『サタンがおまえを待っている』

 8月8日の封切から丁度2週間経った金曜日の午後4時50分の回を、JR新宿駅に実質的に隣接しているミニシアターで観て来ました。この館にはつい先日『水の中で深呼吸』を観に来たばかりです。その際にまったくノーマークの作品を見つけ、これは観た方が良いかなと思い立ったのがこの作品です。

 1日2回の上映が為されていますが、前日まで(つまり封切後2週間目まで)は1日3回の上映でした。新宿の他には渋谷が都内で唯一の上映館で1日2回上映しています。関東圏では千葉県と栃木県に上映館が各1館ありますが、どちらもかなりマイナーそうな映画館でどちらも1日1回の上映です。全国では13館しかありませんから、どう考えてもマイナーな映画です。

 シアターに入ってみると、明るいうちに1人の例外を除いて全観客が揃うという珍しい人入りの状況で、全部で私も入れて11人の観客がいました。女性が圧倒的な少数派で2人しかいず、2人ともざっくり40代に見えました。1人は単独客、もう一人は全観客の中でたった1組の男女2人連れ客の片方で、連れの男性もほぼ同じぐらいの年齢に見えました。

 残りは全員男性単独客ですが、年齢の分布はかなり広範で、30代ぐらいから70代前半といった感じで広がっています。暗くなってから入ってきた1人が多分最高齢客で70代前半ぐらいに見えました。

 この映画は悪魔教とか悪魔信仰のような中身がタイトルから連想され、現にそのような内容の映画を想像して観に行って肩透かしを食らったという内容のレビューもあるようですが、全く違います。端的に言うと、人騒がせな嘘で売名しようとした医師とその医師に承認欲求を満たしてもらいたく、またいっそ妻帯者のその医師を自分のモノにしたいとトチ狂ったメンヘラ女性が結託して、世間を10年以上に渡って忽せ続けた、米国で本当に起きた事件というか社会パニックのドキュメンタリー映画です。

 私がこの作品を観たいと思った理由は、勿論、原題『SATAN WANTS YOU』というストレートに如何わしいタイトルのインパクトも少々あるのですが、この映画で描かれる状況が発生する根本的要因に退行催眠と言う技術が絡んでいるからです。私は趣味と実益を兼ねて催眠の技術を学んだりしていますが、その中の退行催眠はかなり問題ある技術です。

 催眠術の中では結構よく知られている技術かもしれませんが、対象者を催眠状態にして、年齢を遡って行き、子供の頃や幼児の頃に見聞きしたことを思い出させることができると言われる技術です。しかし、人間の記憶の構造は記憶素子に電気的信号を保持した状態を維持できる限り全く同じ情報が引き出せるPCのメモリなどとは全く異なり、そうした記憶素子はありません。シナプスの接続パターンがある経験や体験などの刺激と共に構成されて、その「回路」が発火して記憶が再生されます。つまり、何度もその記憶を思い出せば、回路はどんどん強化されますが、使わなければ回路が徐々に接続が解除されて行き、回路の部分が抜け落ちて不正確になって行きます。

 その上、人間は辻褄合わせで無意識のうちに物語を作り変える生き物ですので、抜け落ちた部分を勝手に補って記憶が塗り替わって行きます。(つまり、こうあって欲しいと自分が思う内容や、催眠術者が聞き出したいと期待していることを期待に応える形ででっち上げた内容などを、本人も嘘の自覚なく言い出すということです。)

 ですから、退行催眠で引き出される記憶も「本人が記憶だと思っているもの」が出て来るだけのことで、それが真実であるとか、せめて断片的でも事実であるとかは保証の限りでは全くありません。生まれてからの記憶を引き出す退行催眠でさえ、このように怪しいのに、日本では退行催眠を生まれる前の胎児の時期やさらにその前の前世まで手繰れると言って、そのような催眠術と名乗る「前世を見せるサービス」を提供している人もかなりいます。

 先述のような記憶の仕組みを知らなくても、普通に考えて色々とおかしなことがあります。その一番変な点は、前世の記憶で登場するのが、日本人の場合、平安時代の貴族とか、かなり名の通った武士とかばかりなのです。何百万年の人類史の中で一定数の魂が輪廻を繰り返しているのなら、時代的にかなり長い洞窟生活状態の人類の記憶はかなりの頻度で登場して良さそうなものですし、有史時代に入ってからも、職業別人口の構成から考えたら、国内なら農民とか海外なら農奴とか、そう言った人々がバンバン登場して良さそうです。ところが、前世退行催眠の結果で、「地頭から嫌がらせをされる小作人だった」とか、「クルド人の老婆だった」とか、そう言った記憶は全く登場しないのです。

