『SNS 少女たちの10日間』

 約2週間前の4月23日封切の話題の映画です。その直後に東京都と関西3府県が緊急事態宣言下に入り、あっという間に、都下の映画館は休館を決めこみました。特に独立系のミニシアターは、経営の窮状が騒がれていて、中には渋谷のパワハラ告発が起きたと報道されている映画館のように閉館に追い込まれている所もあります。

 そんな中で、今月のノルマ二本の鑑賞を行なおうとしたら隣県に行かねばならないかと思っていましたが、この作品の上映館を調べてみたら、何と池袋の私がたまに行く西口の老舗(小型)映画館で上映が続けられていました。新宿でも私の知る限りすべての映画館が休館を決め込んでいる中、きっちり上映を続けていました。

 ベストセラーになっているゴーマニズム宣言の『コロナ論』シリーズなどを読み、私は通称武漢ウイルスが、最近の変異株でさえインフルエンザより悪性のものではないと考えていますので、個人的にインフルエンザと同等の対応以上のことをする気がありません。過去にどれほどのインフルエンザの大流行があっても、映画館を閉鎖した話はとんと聞かないので、通称武漢ウイルスでも映画館を休館に追い込む必要はないものと思っています。今回は緊急事態宣言で政府から映画館にも休業要請が正式に来ているという話ですが、要請がなかった過去の緊急事態宣言は勿論、今回の緊急事態宣言でさえ、経営組織は事業の存続を優先し、顧客に価値を提供するのが当然だと思っています。ですので、このたびの池袋の映画館を特に応援したい気持ちで、敢えて隣県に行かず、あまり馴染みがない池袋に行ってこの作品を観ることにしました。当然、GW明けの最初の平日のこの日の時点で、都下でこの作品を上映しているのはこの館だけです。

 話題の映画と冒頭に書きましたが、多分、10年後でさえ何かのきっかけで語り継がれるのではないかと言うぐらいの独特なドキュメンタリー映画です。映画紹介のサイト『映画.com』の解説文の抜粋は以下の通りです。

「巨大な撮影スタジオに作られた3つの子ども部屋に、幼い顔立ちの18歳以上の3人の女優が集められた。彼女たちは12歳の女子という設定のもと、SNSで友達募集をする。その結果、彼女たちにコンタクトをしてきたのは、2458人もの成人男性だった。精神科医、性科学者、弁護士や警備員など専門家による万全のケアのもと、撮影は10日間にわたり続けられた。撮影されているとは気付かず、何も知らずに卑劣な誘いを仕掛ける男たち。彼らの未成年に対する容赦ない欲望の行動は徐々にエスカレートしていく。」

 文中「容赦ない欲望の行動」が「徐々にエスカレートしていく」とありますが、確かに徐々にエスカレートはするのですが、結構しょっぱなから飛ばしまくりです。30代から40代、50代、60代のおっさんまで含めて、12歳の少女達といきなりSkype面談状態になり、いきなり、「服を脱いで見せて」とか要求し始めます。同時に彼らの方は男性器を露出させて見せたり、男性器の写真を自撮りしていきなり送りつけてきたりします。女優達の対応に関して予め決められたルールにより、その場で服を脱いで見せることは拒むということになっているのですが、エスカレートする部分は、「早く脱いで見せろ」の部分と、「実際に会おう。(そしてセックスを楽しもう)」の部分ぐらいで、少なくとも劇中で見る限り、スタートから飛ばしているおっさんばかりが紹介されまくります。男性器を見せたがるのは、ほぼデフォルトとして、12歳と自分の年齢について何度も言及している女優達と、会話している最中にも自分は自慰行為をしていて、「もう興奮して大きくなっているのに、君が胸を見せてくれないから、射精できない」と怒り狂うおっさんも結構います。

 劇中の性科学者らしき女性の分析によると、これらの男性達は小児性愛の人間とは言動のパターンが異なるらしく、単に支配欲を「抵抗できなさそうな相手に対して自分の欲求そのままの行動を行使すること」で満たそうとしていると説明されています。確かに、通り魔的な殺人者が、「誰でもいいから殺してみたかった」というケースの被害者は女性であったり子どもだったりします。詰まる所、、自分の性欲を相手の都合無視で満たすことを通じて、自分の「力」を誇示しているということのようです。

