6月6日の封切から約1ヶ月経った水曜日の夕方6時20分の回を観て来ました。靖国通り沿いの地下に入るシアターが一つしかない老舗館です。
チケット購入の際に確認してみると、60歳以上にはシニア料金設定がされていました。前回『岸辺露伴は動かない 懺悔室』を観たバルト9の俄か老人冷遇の態度が際立つように思えました。今回はシニア料金でと意気込んでいたら、当日は水曜日のサービス料金適用でシニア料金と同額の1300円でした。
1日2回の上映です。23区内では2ヶ所しか上映しておらず、どちらも1日2回。都下23区外ではさらに2館で上映中ですが、いずれも1日1回の上映と、全合計で見る上映回数はかなり限られています。結構マイナーな映画だと思います。
主役は少なくとも私には全く無名の女優でした。深川麻衣と言う人物でウィキに拠ると現在34歳の元乃木坂46の人物のようです。乃木坂46は全然よく知らず、ドラマや映画でも観た覚えが全くなかったのですが、ウィキに拠ると今年早々に私が劇場で観逃した『嗤う蟲』の主演女優だったようです。『嗤う蟲』がDVD化されたら改めて観てみたいと思っています。ウィキに拠れば、彼女は私が最近仕事で2ヶ月に1度日帰りで行く静岡県磐田市の出身らしく、2023年には「静岡いわたPR大使」に就任したとのことです。また乃木坂時代の自身のPVには北海道深川市のJAとタイアップした話があるようで、深川市のコメを検索すると「ふかがわまい」でこの女優の名前となるため、JA深川が依頼したとか言う話が書かれています。深川市は私の祖母と祖父の墓があり、毎年夏には墓参に行く街で、子供のころはもっと頻繁に訪れていました。何かと行く先々に縁がある人物であるように感じられました。
劇中、私が顔と名前が一致するレベルで分かるのは、脇を固める室井滋、松尾貴史、そして小泉今日子と不倫関係であることをカミングアウトした事実が最初に思い出される豊原功補ぐらいです。この(最近DVD『朽ちないサクラ』で観たばかりの)豊原功補の不倫のケースは他の芸能人の不倫話に比べて簡単に鎮静化し、小泉今日子の開き直り度合の方はそれなりのバッシングが当初あったようではありますが、殆ど話題になっていません。
そのように考えると、こうした芸能人の不倫騒ぎのアホ臭さを痛感せざるを得ません。彼に社会的に何らかの制裁を加えなくてはならないことであるのならば、誰しもそのようなことになったら同等の罰が加えられるべきだと思いますが、そうしたことが全くありません。小泉今日子とこの豊原功補に比べて、過去のベッキーや矢口真里、夫が自殺したという上原多香子に、不倫相手が首つり自殺した荻野目慶子など、さらにアパ不倫のゴマキに泥沼広末涼子など、扱いがあまりにバラバラ過ぎます。私は叩くなら公平さが必要だと思っていますが、元々芸能人は一般人と常識が異なると思っていますし、一般人でも坂爪真吾が言うように不倫はインフルエンザ扱いだとも思っていますので、あって不思議なく他人にはどうでも良いことであろうと思っています。
いずれにせよ、私が認識できる俳優陣が非常に限られた作品ではあります。そんな作品を是非観に行こうと決めたのは、京都人の隠されている(ことになっている)意地の悪さであり、余所さんに対する排外的態度といったことがテーマとなっているからです。この作品のタイトルがまさに有名な来客を帰らせるための京都の言い回しですので、タイトルを観ただけでテーマが分かる作品です。チラシのオモテの下部にはわざわざ「なんでも言葉通りに受けとったらあかんで」とぽつんと目立つように配置されています。タイトルの『ぶぶづけどうどどす』は縦書きで中央に配置され、この台詞は左下隅に横書きでポツンと書かれているのです。余程付け足したかったのでしょう。因みにチラシには主な登場人物が劇中の老舗扇子屋の扇子を開いて各々に口を隠しているデザインになっています。一目で言いたいことがよく分かります。
私は20歳の頃、(高校の修学旅行に行かず、奈良・京都を見て回る機会を逸しているので)貧乏旅行で京都奈良を回り、その際に自分が育った北海道では全く見ることがない同和地区を視察に行き、京都駅近くのそのエリアで住民に警戒されて石まで投げられたことがあります。2015年の『京都ぎらい』を読んで、京都の中でも洛中と洛外のカースト的階層があることを知り、いつまでも「天皇はんは東京にお出かけになってるだけ」などと言いはる妙なプライドにも段々と嫌悪感を強めるようになりました。同著者はさらに『京都ぎらい 官能編』を書き、『京都まみれ』で京都人の東京に対するねじれた感情についても言及しているようです。(私は『京都ぎらい』で十分嫌になったので、その後の2作は読んでいません。)その後、図書館関係の仕事で京都に赴き図書館業界で受勲までしている神様のような人に話を伺う機会が数回ありましたが、余所さんであっても客でしかなかったせいか、全く違和感なくお付き合いさせていただけました。
