『ナニカ…』

5月23日の封切から10日目(とトークショーで監督が言っていました。)。6月最初の日曜日の午後6時40分からの回を下北沢の初めて行く映画館で観て来ました。「午後6時40分からの回」と言っても、この作品は全国でもたった1館。この映画館で1日1回上映されるだけです。

この日、私は溜まって来ていた観たい映画を消化すべく、1日に3本の映画を観ようと予定していました。午前中に吉祥寺の駅北パルコ地下の映画館に久々に赴いたのですが、どうも私がこの館が好きではないのに対して、映画館の方も私を避けているが如く、『104歳、哲代さんのひとり暮らし』は(わざわざ早起きして行ったのに、)満席でした。

そこで一旦帰宅し、午後から2本の作品を下北沢の同じ映画館で観るべく出かけたのでした。久々に着いた下北沢の駅周辺は7、8年ぶりだったと思いますが、大きく様変わりしていました。以前来た際にも小田急線は既に地下に潜っていましたが、その空きスペースの活用がどのようになるのかがまだまだ見えていない時期でした。小田急線に乗って下北沢を通過することは何度もありましたが、如何せん地下を通っているので、地上がどのように変わったかを全く把握していませんでした。

地上を走っていた小田急線の線路に該当する部分が長い遊歩道やオープンな感じの商業施設に変わっていて、この映画館はその中にありました。着いてみると、そこは月極めのビジネス用ラウンジも兼ねたスペースで、カフェもあればアクセサリーの売場もあるというまさに今風な場所でした。映画館もそのスペースの奥に90席余りのシアターがポツンとあるだけで、券売機と呼べるようなものが存在しませんでした。

驚くことに入ってすぐのスペースにどんと置かれた大型木製テーブルの端に設置されたタブレットが2つあり、その画面でチケットを買う仕組みだったのです。チケットはタブレット脇のテーブル面に「彫られた」ような隙間からベロベロと刷り出されてきました。

時間があったので、旧来の下北沢南口商店街はどうなったかと、ぐるりと下北沢のX字型の駅の南西の端から南側に回り込みましたが、古着屋などのある通りはお祭り騒ぎのような人混みで、映画館のあった旧小田急線線路上の人混みに人の流れが奪われている訳ではないことが分かりました。物凄い人の集まりようだと思います。この街の若者の多さを見ると、少子化だの人口減少が嘘のように感じられます。

入場開始時間の少々前に、シアター入口に近い(券売機も埋め込まれた)大テーブルに座ってPC入力をしていたら、「6時20分からここに座ってはいけません」との表示を私の周囲の席にスタッフが掲げ始め、私にも「20分までに移動してください」と声をかけて行きました。

この大テーブルで何が始まるのかと思っていたら、6時20分頃に前の上映が終わり大量の人がシアターからゾロゾロと出てきて、あっという間に大テーブルを含むロビーを埋め尽くし、入口外の2階テラスにまで食み出てしまいました。ロビーのごった返し状態を避けて、2階テラスでパンフレットへのサイン会が開かれていました。サインしているメガネの男性に何か見覚えがあるなと思って、前の作品は何だったのかとスタッフに尋ねると、それは『THE KILLER GOLDFISH』でした。監督は私もファンである『SPEC』シリーズの監督でもある堤幸彦だったのでした。初めてナマの彼を私も見ることになりました。

私がこの作品を観ることにした理由は大きく分けて2つあります。1つはこの作品が扱うテーマです。一言で言うなら「ジョフウ」、つまり女性用風俗です。女性用風俗と言っても男性セラピストによる挿入行為は違法となっているので、女性が全裸で受ける性感マッサージのようなサービスのことです。このサービスの認知度はかなり上がってきていると私も感じます。

たとえば、私が現在TVerで観ている『ジョフウ ~女性に××××って必要ですか?~』というドラマがあります。それ以前に、アダルト業界の企業がクライアントだった際には、女性用のアダルト・グッズや女性向けAVなどの制作を支援する仕事もありましたので、ジョフウと呼ばれるサービスが一応成立する以前から、そうした類のサービス群の存在は十分知っていました。

