイクが、実は、エマの過去を聞いて「サイコパスだから別れるべき」という理屈を展開しています。さらに、結婚披露宴のDJを務める予定の女性が路上でヘロインを摺っていたのを目撃したと聞いた途端、DJの仕事を取り上げて排除すべきだと執拗に主張しています。その彼が寛容する妻のレイチェルのありようは「ニコさん」が精緻に描いてくださっている通りですが、そこまで第三者に不寛容になれる根拠は何であるのかと、どうしても問い糺したくなってしまうのです。

(レイチェルのいとこは銃乱射が原因で下半身不随になっており、今でも車いす生活を送っているので、他人事とは思えないというのがレイチェルの言い分ですが、これもかなり身勝手な話です。)

 つい最近劇場で観た『罪の棘』なる映画には刑務所から出所後の人々が複数主人公として登場します。日本でも彼らを受け容れる社会の目は厳しく、出所した登場人物のうちの一人は中傷に心折れて夢を投げ出し自死してしまっています。しかし、思考実験の段階からこうした過ちを排除すべきものとして議論するエリート価値観がどうも鼻に付くのです。まして、それが人生を共にする人間についてのことであれば余計のことです。

 しかし、よくよく考えてみると、銃乱射の企てがそれほど特殊なことであるのかも疑問に思え無くありません。例えば、米国にはミリシアと呼ばれる民間武装集団があちこちに存在していることが知られています。彼らはピクニックのような様相で家族同士で出かけあって、自然の中や射撃場で銃を「乱射」する訓練を子供にまでさせています。彼らが学校の銃乱射を行なう人々とイコールという訳ではありませんが、それほどまでに銃は米国の身近にあり、狩猟に使うのでもないのに、それを撃ちまくる習慣づけを行ない続ける人々が存在するのは間違いありません。

 銃社会という観点で見るなら、私は留学時代に唖然とさせられる体験を湾岸戦争の最中の日々にオレゴンの片田舎の街でしたことがあります。私の出している経営コラム『SOLID AS FAITH』の第525話『ポリコレの辺縁』にそのエピソードが登場するので、該当部分を抜粋します。

[以下抜粋↓]

「私達は今戦争の真只中にいる。私達にも今できることを考えるべきだ」
 学食の脇のスペースで10人ほどの男女が円陣のようになって大声で主張
し合っていた。それは湾岸戦争開始のニュースが流れた初日、オレゴン州の
片田舎の大学でのこと。それから数日後、留学生の友人と車でホームセンタ
ー的な店に行くと、ワゴンセールに人だかりができていた。私には機関銃に
見える連射式ライフル、それ用の箱詰めの銃弾、そしてサダム・フセインの
顔が大きく描かれた的がセットでワゴンの中に無造作に積まれていた。

 その光景の違和感に呆然としていると、米国人の同級生が「ヘーイ」と歩
み寄ってきた。手には品数の限られたセットの奪い合いでの戦利品が握られ
ている。「早くお前も買った方が良いぞ。売り切れてしまう。フセインが上
陸してきたらどうするんだ。誰もが戦う必要が出る。日本人は銃を撃ったこ
とがないのか。一緒に練習しよう。ああ、まずは許可証をゲットしなきゃダ
メだな。IDは持っているか」と親切心でまくしたてた。

 フセインは太平洋を遥々渡って西海岸に上陸するらしい。そしてオレゴン
の片田舎も蹂躙しなくては気が済まないらしい。上陸軍の陣容は分からない
が、少なくとも連射ライフルで応戦できるらしい。インターネットのない時
代。どこから噂が広まるのか分からないが、大学生の中にさえ、大真面目に
フセインを迎え撃とうとする者が間違いなく存在した。

[以上抜粋↑]

 このような社会が米国の基本だと仮定すると、銃乱射計画立案準備のエマの方が、発達障害が疑われるような子供を一人閉じ込め放置をして、翌日まで実質的に監禁状態を継続させ、警察沙汰にまでしたレイチェルよりも、相当無邪気で有り触れているように思えなくもありません。

 現実に「米国校内銃乱射」と検索すると、高校・大学などを舞台とした銃乱射事件が数多く表示されます。そして「スクールシューティング」という(一見、平和ボケ日本人の感覚だと、学校の校舎の写真を撮る活動かと勘違いしてしまうような)慣用される表現まで登場します。さすがに中学生や女性がその犯人であるケースは(劇中の説明と異なり)取り敢えずは見当たりませんでしたが、それでも、主要な事件として検索結果に登場しないだけである可能性が非常に高いものと思われます。(実際に、「B芸国 小学校銃持込み 校内殺人事件」と検索すると、2013年の小学五年生男子の殺人目的の銃とナイフの持ち込みが何とか未然に防がれた事件の記事が表示されます。)

 いずれにせよ、米国の東海岸エリート達には無縁であるのかもしれませんが、少なくとも、米国の田舎育ちであるらしいエマの米国には有り触れたスクール・カースト全開の学校生活の中での銃乱射計画立案・準備はそれほど異常なものには思えません。少なくとも、(それが本意ではないため、散々思い悩んでいますが)主人公夫が偏見友人夫婦に対して言う弁明内容のような、米国の平均的な日常の生活状況はあるように思えるのです。

 それにしても主人公夫の取り乱しぶりは異常の極みで、それがこの作品の笑いのポイントとなっています。家の銃の絵があしらわれたマグカップをいきなりゴミ箱に捨てたり、エマの銃を持った姿を無限かと思うほどに妄想し続けたり、さらに同僚なのかアシスタントなのか分からないミーシャなる(一見エマ・ストーンに見えるヘイリー・ゲイツという女優が演じています)女性に、やたらに踏み込んだ身の上相談をしてセックスに及びそうになり、ミーシャも悪い気はしない様子で挿入を受け容れる気満々という事態にまで至ります。