 仏教の輪廻の思想に基づくなら、ドラマなら『ブラッシュアップライフ』とか映画なら私も劇場で観た『TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ』とかのように、人間以外の生物の前世もあることになります。ならば個体数が歴史上非常に多いウイルスとか、ウイルスが生物ではないというなら、せめてミドリムシとか大腸菌とか、そういう記憶があっても良さそうに思えますが、そんなものが出てくるケースは聞いたことがありません。非人間の場合でも、「『千と千尋…』に出てくるような竜だった」など、まさに『千と千尋』を観て無意識に書き込まれたイメージが無理矢理引き出されただけのような話ばかりが出て来るようです。

 現代になってから催眠研究が急激に進んだ米国では、キリスト教観の影響からか前世退行催眠が大流行しなかったようですが、退行催眠の結果としての記憶が真実であるという大誤解から社会的大問題が発生し、それ以降、退行催眠の記憶は「偽記憶」と言われるほどに、その信憑性を誰もが評価しないという状況になったことはよく知られています。事件のきっかけになったのは、アイリーン・フランクリン事件だと私は聞いていました。

 この事件は、1989年から1990年にかけて抑圧された記憶に関わるヒプノセラピーを受けていたカリフォルニア州のアイリーン・フランクリンが、セラピーの過程で、1969年に8歳で強姦殺害された親友のスーザン・ネイソンの事件の犯人が自分の父親ジョージであるという記憶を蘇らせました。さらにアイリーンは1976年にもジョージが殺人を犯していると証言したのです。

 一般の人々である陪審員は子供の記憶を真正直に受け止め、ジョージは殺人罪で有罪判決を受け、7年間の投獄の後、逆転無罪を勝ち取りました。彼には覆せないアリバイがあった上にDNA鑑定の結果も一致せず、1969年の事件については、テレビのニュースに基づく記憶であることが分かったのです。その後、ジョージは娘と当時の検察官を告訴しました。この事件の結果、ヒプノセラピーによって蘇った記憶の信憑性は極端に低くなりましたと、私は理解していました。

 虐待などの記憶を蘇らせた結果、親を告訴していた患者達が、催眠療法家やセラピストに対して損害賠償を請求する医療過誤訴訟が連続して米国で発生するようになりました。あらぬ理由で家族を引き裂く重大な社会問題として認識されるようになり、「偽記憶症候群」と言う言葉までできたと言われています。

 それと、もう一つ、私がこれに近い話を映画で観て知っていました。それはエマ・ワトソンとイーサン・ホークが出演している佳作サスペンス『リグレッション』です。この作品は、米国ミネソタ州で刑事が、父親の虐待を告発した少女の事件を捜査していて、少女も父も記憶が曖昧であることから真相を究明すると、それが単なるDV話ではなく、町全体が関与している宗教儀式が関係していて、他にも同様の事件が多数起きている事実を見つけ出す…というような流れの話です。それは悪魔崇拝の宗教の儀式だったのですが、それが全部でっち上げられた記憶によるものと判明して映画は終ります。そして、この映画の最後には「退行催眠は今ではその記憶の信憑性が全くないものと考えられている」のような文章が表示されています。

 この映画を私はDVDで観たので、アイリーン・フランクリン事件のような殺人事件証言の変則的事例として悪魔崇拝の儀式の記憶が出て来たものと思っていました。DVDで観る作品であったので、ネットの映画解説を読んでいなかったからです。当然、アイリーン・フランクリン事件との時系列も認識していませんでした。ところが、今回、この『リグレッション』についての映画.comの紹介文を読むと…

[以下抜粋↓]

1980~90年代初頭のアメリカで、悪魔崇拝者による儀式が次々と告発され、人々が不安にかられて社会問題となった騒動に着想を得て生み出されたサスペンス。

[以上抜粋↑]

という文章が書かれていたのでした。つまり、『リグレッション』の方が時系列的には先であり、おまけに悪魔崇拝者の儀式の方がこうした偽記憶の社会的問題の中では主流で、アイリーン・フランクリンのようなシンプルに父の殺人の記憶の蘇らせるような事例は少数派だったようだと気づいたのでした。退行催眠がカギになっているだけでもこの『サタンが…』を観る気満々でしたが、その上で、映画.comで『リグレッション』もセットで調べてみて、必見ぐらいの認識に変わったのでした。

