『キャメラを持った男たち 関東大震災を撮る』

関東大震災からまる100年が経ったということで、関東大震災を振り返るテレビ番組やイベントが防災活動などとからめたりもしながら放映されたり実施されたりしているのを目にします。

先日聞いた所によると、NHKでは『関東大震災 100年』と題した特集をしており、その内容には、「数分の間に震度7クラスの地震が3回あった」、「死者は10万人を超え、そのうち大半(当時の統計では9割程度)が火災の熱風に拠る焼死であった」、「避難所として人々が集まった陸軍本所被服廠跡地では火災旋風で3万人が焼死している」、「震源は三浦半島沖の海底で複数箇所が連続して地震を起こしている」などの、ウィキにも含まれている情報に加えて、こうした「関東地震」と総称される大地震は周期的に起こっており、「今から30年以内に首都圏を震度7以上の地震が襲う確率は70%以上」といった研究結果もあったようです。

実際にネットで内容を確認してみると、震災直後の各地で起きた火災の付近の住民が大八車に荷物を積んで、冗談でも言い合うぐらいの感じの笑顔を浮かべて避難している様子も記録映像で残っています。しかし、ネットもない時代(あっても、これだけの大震災なら接続が保障されないようにも思われますが…)刻一刻と悪化して行く状況を把握することもできず、先述の被服廠跡地(現在の墨田区横網(両国駅の北エリア)付近)に集まった人々はその後に起きた火災旋風で逃げ場もなく焼き殺され、その竜巻のような旋風に煽られて15kmも離れた市川まで飛ばされた人もいたとウィキにあります。私達が普通に知っている住宅火災などの焼死とは全く異なる次元の火災被害であったことが私には最大の衝撃でした。

映画では関東大震災直後の自警団が各地で組織されていた状況を背景に、千葉県の福田村で起きた集団暴行殺人事件(15人中9人が死亡、遺体の多くは利根川に投げ捨てられるという事件)を描いた『福田村事件』も現在上映されています。2時間を超える大作なので、観に行くのを躊躇し続けている状態で、それでも30年以内のまだ私が辛うじて存命であるかもしれないようなタイムスパンに起こり得る災害の実態を多少なりとも知るために、関東大震災関係の作品を何か見ようと思い立ったのが、この作品を観るに至った動機です。

封切から1ヶ月弱の木曜日の午後2時の回を久々に訪れた東中野のミニシアターで観て来ました。1日1回、それも全国でここ1ヶ所での上映です。久々に訪れたこのシアターでは入場のチェックがQRコードのスキャナで行なわれるようになっていました。直近で訪れたのは、1月に障碍者を多数雇用するチョコレートメーカのドキュメンタリーを見た際だと思いますが、その時点でもQRコード利用が為されていたか記憶が定かではありません。

シアターに入ると、上映開始時点で私以外に15人ほどの観客がいたように思います。概ね男女は半々ぐらいの構成で、年齢は恐ろしく上に偏っています。女性では1人、30代ぐらいの単独客がいましたが、それ以外は男女共に(年齢的に有り得る訳はないのですが)関東大震災のリアル被害者の集団かと妄想してしまうぐらいでした。女性同士の二人連れ、男女の二人連れが各一組いた以外はすべて単独客でした。

この作品の冒頭で、1923年9月1日の関東大震災に関して、その状況を描いている当時のフィルムは全国で膨大な量見つかっているものの、撮影者や撮影場所が不明であるケースや、1次資料の幾つかを編集しており、その1次資料群に関しては出所が全く不明なものなどが多数あり、正式な記録しての価値が危ういものが大半であることが述べられます。その上で、撮影記録や手記、証言が残っている3人のプロ撮影者の行動について絞り込んで、彼らが何を考えどのように行動したかを検証するのがこの作品です。