また、SMなどのイベントを行なったり、来場者の間で性行為を行なうことが来場目的と言う明確な合意のあるようなハード系の場合を除き、マイルドなハプニング・バーは実質的な女性向けの性行為アリの風俗の場と化していることも知っています。(事実上の女性側の買春場所と言えますが、その割には買春にかかる費用は極端に小さいものです。)

それ以前に、松坂桃李主演の『娼年』という作品が話題になったことがあります。こちらはバッチリ性行為を行なう男性を女性がオーダーする仕組みの話です。女性による明確な買春行為そのものがサービスとなっています。その劇場鑑賞の感想で私は以下のように書いています。

[以下抜粋↓]

 こんな風に、30代から70過ぎと思える和服老女(さらに、特殊ケースで20代前半の女性一人が後述するように加わり…)まで、数人の女性がその思い思いの重い想いを抱えて登場するのです。その各々の設定には、「なるほどなぁ」と唸らせられるものが相応にはありました。ただ、経済構造として少々不思議に思えるのは、このサービスの安価さです。先述の主人公の最初の客の女性も30代後半ぐらいの設定のように見えますが、このサービスに2日間でたった4万円しか払っていません。1時間1万円で4万円なのです。初日が1時間で、翌日が3時間ぐらいのバランスなのだと思いますが、わざわざ各自のしたいままのデート感を楽しむためのサービスにしては、拘束時間も短く、やたらに安価です。

 通常、サービス商品の「原材料」である人の時給は、サービスの質にかなり強く相関していると私は思っています。それは税理士や弁護士などの商売でさえ例外ではありません。購入できる時間や場所、サービス提供者の選択や行為の内容にまでここまでの自由度があるサービスで、且つ、この作品に紹介されている程度の質の高さが相応に保証されているのに、1時間1万円である訳がないと思えてなりません。これではちょっと高級なマッサージ店と相場が変わらないのです。マッサージ担当とセックス担当で、どちらがサービスの複雑性が高く、どちらがなり手が少ないかは明らかです。客が払った1万円のうち、6000円が本人に支払われるということで、主人公は二日で24000円を手にしましたが、「バーテンのバイトの何日分だろうと思うと…」とやたらに感激しています。

 男性相手の女性スタッフを採用するのなら、競合がやたらに多いので、価格押しをするというのは一応戦略としてアリだとは思いますが、競合も少なく、女性の性的ニーズはより多様な中でサービスをすることになるはずです。私が経営者なら、時給も価格もより高くする代わりに、スタッフを厳選し、それなりに教育を徹底するような高付加価値型を目指すのではないかと思えてなりません。

 無論、この作品の中でも主人公はスタートの時給が6000円なのであって、その後、昇格していく仕組みを駆け上がって行きます。また、最初に売り物になるに当たって、ボスの娘とテストのセックスをさせられていますし、登録後は普段のスタンダードな服装もイメージ・コンサルのようなものを受け、下着選びの指導まで受けています。しかし、それだけなのです。競合激しいホストクラブのようにホスト使い捨ての業界であれば、学んで適応した奴が生き残るという構造は分かりますが、リピーター客が多いらしいこのクラブで、たったこの程度のスターティング対策とたったこの程度の時給で、一定の質の人材が維持できるとは到底思えないのです。

 女性の方に対する価格設定でも廉価すぎるように思えないではありません。単にセックスをして欲求を発散したいということであれば、多分、実質的に女性の風俗産業となっているマイルドなハプニング・バーなどの方が余程安上がりで、時間も自由に、それなりには相手も選びつつ、匿名性も高く、目的を果たすことができるでしょう。それでも、1回あたりの女性の入店料で5000円ぐらいかと思います。匿名性だけなら、所謂大人のパーティー系の場もありますが、ハプニング・バーよりコントロールが効いていませんし、いつでも行ける場所が設定されている訳でもありません。