 映画を観てみると、描かれている社会問題の規模の大きさと、中には「両親がピザの配達員を玄関先で殺して、遺体をバラバラにして食べているのを見た」などという明らかに非現実的な我が子の証言によりあらぬ嫌疑をかけられて有罪とされた人々が大量に発生している深刻度を考えると、大変不謹慎であることは分かっていますが、笑いを堪えるのが大変な映画でした。どう考えても有り得なさそうな悪魔崇拝の儀式や悪魔崇拝者の犯罪行為についての記憶を誰一人声を大にして否定することなく、1980年から10年余りに亘って人々はこの妄想の記憶に振り回され続けたというのです。どれだけ無知というか無学というか非常識な人々の構成比が米国では高いのかと驚嘆させられつつ、殆どギャグのような展開に笑えて仕方がなかったのです。

 冒頭辺りで述べた本作の「人騒がせな嘘で売名しようとした医師とその医師に承認欲求を満たしてもらいたく、またいっそ妻帯者のその医師を自分のモノにしたいとトチ狂ったメンヘラ女性が結託して」捏造記憶について書きまとめた書籍『Michelle Remembers』が発売されたのが1980年です。そしてこの映画の後半での事件のタネ証しのパートでは、『エクスシスト』が公開されたのが1973年で『オーメン』が1976年と説明されています。悪魔崇拝者のイメージを子供が得るには十分な内容で、当時全米の殆どを占める田舎町ではケーブルテレビが普及していましたから、数少ない娯楽としての映画館での映画鑑賞とケーブルテレビの映画チャンネルで、こうしたオカルト系の作品は、よく言えば純朴で悪く言えば無知蒙昧な多くの国民に悪魔崇拝信者の恐怖を植え付けたことと思います。

 さらに、この売名したい医師はテレビのヒットドラマ『シビル』という精神科医が患者の犯罪記憶を蘇らせるという物語を観て、(自分の患者の似たような症状のモノを使って、)自分も同じように有名になれると周囲に言っていたことも映画の後半で暴露されています。承認欲求オバケの肥満女性ミシェルは売名欲オバケの精神科医と略奪婚に成功しますし、書籍販売の収入だけに全く留まらず、全米での講演活動や、テレビ出演、さらに悪魔崇拝者事件対応についての専門家として、警察関係者やFBIにも研修を広く行なっていますが、あまりの社会現象の暴走状態に精神科医の方が怖気づき、結果的に二人は離別します。

 催眠は特定の対象者と催眠術師の組み合わせで何度も施術が行なわれると、どんどん催眠状態が深くなり、どんな暗示も受容れるようになっていきます。ミシェルは先述のようなオカルト系ホラー映画の影響のみならず、精神科医が教会関係の活動でアフリカに行った際の現地の部族の宗教儀式の映像を見せられているようですが、そこには鶏を殺し生贄にしている様子や、まるで生首のように見える木製の面が並ぶ様子などが映っていました。ただでさえも催眠を何度もかけているのに、1度の催眠状態も数時間に及んでいたようで、これでは記憶そのものがぐずぐずに崩れ、何が現実で何が妄想なのかの区別もつかなくなって当然です。精神科医はその長時間の催眠状態のミシェルの言葉を記録すべくずっと当時のデカいリールのテープレコーダーを回していますが、録音された音声の中に、ミシェルが「もう何が現実なのか分からない」と泣き叫んでいる声もあります。

 この作品に拠れば、『Michelle Remembers』出版以降、全米に広がった悪魔崇拝者の組織的犯罪行為の虚偽告発は全米で数百件にも及んだとされています。夫を寝取られた精神科医の元妻は、ミシェルの証言を検証しようと、ミシェルが子供時代に住んでいたカナダの田舎町を調べて、1年半近くもミシェルも含む数人の子供監禁しつつ、動物や(人間の)赤ん坊をどんどん持ち込んでは殺して生贄にし、さらにそれを集団で食べるなどの好意を行ない続けるようなことがあれば、到底小さな町で誰も気づかない訳にいかないことという当たり前の事実に気づきます。ミシェルの学校のアルバムを調べると、そこには『Michelle Remembers』に明記された日付を含む時期にも、ミシェルは校内の集合写真にはっきり写っているのです。興信所の調査員でもなければFBIでもなく、一般人がちょっと調べれば全くの捏造であることがすぐに分かるようなホラ話に、全米が踊らされたと言う馬鹿げた話です。

 ただこの作品は私にとってただの不謹慎ながら抱腹絶倒だけの作品に終わることはありませんでした。劇中にサタン教会の元代表である女性が登場して色々証言するのですが、その発言で私は初めて悪魔崇拝者と呼ばれる人々の主張を知り、私が留学前の高校生の時代から積み重なり始めていた数々の疑問が氷解したのでした。

