『裏アカ』

 4月初旬の公開から20日が過ぎた木曜日の昼12時。新宿武蔵野館で観て来ました。知名度が非常に低いためと考えられますが、この日が最終上映日でした。関東圏でも他にどこもやっていない状態だったと思われます。(この作品のオフィシャルサイトには、23区内では池袋、渋谷、お台場でやっていたと書かれていますが、私が確認した鑑賞当日の時点で、関東圏では武蔵野館だけだったように思います。)おまけに、武蔵野館でも1日1回です。できた時間に駆け込んでみるという感じでした。

 武蔵野館に着いてみると、「いつやるのだろうか」とぼんやり意識していた『あの頃。』が上映されていることを知りましたが、なんと、これもその日が最終上映日で、おまけに1日1回しか上映しておらず、さらにおまけに、上映開始時間が12時半からでした。究極の選択状態になってしまいました。慌てて調べると『あの頃。』は他館でもギリギリやっているようで、「そちらに賭けるか」と諦めましたが、翌週にはなんとまたぞろ通称武漢ウイルスの空騒ぎの応酬で、緊急事態宣言が発令されるようで、鑑賞を諦める結果になる可能性が高まっています。

(おまけに『あの頃。』をギリギリやっている映画館は例の渋谷エリア北西のはずれのミニシアターですが、組織内でパワハラ問題を起こし、さらにクラウド・ファンディングをしても経営を立て直すことができず、5月下旬の閉館が決まっています。通称武漢ウイルスの影響で消えていく映画館の事例としてよく話題に上がりますが、ミニシアターは他に幾つもあるのに、バタバタと消えている訳ではない中で、なぜこの館は潰れるのかという風に考えるべきです。飲食店同様、経営に決定的な弱点のある店は淘汰されるというだけの話で、通称武漢ウイルス以外のトリガーでも同様の結果になった可能性は高いモノと私は考えています。)

 私はあまり承認欲求に絆されることがありません。なので、せっせと自分の食べたものやら自分の顔やらをやたらにSNSで晒さなくては気が済まない人々の気持ちが分かりません。ただ、なぜかそのような人々は世の中にかなり存在し、そのような人々を商売の対象とする人々もそれなりにいて、私のオモテ稼業のクライアントになることもよくありますし、ウラ稼業の方でもその承認欲求に対峙しなくてはならないことが時々発生します。ですので、国内の人々のSNS利用がテーマになっている作品はまあまあ観ようと思っています。たとえば、少々前のことですが『白ゆき姫殺人事件』を観るに至った動機の一つもそうです。また、主人公が当に「裏アカ」を使っていることが物語のカギとなっている『何者』も、結果的にこの目的の鑑賞に貢献しています。そして、この作品もそうです。

 ネットで見ると85席しかないシアターに入って見た限り、30人ぐらいは観客がいました。どうやってこれほど均質な層の観客を集めたのかというぐらいに、全体の8割を占める男性客の9割近くは70代ぐらい(もしくはそれ以上)の男性でした。女性の方は5~6人でしたが、高齢男性客とカップルの僅かに若い連れが数人と、30代ぐらいに見える数人の組み合わせだったように思います。この高齢男性客群はどうやってこの映画を知り、どのような動機で観たいと考えているのかが全く分かりませんでした。

 レディース向けの服を中心としたセレクト・ショップの女性店長が承認欲求に駆り立てられて、ツイッターに自分の裸身やら終いにはセックス動画の数々をアップするようになり、最終的に社会的に破滅する…と言った話です。店舗のオーナーからの信頼はあるのですが、バイヤーをやって大失敗をしてから、オーナーから意見を求められなくなり、店の顔として年下の部下の女性の方が注目を浴びるようになって行きます。この部下はインスタをやっていて、ちょっとしたカリスマ店員(昔で言うとハウスマヌカン)になっています。彼女に会いに来店する若い女性客も存在し、主人公は店に居場所を失っていきます。部下のカリスマ店員が主人公に「なんでインスタにアップしないんですか。スタイルいいし、キレーなのになぁ」と言ったことをきっかけに、SNSでの注目への渇望が急激に膨らみます。

 酔った勢いで外れかけたブラにギリギリ隠されたバストのアップ写真をツイッターに上げたら、エロ目的のフォロワーが急増します。その快感にハマりより過激な画像を投稿するようになります。多くのリツイートもDMも下品でより過激なエロを求め煽るものでしたが、そのDMの中に「表のストレスは吐き出せた?」というものがあり、主人公の琴線に触れます。そのDMの送り主ゆーとの「一度だけ」という誘いに乗って会うことになり、セックスに至ります。

 ゆーとは会ってからセックスに至るまで、裏アカを共有する秘密の理解者として振る舞い、主人公はすべてを曝け出して解放感に浸ることができましたが、ゆーとの目的は裏アカで誘い出した女性とセックスをしてハメ撮り画像を集めるだけのことでした。主人公が恋人気分で「またメールするね」と言うと、ゆーとは掌を返したような冷たい口調でそれを拒絶するのでした。

