6月27日の封切から2週間余り。7月2度目の日曜日に調布駅近くの商業施設内の映画館で観て来ました。夜9時35分からの回です。この館では1日2回の上映です。先日『かくかくしかじか』を観た多摩センターの映画館での鑑賞が、新宿駅南口界隈のマンションから23区内の銀座や室町、有楽町の劇場での鑑賞とあまり移動時間も含めたトータルの所要時間が変わらずにできたことに味を占めて、多摩センター手前の調布での鑑賞も試してみることにしたのです。
上映回数の動向を見ると、それなりに人気作で、交友の狭い私の周囲でも観たいと思っている人間を数人知っているぐらいなので、もっと流行っていて良いように思えますが、上映館数・上映回数と封切からの時間長で見ると、あまり芳しくないように思えます。観逃しのリスクを恐れて、(既に今月5本目の劇場映画鑑賞でしたが)急ぎ観に行くようにしたのでした。
この作品は新宿ではバルト9と歌舞伎町のゴジラ生首ビルの映画館でやっています。前者では1日3回、後者では1日2回の上映が為されていますが、バルト9は先日行った際に、シニア料金を65歳からに変更していて、以前一旦シニアになった私はまた一般価格に再ランクされてしまいました。私はこれを「俄か老人イジメ」と解釈しています。仮に交通費がかかっても、他で都合よく見られる選択肢があるのならバルト9と言う劇場鑑賞選択の優先度合いを引き下げることにしたのでした。ゴジラ生首ビルの方は街の猥雑な性格は気にならないのですが、オープン当初に特に酷かった館全般のサービス姿勢が嫌で(それが総じて良くなっている現在も)あまり行く気が起きません。敢えて言うなら優先度を下げたバルト9よりもさらに優先度がデフォルトで低いような状況です。
勿論、新宿以外の館は徒歩で移動ができないので、交通費が多少掛かり、それを加えると仮にシニア枠がある映画館で観ても、新宿で見るのよりも高くなるケースは頻繁に発生しますが、金額そのものの問題よりも、老人となったので、残り少ない人生の時間の投じ先として、気分を害するリスクが高いものを避けたいという単純至極な動機で劇場を選んだ結果です。
4年ぶりぐらいに訪れたはずの調布の街はかなり変貌していました。4年ぐらい前に来た際にもかなり変貌していたのですが、エキチカのマンションに住む知人を訪ねて来て駅周辺の喫茶店で2時間ほど話しただけの用で見回した調布駅周辺は工事現場を遮蔽する金属製の塀ばかりで、何が起きているのかさっぱり分からなくなっているという意味で変貌していました。そしてその工事の結果を今回目の当たりにすることになったのです。到着した時点で既に辺りは暗く、ビルや駅前ロータリーの照明で見える範囲の風景は、遥か以前私が住んでいた頃の調布駅周辺とは全く変わっていました。私にとっての変化度合いは先日『ナニカ…』と『6人ぼっち』を観に訪れた下北沢駅周辺同様で、浦島太郎気分はあまり変わりません。
私は40年少々前からの2年間、調布市民でした。調布市と世田谷区の境目に接する調布市入間町だったので、使っている駅は小田急線の成城学園駅か京王線の仙川駅で調布駅に来ることは殆どありませんでした。ただ、インターネットも何もない時代、20歳の初めての上京時点で、私が調布市について知っている情報は、地図上での何となく23区の西に位置する市ということと、(電話局職員だったので知っていましたが)市内で市外局番が03と04Xが混在する珍しい市ということと、全国で多分たった一ヶ所だけ野菜売り場があるパルコが存在すること、鬼太郎の目玉おやじの発言に拠れば神社に猫娘が住んでいる市ということだけでした。
そこで、上京して調布市入間町に住むことになってから暇ができた週末、私は調布の神社を調べてみて(インターネットもない時代に、確か交番で「調布の主要な神社はどこか」と尋ねて)布田神社を見つけ数度通って銀塩写真の頃の写真を撮影したりしたのでした。当時そう言う表現もありませんでしたが、聖地巡礼だったと思います。当然のことですが、非常に残念なことに猫娘に会うことはありませんでした。今のように洗練されていず、田舎臭い顔つきと格好の猫娘の時代です。
