『大長編 タローマン 万博大爆発』

 8月22日の封切からほぼ2週間経った木曜日の夜19時15分の回を、再び訪れた調布駅前の映画館で観て来ました。ここでは1日2回の上映が行なわれています。この作品は私の周囲でも全く知っている人物がいず、トレーラーが他作品の上映開始時に流れているのを観たこともなく、映画館のロビーなどでも告知物を一切見ないという全く無名映画です。しかし、事前に調べてみると東宝系の映画館でかなりの数上映されており、23区内だけで7館もの映画館で上映されています。さらに都内に拡大すると3館増えて10館にまでなり、全国では86館で上映されているという状況のようです。知名度からすると驚きの公開規模と感じられます。

 調布駅前の映画館は『LUPIN THE IIIRD THE MOVIE 不死身の血族』を観に来てみて、映画館までの時間距離なら、新宿の主な映画館よりもやや長い程度で到着できるということが分かっていました。この作品は、TOHO系の映画館で集中して上映されており、新宿で観に行くとしたら、私が可能な限り来館を避けようと思っている歌舞伎町のゴジラ生首ビルの映画館になってしまいます。それを避けて、池袋や渋谷に行くぐらいなら、調布でも時間距離は寧ろ短いぐらいであると判断できました。さらに、この調布の館は以前小樽の映画館にも存在した「ハッピー55」という価格体系があり、55歳以上は(どうも無条件と言うことのようですが)1100円ですので、往復電車賃560円を加えても、通常映画料金でよくある1900円から2000円を下回る計算になります。(シニア料金はネット上の料金表に年齢を明示していない館もかなりありますが、バルト9なども含め、以前は60歳以上だったのが65歳以上に変更されていることが多く、私は一旦シニアになった後、除け者扱いとなっています。)

 この作品は色々な意味で変な映画です。例えば、映画.comの解説文章を読むと…

[以下抜粋↓]

「1970年代に放送された特撮ヒーロー番組」というコンセプトのもと、芸術家・岡本太郎のことばと作品をモチーフに制作され話題を呼んだ2022年の特撮テレビドラマ「TAROMAN 岡本太郎式特撮活劇」を映画化。1970年代の日本と、当時想像されていた未来像としての2025年「昭和100年」の日本を舞台に、夢と希望に満ちた未来の世界で戦うタローマンの活躍を描き出す。

万博開催に沸き立つ1970年の日本に、万博を消滅させるため2025年の未来からやって来た恐ろしい奇獣が襲いかかる。でたらめな奇獣に対抗するにはでたらめな力が必要だが、未来の世界は秩序と常識に満ちあふれ、でたらめな力は絶滅寸前に陥っていた。CBG(地球防衛軍)は万博を守るため、タローマンとともに未来へと向かう。

テレビ版に引き続きロックバンド「サカナクション」の山口一郎が出演し、タローマンマニアという体裁でタローマンと岡本太郎について語る。テレビ版を手がけた映像作家・藤井亮が監督・脚本を手がけ、自らアニメーションやキャラクターデザイン、背景制作なども担当して独自の世界観を構築した。

[以上抜粋↑]

となっていますが、この文章を読んで、この作品がどういった位置付けのどんな映像イメージで、どういった物語なのかが殆ど理解できないのが普通ではないかと思われます。

 私がこの「タローマン」作品について知ったのは、毎月定期購読している『DVD&動画配信でーた』の新作発売情報を観ていた際に、偶然、『帰ってくれタローマン ~TAROMAN 岡本太郎式特撮活劇~』を見つけたことに拠ります。昨年2024年初頭のことです。「多分、『帰ってきたウルトラマン』のおかしなパロディだろう」ぐらいに思いつつ、調べてみると、とんでもない拘りの深みを持つ作品だということが分かりました。この作品のコンセプトに従って言うなら、「でたらめ」な世界観です。新作DVDなのにネットのDVDレンタルにも在庫されないので、新品を買って観てみることにしました。

