『最低。』

1月の三連休の初日の土曜日。午後7時10分からの回を明治通り沿いの小さな映画館で観て来ました。

11月下旬の封切ですから、既に1か月半が経過していますが(、少数の館の上映とは言え)、今尚上映が続いているのは、やはり相応の人気なり注目がある作品なのだと思います。1日1回の上映になっています。小さなシアターに入ると、私が1時間少々前にチケットを飼った時には7人ほどしかいなかった埋まっていなかった客席が、私の後に続々と入ってくる観客でどんどん埋まって行きました。

最終的に全部で30人以上の観客が居て、シアターの前数列を除くとかなり埋まっている状態になり、全体で見ると50%弱の稼働率にはなっていたように思えます。客層は私より少々わかめの年齢層を中心とする男性客が6割以上で、残りが女性客です。男女のカップルで来ている客は見渡す限り一組しかいず、それ以外の女性客は皆単独でした。女性客の年齢層は男性以上に偏りが少なく、40代後半から50代前半にほぼ全員が収まっているように見えました。業界関係者はどの程度いたのか分かりませんが、少なくとも(かなりのキワモノ系で且つ熟女系専門の女優を想定しなければ)AV女優の存在は無かったように感じます。

AV女優のイベントがあると集まる客は、概ね偏っており、マーケティング的見地からは、非常にターゲット設定がしやすい状況と言われています。その典型的AVファン男性層と、少なくとも外見上ではこの作品の男性観客は非常に属性が被っているように見えました。

この映画を観ることにした最大の理由は、やはり、現役AV女優によるベストセラーと噂される物語の映画化であることが第一です。私はAV制作会社のクライアントさんがいたこともあり、今でもアダルト系の事業を行なうクライアント企業さんがいるので、この業界についての世の中的な受け止め方を知っておきたいと言う動機は常にあります。

過去に観た『nude』はAV女優による小説の映画化でしたが、著者のみひろは既に引退している女優であり、既にテレビ出演などに移行した後の立場から振り返られた過去でした。今回の原作の紗倉まなに比べて彼女自身の知名度も著作の話題性も限られていたように思えます。また、『nude』と前後して偶然見ることになった『名前のない女たち』は、AV女優の中でまさに鑑賞者に記憶されることがほとんどない企画女優の話で、それが映画となること自体の価値はあったように思えましたが、原作者の中村淳彦の「どうよ、AV女優はみんな病んでてひどい状況なんだよ。知っている俺が教えてやるよ」モードのヒステリックな文体が、そのまま映像化したような作品でした。

さらに、今回の原作者の紗倉まなも含む7人のAV女優が一人のAV女優を演じた実験的試みがウリだった『エターナル・マリア』も今回と同じ映画館で観ました。キカタン級のAV女優の或る程度等身大的な雰囲気を感じましたが、芸能界デビューと言う、なかなか確率的に低いハッピー・エンドのファンタジーに収まってしまっていました。

私は紗倉まな作品を殆ど見たことがありません。SOD作品の冒頭にSOD非AV商品群のコマーシャルが配置されていることがありますが、そこに出てくる彼女ぐらいしか動画で見ることはありませんでした。彼女の存在がAV女優の中でもかなり特殊なものであるのは、書籍の『高専生だった私が出会った世界でたった一つの天職』と言う自伝を読んで知りました。

高専在学中にAVデビューしたのですが、高専卒と言うリケジョ、(一応)高学歴のAV女優はあまり存在しないものと思います。(この作品のパンフにも非常に秀逸なコメントを書いている鈴木涼美も、修士号まで持っていてAV女優だったことが知られていますが、AV女優としてほとんど話題にならないぐらいのマイナーさでした。)勿論、4大卒だって山程いますし、体育大卒や音大卒がデビュー当初のウリになっている女優も存在しますが、紗倉まなほどメジャー級ではなかなかいません。また、スタート時点で親が理解を示していると言う珍しい事例でもあります。それ以前に、これほど、著作その他で広く活躍しつつ、AV女優を続けている存在も珍しいですし、さらに言うなら、これほど長く売れ続けているAV女優自体が既に数万人に一人のオーダーなのであろうとも思います。

彼女の存在は明らかに特殊で、AV女優の平均値とは到底言えません。そんな彼女が描いたAV業界は、先述の3作に比べてどのように違うのかに関心があったのです。過去3作品の感想にも書きましたが、クライアント企業にAV制作会社ができる前から、私のAV業界を見る目はかなりフラットでした。セックスを売り物にするのは、別にAV女優に限ったことではありませんし、敢えて言うなら多くの素人売春を行なう人々の存在に目をつぶって議論しても仕方のないことです。