駅の映画館に近い方の出口を出ると、40年前にも既に存在したパルコは今でも(風景が変わったのと記憶が定かではないので微妙ですが)同じ位置に存在し、夜間にすでに閉店していましたが、近くによって看板を観たりネットで調べたところでは八百屋は現存するようでした。驚くべきことのように思えます。さらに映画館の方に歩くと、暗がりに何か黒い大きな塊がドーンと立っていました。人間の伸長ぐらいあるサイズです。
よく見てみると、それはぬりかべの銅像で巻物を広げて正面の相手(この場合は私)に読めるように示しているのでした。何かと思えば、今は亡き水木しげるが長く調布に住んでいたようで、駅前の商業施設沿いの細長いエリアに何か記念ロードのようなものがあるということのようで、その東端らしき場所にぬりかべがたっていたのでした。拙宅には身長10センチ少々のビーズクッションのぬりかべの縫い包みがいますが、かなりそれと似た表情で、非常に親近感が湧きました。40年前に猫娘に会うことは叶いませんでしたが、40年余りを経て、調布の地でぬりかべに逢うことができました。
映画館に着くと、響きが飲み屋の「ハッピーアワー」のようなハッピーナイト(夜8時以降の上映作品に適用される)料金と言うことらしく、たった1300円でした。しかし、調べてみると、ハッピーナイトではない時間帯にシニア料金設定は存在していませんでした。世の中全般で見ると一般料金1900円や2000円の映画館が増え、さらに歌舞伎町には一般席4000円以上という映画館もある時代に、一般料金が1800円なのは良心的と解釈すべきかもしれません。
上映時間10分前までロビー内をウロウロしていると、プロジェクターで投影しているため、やたらに画面が暗いロビー頭上(それも壁際の上ではなく、実質的にロビーのど真ん中の頭上)に配置されたモニタで、最近段々と気になり始めた『TOKYO MER…』、さらに『沈黙の艦隊…』などのトレーラーを観ることができました。画像が暗くよく見えませんでしたが、結構そそられました。特に劇場内に入ってからは『TOKYO MER…』の大型横位置ポスターもあり、そこには私が降板したのかと思っていた中条あやみも存在していて、トレーラーの情報も合わせると、場所が南海になったので、物語の主要部分に登場していないだけということのようでした。
館内アナウンスで短いのに、「ルパン・ザ・サード・ザ・ムービー」という「the」が二回含まれるタイトルを初めて音声で聞いて違和感を持ちつつシアターに進みました。
この館では11個あるうち小規模な62席のシアターに入ると、ざっくり15人程度の観客が最終的にそろったように思えます。概ね単独客で、2人連れは私が気付いた範囲で2組でした。男性が圧倒的多数で女性は3人ぐらいだったと思います。女性客は皆40代以上から高齢者と言う感じだったように記憶します。残る過半数の男性は、最近比較的よく見るパターンですが、年齢がかなり二極化しており、20代数人と残りは私も含めて60代以上といった感じのグループでした。(間の年齢層も居たかもしれませんが居ても1名ぐらいではないかと思います。)
この映画の概要は映画.comの紹介文に簡潔にまとめられています。
[以下抜粋↓]
モンキー・パンチ原作の人気アニメ「ルパン三世」シリーズの劇場版。ハードボイルドな作風とスタイリッシュな演出で知られる小池健監督による「LUPIN THE IIIRD」シリーズの劇場版で、「ルパン三世」シリーズとしては、1996年に公開された「ルパン三世 DEAD OR ALIVE」以来となる2D劇場版アニメーションの完全新作。