 まず何が変かというと、この作品は物理的にも思想的にも岡本太郎を題材にしているSFドラマであるということです。端的に言えば、押し寄せてくる怪獣たちと巨大ヒーローが戦うSFモノであるので、ウルトラマン・シリーズやミラーマン、スペクトルマンなどなど枚挙に暇が無いぐらい(少なくとも日本には)事例がある話です。しかし、タローマンでは怪獣は「奇獣」と呼ばれており、皆、岡本太郎の作品そのまんまの格好をしているのです。奇獣には特殊能力があったりなかったりします。一応モチーフから考えられる火炎を吹くなどの能力を持っていることもありますし、『ノン』のように、奇獣がパワーを込めて念じると相手の存在を否定することができ、相手が消し飛んでしまうというおかしな能力もありますが、ただ飛んで来たり、ジリジリとにじり寄って来るだけの者もいます。

 そしてエヴァンゲリオンに登場する使徒がATフィールドと言う通常兵器を無効化する能力を持っているのと原理的には似ていますが、これらの奇獣は「でたらめ」な存在なので、「でたらめ」な攻撃しか受け付けず、人間の常識的な通常攻撃では全く効果を生まないのです。そこで、存在そのものが「でたらめ」なタローマンに人類は希望を託すことになるのですが、タローマンは特に決まった技がある訳でもなく、その都度、攻撃とも言えないような、(敢えて言うとただ関心を持って奇獣とじゃれ遊ぶような)でたらめな行為を奇獣に対して行ない、結果的に奇獣をでたらめ度合いで圧倒してしまうために、奇獣が排除されるような構図になっているのです。

 タローマンの攻撃とも言えない攻撃のような行為は、イミフなものが殆どです。飛んできたミサイルに対して、タローマンが手をかざすと、「決められた通りのことをするだけの存在で良いのか」とミサイルが自問自答を始め、「でたらめに生きてみよう」と、突如発射者に向きを変えて突進したりします。

 このタローマンの行動原理は岡本太郎の生き様そのもので、ウルトラマンの科特隊に相当するCBG(ローマ字読みの「地球防衛軍」の略)の博士がいちいちタローマンのでたらめな行動を岡本太郎の言葉を借りて解説したりします。タローマンがピンチになると、わざわざ自らさらにピンチを押し広げるような行動を取ったりします。すると、「なるほど。『マイナスに飛び込め』。そう岡本太郎も言っている」などと博士が言います。この「そう岡本太郎も言っている」はこの「タローマン」作品の定番の台詞で、博士のみならず、機会を捉えて、色々な登場人物が口にする台本制作作業上、最もコピペされているであろう台詞です。

 この「タローマン」が世の中に登場したのは、映画.comの解説にもある通り、(私は観ていませんが)2022年のNHK地上波らしく、1話がたった5分程度の全10話として放送されました。予算が少なく、多くの特撮はストップ・モーションで作られていたりしますが、岡本太郎が活躍していた「1970年代に放送された特撮ヒーロー番組」という架空の設定なので、ダサさやチープさがそのまま作品の特徴となっています。ただ、先述の通り、奇獣やタローマンのデザインが岡本太郎作品群の原色が多用され奇怪なフォルムをしていますし、建物や色々なデザインにも岡本太郎のデザインセンスが適用されていて、サイケデリックなテイストがあちこちに見られる、通常のSF作品などとは全く異なる異様な世界観です。(今回の映画には岡本太郎作品の『娘と犬』がそのまま登場人物になっていますし、他にも、そのようなキャラクターが存在します。)

 挿入歌もぶっ飛んでいます。奇獣が奇怪な姿を現す場面やCBGの出撃シーンなどでは、『ウルトラセブン』の所謂「ワンダバダバ…♪」的な曲が流れますが、歌詞がべったり入れ込まれていて、それが「なんだこれは、なんだこれは、なんだこ~れは!」です。なか卯の『なか卯って、うっううっうう~』の曲や、ダイコクドラッグの『ゼロ!ゼロ!…3日・10日・20日は消費税ゼロ~!』並みに耳について離れなくなります。また、テーマ曲もタローマン合唱団による 『爆発だッ!タローマン』といい、曲全部が…

「爆発だ 爆発だ 爆発だ 芸術だ
 べらぼうな夢はあるか でたらめをやってごらん
 自分の中に毒を持て 自分の運命に楯を突け
 うまくあるな きれいであるな ここちよくあるな
 マイナスに飛び込め タローマン」

のように岡本太郎の言葉だけで構成されています。これを名曲の合唱のように歌われると、何か異次元の世界に引き込まれるように思えてきます。団体でカラオケ店に行き、この歌を誰かが歌って聞かせたら、皆が精神に異常をきたしそうにさえ思えます。