 実験開始後、アカウントを作成して5分も経たないうちにおっさん10人以上からお友達申請が届き、直電までかかってくる状態が、この映画が作られたチェコの現実であることが、なかなかの発見です。

 この辺の事実がトレーラーなどでまあまあ分かっている状態で、このおっさんがたの言動を見てみたくなったのが、この映画を観に行くことにした最大の動機です。1日に2回の上映のうち、早い方の12時25分の回を観に行きました。ウェブで見ると190席余りある二階のシアターは、完全隔席対応になっており、その有効な席のうち半分ぐらいの40~50人ぐらいの観客がいました。

 男性客は7割以上で、そのうち半分以上は中高年と言われる年齢層であったように感じます。女性は、30代~40代ぐらいが半分以上で、男性層よりはやや若いところに平均値があるように感じました。内容についての感想の交換を忌避したいためか、異性の二人連れ客は見当たりませんでした。男性はほぼ全員単独客、女性は二人連れ、三人連れが数組存在していました。

 この映画のレビューでも吐き気がすると、上映中にシアターを出る人が存在していると書かれていましたが、現実に女性客が何のためか分かりませんが、1人上映中にシアターを出て行きました。(戻ってきたかきちんと把握していません。)そして、上映終了後のシアター出口付近などの会話でも、数人連れで感想を言い合う女性客が口々に、「吐き気がする」、「こんな気持ち悪いものを見せられたのは、久々…」などと言っていました。

 何か世の中の病理を感じます。海外と日本の両方にです。ネット上のレビューには、基本的に「このような変態男が山ほどSNSの世界に存在している」という事実に対して、「そのような気持ち悪い変態男を取り締まるべきだ」、「子供をこのような変態男とのコミュニケーションから守らなくてはならない」、「このようなコミュニケーションの場となっているSNS側が自分たちの利益のためにユーザーが減るのを恐れて、このような内容のコンテンツがアップされることに何の制限もかけていないことが最も大きな問題だ」などの意見がたくさん見られます。

 一応、一件すべて正論のようです。私も一応反対しません。しかし、強く賛成もできない意見のように思えます。

 レビューにもありますし、実際に私も耳にした、実質的に女性客しか口にしない「吐き気がする」、「こんな気持ち悪いものを見せられたのは、久々…」が、私にはあまり理解できません。少なくとも私が観た女性客は、普通に考えて性体験があるように見える人々でした。それであれば、男性器も当然見たことがあるでしょうし、場合によっては、オーラル・セックスも求められたり、各種の性行為を行なったことがある場合もあるでしょう。おまけに劇中で男性器は全部モザイクがかかっています。自慰の場面も股間はかなり大きくモザイクで隠されていますので、そう思って観なくてはそう観えないシーンばかりです。

 男性性と女性性は異なることは黒川伊保子の本を読むまでもなくよく知られていますが、基本的に、好みの女性(それもどちらかと言えばかなり広い範囲の好みであるケースが多いでしょうが)を見れば性欲を抱くことがよくあるのが男性であるという説明は大きく間違っていません。劇中のような行為に打って出る男性がわんさかいても、不思議ではありませんし、そのような男性が言いそうなことややりそうなことを、まさにきれいに具現化して見せてくれるのが劇中の一般人男性の諸氏達です。現実にSNSで自分が関心も湧かないような男性からこのように迫られたら気持ちが悪いというのは、当然あるでしょう。けれども、強制的に好きでもないどころか知りもしない男性からパソコンモニタ上で会話しながら迫られ、そのようなことが行なわれることは、普通に考えておきません。なぜならスイッチを切ればよいからです。

 劇中でも言われる通り、子供達は最初は大人の甘言に騙され、さらに裸の写真を送ってしまった後には、脅迫されるなどして、このような展開に耐えることになります。それなら、「吐き気」もするでしょう。しかし、成人女性が(スパムのリンクを誤って押し一瞬観てしまうことは一応例外的にあったとしても)自らの意志でそれを見る選択をしなければ、そのようなことが起きることはありません。仮に誤って観てしまったのだとしても、すぐにスイッチを切ればよいだけです。「こんな気持ち悪いものを見せられたのは…」な訳はありません。