また、セックスに関わる産業について、世の中でないものと想定して暮らしたがり、あってはならないものとして議論しようとしたり、関わる人々をただいやしい人々と忌避したりする人々とも私は全く共感するところがありません。別に皆がAVを好きになれとは毛頭思っていませんが、世の中にあるニーズにこたえる一つの商売として当たり前に扱うべきだと単純に思っているだけです。また、そのようなニーズを持つ人々に対する白い目にも全く共感できません。今でもコミックの島耕作シリーズなどにも登場するように、風俗接待は或る意味ビジネスの一つの要素です。海外でも合法化されている売春は特定の枠の中で十分に許容されています。さらに言うなら、歴史的に日本文化はセックスに非常に寛容でした。

AV女優に心を壊していくケースが多いのは本当だと思いますし、本来売るべきものではないものを売っていると言う認識は私にもあります。けれども、人材紹介などをしてみると、ビジネスが人の人生を大きく狂わせることは非常に頻繁にあり、人間の尊厳や人間の人生そのものと言う売ってはいけないものを売っているビジネスは、AV以上に多々存在していると私は人材ビジネスに10年弱携わった経験から確信しています。AV女優が搾取されて心を壊すと言うのも、あまりまともな理屈ではありません。

現実問題として、搾取するようなことをしなくても、AV女優志願者が多数存在しますから、プロダクションが総体的にみれば、供給に困ることはない中で、出演強要などをして、業界そのものをリスクにさらす必然性がありません。おまけに今時カネだけが目的で長くAV女優を続ける人間はいません。それどころか、1本、2本の出演で業界を去る人間でさえ、どちらかと言うと色々な形の承認欲求に駆動されているのであって、カネのために泣く泣くこの仕事を続けている人間はほぼいないと言って良いでしょう。

心を壊すことがあるのは業界に拠ることではなく、心理的負担に耐えられないような高ストレスが職業上有り得ると言うことであって、それであれば、SEなどの方が余程高確率で心を病んでいるように思えます。簡単に是とする気はありませんが、少なくとも、AV女優以上に心を病みやすい職業は、世の中に幾らでも存在します。

一方で、細かい議論を避けますが、AV業界関係者に全くビジネス・センスがなく、くだらない思い入れやくだらない哲学によって、どんどん自業界の首を絞めてしまっているのにもかかわらず、業界全体の縮小をオカミの規制やインターネットの無料エロ動画・素人エロ動画の普及に求めるばかりであるのが実態だと思います。剰え、「公的な助成を受けるべきだ」とオカミに陳情して廻っている駆け出し無名AV監督の発言を或る飲み会で聞いた時には、あまりの愚昧さに開いた口がふさがりませんでした。

ですから、私は「AV業界はどんどん規制でつぶされている」と言う愚痴と呪いの言葉ばかり吐く業界関係者にも全く与しませんし、「市川さんも中小企業診断士なんだから、そんなイロモノの仕事を面白半分に手掛けるのはいい加減に止めたらいい」などとしたり顔で言う有名コンサルのキチガイ沙汰を心底嫌悪します。端的に言うと、私は、AV女優を卑しい人とも思っていませんし、可哀想な人とも思っていません。AV業界の人を私にも仕事をくれるありがたい特定業界の人と思う反面、その多くが本当に商売の基本を分かっていなくて業界全体の首を絞めつつある残念な人たちと思っています。

作品を観てみた感想は、何となく漠然と持っていた先述の3作からちょっと上を目指したような期待値を遥かに大きく上回るものでした。余りに安易な要因分析過ぎる気は自分でもしますが、原作者の紗倉まなも認めている通り、やはり、監督の瀬々敬久と言う人物の手腕によるところが非常に大きいように思えます。他にも何人かの類似したキャリアを持つ監督が存在しますが、この監督もポルノ映画監督としてキャリアを積んで来ています。ポルノ映画よりもピンク映画と言う呼称の方が適切かもしれません。

そしてここ最近では、『感染列島』や『ヘヴンズ ストーリー』、『64-ロクヨン- 前編/後編』など、私も映画館でも優先順位が低く観ることがなく、DVDを後から観るにもなかなか腰が上がらないような重たい人間ドラマが並んでいます。私がこの監督作品で複数回観るほどに気に入っているのは『ストレイヤーズ・クロニクル』ですが、この作品でさえ、若い超能力者たちの派閥争いのような単純な対立構図には終わらせていません。染谷ナンチャラ演じる自分でコントロールの効かない破壊性のある車椅子の能力者を、仲間が泣く泣くガソリンをかけて焼き殺すなど、彼らの宿命と命の駆け引きがやたらに重たく描かれている物語でした。