ルパン三世と仲間たちは、彼らに刺客を送り続けてきた黒幕の正体と隠された莫大な財宝を暴き出すため、世界地図に存在しない島を目指す。しかし島に近づいたとき、乗っていた飛行機が何者かに狙撃され、撃墜されてしまう。一行が不時着したその島は、朽ち果てた兵器や核ミサイルが山のように積まれ、かつて兵器として使われ捨てられた“ゴミ人間”たちが徘徊する、まるで世界の終わりのような場所だった。霧に覆われたその島には、24時間以内に死をもたらす毒が充満し、逃げ場はない。島を支配する謎の男ムオムは“不老不死”を掲げ、選別と排除によって世界の支配をもくろんでいた。銃も刀も通じない“死なない敵”を前に、ルパンは過去と誇り、そして盗人としての矜持を懸け、知略を尽くした戦いに挑む。
[以上抜粋↑]
私はこの「LUPIN THE IIIRD」シリーズがかなり好きです。元々『ルパン三世』のアニメは好きだったのですが、アニメのシリーズが長くなればなるほど、そして『ルパン三世 カリオストロの城』というジブリファンを『ルパン三世』の世界に引き込み、『ルパン三世』の名が広く知られるようになればなるほど、私は何かその変質が嫌になってきました。取り分け、『ルパン三世 カリオストロの城』は原作者が「ルパン三世は少女の手を引いて助けたりしない」とそのイメージを否定したと言われていますが、(アニメとして観た時に当時のものとしては非常に上質であることは十分認めるものの)私はこうした『ルパン三世』を観る必要を感じなくなったのでした。
その判断が覆ったのは2014年のことです。『LUPIN THE IIIRD 次元大介の墓標』が公開されたのです。この作品を観逃してしまいましたが、私は2017年に観たシリーズ第二弾『LUPIN THE IIIRD 血煙の石川五ェ門』では、感想にこう書いています。
[以下抜粋↓]
私は、結構『ルパン三世』のアニメが好きです。テレビでアニメ放送が始まったのは1971年で、私は8歳でしたが、インターネットどころか、ビデオ録画の技術もない時代、テレビにしがみ付くようにして観ていました。ちょっとおかしな感じですが、私は当時、モーリス・ルブラン原作の『怪盗ルパン』シリーズを知りませんでした。アニメで『ルパン三世』を観ても、北海道の田舎町で、成人向けコミックの連載の週刊誌を読んだり、コミックを集めることもできず、『ルパン三世』はただアニメ作品としてだけ親しむことになりました。
それでも、作品がどんどん好きになり、何か関係のあるものを手に入れようと、買い集め始めたのが、ポプラ社のハードカバーの『怪盗ルパン全集』でした。『奇巌城』や『813の謎』など、10冊以上読んだと思います。シャーロック・ホームズの作品群は一切読んだことがなく、アルセーヌ・ルパンばかりを読んでいるのは、推理小説好きではなく、アニメ『ルパン三世』の影響からのことでした。
そんなアニメ作品も、(原作コミックに比べるとかなりマイルドになったとは言われているようですが)その後、ターゲットを若年層に移し始め、私は一気に興味を失いました。所謂ジブリ・アニメの原点で、宮崎駿の映画初監督作品として名高い『ルパン三世 カリオストロの城』も、第一シリーズのテイストがガッツリ入り込んでいる私には、何か全く別の作品にしか見えず、関心が持てませんでした。
そんな中、Movie Walker映画サイトに拠れば、「モンキーパンチによる原作の世界観に立ち返り、ハードボイルドなタッチで若き日のルパンたちを描いた『LUPIN THE IIIRD』シリーズの第2弾」となっているルパンの作品は一応観てもいいかなと思えました。ただ、第1弾の『…次元大介の墓標』の際も、「どんなもんかなぁ」と逡巡しつつ、他の作品を観ているうちに、上映が終わってしまいました。わざわざ、「劇場で見る必要はないかな」と言う思いやら、「第一シリーズの良さだけで十分じゃないかな」などと、「観よう!」と言う決断に至らなかったのです。
[以上抜粋↑]
この作品にはハマりました。そして、2019年に第三弾『LUPIN THE IIIRD 峰不二子の嘘』が公開されます。これも私の中ではエンターテインメント性の高い優れた作品でした。感想にはこう書いています。