 この中年女性達は12歳の子供の気持ちに感情移入したから「吐き気」がするというのも、人種・文化・年齢などの諸々の立場の違いを考えると、かなり怪しい感じがします。大体にして少女っぽくても本当は成人の女優達で、精神的にダメージは受けているものの、きっちりお仕事としてこの状況に対応していますから、共感するなら、変態男を引っ張り出すサスペンス感の方かもしれません。親としての不安なら、単純に「『こういう変な男がいるから、関わりをもっちゃだめよ』と子供に教えとかなきゃダメだよね」の一言で済み、自分が吐き気を覚えたりする構造が感じられません。私には、これらの女性達の反応は「お約束の反応を演じて、自分はまともな感覚を持っている人間なのよ」とアピールしたいために言っているような節が感じられるのです。(もしくは、生物としてみた場合の話ですが、自分も含めた成体のメスを性の対象と見ず(本来生物的にはオスの行動として至極妥当である)“より若いメスを求める”行動を当然のごとく目の前で平然と行なうオスに対する本能的な怒りや嫌悪の無意識的な表現である可能性も一応考えられそうにも思います。)

 元々日本は歴史的に見て性におおらかな国でした。だからと言って、個人の意思に反するような強姦や性犯罪が多発していたということではなく、性への関心も、性の行為もあけすけに、日常の生活の中で表現する場があったと考えられます。各種風俗系サービスが業種として明確に看板を掲げている国はあまりありません。それも比較的普通の住宅地に近い所にさえあります。現在でも性を題材にした雑誌や文庫本などはだいぶ淘汰された書店の主要商品カテゴリーの一部ですし、世界に類を見ないAV文化の発達も、ラブホテルという特殊な場所が各地に明確に存在しているのも、海外ではなかなか考えられないことだと思います。それは先述の性に対するおおらかな文化の遺産だと私は思っています。

 性をいたずらに抑圧し、アンダーグラウンドなものにしてしまったせいで、逆に犯罪性を助長してしまったのは第二次大戦後の欧米文化の影響だと私は思っています。性に誰もが関心を持ち、性欲を意識して毎日暮らせとは言いませんが、ダイバーシティだの多様性を言うのであれば、性への関心が身体性の延長線上でもっと日常の中に存在してよいと私は思っています。その意味で、12歳の子供に支配欲から男性器を見せびらかす愚劣さ加減は置いておいて、性欲そのものを隠さない大人がいても、驚いたり吐き気を催したりする反応を大人がすることに対して、私は違和感を抱きます。

 そのような考えの延長線上で考えると、「子供をこのような変態男とのコミュニケーションから守らなくてはならない」というのも、ややおかしいように感じます。性生活は人間の重要な営みの一部です。基本的に誰もがその理解やその行為を避けて通ることはできません。残念ながら、それを過度に自分の生活の中心軸として生きている男性も(そして場合によっては女性も)存在するのが世の中です。それを子供達に対して段階的にでも理解させ、そういう人もいるということを理解させる方が、子供達の社会認知の面で無理がありません。子供達向けの防犯標語で「いかのおすし」がありますが、「ついてイカない」などと教える際には、誰についていくべきではないのかを或る程度具体的に教える必要が出ることでしょう。

 仮に劇中で言われるようにSNSのプラットフォーム側が何らかの規制を行なったとしても、完全に子供達を「変態男」と見做される人々から隔絶することに成功する訳がありません。SNSも民間企業である以上、かなりその辺の偏りは顕著で、不当にトランプ元大統領のアカウントを「内容が気に食わないから」と削除したりする割に、自分の男性器だろうと何だろうと、SNS側として売物になる情報をたくさんアップしてくれる個人達は、食い物にできるカモそのものとして扱っているのだろうと思います。よく投資などの知識も含めて「お金の教育を子供達にすべき」という声を聞きますが、性に対するさまざまな嗜好があることを子供達に段階的に教えつつ、その理解の結果、自然に「変態男」からの距離が空くというのが正しい方法論だと私は思っています。

