『恋の罪』

日曜の夜の回で観てきました。封切から一週間少々。23区内ではたった3館でしか上映されていず、7割がた席は埋まっていました。監督は園子温です。前作の『冷たい熱帯魚』の面白さに惹かれて、この作品も見に行くことにしました。

驚いたことに、来年一月に封切られる予定の園子温監督作品『ヒミズ』のチラシが館内に置かれていて、トレーラーまで見せられて、既に仕込みが完璧になされていました。どうも、トレーラーを見ると、『恋の罪』よりも『ヒミズ』の方が面白そうに感じられてなりません。周囲の席からも小声で「こっちの方が面白そう」と何回か聞こえました。

このブログの『冷たい熱帯魚』の感想で、園子温監督作では…、

「好きな順に『紀子の食卓』、『自殺サークル』、同着三位が『気球クラブ、その後』と『奇妙なサーカス』です。『冷たい熱帯魚』がこれらのうち、どれかを押しのけて三位に食い込めるかと言うと、どうもそう思えません。五位につけたと言う感じです」

と書きました。

では、この『恋の罪』はどこに食い込んだかと言えば、どうも上述の五位の下に入ったように思います。同じ年の中の公開と言うことで、映画館にあった雑誌関連記事やパンフ内のインタビューでも、『冷たい熱帯魚』と比較されて語られてばかりの本作ですが、事実上の共通点は、監督と公開年度と実際の犯罪をベースとしていることの三点しかないように感じられます。

この映画には、三人の女性が登場しますが、その女性達の渇きやそれを癒すための行動の顛末を描いたストーリーは、園作品で言うならむしろ、『奇妙なサーカス』に類似しているように感じられます。

元所属プロダクションが嫌がらせの噂を流していると報じられている水野美紀演じる刑事は、娘と理解ある夫が居ながら、仕事の緊張とのバランスを取るように、愛人との激しいセックスから抜け出せないでいます。芝居が活躍の主なフィールドで、主演作もあるのに私は映画では見たことがなかった冨樫真が演じるのは、良家の大学教授の娘で自身も名門国立大学の助教授であるのに、夜は数千円の金額で客を取る円山町の立ちんぼ。そして、グラビアアイドルを辞めたいと言う書籍を出して以降、二作連続で園子温監督作品に出て、監督と婚約までした神楽坂恵演じるのが、流行作家の貞淑な妻であるのに、スーパーのマネキン販売員になったことからAV女優にスカウトされ、さらに立ちんぼへと変容していく女性。

冨樫真の助教授が、「言葉には意味があり、その意味とは肉体だ。大学では言葉を教えることはできるが、学生達は私の意味する所を全く分かっていない。彼らは言葉を教わっているだけだから」のような名言を吐きます。言葉に身体性を付与すると言うことと解釈できますし、少なくとも恋愛や愛憎の場面で言えば、修羅場を越えて初めて愛を知ると言うことだと思います。それが焼け付くような狂気として疾駆していくのが映画の中盤を構成する物語です。愛や渇きや、理想、そしてここでないどこかや、今の私ではない何者か。そんな言葉に思い悩む、神楽坂恵の主婦を、立ちんぼの世界に引きずり込む冨樫真の鬼気迫る演技には、目が釘付けになってしまいます。

ただ、結局この、高笑いしながら金を払わせるセックスをし、神楽坂恵を弟子だと言って、客を取らせようとし、「受け入れろ」と怒号する冨樫真も、少女時代に財閥系と思われる「良家」の中で疎外された学者の父との愛憎を経てのファザ・コンで、破滅志向に陥っていることが分かります。その意味では、最終的にその教えに従って貞淑な妻の座を捨て、その導きによって夫を商売の客とした末に、路上で生きて行くことに落ち着く神楽坂恵の方が、間違いない言葉の身体性を獲得したことになるのでしょう。

人間は経験の檻から抜け出せない生き物であり、経験を経て言葉はその意味を理解されるものであることを矢鱈に確信させてくれる作品です。劇中の冨樫真ほどではないでしょうが、経営の在り方や、経営に向き合う人間について私が真顔で語ると、「怖い」だの「重い」だの言う人がいるのも、こういうことなのかもしれません。

兎に角、やたらにセックス・シーンの多い映画です。そのどれもが、『奇妙なサークル』や『冷たい熱帯魚』のそれ同様に、殆どエロスを感じさせず、単に所有なり隷属なりの表現行為か、代償や投影の行為として行なわれているだけです。三人の女優のセックス・シーンの多くはベッドの上では無い所で発生しています。水野美紀の映画冒頭の激しいセックスシーンや、その後の自慰シーンがかなり話題となっていると聞きますが、エロスを僅かにこの映画に感じるとすれば、確かに水野美紀の金銭を介在させないその手の場面だけであるように思いだされます。

言葉を身体性を持って理解していると言う観点から見る時、この映画には該当者が何人かいます。一人目は一人駆り立てられるように売春に身を委ねている時の冨樫真です。二人目は、名門の血筋を守り、穢れた血統を絶やすと言う覚悟をそのまま冨樫真殺害へと昇華させる冨樫真の母です。そして三人目は夫との「売春」と冨樫真の殺害幇助を経た神楽坂恵です。これら三人の鬼気迫る演技は間違いなくDVDでの保存の価値があります。映画はこれら三人の価値観が水野美紀に突きつけられる形の構造になっています。

ただ、私が映画館を後にしながら、全体を思い返すと、もう一人、強烈な輝きを放つ人物が劇中に登場していることに思い至ります。水野美紀が、その衝動的自殺現場に居合わせてしまう不倫主婦です。路上で衝動的に自分を刺殺してしまうのですが、介抱しようとする水野美紀に、死を目前にして、夫に不倫がばれないようその場で携帯電話を壊してくれと懇願するのです。そして、不倫を重ねたが、夫を心から愛していると言って、息を引き取ります。血まみれの手で壊した携帯電話を自分のポケットに隠す水野美紀演じる刑事に、女の業が突き付けられた名場面でした。

この女優をどこかで見たことがあるように思い、パンフを調べると、町田マリーと言う、自身の「毛皮族」と言う劇団も立ちあげている舞台女優と言うことでした。その出演作を見て驚きました。なんと私の大好きな映画『美代子阿佐ヶ谷気分』の主演女優でした。この僅かな彼女の出演部分を手元に置くと言う目的だけで、間違いなくDVDは買いです。