 亀山早苗の名著『愛と快感を追って : あきらめない女たち』を始めとする幾つかの作品を読むと、イケメンのいる美容院で自分の敏感な頭や髪を“愛撫”されるのでさえ、セックスの代替行為であると定義されています。当然、夫がいる身なら不倫の代替行為と言うことです。イケメン・コーチのテニスやゴルフの個人レッスンなども十分この範疇に入っています。男性以上にこのような定義のサービスは女性には選択肢が広がっています。極論すると、挿入の有無がケースバイケースらしい性感マッサージのようなサービスでさえ、かなり際どい方の位置付けで、それ以前の性欲充足策がたくさんあるということになります。そのような構造を考える時、疑似恋愛を追究し続けるホストクラブの狂乱価格は置いておき、あまりに、この男娼サービスが安すぎるように思えるのです。

[以上抜粋↑]

そんな背景からジョフウを扱うたった23分の作品(料金も1200円でした。)を観てみたいと思ったのでした。もう1つの理由は主演女優の広山詞葉です。ネット上の映画紹介でこの女優の名前を見て、どこかで見たばかりの気がすると、少々引っ掛かりました。調べてみると、昨年11月に観た『運命屋』で主要脇役を務めた、ミッキー・カーチスの落語の弟子の女性でした。おまけに私は映画館のロビーで彼女と短い会話までしています。俄然観てみたいと思えてきました。『運命屋』の追記で私は以下のように書いています。

[以下抜粋↓]

追記:
 運命屋を演じた女優は広山詞葉といい、この作品のプロデューサーでもあります。パンフに拠れば、彼女の「ミッキーさんで映画を撮りたいんです」という一言からこの作品制作は始まったとされています。その彼女が上映終了後のロビーで他の観客(若しくは業界的関係者)と写真を撮っていたりしていたので、その後、パンフの彼女のページにサインを貰って来ました。曰く、彼女とミッキー・カーチスの関係は深く、落語の師匠と弟子とのことで、彼女の本作についての思い入れもじかに聞くことができたように思います。
 ただ女優としての彼女を私は全く知らなかったので、帰宅後ウィキで調べたところ、私がかなりハマっているSPECシリーズに何度も登場している看護師を演じていた女優であることが分かりました。言われてみると、「ああ。本当にそうだ」という感じですが、鑑賞中でも、本人と話している際でも、全く連想さえできませんでした。
 ネットには『SICK’S 覇乃抄』の彼女について、
「看護師の那須茄子はもともと腕っぷしが強かったですが、今回それが炸裂!御厨を無理やり退院させようとする高座に、『何しとんじゃい、われ! こっち来い、こら!!』と喚いて足蹴りに肘パンチをくらわします。」
 などと書かれていて、確かにDVDを観直すまでもなく、私も記憶しているシーンでした。(ちなみに私はこの看護師に役名があることを初めて知りました。苗字も「なす」ですし、下の名前も「なす」の筈ですが、人名としては「なす・なこ」となっているようです。看護師でナースなので付けられた名だと思われます。かなり好い加減で笑えます。)
 ウィキを読んでもう一つ驚いたのは、彼女の年齢です。ウィキに拠れば実年齢39歳とあります。劇中の彼女はそれより若々しく見え、ロビーの彼女は年金老人の私には20代後半ぐらいに見えました。この『脱兎見!東京キネマ』には観客の年齢層をざっくり記録するのが常になっていますが、今回の彼女のウィキを見て「げっ!ダメだ。年齢の見た目判断能力が全然ダメだ」と気づかされました。

追記2:
 彼女と一緒に居た関係者の男性が、私が「ブログに感想をアップする」という話をしたら、ブログの名前は何と言うのかと尋ねてくれました。過去色々な作品の関係者に劇場でサインをしてもらったことがありますが、こちらに関心を以て尋ねてきた人物はいなかったように記憶します。
 先日観た『怪人の偽証 冨樫興信所事件簿』の際にもその場にいた関係者一同皆腰が低い態度だったのに驚かされましたが、今回はそれを上回る「傾聴」的な姿勢にこの作品制作に対する真摯な姿勢が感じ取れました。通常よりも鑑賞から記事アップに時間がかかってしまいましたが、いつかこの記事を読んで下さるのかもしれません。