 包丁や自動車も使い方によって危険になり悪用もできるのと同じことで、SNSも悪用者がいることを理解して与しないのが(ハッキングやランサムウェアなどの受動的な被害は別として)一番です。SNSの問題は、SNSの仕組みのせいではなく、利用者の使い方の問題と考えるのがまず第一義であろうと私は思います。

 現実問題として、性風俗は政策上のセーフティネットの網目から漏れてしまい貧困生活を送ることが余儀なくされている女性達のセーフティネットとなっていることが、坂爪真吾の書籍などに書かれています。つまり、変態男達のニーズと同質であるニーズによって、生活ができている女性が多数いるということです。そのような現実は、「子供達を変態男から隔絶しよう」の妙な勧善懲悪的単純世界観では、全く理解できないものになると思われますから、「子供達を変態男から隔絶しよう」の人々は、或る意味、現実から妄想の世界に逃避しているのと同じです。

 なぜか不思議なことに、パンフレットの「識者」のコメントでもレビューでも殆ど挙げられていない論点があります。それは12歳の子供にスマホなどのデジタル・ガジェットを与える意義です。『スマホ脳』などを読むと、スマホの開発者側では大人が自分の子供にはスマホなどを与えていないことが暴かれています。ジョブズやゲイツでさえ、我が子達をその害悪から守るためにそのようにしているほどに、スマホなどのデジタル・ガジェットを児童に与える害悪が認識されているということです。GPS機能で子供の位置把握ができるようにしなければならないというのなら、囚人やペットがつけるようなGPSの発信装置を持たせればよいだけですし、連絡ができないと困るというなら、携帯でSMSだけはできるようにすればよいだけの話です。そもそも、ネット・アクセスを与えるのなら、その使い方や考え方を教えて与えるのが当たり前です。包丁を何の説明もなく子供に持たせる人間がいないのと同じです。そのような論点は劇中でも見当たらなかったように思います。

 ウィキで見るとチェコでは売春が基本的に合法化されているとのことです。日本では「相手に物理的に接触もしなければ会話もしなくてよい風俗の仕事」としてその手の求人誌によく「鑑賞レディ」の求人が載せられています。鑑賞レディは、お客が自慰などの性行為をしているのを「鑑賞する」だけで報酬が貰える仕事の担当者のことです。チェコの売春婦に、観ているだけで同じ値段を払うと言えば、どういう対応を取るのか非常に訝しく思えます。

 なぜ劇中の変態男たちは合法化されている売春に走らず、素人の、それも児童相手にそのようなことをしたがるのかと言えば、先述の通り、支配欲やら、自分の性癖を受け容れ認めてほしいという意味での承認欲求が、チェコの売春婦には満たしてもらえないからと考えられます。ここでも、(海外、特に西欧文化圏の)性風俗の貧弱さが問題を発生させていると考えられなくはありません。たとえば、AVなどを見ても、西欧のそれはどちらかというと、ただの性器の結合が殆どで、あとは、女性は大声を出しながらオーガズムに達することだけを目指し、男性はただただ射精することを目指しています。かなり極論ですが、そのように感じられます。それでは支配欲が満たされる訳がありません。

 たとえば、ソープランドの嬢たちは、全く勃起しない高齢者さえ客として受け容れ、事実上話し相手になったりすることもサービスのうちとして認識していると言います。多分、「自慰を見て、『スゴイ』と言ってくれ」と言われれば、普通にそうしてくれるでしょうし、コスプレもすれば、「未成年の処女のような態度を取ってくれ」というリクエストにも対応することでしょう。宗教的・文化的な性の抑圧、その結果の貧弱な性風俗文化、そして野放図で杜撰な児童教育の組み合わせで、劇中の現象は起きているように思えてなりません。

 端的に言って、パパ活も援交もデートクラブもキャバクラもピンサロもソープもなく、出会い喫茶もなければ、ラブホテルもない上に、機械的フェラチオと物理的性器結合ぐらいのサービス・メニューの売春婦が合法化されているだけの地域で、格差も激しく教育もきちんと行きわたっていないと、男達は遺伝子的に駆動されて、性器を見せ射精を見せ、女を自分の言いなりにしたいという衝動を抑えきれなくなるケースが頻発するという構造なんだろうなぁと思えます。