ただ、観光や仕事上の訪問では見えない部分が先述の書籍群などには縷々書かれており、その後『翔んで埼玉』の続編にさえ、京都人の会話の翻訳機から漏れ出る下卑た本音などのシーンを見ると、笑いを超えて何かウンザリするものを感じてしまいます。そんな自尊と卑屈がウラオモテになったような京都の人々を描く物語に期待してしまったのが、この作品を観に行こうと決めた最大の理由です。
私以外にざっくり数えて25人ぐらいの観客がいました。性別では女性6割男性4割といった感じでした。年齢層は50代以上に集中している感じで、例外的に20代ぐらいがほんの数人いました。単独客が圧倒的に多く男性は全員単独客だったと思います。女性の方は母娘らしい2人連れが1組(この娘の方がほんの数人の20代の観客のうちの1人です。)と3人連れの中高年女性1組でした。
観てみると、私のすぐ後ろに陣取っていた件の中高年女性三人連れなどが、笑い続けており、両サイドの何処かの辺りからも男性の笑い声がフフフ、ハハハと聞こえてくるぐらいに笑えるポイントは多々あります。特にめげないヒロインが、若女将らしき人々から吊るし上げられようとも、姑から徐々に露骨になる嫌がらせを言われようとも、自分が原作を書くマンガ(映画評やパンフでは「コミックエッセイ」と書かれていますので、聞きなれない言葉ですが、この感想記事でも以後、そう表記することにします。)に反撃を集中させ、自分が受けた仕打ちをいちいちおどろおどろしい4コマコミックエッセイに落とし込んで映画館のスクリーン上にドアップで見せるのには、私も腹を抱えてしまいました。
主人公の後半のラスボス的な敵は豊原功補演じる上田という不動産屋の社長で、京都の町屋を買い取っては、京都風のカフェやゲストハウスなどにしてカネを儲けている存在で、なんと主人公の姑が伝統の老舗扇子やをこの男に引き渡すことに決めてしまったのです。京都の顔を守る使命感に燃えた主人公がこの時点で大分乗りに乗って来ていたコミックエッセイ『京都老舗赤裸々レポート』で彼の悪行をおどろおどろしく暴き徹底抗戦をするという展開になります。
しかし、彼女の敵はこうした京都の若女将や姑、(主人公の目には)街を壊す不動産屋だけではありません。東京に残って働いている老舗扇子屋の息子で主人公の夫は、彼女が京都愛に狂って奔走しまくっている最中に不倫を始めています。彼女が予定を告げず東京の家に戻ったら、居間に服を脱ぎ棄てて、女性がシャワーを浴びている最中でした。取り繕おうとする夫を尻目に(さらに、シャワー中の女の正体を暴くこともせず)主人公は京都に戻ります。京都にも裏切られ、夫にも裏切られた彼女は、自分の京都愛だけに生き、邁進から暴走へとギアを上げて行きますが、さらにもう一つ彼女につらい現実が押し寄せます。彼女のなくてはならないビジネスパートナーで作画担当者が、実は夫の不倫相手だったのでした。しかし京都愛に狂った彼女には既にそんなことさえどうでもよく、京都の老舗扇子屋を自分が継いで、京都の顔を守ることに猪突猛進して行きます。
夫が迎えに来た京都の扇子屋では京都愛を振り回す主人公に姑が耐え切れなくなり本音で、「あんたに女将は無理や。うちはあんたのことが嫌いや」と言いだし、「炊飯器じゃのうてこんな土鍋でご飯宅苦労をいつまでもするような町屋なんかさっさと売っ払って、マンションで楽に暮らしたいんや」と叫び出します。すると主人公は、自分が京都の扇子屋を継ぎ、夫と姑で東京のマンションに住むように勧めるに至るのでした。
そして最後にダメ押しで事件が起きます。それは自身の「研究室」と呼ばれる奥の茶室に籠りがちだった舅がしていたのは、SNS上での上田社長への中小誹謗や殺害予告などでした。それが警察にばれて刑事に逮捕され家から連れ出されて行きます。京都の老舗扇子屋も家族崩壊で、伝統もへったくれもあったものではないという状況になってしまいます。主人公はこのあまりに急な展開に呆然とはしていますが、何はともあれと言う感じで、ぶぶ漬けを用意し、「おかあさぁん。ぶぶ漬けどうですか」と声をかけても返事はなく、ご飯がふやける前にと、自分でそれを啜るのでした。姑と継ぐ気もなく東京で会社員をする息子がぶぶ漬けを食べることなく家(、そして京都)を去り、京都愛に狂った主人公はそのまま町屋で一人で若女将を務めることになっていくであろうという所で96分の短い尺は終ります。