描かれる3人は、岩岡商会の岩岡巽、日活向島撮影所の高坂利光(こうさか・としみつ)、東京シネマ商会の白井茂です。3人が3人とも非常に若いながらもプロの撮影者で数々の記録映画や商業映画の撮影に携わっていて、すでに実績のある人々でした。岩岡巽は南極探検の記録映画の撮影にも携わっていたことが劇中で紹介されています。

この映画のパンフレットも販売されておらず、劇場でチラシも見当たりませんでしたが、ネット上にはチラシらしき情報のPDFが存在しているので、それを読み返してみると、3人の華々しい実績と震災の当日の状況が再確認できます。

https://kirokueiga-hozon.jp/movie/camera/doc/flyer.pdf

3人とも当日は撮影関係の仕事をしている最中だったようですが、地震発生と共に、その仕事を投げ出して撮影に出かけることとしています。「仕事どころではない」は、未曾有の大震災にあって(社会インフラに関わる仕事以外は)どんな仕事でもほぼ当たり前だと思われますが、彼らは本来の仕事を投げ出して、状況の記録をすることに、プロの嗅覚として駆け出すことになったということでしょう。

映画は大きく5つのパートに別れています。最初は当時の35mmフィルムの「ユニバーサル・キャメラ」の状況などを説明するパートです。大きさもかなりのものですが、それ以上に、動力源に電池や電源が不要で完全手動であることや、フィルム1本の撮影時間長が3分ほどしかないので、3分を撮影し終わると、フィルムの再装填時間がかかり、撮影者には何をどのタイミングでどれぐらいの時間長撮るのかを判断する「予知能力(劇中ではそのように呼ばれています)」が必要になることなどが説明されます。

燃え盛る家屋を至近距離で撮った映像や避難者が犇めき大混乱の街路で撮影した映像など、3分の手回しカメラで撮影することの困難さがよく理解できるようになります。

その後の3つのパートは3人の撮影者の来歴や当日の行動などを紹介する内容です。そして最後が、3人の中で唯一当日(正確に言うと、当日と翌日の2日間の撮影結果が残っています。)の行動記録が残されていない岩岡巽の移動経路を撮影された画像の道路幅や「自動電話(公衆電話のこと)」の位置や地形などから分析している田中傑博士の研究内容を説明するパートです。

この取り組みと連動しているのか、全く別のものかは分かりませんが、先述のNHKの特集でも同様の取り組みが紹介されていたようで、さらに向こうでは当時のモノクロ映像でAIを用いて色を再現する取り組みもなされ、過去になかった生々しい震災直後の様子が蘇っていたと聞きました。

劇中には当然のことながら、3人が撮影したものを中心に多くの動画が登場します。単純な燃え盛る建物や瓦礫の山と化した有名建築物、そして避難途上や当て所なく呆然としている人々の様子が次々と現れますから、関東大震災の様子を知るという意味では視覚的な情報量は十分な内容です。かなり制限した結果かと思いますが、一部には見渡す限り折重なる焼死体といった映像もあり、これがNHKの行なった努力により仮にカラー化されていたら、各種のベトナム戦争以降の同様の死体の山のカラー映像どころではないぐらいに凄惨な画になっていたものと思います。

劇中で紹介される限りで見ると、岩岡巽は当日と翌日に今の上野の北側にあった自分の事務所から徒歩で撮影しています。高坂利光は当日向島にあった日活の撮影所が倒壊した際に、そのまま助手とカメラを担いで大混乱の中、徒歩で浅草を目指しています。(画像の中の日射の分析や本人の記録から、たった1時間程度で浅草に到達していることが分かります。)白井茂は当日埼玉で撮影をしていて、同社の上司が当日に撮影をしていたのを引き継ぎ、2日目以降に数日を掛けて自動車を用意しての撮影を各地で敢行しています。