 5分10話の物語の各話タイトルも、岡本太郎の言葉をそのままに使うという念の入りようです。

 第1話『でたらめをやってごらん』
 第2話『自分の歌を歌えばいいんだよ』
 第3話『一度死んだ人間になれ』
 第4話『同じことをくりかえすぐらいなら、死んでしまえ』
 第5話『真剣に、命がけで遊べ』
 第6話『美ってものは、見方次第なんだよ』
 第7話『好かれるヤツほどダメになる』
 第8話『孤独こそ人間が強烈に生きるバネだ』
 第9話『なま身の自分に賭ける』
 第10話『芸術は爆発だ』

といった具合です。製作者の意図からするとこうしたところも「でたらめ」なのでしょうが、ぶっ飛んでいます。こんなぶっとんだ作品がなぜNHKで大真面目に作られ放送されるのかも疑問ですが、それが、公益財団法人岡本太郎記念現代芸術振興財団なる組織の全面協力の下に作られていることには驚かされます。

 製作者側の「観る人に『なんだこれは!』と言わせたい」という目論見にまんまと嵌り、私の記憶にこの「タローマン」は深く刻まれたのでした。そしてある日、映画.comの新作映画のリストを見ていたら、今回の『大長編 タローマン 万博大爆発』を見つけたのでした。パンフレットを読むと、テレビシリーズからこの作品の敢えて言うなら“首謀者”である藤井亮も「映画化」の話を受けて、何をどうすべきか全くわからない状態のようでしたが、私もあのぶっとんだ作品をどうやって映画にするのか全く想像がつかず、これは仮に結果が大駄作であったとしても、少なくとも見てみるべき作品だと思って、ずっと公開を待っていたのでした。

 実は私はナマの岡本太郎に小学校高学年の頃に会ったことがあります。1970年代のことです。病弱な私は北海道の田舎町から1、2ヶ月に1度、100kmほど離れた旭川の医大病院に通っていましたが、その帰りに旭川駅前の西武デパートの催事場で岡本太郎展が開かれていたのをみつけたのです。有名な「芸術は爆発だ!」の言葉だけは知っていて、後に滅茶苦茶にハマるシュールレアリズムの領域とも知らず、何となく日本の有名な画家の人と言うぐらいの認識しかありませんでしたが、田舎にいるとそう言う機会もあまりないので、「寄ってみたい」と連れて行ってくれていた母に言い、二人で会場に赴いたのでした。

 お化け屋敷的構造の入口を中心とした会場のファサードには岡本太郎の何かの作品のデザインが施され、洞穴のような入口の脇に等身大の岡本太郎のパネルが立っていました。「ああ、テレビで観たことがある」ぐらいにおもってパネルに近づいたら、ぬっとパネルの裏から本人が現れたのでした。まるで、バルタン星人の分身シーンのようでした。「うわっ」と親子して驚いて彼を見つめていたら、彼が「よく見て楽しんでいきなさい」(「よく見て楽しんで行ってください」だったかもしれません。)と笑顔を作ることもなく私の顔を覗き込んで告げたのでした。彼から放射される何かの圧ようなものを感じて、私は「はい」と答えるのが精一杯だったように思います。

 その後、私は安部公房の文学の世界からシュールレアリズムに嵌り、その後、絵画のダリやエルンストも展示会に足を運んだり、画集を買って眺めたりするようになりました。

 そんな中で、今回の「タローマン」のこの作品を観るに当たり、もっと岡本太郎その人を知っておいた方が良いのではないかと思い立ち、岡本太郎の書籍を1冊買ってみようかと思い立ちました。誰かに拠る人物紹介の書籍が良いかと思っていましたが検索すると本人の著作がかなり見つかったので、その中でページ数が少なく手頃な『自分の中に毒を持て』を読んでみることにしました。後にパンフレットで企画・プロデュース担当の竹迫雄也という人物がこの書籍を愛読書に上げているのを発見しました。先述のテレビシリーズ各話タイトルになっているような岡本太郎の言葉が、岡本太郎の人生の中でどのように生まれてきたのかがおおよそ分かる内容でした。そんな予習まで経て、今回の鑑賞に臨みました。

