『初恋』

 タイトルが『初恋』の映画作品を検索すると、モノクロ時代の洋画も含め、物凄い数の作品数になります。有名な文学作品でも同タイトルが島崎藤村やツルゲーネフによるものなどがありますから、当たり前と言えば当たり前です。それだけ「初恋」という言葉は誰の心にも何かを惹起する言葉なのだと思います。

 2月下旬の封切から現時点で既に3か月半が経とうとしている映画サイトでは『初恋(2020)』と表記されることの多いこの作品を観て来ました。これほどのロングランとなっているのは、単純に馬鹿げた通称「武漢ウイルス」騒ぎで映画館の経営者が客を追い出し軒並み休館をしたせいで、上映作品が1ヶ月以上に渡って凍結されたことが大きいものと思います。

 本来6月封切どころか、5月の封切予定の作品まで配給が滞っており、私が今回赴いたバルト9も含めて、新宿のマルチプレックス・シアターは軒並み『シン・ゴジラ』だの『アベンジャーズ』シリーズだの、取り急ぎ、客足が確保できそうな無難な過去のヒット作を上映している状態です。そんな中、この作品でさえ、既にDVDが発売されている状態での上映です。

 3月以降ぐらいのタイミングで劇場で観ても良いかなと思っているうちに、あれよあれよという間に、映画館が自主休館の愚挙に打って出て、観ることができないままに、いつも使っているゲオ・オンラインのDVDレンタルのカートにこの作品が入っている状態になりました。別にDVDで観るだけでも良かったのですが、先述のような上映作品の状況で、観たことのない作品で言うならあまり他に選択肢もなく、さらにミニシアターではあまりに知らな過ぎ、関心も湧かない作品が多い中、取り急ぎ、以前、観ても良いかなと思ったこの作品を劇場で観ることとしました。6月上旬の月曜日。バルト9で1日1回の17時丁度からの上映です。

 当初この映画を私が観ても良いかなと思った理由は、時系列で二つあります。一つは、2月上旬に劇場で観た、山本直樹原作作品の『ファンシー』が山本直樹原作作品の中ではかなり秀逸な作品でしたが、その主演級の二人がこの作品でも同じ組み合わせで主演であることです。『ファンシー』の方は山本直樹の世界観を翻案した作品としては秀逸でしたが、この二人、特に女優の小西桜子は(スタイル的に)かなり無理のある配役でした。『ファンシー』の情報を得ようとするプロセスの中で、彼女のことをネットで見ると、ほぼ同時期に制作された作品として、この『初恋』が執拗に登場するので、少々関心を持ったことがあります。関心を持った理由は、私も時々夜な夜なツーリングする歌舞伎町の街が舞台となっている場面が多いことです。

 さらに、この作品のトレーラーを観て、第二の「この作品を観たい理由」が湧きました。トレーラー中に登場するベッキーの存在です。半グレ上がりのヤクザの下っ端のスキスキ彼女の役ですが、その下っ端をヤクザのシャブ争奪戦で殺され、復讐心に飲み込まれて、まるで悪鬼のようになる女の役です。

 私はベッキーのファンでは全然ありません。ただ、『心霊喫茶「エクストラ」の秘密-The Real Exorcist-』の感想にも…

「 芸能人はそのまま芸で評価されるべきだと思っていますので、その研鑽とその結果を誇示していただきたいものと思います。暇潰し芸能ニュースで不倫が再三バッシング・ネタになり、その不倫俳優の出演作が振り回される結果になっていますが、私はそのような配慮が全く必要ないものと思っています。麻薬などの犯罪に手を染めた芸能人なども、その罪の罰さえきちんと受ければ、別になんだということはないものと思っています。

 芸術に生きている人間は、或る意味、異常な価値観を持っていることが多いですし、そうであらねば日常の中に凡人では見いだせない切り口や解釈を見出すことが困難であることが多いのではないかと思います。多くの近代文学の作家にとって、不倫など飯のネタぐらいにしか思われてなかったフシがあります。女性と入水した作家が自分だけ生還したら、かなり殺人の嫌疑が発生するように思えます。借金を踏み倒したりする者もかなりいたはずです。

 例えば海外の画家でも、カラバッジョは人殺しですし、ゴーギャンは未成年性愛の傾向が三度の結婚歴から感じ取れます。では、これらの人々の作品は一様に唾棄するべきものでしょうか。全くそんなことはありません。ですから、芸能人も芸術家の端くれなら、芸だけで自分の価値を打ち出せばよいものと思うのです。」

と書いていますが、まさにベッキーの世の中の扱いに、私は全く賛同できませんでした。賛同も何もなく、単にどうでもいいことでしかないと思っています。それでも、不倫の代名詞のように報道され、仕事も長きに渡って乾されるなど、馬鹿げた対応が続いたように私は記憶しています。