その撮影の間、彼らは撮影対象の人々から、非難され、石を投げられ、殴られ蹴られし続けるという状況でした。先述のネット上のチラシのキャッチコピーに「こんな時に撮影してんのかよ!」と書かれていますが、その表現でさえ生易しく、実際には撮影している報道陣が殴り殺されたという噂さえ聞いたと(私の記憶が定かではないですが多分)白井茂が回想しています。

ウィキの関東大震災のページには、駐日フランス大使のポール・クローデルが書いた書簡の文章が紹介されており…

「被災者たちを収容する巨大な野営地で暮らした数日間・・・、私は不平の声ひとつ耳にしなかった。唐突な動きや人を傷つける感情の爆発で周りの人を煩わせたり迷惑をかけたりしてはならないのだ。同じ小舟に乗り合わせたように人々は皆じっと静かにしているようだった
— ポール・クローデル、『孤独な帝国 日本の1920年代―ポール・クローデル外交書簡1921‐27』」

とありますが、実際には人々の激情は甚だしく、白井茂は「『殺しちまえ』が流行語のようにあちこちですぐ言われる状況だった」と言っています。朝鮮人や共産主義者が「井戸に投毒した」、「放火した」などというデマが流れ、それを官庁も信じて警戒・鎮圧に動き、新聞がそれを扇情的に報道した結果、多数の朝鮮人や共産主義者が暴行や虐殺さえもされた事件は有名です。各地で自警団が組織され、過剰な防衛反応の延長線上で先述の福田村事件を始めとする幾つかの事件も発生しています。

東日本大震災の当時も前述のフランス大使のような海外からの評価や称賛がありましたが、実際には小規模に性的加害や窃盗などが散発していたと言われています。関東大震災の直後から、この大混乱の対策としてラジオが急激に普及したと言われていますが、現在のネット環境がその発展版と考えると、一定の社会的な効果が100年の間で実現できていると考える方が良いのかもしれません。

(少なくとも、自分の贔屓のチームが負けたと言っては、暴動を起こし、暴行や大規模破壊、強盗などまで働く人々が先進国でも多々ある状況を見ると、日本は大分マシだと確信できます。)

白井茂は何日にも渡って撮影を続行していたようですが、それは彼の組織が他の人間を本来の目的達成のために充てていたからで、岩岡巽と高坂利光が数日で撮影を切り上げているのは、本来の目的である動画の公開を急いでいたからと考えられます。

インターネットは勿論のこと、テレビどころかラジオさえない時代に、ニュースさえも文字情報は新聞で読み、映像情報は映画館で観る時代でした。先述の南極探検の記録映像でさえ、各地の映画館で上映されて大収入を生んでいるのです。つまり、これらの撮影者の目的は、プロの撮影者として当たり前にスクープの価値ある映像で儲けることであったと見ることができるのです。

現実に高坂利光は9月4日の段階で大混乱の中、京都に移動を開始して、7日には現像を行ない、多くの観客を動員する「興業」に成功しています。映画館に人々が集まり、彼らの支払う膨大な木戸銭を稼ぐ形になっているため、現在のスクープ狙いのマスメディアの利益構造よりも、より鮮明な営利活動のように感じられます。財産は何もかもを一瞬で失い、知人・友人・親類を大量に焼き殺され、その遺体を横に何のあてどもない生を続けるような人々の様子を売り物にしていると考える時、何か釈然としないようにも思えてきます。喩えその行為が当時において、莫大な義捐金を集める結果につながり、現在に至ってその分析が続けられ、各種の防災対策の実現に大きく貢献しているとしてもです。

当時の映画館の「報道」が「興業」となる構造、且つ、当時の肖像権や個人情報取り扱いの粗さなどを合わせて鑑みる必要があるものの、岩岡巽が最初はあまりにも撮影者を皆が糾弾し攻撃して来るので、一旦事務所に戻って撮影班全員に白鉢巻をさせたら、何となく特別な活動をしている集団のようにみられるようになり、何とか撮影をできるようになった…などというエピソードを知れば余計のこと、その時の岩岡巽の行動の動機は何であったのかと追求する欲求にかられます。先述のこの作品のキャッチが「こんな時に撮影してんのかよ!」であることからも分かるように、この作品には純粋に撮影者のプロ意識を軸としているのではなく、一般の人々から見た撮影者の姿の評価をしている部分が散見されるのです。