[以下抜粋↓]
映画紹介サイトのこの作品の紹介文の冒頭は「スタイリッシュかつハードボイルドなタッチで人気を博した小池健監督による『LUPIN THE IIIRD』シリーズの第3弾」と書かれています。私もまさにこの点が好きなので、この作品はマストという感じで観に行ける機会を待っていました。このシリーズの第一弾の『…次元大介の墓標』は観ようかどうしようかと逡巡している内に終映を迎えてしまいました。そのDVDを観る前に上映が開始された第二弾の『…血煙の石川五ェ門』を観るか否かも少々迷いましたが、趣味で始めた催眠技術の関係で、武道の修行や実践におけるフロー状態についても関心が湧いたので、観てみることにしました。大当たりでした。
それで、慌てて『…次元大介の墓標』もDVDで観ました。私にとっては『…血煙の石川五ェ門』よりはやや魅力に劣るものの、とても楽しめる作品でした。とても楽しめる理由は、やはり、先述の「スタイリッシュかつハードボイルドなタッチ」であるものと思います。
『機動戦士ガンダム』でも私は所謂「ファースト・ガンダム」以外は全く関心が持てませんが、アニメの『ルパン三世』もファースト・シリーズの大ファンです。テレビでアニメ『ルパン三世』の放送が始まったのは1971年で、私は8歳でしたが、インターネットどころか、ビデオ録画の技術もない時代、テレビにしがみ付くようにして観ていました。そんなアニメ作品も、(原作コミックに比べるともともとスタート段階からマイルドだったはずですが)その後、ターゲットを若年層に移し始め、私は一気に興味を失いました。所謂ジブリ・アニメの原点で、宮崎駿の映画初監督作品として名高い『ルパン三世 カリオストロの城』も、第一シリーズのテイストがガッツリ入り込んでいる私には、何か全く別の作品にしか見えず、関心が持てませんでした。
そんなファースト・ルパンの中で峰不二子は、或る意味最も私が好きなキャラです。ウィキでは「誰もが見とれるグラマーな美女だが、性格は外見に反して自分の欲望に忠実な悪女で、目的のためならためらいなく他人を裏切る」と書かれていますし、「メカについては自ら「男の次に得意」と語るほど」であり、「格闘能力についても非常に高く」とあります。それだけなら、(出で立ちもそうですが)マーベルのブラック・ウィドウの泥棒版という感じにしかなりません。ブラック・ウィドウもネットなどで見る限り、かなり人気の高いキャラですし、私もスカヨハのブラック・ウィドウがかなりお気に入りです。
しかし、峰不二子の真骨頂はセクシャルな魅力をそのまま自分の武器として平然と使えることであり、その延長上にセックスでさえも何の違和感もなく位置している点です。元々峰不二子の裏切も計算ずくでルパン一味が計画を立てているという部分も多いものの、彼女のその「スキル」故に何度裏切られ、何度次元や五ェ門に諭されようとも、ルパンは峰不二子を見放すことができないでいます。その後の多くの物語のクールなヒロイン像に強い影響を与えた峰不二子ですが、オリジナルを超えるほどのセクシャルなウリを誇ったヒロインは殆どいません。
[以上抜粋↑]
この作品があまりに面白く、紹介文の「スタイリッシュかつハードボイルドなタッチで人気を博した小池健監督による『LUPIN THE IIIRD』シリーズの第3弾」という点から、小池監督の作品群を観てみると、『LUPIN THE IIIRD 次元大介の墓標』の2年前の2012年に『LUPIN the Third -峰不二子という女-』というテレビアニメ作品が存在していることを知りました。慌ててDVDをレンタルして全部観ました。『LUPIN THE IIIRD 峰不二子の嘘』どころではない暗く影のある峰不二子でした。次元は「性悪女」と露骨に見下し、銭形銭型は「安い泥棒」と呼び彼女を監獄に入れています。収監された峰不二子の色仕掛けに乗ってバンバン性行為を重ねていますが、ただの役得としか考えていず、峰不二子に利することを全くしていません。劇場版のこの時点で観ている三作(DVD鑑賞の『…次元大介の墓標』も含む)よりさらに原作コミック寄りだと思いました。