 よく不祥事を起こしたり、世間的に非難されることをすると、女性の場合、フル・ヌードの写真集を出したり、濡れ場が不必要なぐらいに存在する役柄をこなしたり、場合によっては、AVデビューするなどの復帰が、「禊」の意味を込めて、ないしは、「ペナルティの受容」という意味を込めてか、選択されることがあります。不倫発覚以前には、大学も自費で通ったエピソードなどが有名になるなど、或る意味、バラエティにも引っ張りだこのアイドルであったように思いますが、いきなり、この作品でこの役です。

 私は消費行動は、或る意味、その作品への金銭による投票(≒支持行動)だと思っていますが、であれば、不当なまでの扱いを受けたベッキーの復帰にささやかな「いいね」を押したいと思ったことが、第二の理由です。

 上映開始の約1時間前に到着しチケットを購入した際には、券売機の画面で見ると、隔席対応の結果×印だらけの隙間の席で、観客は私一人しかいませんでした。フロアごとの(いちいち指定位置に立たされて行なわれる)体温チェックを経て、実際にシアターに入ってみると、なぜか中年と思しき男性の単独客ばかりで、総数は私も含めて6人に膨れ上がっていました。どれほどこの映画に入れ込んでいるのか分かりませんが、最前列でかぶりつくように見ている男性もいました。

 指定はPG-12ですが、特段濡れ場はありません。ただ、小西桜子演じる主人公の女性は、父親の借金の返済としてヤクザに供され、シャブ漬けで出会い系で客を取らされている役ですので、作品初盤から薄汚い部屋で薄手の羽織ったもの以外はパンティ一丁でせんべい布団の上に転がっていたりします。作品全体のバイオレンス要素はかなりのもので、所謂切株シーンが映画冒頭から入り、さらに後半でもう一回登場します。腕が切り落とされたりもしますし、銃撃はやたらに続きます。気絶している男を車の前に置き、その車に乗って去り際にめきめきと轢いていくシーンまであります。登場人物が無意味な抗争によってどんどん命を落としていくという観点では、典型的なやくざ映画そのもので、最近では『アウトレイジ』シリーズのようなペースで逝きます。

 小西桜子がシャブ中売春婦なのに全然エロ系の演技が要求されていないのに対して、ベッキーはエロもバイオレンスも全開です。登場シーンからして、唐突に開いたドアの死角から小西桜子の腹部に強烈な蹴りを入れながら姿を現します。映画全体の殆どの尺を下半身パンスト一丁のような恰好で叫び回り走り回りバールや青龍刀を振り回しますし、自分に欲情している中国人の殺し屋に向かって、自分の陰部に突っ込んだ指の匂いを嗅がせて脱出の隙を創ったりします。彼女が狛江でロケされたらしいホームセンターの大乱闘で死んだ後も、死体は下半身のアップが映るばかりですが、当然網パンストの臀部のアップです。ただ、そんな状態が全編を通して続きますが、溺愛した相手の仇を取ることに脇目もふらず躊躇もなくがむしゃらに突き進んでいく一貫した様子には、矛盾もなくムラもなく、復讐心の裏にある愛情の強ささえきちんと滲ませている名演だとも思えます。

 映画そのものは、洋画なら『トゥルー・ロマンス』や邦画なら『アドレナリン・ドライブ』のような、ひょんなことから犯罪組織の“活動”に巻き込まれた一般人の物語と言えると思います。若しくはヤクザ系の女性の足抜けを願う一般人の男性の運命を描く、数多の物語の一つでもあるように思えます。その辺は、ヤクザ映画を散々撮っているこの監督の経験が活きていて、単純に言うと、ただ連続で人の命が乱暴に奪われて行くだけなのですが、観ていて飽きさせません。成り行き上の展開も手伝って、ヤクザ組織中堅どころの男を演じる染谷ナンチャラは、どんどん殺害を重ねますが、淡々と「今日もう何人目だよ(、まったく)」と、殺人をちょっとしたアクシデントのように語っているのが印象的です。

 劇中にヤクザ映画で描かれるヤクザの義理や「仁」を日本人男性に期待していて、それが全然見当たらず失望している中国人女性殺し屋が登場します。その彼女や日本のヤクザ側の出所したてのヤクザ幹部の、カタギの人間に対する配慮や“線引き”など、(少なくとも映画の世界によく描かれていた)義理人情の美しさは、この映画の魅力になっていて、簡単に人が罵りあい騙し合いながら殺し合って消えて行く『アウトレイジ』シリーズなどとは異質な、懐かしい魅力が存在します。

 主演の窪田何某は、私にはやはり『東京喰種』シリーズの印象が拭えませんし、小西桜子なる女優は『ファンシー』よりは深い心理描写を求められていないせいか大分見やすかったですが、特段、印象には残りませんでした。荒んだ環境の中に芽生える初恋と必死に生きることの意義、そしてヤクザの筋を通した美しさをうまく組み合わせて、飽きずに見せることができる作品になっていると思えました。たくさんある『初恋』というタイトルの中の作品で、私が観たのは数本しかありませんが、宮崎あおい主演の『初恋』に次ぐ、渋く甘酸っぱい味わいが入れ込まれた良作だと思えました。DVDは入手の価値ありです。