この映画には先述の5つの主要パートの後に短いまとめのようなパートが存在します。それは東日本大震災で津波が街を押し流していく様を隣接する高台から撮影した地元の報道カメラマンの体験談です。彼はその撮影の最中に、海岸線に近い場所の家に居た家族を失っています。勿論、撮影をせずに彼が家に行ったとしても、助けることはかなり困難だったでしょうし、それどころか自分も命を失っていた可能性があります。当日彼は頭の中には何もなく、ただ「これを撮っておかなきゃ」というような気持ちに駆り立てられて撮影していたというようなことを言っていて、関東大震災当日の3人の心中を代弁するような劇中のポジションニングになっています。

そこには倫理観とか道徳観、逆に、カネ儲けの金銭欲や名誉欲、野心と言ったものも殆どなく、仮にあったとしても非常に希薄な状態であったように彼の言葉から感じられます。敢えてそこにあったものに名づけるなら「職業的習慣」でしかなかったようです。

阪神淡路大震災や東日本大震災で、被災者でもないのに現地の様子や状況を知り、人生観が変わったというような人々と知り合うことがあります。その一部の人々は、仕事を辞め「何かもっと大事なことをしなくてはならない」という湧きあがる気持ちに駆り立てられて現地でボランティアなどをするようになったりします。しかし、そのような話を聞くと、どうしても、その人の人生における仕事の価値や、逆に退職に至った会社側から見たこの人の存在意義や評価などに考え至ってしまいます。現在は多くの人々が承認欲求を満たそうと必死な時代ですから、日常的で確実であっても希薄な承認よりも、劇的な承認を求めたかった方が本来の動機ではないかと推量されるケースも多々あります。

それと単純に同じ構造ではありませんが、プロとして日々ネタを追いかけ、よりウケが良く、よりインパクトの大きいエピソードや絵や場面を求めている人々にも「無自覚の駆動」の心理構造があるでしょう。命を賭けたそれを追求している人々もかなりいます。戦場カメラマンなどはその最たるものでしょう。この作品は、そう言った人々の意識とは言えないぐらいに無自覚な「職業的意識」や「職業的行動」の関東大震災という極限の状況でのありようを描いているものだと感じます。その無自覚な「職業的意識」の素材には「後世に記録を残すこと」も「広く知らしめること」も「自分が評価されること」も「上手くすれば自分がガッポリ儲けられること」も全部綯交ぜになっていると考えるべきでしょう。

関東大震災に関わる各種情報をコンパクトに拾うことができる作品として、このタイミングで鑑賞する価値がありましたが、今更ながらに、少々青臭く、今流行のポリコレ的な社会正義の価値観を観る者に心にジワリと発生させようとするような作品の側面にはうんざりしました。この作品の多くの部分がそうであるように、記録者としての偉大な先達の足跡を紹介するのであれば、投石し暴行を加えようと迫りくる人々を社会的記録を残すことの意義を分からぬ蛮人と断ずるぐらいの勢いで、彼らのプロ意識を称賛しても良いのかなとは思えました。

報道陣のプロ意識の暴走の果てを描いた名作に『ナイトクローラー』があります。ドキュメンタリーの方が良いなら、『ナイトクローラー』ほどの暴走はないものの、かなりの行きすぎな行動を本人が「問題自体が法を犯したものであれば、カメラマンは法を犯しても構わないわけです」と断言している『ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳』もあります。そのように考えると、この作品の中途半端さが浮かび上がります。秀作ではありますが微妙に再見の価値が感じられないのでDVDは不要です。