 劇中のサタン教会の主義主張があまりにまともだったので、どこにも悪魔が関係しているように聞こえないのです。そこで鑑賞後帰宅して早速ウィキなどを読んでみたら驚愕しました。サタン教会についてのウィキの記述の中から「サタニズムにおける9の罪」と「地上におけるサタニストの11のルール」を抜粋します。

[以下抜粋↓]

サタニズムにおける9の罪

1.愚鈍さ
2.虚栄
3.唯我主義
4.自己欺瞞
5.群れに従うこと
6.見通しの欠如
7.過去の正統の忘却
8.非生産的なプライド
9.美意識の欠如

地上におけるサタニストの11のルール

1.求められてもいないのに意見や助言を与えないこと。
2.他人が聞きたがっていると確信しない限り、悩みを話さないこと。
3.他人の住み処に入ったら、その人に敬意を示すこと。それができないならそこへは行かないこと。
4.他人が自分の住み処で迷惑をかけるなら、その人を情け容赦なく扱うこと。
5.交尾の合図がない限りセックスに誘わないこと。
6.こんな重荷降ろして楽になりたい、と他人が声を大にして言っているものでない限り、他人のものに手を出さないこと。
7.魔術を使って願望がうまくかなえられたときはその効力を認めること。首尾よく魔術を行使できても、その力を否定すれば、それまでに得たものを全て失ってしまう。
8.自分が被らなくても済むことに文句を言わないこと。
9.小さい子どもに危害を加えないこと。
10.自分が攻撃されたわけでも、自分で食べるわけでもない限り、他の動物を殺さないこと。
11.公道を歩くときは人に迷惑をかけないこと。自分を困らせるような人がいれば止めるよう注意すること。それでもだめなら攻撃すること

[以上抜粋↑]

 どこにサタンとの関わりがあるのか全く分かりませんし、日本人の価値観による「一般的な常識」や「褒められるものではなくても、普通はそうする」的な事柄ばかりです。逆に、これがサタンの訓えなら、(特に米国の)キリスト教徒はこれらに反対していることになります。そちらの方が私たちの感覚では異常に見えます。例えば、「…の9の罪」の方は、サタンから見た罪なので、キリスト教信者には良いこと、ないしは当たり前のことと言うことになります。つまり、キリスト教信者は、愚鈍ですし、集団に盲従はしますし、意味なくプライドが過剰で、美意識が欠如していて、物事を俯瞰したり見通しを立てたりすることができないバカと言うことです。

 なぜサタン教会がこうした教えを掲げているかと言えば、サタン教会は端的に言うとサタンや悪魔などどうでもよく、単にキリスト教の訓えやルールで雁字搦めになっている人間の解放を目指しているだけだからです。ただ「キリスト教的な神の縛りから解放されましょう」と言っても、インパクトが弱く、人々の心に刺さらないため、反「キリストの教え」ということでサタンを掲げているだけということのようなのです。

 劇中に出てくるのはサタン教会の創設者の愛人にして二代目の代表だった女性ですが、彼女の証言によると創設者は頻繁にテレビなどに出演して、世間で子供たちの記憶に登場するような悪魔崇拝の儀式をサタン教会は行なっていないことや、まして赤ん坊を誘拐して来て切り刻み食べたりしてはいないことなどを、何度も何度も説明していたと言います。なるほど当然でしょう。

 この作品のこうしたサタン教会の教えを知り、私が数十年の時間抱いてきた以下のような疑問が、一気に氷解しました。因みに私が留学していたのは1988年からの2年半ですからまさに全米で悪魔教崇拝者による事件が多発している人々を恐怖のどん底に陥れているピーク時だったということが分かりました。

▲なぜ曲の中にも悪魔的な要素がほぼ全くない(一部の北欧メタルやウケ狙いで悪魔を奉じるディオなどはちょっと置いておき)メタル系のアルバムのジャケットが(とりわけ(私には過剰劣化版B’zに聞こえる)アイアン・メイデンの有名なエディを始めとして)悪魔系のおどろおどろしいデザインになっているのか。

▲留学中に特に悪魔についての言及が全くないホワイトスネイクの曲を口遊んでいたら、「悪魔教徒!」と罵られ石を投げられるようなことになったのか。

▲オレゴン州の山間の片田舎の街で、1980年に湾岸戦争が始まると、「サダム・フセインが攻めてくる。皆で戦わねばならならい」と人々が口々に言い、ホームセンターで機関銃と銃弾とフセインの顔が描かれた的がワゴンセールで投げ売りされていたりしたのか。