京都をホントに愛しているのは誰だったのだろうと、一応考えさせられます。主人公の京都愛はやたらに盲目的で、あまり歴史的背景やら何やらを理解して好きになっている様子ではありません。寧ろ、最初はたまさか自分が京都の老舗の嫁になったことを利用して、コミックエッセイを描こうと思い立っただけのノリだったのが、追い詰められ、試されて、どんどん京都愛を振り回すだけの存在になったように見えます。
「老舗の■■でっせ」といろいろ老舗を継ぐ人間の矜持を口にする姑も実はマンションに住みたかったのですし、楽ができるのなら東京に移住するのでも構わないぐらいなのが本音です。舅はあほぼんと言われる昼行燈のような男ですが、京都のことは一応愛しています。しかし、表立って行動することもなければ、自分の考えを述べることもほぼなく、蔭でこそこそやるだけの状態です。主人公のコミックエッセイを最初から最後まで支持する大学教授が登場しますが、彼も「何があってもファンです」とまるで主人公との恋路が始まるような台詞を吐きますが、それだけでしかありません。
見ようによっては、現代にアレンジした形できちんと京都の町屋を生き残らせることを考えていた悪徳(と思われている)不動産屋の社長の方が、京都のことを一番真面目によく考えているようにも考えられるのです。
先述の通り、周囲の観客の笑いに私も一緒になって笑っていたほどですから、確かに愉快な作品です。しかし、主人公の暴走ぶりが一段また一段と嵩じて行くにつれて、その先にある崩壊や凋落も想像される緊張感があります。そこに音楽がチャカポコした奇妙な感じで被さり、断続的にそれも劇中の他の音を塗りつぶすぐらいの音量で流れる様子が常に不穏さを感じさせます。変わったテイストの作品だと思えます。(監督は『乱暴と待機』を監督した人物ですので、さもありなんという気もしなくはありません。)
これも先述の通り、主人公は押し寄せる向かい風に立ち向かう形でどんどん暴走を始めます。主人公に対して押し寄せるバッシング、不倫ネタ、不倫相手の露呈、U社長との戦争、そして姑の本音の暴露、最後の止めに義父の犯罪。それでもめげずに、というよりも、鬼気迫る感じで周囲を押しのけ若女将になろうとしています。その尋常じゃない様子は、或る意味、ドリフのコントのように現実から逸脱して行き笑えます。寧ろ『逆噴射家族』のノリかもしれません。
ただ、こうした主人公に襲い来る波風の元凶は、主人公が姑の留守中に店番をしていて、勝手にローカルテレビ番組の取材に扇子屋の若女将として登場して、京都の若女将たちから聞いた耳知識をまるで自分の考えのように滔々と述べてしまったことでした。これは、別に京都人でなくても、行き過ぎた態度として感じるのが普通であるように思えます。後で本音を出し始めた姑が主人公のことを「慎ましさがない」と詰るのもまあまあ理解はできます。
(勿論、本人も当初はそのように感じ、放送した番組のネット上からの削除を制作会社に押しかけて直談判していますが失敗しています。)消せないとなると、そこで主人公は開き直り、京都の姑・舅にきちんと説明することもなく思い込みの中で加速して行きます。姑や舅には主人公のコミックエッセイやSNSの活動などのありようやその影響なども分からないことと思いますので、コミュニケーションが成立するか否かはかなり怪しいですが、それでも、彼らの了解を得るプロセスは形式上でも必要であったろうと思われるのです。
レビューにも指摘が散見されますが、そうした無理筋のストーリー設定に難があるようには思います。しかし、(たとえばここ最近の所では『翔んで埼玉 琵琶湖より愛をこめて』や『聖☆おにいさん THE MOVIE ホーリーメンVS悪魔軍団』のような笑わせることを狙って主目的に位置づけたような作品群とは異なり)久々に手放しに自然に笑える作品でした。パンフにあるように、京都の人々と付き合う際の参考になるか否かは別として、或る意味、予算を掛けないでも『翔んで埼玉』と同等以上のベクトル長(ベクトル方向ではありません。)の愉快さを提供することに成功している作品だと思います。好感が持てます。DVDは買いです。
追記:
先程、上でチラリと言及していますが、主人公を支持する大学教授を若葉竜也と言う男優が演じています。彼は『嗤う蟲』で深川麻衣の夫を演じた男優のようです。彼の演技が特段強く印象に残った訳ではありませんが、今回の言語障害もあるようなクセ強キャラとは違う普通の人物の彼も出ているであろう『嗤う蟲』のDVDも早く観たいものと思えました。