本番にこそ臨んでいないものの、峰不二子の魅力は『…峰不二子の嘘』でも全開で、敵の殺人マシーンのビンカム仕留める際もエロ全開です。
[以下抜粋↓]
前述の通り、テレビにせよ映画にせよアニメの『ルパン三世』はまあまあよく観ている方だとは思います。そんな私にとっての初めての峰不二子主演の作品でしたが、とても楽しめました。峰不二子が本作の敵役の殺人マシーンの男の「呪い」と呼ばれる攻撃方法が空中に散布された毒だと見極めた上で、「毒なら私の方が一枚上手だった。既にあなたは私の毒に犯されている」と言ったことを告げます。その殺人マシーンの男はその目的専用に訓練され続けたのみならず、クローン的な技術で生み出された気配まで(劇中で語られていませんが)醸し出されています。彼は普段はその危険性故に暗闇に拘束されています。そんな彼が峰不二子に襲いかかって圧し掛かってきた時に、峰不二子は「私をモノにしたくないのか」と彼に問いかけるのでした。
今際(いまわ)の際に彼は「何の毒を使ったのか」と問い、峰不二子は「愛と言う名前かしら」と答えるのでした。セックス・シーンやセックスが存在したことが明白な関係性も登場しませんが、峰不二子のエロティックさやそれを武器にした非情な立ち回りが浮き出して見える秀逸なストーリー・ラインだと思います。峰不二子の隠れた才能であるコンバット技術もドライビング・テクニックも披露される場面がきちんと用意されています。ルパン一家(?)の中で、ルパンと多分唯一同等の知性を誇り、単独の能力ならルパンさえ凌駕するレベルの峰不二子の魅力がコンパクトにまとめられています。一方で、峰不二子が自分の普段の武器が通じず、手を焼き、初期の目論みも修正せざるをなくなる相手が、子供でした。6億ドルの在り処を知っている子供を懐柔することができず、苛立つ峰不二子がとても新鮮です。DVDは間違いなく買いです。
本作でルパン一味(?)の三人の個別の物語は描き終わり、(まさか銭形の人間ドラマを描くことはないものと一応思いますので、)このシリーズは完了かと思っていましたが、今回の作品の中に前二作とのつながりが出てきて、そこが未解決のままに物語は終了しています。考えてみると、ルパン本人の話もこのシリーズではエピソード化されていないということにも気づきました。続くのなら、それらの話もぜひ観たいと思います。
[以上抜粋↑]
このように、私は『…峰不二子の嘘』の鑑賞以来、いつかルパン本人の話が登場するものと(今や遅し…というほどではありませんが、「出たら必ず観よう」ぐらいの気持ちでは)待っていたのでした。実際、『…峰不二子の嘘』のウィキにも「『次元大介の墓標』のゲストキャラクターであるヤエル奥崎、『血煙の石川五ェ門』のホークとサリファが再登場したことで、「LUPIN THE IIIRD」と銘打たれた作品群が同一世界観を共有したシリーズであることが作中で明示された。」との文章があります。『…峰不二子の嘘』のビンカムは死んでしまっていますが、ヤエル奥崎とホークは両者腕を負傷したり失ったりしていますが、生きていますから、その後も登場する可能性がこの時点で既に醸し出されていました。
この映画の厚めのパンフレットを買ってみて分かったのは、既に今回の映画封切に先立つこと約1週間のタイミングでなんと銭形の物語が『LUPIN THE IIIRD』シリーズの中で創られ公開されていたのでした。『LUPIN THE IIIRD 銭形と2人のルパン』です。配信のサブスクは全くやっていない私は全然その事実を知りませんでしたが、ウィキに拠ると「2025年6月20日にPrime Videoほかで一斉配信、WOWOWで2025年6月22日に放送された」とのことでした。これで今度こそ脇役全部の物語が出揃って完結編となりました。