▲なぜホラー映画の影響ならまだしも、悪魔崇拝者がヘヴィメタの影響で増えるという風に米国では結構広く信じられているのか。(コロンバイン高校の生徒による銃乱射事件も、事件前にジューダス・プリーストを聞いたことが原因だという説が実しやかに囁かれています。因みにクイーンの『Killer Queen』は逆回転させると、悪魔崇拝の呪いの言葉になっていると言われて、「Satan is No.1」と何回も繰り返されると言われていましたが、それを口遊んで見せる学生はすべて「Another one bites the dust」の部分のメロディで「Satan is No.1」と言っていました。既に曲が違う時点でバカ丸出しです。)

▲留学時代に「宗教は何か」と聞かれて、彼らが信じるような全能の神の存在を信じないので「無神論者(an atheist)」と答えると、「悪魔教信者じゃないのか」とかなり高い確率で言われたのはなぜか。

▲なぜ留学から帰国して何年か経ち、結構好きになったマリリン・マンソンの『Fight Song』は…
 I’m not a slave
To a God that doesn’t exist.
I’m not a slave
To a world that doesn’t give a shit.
 のリフレインから、「Fight! Fight!」の連呼に至り、
 それは誰と戦えということだったのか。

 これらはサタン教会がサタンを奉じているとする理由や、それに対するサタン教会に拠れば愚鈍な人々が嫌悪や忌避感を強く抱いていること、そこには理性的な思考が全く欠けていることなどが分かるとスッキリ理解できます。非常に有益な映画でした。おまけに、米国の大多数派である田舎に住むキリスト教原理主義者の人々の状況を私の知る範囲で説明する際に、特徴を一言で言うのが結構大変だったのですが、これからはサタン教会のウィキを示せば良さ気なので、非常に助かります。

 劇中で女性のジャーナリストで最終的にこの偽記憶による多数の悪魔崇拝儀式事件の実際を暴き、「ブーム(?)」の終焉に一役買った人物が、ジャーナリズムはこうした社会的不安の根源を暴き人々に伝える使命があると思って、それにずっと邁進してきたが、それだけ暴いてもまた次が出て来て、無力感に襲われる。最近のピザゲートなど、人々は不安に進んで踊らされている」と言った趣旨の発言をしています。

 確かに悪魔教信者ではなく今度は不安のタネがトランプと選挙戦を争うヒラリー陣営になり、ここでもまた赤ん坊や幼児を実在するピザ屋の地下に拉致しているという噂があっという間に広まり、実際には地下室が全くないピザ屋にライフルを持って殴り込んでくる人間まで現れ、事件化しました。このジャーナリストの言う通りです。その根源は何であるのかと言えば、端的に言って私はセム一神教の中でも特にキリスト教に顕著な低読解力による学びからの隔絶だと思っています。

 欧米で何かの社会問題があると「出羽守」の人々が「日本も他人事ではない」と騒ぎ出しますが、少なくとも日本人がこのドキュメンタリーで描かれた「サタニック・パニック」に全国で振り回されることは考えにくいでしょう。関東大震災の頃に「鮮人が井戸に毒を入れる」とパニックになった人々が関東のあちこちに現れましたが、少なくとも数百件の規模ではありませんし、地理的にも福田村事件なども含めて関東地区に限定されていますし、サタニック・パニックとは異なり時代が大きく異なります。

 オウム真理教の一連の事件の後、宗教団体はまるでこの作品の妄想の悪魔教信者のような危険視をされることがあるのは間違いありませんし、現実に悪辣なカネ集めの犠牲になった人々もたくさんいると報道されています。しかし、流石に日本で、特定の実在する蕎麦屋の地下で拉致された子供が虐待を受け死を待っているなどと、SNSで流して義憤から包丁を振り回しつつ暴れまわる人間が登場する…などというのはかなり考えにくいように思えます。

 いずれにせよ、本来の映画の主題から離れて、色々な学びがあり、結果的に数十年に亘る時間の中でずっと解けなかった疑問の数々が氷解したのは大きな収穫です。DVDは間違いなく買いです。

追記:
 この作品のパンフの10ページ以上の紙面の下部欄外にはこの映画の邦題の候補案が列記されているという、珍しい記述を見つけました。『サタンといっしょ』、『今日からはじめる悪魔崇拝』、『悪魔がいっぱい』などなど、おかしなタイトル案が延々と並んでいます。ミシェルはややアフロ気味の髪型ですが、案の一つは『悪魔のパーマ』で、天然パーマで子供時代から良い想いをしたことがない私は共感と共に笑えました。