 シアターに入ってみると、なぜこれほど人気があるのか分かりませんが、約20人の観客がいました。珍しい男女混合の3人連れが1組居て、高齢両親と中年子供の組み合わせに見えました。それ以外に2人連れが、20代に見える男女1組、中高年ぐらいの男女1組といった感じで、それ以外が単独客です。女性の方が半数をわずかに割っているような構成比で、年齢層は20代から30代が全体の3、4割を占め、中間があまりいず、私ぐらいの年齢を中心値とした50代後半からの層辺りが目立つように感じました。

 一応タイムトラベルモノにはなっていますが、「タローマン」の世界観全開で、べらぼうにでたらめでした。途中、「タローマン」がタイムトラベルのプロセスで記憶をなくすところがやや間延び感を漂わせているように感じられましたが、よくもこのテイストを一気呵成の勢いで展開しつつ、100分余りの尺に構成できたもんだと思えてなりません。そのでたらめさは挙げればきりがありませんが、今回はまるでエースを助けに来たウルトラ5兄弟の残り4人のように、なんとでたらめ8兄弟がシュールレアリズム星から駆け付けて来ます。つまり、タローマンも含めて9兄弟と言うことになりますが、パンフに拠れば…

「血のつながりにかかわらず、たまたま駆けつけられた戦士たちがここに集結だッ!  かれらはみな無目的で集まっているため、何人集まれるかは未知数なのだ。今回は9人が集まったぞ!!」

とあります。どうもウルトラ兄弟とは異なり、助けに集まった訳ではないらしいのです。実際にタローマンは「頑張れ!」と応援されるとやる気をなくし、不貞腐れたり、塞ぎ込んだり、場合によっては応援者を攻撃してきたりします。ですので、タローマンを応援したい場合は、「頑張るな!」、「適当でやめとけ!」、「もういいよ!」などの声掛けが有効で、劇中でもCBGの面々が周囲の人々に厳重に注意をして回っています。8人が突如現れたのは、タローマンが大ピンチの場面ですが、あろうことか8人はタローマンの背後に立って、背後からタローマンに光線を浴びせ攻撃するのでした。その結果、タローマンはでたらめパワーを全開にして大爆発を起こします。

 イメージで言うとプリキュア・オールスターズのプリキュアの数人が最初エネルギー波で強大な敵の攻撃を何とか凌ぎ、その背後に現れたプリキュアがさらにエネルギー波を加えて行くことで、敵の攻撃を押し返し、最終的に敵を打破するという展開に似てはいます。しかし、後ろに集まったプリキュアが、頑張っている数人のプリキュアを背後から攻撃する図は普通想像だにしません。それがいきなり展開します。でたらめです。

 でたらめな中にも、未来世界が秩序を重んじ「でたらめ」に現れる人間性を否定していることに対しての批判をする主張が明確に劇中で描かれています。パンフに拠れば、1970年の大阪万博の際に岡本太郎は、固辞していたテーマ館のプロデューサーを引き受けることになって、本来期待されていたプロデュース作業はせず、いきなり70mの現在も残る太陽の塔を屹立させています。これは、万博のコンセプトである「技術の進歩が幸せな未来を約束する」という考えに対する岡本太郎の答えであったといいます。

 岡本太郎は「人類は進歩なんかしていない。なにが進歩だ。縄文土器の凄さを見ろ。ラスコーの壁画だって、ツタンカーメンだって、いまの人間にあんなもの作れるか」と言っていたとパンフにあります。だからと言って岡本太郎は仕事を引き受けた万博に嫌がらせをしたのではなく、万博の会場に何者か分からぬ太陽の塔を建てることで、「激しい対立や矛盾を同在させ、ふたつの極を引き裂いたまま把握する。妥協するな! 総合するな! 中途半端なカクテルをつくるな! 新しい芸術は価値観が正反対の極が対峙し火花を散らすなかでしかひらけないのだ」という岡本太郎の「対極主義」を貫徹したのだと説明されています。それはこの映画の中にも深く色濃く描きこまれています。そしてその太陽の塔は今回の物語でも核となるモチーフで「でたらめ」エネルギーを蓄積した巨大奇獣です。