追記3:
 ふと開かれたタブで広山詞葉の数ある画像を観たら、私が結構好きな作品の『アストラル・アブノーマル鈴木さん』があったので、何だろうと調べてみたら、なんと彼女は主人公松本穂香を訪ねてくるテレビ局のディレクターだったのでした。彼女のウィキにも現時点で載っていない出演作でした。先述のSPECシリーズの看護師同様、かなり鮮明に私の記憶に残っている存在の中に彼女が紛れ込んでいたことに驚愕せざるを得ません。

[以上抜粋↑]

こういう過去の鑑賞歴に食い込んで来ていて、現実にも会話していた女優となると観ない訳には行きません。シアターに入ると、全部で観客は20人弱という感じでした。男女はほぼ半々で年齢層は男女共にかなり広く分布しています。20代~60代前半という感じでした。中年過ぎの男女の2人連れ1組と女性同士の20代らしき2人連れ1組以外はすべて単独客だったと思います。

この作品は映画.comの紹介文が以下のように書かれています。

[以下抜粋↓]

都市再開発を担当する優秀な弁護士・香山惠理香は、仕事に追われる日々を過ごすなかで生理が止まってしまい、医者から女性ホルモンの減少が原因だと言われる。性的なスキンシップが効果的だと聞くが、職場や友人など近場で相手を探すのは後々リスクが高い。そんな折、女性向け風俗の人気が高まっていることをネットで知った彼女は、女性向け風俗を利用してみることに。ラブホテルで待つ惠理香の元に、風俗店から派遣されてきたユウジが現れ、期待と不安が混じる中、惠理香の初めての体験が始まる。

[以上抜粋↑]

ラブホテルの一室のシーンで殆どが終わります。ラブホテルの一室でPC仕事をしながら待つ主人公の所へジョフウのセラピストが現れ、持参してきた特製ハーブティーなどで当初好感を得ますが、形式的な進行で結局主人公に充足や満足を提供することはできませんでした。主人公が目に入ったゴミがずっと気になって集中できなかったというのも大きいのですが、それならばマニュアル的な展開から逸脱した満足を引き上げる策を講じるなり、いっそキャンセルして眼科医に同行するなりして別の角度から満足させることはできたのではないかと思えます。

玉石混交で原則的に違法な挿入行為を行なう者も混じり込んでいるこの業界において、少なくともこのセラピストと同タイプの同業者の人々を描いたテレビドラマの『ジョフウ ~女性に××××って必要ですか?~』に登場するセラピストならそうしたことでしょう。しかし劇中のセラピストは、カウンセリングと称する意向調査で確認した女性器への指入れを特権と感じているかの如く、額に汗してまで指入れでの絶頂に至らせようと必死になるだけなのでした。

その後、ラブホテル街に出て夫になったちょっと知性的とは思えない感じの男とのラブホでキャッキャした記憶がいきなりインサートされて、それが終わるとラブホ街を歩き去る主人公のLINEにその夫からの離婚届を出したとの連絡が入り、それを見て主人公は目からゴミが取れてニヤリと笑うエンディングになります。

出てきた場所は明治通り沿いから歌舞伎町のバリアンの角から斜めに入る車通りの多い、私も見覚えのある通りでした。

上映が終了すると、女性監督とインサート部分に登場する夫の役を演じた男優とのトークショーとなりました。この女性監督の初監督作品でインディーズ作品と言っています。

女性監督のわざわざの物語解説を加味しながら振り返ると、主人公は街の造り直しの計画を進める弁護士で、生理が止まるのも現代の合理性の中に身体性が崩れている状況で、その対策として採用されるセラピストが妙にマニュアル的な対応を重ね、目のゴミも(気にはしているものの)スルーして施術を進めることになって、女性ホルモンの分泌も合理的・機械的作業で回復することが目指されてはいたものの、結果的に効果を生んでいない。

そう言った合理的な仕事や自分自身への対処を通して主人公が失ったものは、単に結婚生活だけではなく、司法試験の勉強をしながら、夫になる抜けた男とキャッキャ・イチャイチャしていた時代の普通の人間の生活であり身体性であるというメッセージの映画だということのようでした。