これまでの作品群は配信ドラマの『LUPIN THE IIIRD 銭形と2人のルパン』も含めてすべて1時間弱ですが、本作は93分であることを鑑賞前にチェックしてありました。多分、これまでの物語を復習する場面が挿入されていて、この作品だけを観る観客でも楽しめるようにしたということかと思っていたら、その通りでした。
パンフには脚本を担当した高橋と言う人物が、「物語を構成するうえで常に難しいのは、“ルパンにしか気づけない謎”を設計することです。観客や他のキャラクターが気づける謎ではダメで、ルパンだけが見抜ける。それでいて観客が後から納得できる。そこを成立させるのが一番の苦労でもあり、やりがいでもあります。」と述べています。
ところが、今回の一応のラスボスであるムオムが登場して、その不死身さが分かり、全身を高熱で焼き尽くされても急激に体が再生して復活する様子などを見ると、当然このムオムの不死身の謎解きがメインだと意識されるようになります。世界地図ににないバミューダ海域の島に辛うじて登場人物達が上陸した後の島の様子を見ていると、ルパンが島の地中湖に落ちる場面で壁面が蠕動している様子が登場しています。そんなこんなを考えると、島全体が生物であるという想定に普通に行き着きます。そして人間の姿(と言ってもかなり頭部が縦長であまり人間らしくないルックスですが…)のムオムが不死身なのは、ムオムが島の小さなほんの一部だからなのではないかと推量することができます。実際に、ムオムは島から出ることがないような話が登場しますし、その仮説が一旦浮かぶと、後は押し寄せる津波なども島全体での何らかの躍動で都合よく発生させているのかもなど、どんどん辻褄が合って来るのです。そして、その仮説はその通りでした。脚本担当者の努力の甲斐なく、拍子抜け感が否めません。
ルパンは人間体に見えるムオムを焼却しようとして失敗してから、先程の仮説に従って島の心臓部(比喩ではなく本当の心臓です)を叩くべく火山の火口へと落ちて行きます。その後、地上に残ったムオムは当然の流れですが、残った登場人物達を片付けにやってきます。依頼された仕事に失敗したヤエル奥崎もホークも島で飼い殺しにされていますが、ホークはいきなり断崖からムオムによって滝壺にぶん投げられてしまってその後二度と登場しませんし、次元、五ェ門、銭形が共闘してもムオムの足を止めることすら儘ならないほどの無敵さです。これは勝算がないと日和った峰不二子は早々に島の奥地へとお宝探しに向かってしまいます。
総じて見ると、ルパンは一人活躍して、残りの人達は右往左往という構図に見えます。ルパンが地下のムオムの巨大な心臓に銃弾を撃ち込んでも、ムオムの動きは止められましたが、ムオムを滅ぼすことはできませんでした。溶岩流のようなムオムの血流を銭形が戦車で土砂を崩して堰き止めてしまって、漸くムオムを倒すことに成功しています。その意味では(意味も分からずルパンの最後の頼みと言われて砲撃で崖を崩しただけですが)銭形はムオムの止めを刺すのに貢献していますが、それ以外はムオムに追い詰められ、瀕死の殺し屋群に追いつめられて、ほぼいいとこなしです。寧ろ、ムオムに果敢に立ち向かいそれなりに善戦したのはヤエル奥崎だけでした。これもこの作品がスルッと終わってしまっている感じになっている要因の一つだと思われます。
劇中で強敵ムオムの出自も明らかになります。それは1978年に公開された『ルパン三世 ルパンVS複製人間』の宿敵マモーの血液を得て以上に進化した猿人でした。そして、マモーはムオムの様子を常に監視できていて、『LUPIN THE IIIRD』シリーズ全編はムオムを使ってマモーが嘗て煮え湯を飲まされたルパンがさらなる計画の邪魔にならないよう排除するためのモノだったようです。劇中終盤にマモーも登場していて、各国政府首脳とムオムの島が壊滅した後の世界の話をしています。この物語は『LUPIN THE IIIRD』シリーズの完結編と位置付けられていますが、マモーが黒幕だと明らかになって、それがまだ健在な訳ですから、完結編と呼んでよいのかどうか微妙であるように思えます。