 日本でも他人事ではないとしたり顔で言っているように思われるレビューやコメントも見受けられますが、日本では少なくともSNSで友人になったらいきなりライブでつながり男性器を見せて来るレベルのバカは少ないのではないかと思えます。大分抑圧されているとはいえ、そんなことをする必要がない程度の性風俗サービス(含む各種出会い系マッチング・ツール)が存在することや、少なくともデジタルの記録が残るようなことをすればすぐ足がつくことぐらいは一応理解している民度(/社会的常識)がある人間が圧倒的に多いこと、さらに、性の文化として物語性の記号化が海外よりも進んでいることなどが理由として挙げられると思います。

 勿論、電車内の痴漢はいますし、稀に路上でいきなりコートの中の全裸を見せる男が居たりもします。しかし、その場でデジタル記録が残る手法を取るほどのバカはそう見当たりません。監視カメラがこれらの行為を抑制することに効果を挙げていることからもその事実が確認されます。パンフにも日本の警視庁が発表したSNS被害に遭った18歳未満の被害者が2000人弱存在するという話が紹介されています。加害者が被害者に対して1対1対応で存在する訳ではないでしょうし、10日で数千人の変態男性が現れるチェコに比べれば、あくまでも人口比に基づく比較論で言うなら、日本はかなり健全だと言えるでしょう。

 劇中、モニタの向こうの変態男達は顔にモザイクが掛けられているのですが、目だけははっきりと見え、口も発話が分かる程度には確認できる状態になっています。皆同じようなデスマスクのような表情に目だけが生き生きとしている、なかなか不気味な様相になっていて、よりこの映画の主張を強調しているように思えます。

 面白い映画です。作品コンセプトが斬新であることが一番の面白さですが、巷間で多く言われるような、「子供達を守れ」の話でもなく「SNSを規制せよ」でも勿論なく、「変態男を取り締まれ」にも全く与しません。(この作品の発表後、チェコ警察は映画制作サイドに協力を依頼して来て、劇中の男たちの検挙に動いているという話ですが、本気にやるなら、常にチェコ警察が(おとり捜査はチェコで合法かどうか知りませんが)同様の仕掛けをバンバンやればよいだけのことです。)

 劇中の「精神科医、性科学者、弁護士や警備員など専門家」と言われる人々の発言の数々が、上述のような文化的宗教的背景から考える時、如何に空虚なものかを全く認識していない点が、非常に面白いのです。問題の書『西欧の自死』を読むと、ヨーロッパに押し寄せるイスラム系の移民が、自分たちの宗教的価値観を固持し続けるため、女性は「男性の所有物」と見做されがちで、ケルンの大強姦事件のような性的犯罪が多数発生していると説明されています。チェコは勿論西欧の一部ではありませんが、そのような怒涛の社会変化がヨーロッパをいつか覆い尽くすことがあったなら、これらの専門家や識者の意見は悉く無意味化されることでしょう。

 劇中の専門家達の女優達に対するアドバイスや現状の分析は、一応有効ですが、結果的に何ら構造的な問題解決方法が見いだせないままにドキュメンタリーは終わっているのです。冒頭のオーディション・シーンで、作品の制作意図を女優達に話すと、半数程度、実体験がある女優が確認されています。撮影中には変態男たちの一人で、かなり過激な言動の男が、実は撮影スタッフの知り合いであるということが判明し、終盤には自宅に撮影スタッフが押し掛ける展開になっています。たった10日で数千人のアクセスがあり、その多くが性的目的で12歳の少女と知って接触してくるのなら、これは、誰かを悪者にして片付くような問題ではありません。

 本来の遺伝子レベルの人間のありように照らして、長く大きく彼の地の宗教的価値観や文化背景がゆがんだ結果、発生している事象であることを、出演者の誰も指摘していないのが、なかなか楽しい作品でした。DVDはその意味で買いです。