女性監督が自画自賛的に言う所によると、同館で上映されている『THE KILLER GOLDFISH』の堤幸彦監督がいつの間にやらこの作品を観ていて、トークショーに飛び入り参加したこともあるとのことでした。堤幸彦のこの作品の評価については語られていませんでしたが、先述のようなメッセージ性は一応分からないではありません。

しかしながら、「仕事:合理性・効率性の象徴」&「ジョフウセラピスト:効率的性欲処理の手段」vs「アホで子供臭い男との若く輝ける自然で自由な生活」といった対照の構図がどうも稚拙で、何かクリシェで薄っぺらいメッセージのように感じられてなりません。まして、それをトークショーでわざわざ解説してみせるなど愚の骨頂のように感じられました。

過重な仕事のストレスのみならず、現代の教育や現代の生活習慣、そして過去の常識の逸失の中で、女性の身体性がどんどん損なわれて行っているのは、かなり知られたことで、三砂ちずるの名著『オニババ化する女たち―女性の身体性を取り戻す』などの書籍にさっと目を通すだけで簡単に分かる事柄です。ではこの主人公には、戯けたワーク・ライフ・バランスなどを実現するような人生の選択肢が用意されるべきなのでしょうか。クリシェの議論で開いた口が塞がりません。

また、『娼年』に登場するようなセックス・サービスや最近だとすぐ鬼マクラ状態で甘いセックスをしてくれるホストもたくさんいますから、女性もカネによるセックスに事欠かない状態であるのは明らかです。それに対して現実にジョフウのサービスは玉石混交であるのは間違いないものの、あまりにも登場するセラピストが低次元過ぎます。先述の亀山早苗の書籍などにも目を通し、女性が性欲処理をどのように行なっているかの(男性よりもよほど広い)選択肢をもっと知ってからこうした映画作成に入るべきだったのではないかと思えてなりません。

この監督がどの程度取材ができているのか分かりませんが、ジョフウに対する偏見や敢えて言うなら女性の性欲に対する偏見かもしれませんが、そうしたものが漂っているように感じられるのです。

ちなみに監督はトークショーの中で、主人公の夫役の男優に向かって、「劇中には出て来ないが、夫がどのように主人公に知り合ったのかとか、夫の職業は何かとか、そうした細かい設定もしっかりしてあって、そうした登場人物達がクロスする日常の一場面の中に、色々なものが詰まっているという風にしたかった」などと滔々と語っています。

当たり前のこと過ぎて呆れます。それ以外にどのような方法があるのか教えていただきたいぐらいです。アニメのキャラ設定であっても、マーケティングのターゲット・モデルの設定であっても、ガッチリ肌理細かく行なうのが当たり前であって、そうしたことを敢えて凄いことのように言っている思考回路が全く理解を超えています。

同様のことに気づいた映画作品が過去に一つあります。山田孝之の観ると失望と嫌悪しか湧かない『TAKAYUKI YAMADA DOCUMENTARY 「No Pain, No Gain」』です。この中に以下のような文章があります。

[以下抜粋↓]

 たとえば、全編のほぼ半分以上の場面を占める映画『デイアンドナイト』のプロデューサーとしての仕事の一環で、京都のパトロン企業の経営者と打ち合わせをする場面があります。山田孝之にカネを出すと思って、カネを出すには出すが、シナリオは全然ダメで、登場人物の設定がなっていないとダメ出しされる体たらくです。どんなシナリオなんだろうと思って観ていましたが、山田孝之とその周辺の人びとは、「一ヵ月集中してきっちり巻き返そう」のように決意して、何と登場人物のモデリングを始めるのです。