 秩序とでたらめの対極が並立する社会へのプロセスが描かれているのであり、決して秩序をなくして「でたらめ」だけで生きて行けとは主張されていません。70年万博の時代のCBGのメンバーが2025年宇宙万博が開かれる未来に行くと、留守番に残った少年隊員はレジスタンス組織のリーダーになっており、秩序で世を支配する首領もまた体に改造を重ねて生き延びているCBGの隊長でした。(1970年の方の隊長は未来に行って自分と戦うことになります。)こうした人間の変化や、秩序と「でたらめ」の間の価値観の相克も踏まえて、全部で劇中の歴史ができています。そして岡本太郎の目には現実の社会もそうであるということなのでしょう。

 先述の通り、多少の間延び感が否めませんが、べらぼうな労作だと思います。取り分け、パンフを読むと、99%のシーンは(予算が限られているからでしょうが)スタジオの中でクロマキーで撮影されているということで、2ヶ月間延々と「クロマキー撮影地獄」(プロデューサーは「地獄のブルーバック牢獄」と呼んでいます。)が続いたと書かれています。役者もスタッフも毎度同じクロマキーのセットで、どこの場面を撮影するのか大混乱をきたしたようです。さらにそのクロマキー部分の背景にはすべて未来都市などの背景を描きこんでいくというのをPhotoshopの手作業で藤井亮自らが行なったとパンフに書かれています。そのカット数1600。

 さらにディテールの建物などは100円ショップの製品を原材料にしたり、発泡スチロールを削って作ったりと、これまた低予算と70年テイストの再現を理由にありとあらゆる苦労が重ねられたようです。その際に彼らの支えとなったのは勿論岡本太郎の言葉だったようで、パンフの中のプロダクションノートのような部分にも、「マイナスに飛び込め」などの言葉があちこちに踊っていて、(不謹慎かもしれませんが)笑ってしまいます。

 大体にして企画段階でも岡本太郎が「同じことをくりかえすぐらいなら、死んでしまえ」と言っているからテレビシリーズをただ長くするような作品は作る訳にはいかないと考え、封切が2025年ということから二つの大阪万博をつなぐことで岡本太郎の考えを更に深く掘り込んで描こうと考え至った経緯がパンフに書かれています。

 よく店舗設計や、パチンコ店の新機種導入時の店内での世界観作りなど、目に見えるコンセプトを追求し表現する場に出くわすことが仕事でもありますが、例えば「創作和食店だから、和の美しさで木製のものをあちこちに配置して…」のようなかなり安直で表層的な記号価値のグルーピングが為されていて辟易することがあります。そういった中で、このNHKのドラマから生まれた映画は、同じような立ち位置の『岸辺露伴は動かない』シリーズのように、オリジナルの世界観を徹底的に掘り下げることに成功している二次作品事例として非常に注目に値するものと思えてなりません。(岡本太郎自身は物真似やコピーを全く好しとしていませんから、この作品は岡本太郎がもし存命だったら、そもそも制作を了承するのか否かが怪しいような気もします。岡本太郎の思想と作品を理解するためのパンフレットや入門書の位置づけの二次作品と捉えるべきなのだろうと思えます。)

 当然DVDは買いです。(また、買い漏れているテレビシリーズを1本にまとめたDVDの購入も検討しようと思います。)

追記:
 岡本太郎の作品を観ることができる施設が青山と川崎にあると知りました。機会を作って行ってみたいと思いました。

追記2:
 私の持っている『帰ってくれ…』でも、「タローマン」作品の大ファンを自認しているというサカナクションの山口一郎が解説を担当していますが、今回も同じ役割で登場します。ただ、今回は岡本太郎の『明日の神話』のある場所で撮影が行われています。(劇中の数少ないクロマキーのスタジオ撮影ではない場面の一つです。)パンフでは人の居ないタイミングの撮影が大変とのことで、どこだろうかと調べたら渋谷の井の頭線駅付近でした。そう言えば見覚えがありますが、きちんと意識していませんでした。

追記3:
 その後、YouTubeで関連動画を観ていたら、監督が「昭和っぽい外見の無名の役者を集めたが、昭和っぽい外見の人が昭和っぽい話し方をする訳ではないので、そういう別人の人にアフレコをしてもらった」と語っていました。パンフを見て気づいていたのですが、道理で「声の出演」のクレジットされている人がやたら存在する訳だと納得しました。

☆参考映画『帰ってくれタローマン ~TAROMAN 岡本太郎式特撮活劇~
☆参考書籍『自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間”を捨てられるか』