 その後、主人公はゆーとに逢えないセックスの解放感を他の男に求めますが、何人セックスしても、ゆーとのような演出はなく、ただセックスだけをあからさまに求める男ばかりで、疲弊していきます。一方でインスタ頼みのカリスマ店員には経営の戦略性がなく、業績の悪化と共に、オーナーは主人公の再登板を要請し、デパートのブランドとのコラボ販促企画を実現して、スター店長へと返り咲きます。その相手ブランドの事務方にゆーとが居て、オモテの世界で二人は再開します。

 裏アカの関係でどうしても忘れられなくなった男性が表の世界で偶然登場するのも、クリシェです。そして、すったもんだがちょっとあってから、結果的にモトサヤのようなことになるのもクリシェです。そして、主人公より若いゆーとの方は表の世界で可愛い女性を娶ることになっている…というのもクリシェです。ストーリーの大筋は、誰でもが予想できる展開をきちんと順番に見せてくれます。

 おまけに、結婚まで時間の限られたゆーとと貪るように逢引するようになって、他の男からのDMを無視し続けますが、その中に「家ぐらいすぐわかるんですよ」と脅してくる者がちらりと登場します。「ああ、これもフラッグだな」と思っていたら、案の定、重要なコラボ・キャンペーンのキックオフ的なプレゼンで、主人公の裏の顔が暴露され、主人公は、所謂「公開処刑」状態になってしまいます。これも十分よくある展開です。何か勧善懲悪と言うか、道徳的教訓物語になってしまって、面白くありません。すべてを失った主人公は、橋の上からスマホを捨て物語は終わります。

 詰まる所、この作品は裏アカに走った女性に罰を与えずには気が済まなかったように思えます。のめり込んで行く描写は、「なるほど」と頷かされるものがありましたし、ゆーとの心の襞に触れるようなメッセージの積み重ねからの誘い出しにも、「なるほどなぁ」と納得感がありました。ただ、そこからは、すべてが予想通りで、それも単純で幼稚な結論に一気に突き進んで行ってしまいます。

 一方で、虚無感や厭世観に苛まれ、人も羨む様なマンションで人も羨む様な可愛い妻との新婚生活を始めるゆーとは、その当たり前で平坦なことしかない人生を「地獄」と言っていますが、実際にその生活を始め、若い美人妻と和気藹々の生活を送っている様子が描かれています。何人ものハメ撮り動画をコラージュ的にまとめて、じっくり鑑賞するのが彼に多少の興奮をもたらす唯一の趣味のようなものでしたが、当分はそれも妻に隠し通さねばならなくなったことでしょう。

 可愛い若妻はどれ程才気溢れるのか分かりませんが、雰囲気的にはゆーとがハメ撮り動画集めを続けても隠し遂せるように見えますし、仮にばれても、ゆーとは動じることなく本性を彼女に曝け出し、受け容れられなければそのまま別れてお終いという風にも見えます。つまり、主人公には社会的な破滅を与え、ハメ撮り男は無罪放免という構図になっているのです。一応「地獄」が始まったと見ることはできますが、どうも、執行猶予とか仮釈放の状態にしか見えません。

 私はAV業界のクライアントが居たことがありますので、AV女優が自分のその職業をどのように扱っていることが多いのかを知っています。それを自分の周囲の誰にまではカミングアウトするのかを皆相応に考えながら生きているように感じます。援交もパパ活も売春も実践者は世の中には多々存在しますし、実際のセックスを介さないことに一応なっている射精産業の従事者も多数存在します。その動機が金銭であれ、承認欲求であれ、都会の寂寥の解消であれ、取り敢えず、裏の名前でエロに走る女性は多数います。その多くは裏と表を使い分けつつ人生を送ることにほぼ成功しているのではないかと思えます。

 そのように考えると、この作品の物語はSNSにハマる所までは、承認欲求動機パターンをそれなりに克明に描いていますが、それ以降はあまりにクリシェな単純ストーリーで魅力が薄れてしまっているのです。

 例えば『母娘監禁 牝<めす>』の監禁された娘を救うためのセックスを淡々として、「晩御飯何食べようか」的な会話をしながら娘と家路につく母ほどの開き直りや居直り、諦めや平静を持ち合わせていなくても良いと思いますが、少なくとも、多くの裏の名前を持つ女性にとって、裏の名前が露呈することは、(望ましくはないものの)重大な問題ではないのではないかと思えます。仮に私のその想定通り、現実がそのようなものであるのなら、この物語は、オフィシャル・サイトで「SNS全盛の今、「本当の自分」を問う究極の人間ドラマが誕生」などと言われる割には、随分ファンタジー臭い気がします。

 パンフを読んで主人公を演じた瀧内公美が、怪作『グレイトフルデッド』で自分が見たいと思っている孤独死をターゲットの老人に無理矢理もたらそうとする狂人的オタクを演じ、『火口のふたり』では結婚式を控え再会した元カレと愛欲の時間に溺れていく女性を演じた女優であると知りました。これら二作品が持つ人間の妄執ややるせなさや耽溺やらを、『裏アカ』は全然持ち合わせていないように思います。DVDはSNSの研究のために一応あっても良いと思いましたが、鑑賞目的に見ることはないものと思います。