それにしても、ルパンも謎解きに成功し島を崩壊させますが、鮮やかな見せ場があまり存在しない物語ですし、先述のように、次元、五ェ門、不二子は殆ど良いとこナシです。パンフには、峰不二子の声優が「今回の映画では、男たちがシリアスだったぶん、不二子はちょっとコミカルな立ち位置も担っていた印象です」と述べています。彼女が「これまでいろんな不二子像が描かれてきました。トロフィーワイフのような一面を見せることもあれば、宮崎駿監督が描いたような“戦う女”としての姿もある。」と言うように、不二子は他のキャラクターに比べて多様な役回りが割り当てられるのですが、私はやはり『…峰不二子の嘘』が一番よかったと思っています。それに比べて今回の峰不二子は終盤にクローン化されていてズラリと大量に現れる少女サリファに対峙するシーンなどにクールさはありましたが、見所が少ないキャラになってしまっているように思えました。
全般に絵は美しく、パンフをみても美術面が優れていることが映画の場面を紹介するページがイラスト集のように見えることでも分かります。今時のCG全開の美しい映像が続き、『LUPIN THE IIIRD』シリーズ前三作よりも際立っているように感じます。それでも前述のような物語構成の面での問題で残念感がかなりあります。
私は観ていない『LUPIN THE IIIRD 銭形と2人のルパン』以外の三作の方が入り込めた感じがするのは、やはり短い尺にギッチリ魅力を押し込んだ濃縮観によることなのかもしれません。ただ、先述の通りこの作品もそれら三作品と『LUPIN THE IIIRD 銭形と2人のルパン』の復習映像が含められていて尺が延びていて、本来の物語部分で言えば、私が観た前三作と大きく変わらないはずであろうと思えます。
とすると、ネタバレしやすい物語であったこともありますが、物語本編の魅力の問題と考えられます。どうやって勝つのか分からない強敵に予想もつかない1対1の戦いを挑んで、息を飲む勝負と刹那で決まる勝利といった、私が観た前三作にある盛り上がりの展開が含まれていないことが大きいのかなと思えます。
それでも単体で観ても、この『LUPIN THE IIIRD』シリーズが徐々に公開される中で観た3Dアニメ『ルパン三世 THE FIRST』に比べたら、原作のハードボイルドさが上手く採用された『LUPIN THE IIIRD』シリーズの1作として魅力を持つことは間違いありません。これで本当に完結するのか否かやや疑問は残りましたが、何にせよ、DVDは買いです。
追記:
帰途の調布駅に入るルート上で改札内から出てくる人々は20代の若者が9割以上と言う状態でした。勿論、何かの団体客と言う感じではありません。帰途の商業施設からぬりかべ周辺などでもぶらぶらしている20代男女はかなり存在して、少子化は一体何処で起きているのか不思議になるぐらいです。
11時半近くで、来た時に比べて人が大分掃けた駅の改札内で壁をふと見ると、アクリル板に東映のガメラやギロン、ギャオスなどのシルエットが描かれていました。色々と楽しい街です。多摩センター同様、遥か以前からの街の印象をリバイズするために、何度か散策に来る必要がありそうです。
追記2:
マモーはクローンを作り続けることで不死を成し遂げていましたが、ムオムの場合はマモーの血液を受容しているのがベースなのでしょうが、それ以外にもベニクラゲの「不死」の原理が採用されているとされています。地下湖のような場所に落ちたルパンの周囲を巨大化したベニクラゲが多数泳いでいます。ベニクラゲの研究による不死の可能性は、他のミステリー系のドラマや映画でも結構頻繁に登場します。この水中生物に詳しくない私でも、その絵を見ればそれがベニクラゲと分かるほどの頻度でネタにされているのです。この辺も前述のような脚本家の考え抜いた謎の底の浅さなのかなという気がします。