 現在「ペルソナ・マーケティング」などとも呼ばれるようになっている、古くからあるマーケティング手法のモデリングは、自社の事業の対象となっている仮想の顧客を物語のキャラ設定のように細かく決め込んで行く手法です。普通、物語のキャラ設定は当然行われるので、そのようにモデルを決めるからモデリングとマーケティングの分野では命名されています。つまり、マーケティング分野でその手法を使うことはまだまだ常識化していないものの、物語設定の作業では基本と言うことと考えられます。現実に私もたった一本だけ企画と脚本を担当することに偶然なってしまった(総予算100万円余の)映像作品がありますが、モデル設定はかなり真剣にやり込みました。ところが、総予算1億円(らしい)金額の1割を負担させるパトロン企業に出したシナリオには、登場人物の設定さえきちんとなされていないらしかったのです。バカげています。

[以上抜粋↑]

どうもこの二例だけを見ると、映像関係者は作品作りに当たって当たり前にやることを、業界非関係者に自慢したくなるように感じられます。植木職人が「苗木を上手く植えるには結構深い穴をきちんと掘るんだ」と雇い主に語って聞かせても、時間のムダでしかないでしょう。そういう恥ずかしい態度が平然と取れる神経には恐れ入るしかありません。

このようにどうも作り手の自己満足的な稚拙な設定が目立つ作品ですが、その中にあっても広山詞葉の名演が光っていると思えました。最初のラブホの薄暗い部屋でPCに向かい都市計画資料をバリバリ打ちこんでいる髪もザンバラになりかけている女性弁護士の姿、さらに、セラピストの最初の印象にやや打ち解けるものの、その後、施術の最中に段々と白けて行き、結局支払いをして、次に心が移って部屋を去っていくセラピストを見送るやるせない様子。ここまでは仕事に押し潰されまいとする女性弁護士の機微の表現が丁寧に行なわれています。そして唐突にインサートされる過去の夫とのキャピキャピした浮かれ騒げた頃の主人公をも、丁寧に演じ分けています。とても好感が持てます。

トークショーの内容のダレた会話の中の情報によると、上映が延長になったということでこの館では一応好評の作品であるということのようです。それが広山詞葉の名演に拠る部分が多く、観客が世の中のジョフウセラピストがこのようなクズばかりであると思わないことを祈念するばかりです。DVDが出るようには思えませんが、出るのなら買いです。

追記:
 今回の作品について映画.comの紹介文を読んでみて、「『私にふさわしいホテル』『Page30』の広山詞葉が惠理香を演じて主演を務め…」と書かれていることに気づきました。鑑賞後のこの記事を作成時にその事実に気づき、調べてみたら、本人が元ツイッターで「私は田中圭さん演じる遠藤先輩の妻・遠藤緑役で出演しています」と書いていました。『私にふさわしいホテル』では、面倒なオッサン作家の東十条の妻が若村真由美であることは認識して観ていましたが、まさかのん(演じる作家)を支える大学の先輩でもある編集者の妻が広山詞葉だったとは全く気付いていませんでした。『SPEC』シリーズの看護師那須茄子や『アストラル・アブノーマル鈴木さん』のテレビ局ディレクターと、またしても、私の鑑賞作品の中に紛れ込んでいた広山詞葉であることに気づかされました。

追記2:
 パンフレットも制作されていない本作ですが、チラシの裏面を見ると監督のコメントがかなり長文で載っています。
[以下抜粋↓]
「女性風俗の利用者が増えている。女も男と同じように風俗で合理的に性欲を解消する時代が来た」という記事を目にした。
ええ!?最近そんな感じなの!?(中略)
「体験者の声」も非常に満足度が高い。しかし読んでいくと、その「満足」の共通点に気付く。「話しを聞いてくれた」「笑わせてくれた」「抱きしめてくれた」。とても合理的なシステムだけど、女性が求めているのは性処理とは関係ない不合理な部分が占めていて、そのチグハグ感に切なさを感じた。(中略)
でも、人間は不合理な生き物で、時代は変われども求める物は変わらない気がするのだ。合理的な時代を生きる女性の機微を描いた短編映画「ナニカ…」、多くの方に観ていただけたら嬉しい。
[以上抜粋↑]
 チグハグ感で理解を止めてしまった所が敗因であるように感じられます。女性の性欲とその対応方法のバリエーションをもっと深く掘り下げてみるべきであったように思えます。