『キック・アス』

都内でも上映館が限られていて、渋谷道玄坂沿いの映画館の夜の回を見に行きました。封切後数週間は経っている筈ですが、それなりの混みようで、プロモーションがよく効いている感じがします。

オタク高校生がヒーローになりたいと思い、思い余って、コスチュームを買い込んで着ただけで、ヒーロー気分になっているうちに、キック・アスと名乗り、本当に街にパトロールに行くようになり、本当の犯罪集団との戦いに巻き込まれ、能力が何一つ芽生えることもないのに、一応、犯罪集団は倒し、人間的にも大きく成長し、彼女までできて、セックスに耽り、最終的には、ヒーローの足を洗い、ちょっとマシな高校生の状態(彼女も失った様子でしたが明確ではありません)に落ち着くと言う、アメコミの話です。

本当の犯罪集団との戦いは、彼が巻き込まれる前から、犯罪集団に犯罪者に仕立て上げられて、職を失い、妻も失った元警官が、自分と11歳の娘でヒーローじみた格好で既に始めています。ニコラス・ケイジ演じる元警官は、全人生が犯罪集団壊滅に捧げられていて、娘まで戦闘オタクに仕立て上げる入念さです。映画の見せ場は、このビッグ・ダディとヒット・ガールの二人が躊躇なく執行してゆく復讐劇の方です。キック・アスは、ただオタオタしてばかりで、最後の最後を除いて特に活躍の場面がありません。ビッグ・ダディとヒット・ガールの破壊っぷりや殺しっぷりは、尋常ではなく飽きずに見ることができます。

この二人は、コスチュームのデザインからして、間違いなく、バットマンとロビンの組合わせです。バットマンもロビンも、特段の超能力があるわけでもない普通の人がヒーローとして悪に立ち向かう設定です。この普通の人のヒーロー化はアメコミではそれほど珍しくない設定で、(聴覚が異常に優れてはいるものの)私が結構好きなデアデビルなどもこのタイプです。バットマンもスタートは私怨から悪を叩くことを誓った筈で、そのような点も、ビッグ・ダディとヒット・ガールの二人とダブっています。

ビッグ・ダディの微妙にパチモン・バットマン風の出で立ちからは似つかわしくない殺陣も、(軽快なガールズロックに載って)薙刀のような武器を振り回し敵を裂き、空中で持ち替えながら銃を撃ちまくる幼い殺人マシーンのヒット・ガールの身のこなしも、他のアクション映画でなら、まあ、こんなもんだろうという風にしか受け止められないものだと思います。例えば、『ウォンテッド』のアンジェリーナ・ジョリーの銃撃戦や、『アイアンマン2』のスカーレット・ヨハンソンの肉弾戦は凄いのですが、凄い筈の人だらけの映画の中では、単に「おおっ」となるだけです。しかし、この映画では、犯罪集団も(異様にマーシャル・アーツに秀でたボス以外は)基本的にただのチンピラ・レベルでしかありませんし、ヒーローの方も、基本的な型一つなく、ただ棒二本を振り回すだけのキック・アスが標準です。ビッグ・ダディとヒット・ガールのプロっぽさがやたらに際立ちます。

面白い映画です。DVDは間違いなく買いです。

ただ、少々やりすぎ感が気になるようにも思います。(本人の趣味と言う話ですが)アメコミ系の出演作が連続するニコラス・ケイジが嬉々としてビッグ・ダディを演じているのがひしひしと感じられます。筆で隈取を描きマスクをつける変身シーンや、焼き殺されながらヒット・ガールに戦い方を指示する場面などもノリノリで、仮装大会の寸劇のように見えます。

ヒット・ガールの方は、超絶殺人マシーンに育てられ、防弾チョッキを着て、撃たれる訓練までさせられているのに、その日常が普通の父娘の関係の中で実現している様子に違和感が拭えません。被弾訓練の後にファースト・フード店で父娘で団欒したり、マシュマロ入りのココアを作って、父娘で飲もうとしたり、やたらに普通です。ところが、フォーレターワード満載の台詞を吐きながら、悪人とされる人間を死に至らせることに何らの躊躇もありません。

例えば、『片腕マシンガール』の主人公は、(ヒット・ガールより年が6歳ぐらい上かもしれませんが、)少なくとも、殺された弟の死を引きずって生活をしているものと思います。逆に同じぐらいの年齢の『スパイ・キッズ』の姉の方は、ヒット・ガールと似たような年齢ですが、全くプロっぽくない言動で、子供のはしゃいだ遊びの延長線上にスパイ活動が進んでいく感じで、あくまでも子供映画の範疇です。

キック・アスは、犯罪組織との戦いに巻き込まれて、自分の手に負えない深刻さがどんどん度を増していくのに悩み、ヒーローをやめようとします。高校生のスパイダーマンでさえも、ヒーローとしての責任の大きさの方が、得られた超能力よりも余程に重く、何度もスパイダーマンをやめようとするぐらいですので、当然です。これに比べて、犯罪組織の幹部やチンピラの屯する場所を襲撃しては皆殺しにし、金を盗んで自分達の資金に(多分)しているヒット・ガールは、自分が負っているリスクにどれほど自覚的なのか、つい気になってしまいます。現実に、彼女が撃たれて窓の外に倒れている間にビッグ・ダディは連れ去られ、拷問の上、生きながら焼き殺されます。これがもし、逆だったら、ヒット・ガールは差し詰め、性的虐待か何かの対象にされて、どこかに売り飛ばされるのかもしれません。

例え、悪に負けない状態が続いたとしても、ヒット・ガールは自分の殺傷能力の高さと残虐行為自体にどれほどの社会的影響力があるのかを、自覚しているのか否かがよく分からないのが、この映画の最大の謎かもしれません。そのような観点から見ると、アメリカでは人々が目と耳を背けるような言葉をバンバン吐くキャラ設定で注目され、日本ではニュータイプのヒロインとして注目されていると聞くヒット・ガールの設定には、何かすっきりしないものが残りました。

その点、正義を渇望する一方で、アフリカ大陸の裸族の女性の写真を見ても自慰に走ってしまう、等身大のできの悪い高校生そのままのキック・アスは、異様に現実的です。このごちゃ混ぜ感を楽しめるようになるためにも、DVDを買って何度も見なくてはならないかもしれません。