 この際のミーシャとの会話が私にはこの作品のハイライトと言えるぐらい滑稽な場面でした。最初、主人公夫は職場で休憩時間にミーシャに、「人生でやってしまった最悪なこと」を尋ねます。ミーシャは今の彼氏がいるのに他の男性とセックスしたことと答えます。既に主人公夫を狙っていることが窺われる意味深な答えですが、憔悴した主人公夫は(無意識レベルではキッチリサインを受け取っているでしょうが)その意義に反応する余裕を持ち合わせていません。

 さらに主人公夫は踏み込んで、ミーシャに「たとえば、その彼氏が子供時代に銃乱射を計画し、準備までしていたが、何かの理由で踏み止まったと告白したとする。それを聞いてどう反応するか」と尋ねます。すると彼女は「警察に通報する」と即答します。自分が避けたい答えを即答されて、相談の意義を見失い主人公夫は何とかミーシャに「それなら許す」と言わせようと、必死で質問を重ねます。「けれども、彼氏はその後に、そのことを物凄く反省しており、まるで人間が変わったようで、そのことはミーシャも理解している。そういう状態ならどうだ」と。するとミーシャは「そんな変化するのはサイコパスだから、余計に警察に言わねばならない」とこれまた真顔で答えます。

 この回答を聞いて、何とかエマを理解し許し、今までの関係性を回復したい主人公夫は絶望し逆上し、テーブルの上のランチ・ボックスを叩き落として、頭を抱え泣き叫びながら部屋を駆け出るのでした。まるでよくできた漫才のようです。笑えました。結局この相談が結婚式披露宴で暴露される所となり、宴は破綻し、主人公達2人は元々知り合った店で再度自分達を(既に知っているのにやり直すために)自己紹介し合い、関係の再構築を模索する所で映画は終ります。

 何か似たような展開で似たような想いを心にわかせる作品が他にあったように思えます。何だろうと考え続けて、鑑賞後まる1日経って思い出しました。『エターナル・サンシャイン』(原題:Eternal Sunshine of the Spotless Mind)です。2004年の名作ですが、映画.comの比較的短い解説文の該当部分は以下のようになっています。

[以下抜粋↓]

互いの存在を忘れるために記憶除去手術を受けたカップルの恋の行方を巧みな構成と独創的な映像表現で描き、2005年・第77回アカデミー賞で脚本賞を受賞した。バレンタイン直前にケンカ別れしたジョエルとクレメンタイン。ある日ジョエルは、クレメンタインが自分についての記憶をすべて消してしまったという手紙を受け取る。ショックを受けたジョエルは手紙の差出人ラクーナ社を訪れ、自らも彼女についての記憶を消すことを決意する。

[以上抜粋↑]

 この『エターナル・サンシャイン』を私は秀作だと思っています。劇中のジョーとクレメンタインは、記憶を失った状態で浜辺で偶然出会い、再び恋に落ちまする。その後、医院からの連絡で、お互いに一度記憶を消し合った元恋人同士で、相互に罵り合って破局したことを知らされます。それでも2人はまた同じように傷ついても構わないと関係性を推し進める決断をするのでした。

 記憶を消す装置がない設定の2人が何とか蟠りを乗り越えて再出発するのが本作『ドラマなふたり』と捉えられなくもありません。問題となる蟠り部分が『エターナル・サンシャイン』に比べて本作は、子供時代の大量殺人計画の一点に集約されていることや、周囲がそれを許すべきではないと散々に形ばかりの正義感を別離への圧力として加えてくることなどが、より論点を明確にしています。

 恋愛3年寿命説というのがあります。概要は以下の原理です。

 恋愛中の独特の高揚感は、脳内でフェニルエチルアミンやドーパミンという快楽物質が特定の対象に対して選択的に生成されることにより発生しています。フェニルエチルアミンは五感を鋭敏にする覚醒物質で、強い幻覚作用を持っています。ところが三年ほど経つと、全く分泌されなくなってしまうのです。何十年も連れ添えるカップルの脳内には、βエンドルフィンという別の快楽物質が分泌されています。βエンドルフィンは安心感やくつろぎ感を生む物質です。つまり、恋愛関係から仲良し関係にうまく移行したカップルだけが持続しているのです。これは、生殖後の子育ての段階で、安定した協力関係をオスメスが築くために、進化の過程でできた働きなのだろうと解釈されています。

 仲良しに移行できた2人は多分受容や寛容が円滑にできるようになるのでしょう。そして、『エターナル・サンシャイン』の2人も本作の2人も、その当り前の真実を結婚前の前哨戦を通して垣間見たというだけと言えるかと思います。『エターナル・サンシャイン』が秀作であると感じるように、鼻に付く空虚な正義感を散々押し出しつつも、コメディ・タッチを大きく採用しながら、余りに結婚には幼過ぎた2人が、結婚、ないしは結婚がもたらす人間同士の関係性のありかたに痛みを通して気づかされる過程を描いた佳作だとは思えました。DVDは買いです。

追記:
 なぜこの映画のタイトルが『ドラマなふたり』であるのか少しだけ疑問に思っていましたが、映画開始直後、原題がスクリーン全面に浮かび上がり、謎が解けました。原題は『DRAMA』だったのです。ドラマと言えば、日本人にはテレビ・ドラマから格調高い古典演劇などの世界まで幅広く悲劇も喜劇も全部包含するような茫漠たる概念しか思い浮かばないように感じます。このちょっとしたストレスで嘔吐を繰り返し、憔悴し、言葉もしどろもどろになる幼稚な2人の物語に、似つかわしくない壮大荘厳なタイトルだと思えました。