私は劇場で観た『クロニクル』と言う実写版『AKIRA』と噂されていた超能力少年三人の話が、不発映画でがっくりきて、似た設定・似たタイトルの『ストレイヤーズ・クロニクル』をDVDで観ましたが、かなり入り込めました。生殖能力もなく自らも死に急ぐような言動を取るチームにあって、一人生殖能力を持ち、皆から「生き残ってくれ」と切望される(能力も性格も)地味目の少女の碧を演じた黒島結菜の沈鬱な表情はやたらに刺さり、彼女が超能力少女を再び演じた『サクラダ・リセット』前後篇を観ましたが、(楽しめはしましたが)やはり、『ストレイヤーズ・クロニクル』を超えるものではなかったように感じます。

登場人物たちが生きる上で背負ってしまう業や、彼らの意志とは離れた所で彼らを衝き動かしてしまう欲動のようなものを、言葉ではなく彼らの表情の変化や日常の行動の描写で描くことにこの監督は強烈に長けているように私には思えます。

映画の構成はそれなりに複雑です。AV業界への接点と言う共通点を持つ3人の女性が主人公で、彼らの物語は尺で言うとほんの2分刻みぐらいでどんどんとまるでリボルバーのように入れ替わって行き、時系列で並行して進んでいきます。

主人公A(私が勝手に整理上Aと呼んでいるだけで、劇中にそのような表現はありません。)は既にガンガンAVに出演している若いAV女優で、親バレを機に、釧路から上京した母・妹との相克を経て、AV女優である自分を見つめ直すことになります。主人公Bはもうすぐ35歳になる専業主婦です。子供もいず、同じ年頃の夫とはセックスレスになって寝室も分けている状態で、35になるから子供を作ろうと夫に言っても、まるで生殺しのような態度しか示されず、(事務系の自営業のように見える)仕事に逃避されてしまっています。夫の部屋に行くとベッド脇のPCのディスク・ドライブのトレーが開いていて、そこに如何にも安く手に入れた感じのオムニバス系のAVが置かれているのを発見する所から心が揺れ動き始めます。そして、初めてのAV収録に三島に泊りがけで夫にも嘘をついて臨んだら、その間に入院中の父が息を引き取り、最期を見取れなかったことへの大きな呵責に苛まれることになります。

主人公Cは田舎の港町に住む女子高生です。東京に出て行って音信不通だった彼女の母が、彼女が3歳ぐらいの時に彼女を連れて、自分の実家の田舎町に戻って来てから、この港町の小さなこじゃれた食堂を営む祖母の稼ぎで育てられました。母はその後も出て行ったり戻ったりを繰り返しながら、「パラサイト」を自称し、事実上働いていません。よく言えば、人生を達観した態度ですが、田舎目線で見るならただのあばずれ女でしかありません。主人公Cは港町の雰囲気に馴染むこともできず、学校でも居場所が見つからず、不登校にはなっていないものの、有名な賞を取るぐらいに才能が開花した油絵制作に家で没頭する毎日です。ところが、或る日、学校で彼女の母が元AV女優であったことが噂となり、彼女が母に詰め寄ると、「あなたには絵の才能が有るけど、私には何にもなかったからなぁ。そうねぇ。そんなこともしたわねぇ」のように気怠く事実関係を認めるのでした。この時から、彼女の不信と拒絶は母に対するものだけでなく、その母をそのままに受け容れる祖母にも向けられ、小さな港町に彼女の居場所はなくなってしまいます。

AV業界の世間からの位置付けをモロに被って翻弄されるそんな三人の人生が時系列に少しずつ、しかし避けようのないペースで、どんどん描かれて行く作品なのです。戦争によって醜く変わった人々を描くことで反戦を強烈に伝えたとされる『キャタピラー』は、実は戦争以前から醜い人間関係を積み重ねていた強欲夫婦が、戦争をきっかけによりトチ狂っただけの話でした。そんな風に見ると、この作品はAV業界に翻弄される女性三人の話と言うよりも、AV業界と言う極端な、しかし、それなりに有り触れている環境に関わった女性達の承認してくれる誰かを求める彷徨の物語と受け止めるべきです。それほどに、この作品に「AV業界紹介」臭はなく、そこに関わりを持った女性達の心の揺れも、(幾つかの彼女達が激情に駆られた場面を除いて)殆ど言葉によって直接的に表現されることはないのです。

この女性三人の間にはきちんと接点が要されています。主人公AとBは場面上被ることがありませんが、同じプロダクションの所属です。マネージャーも共通なので、Bに対してAの話が他の女優の事例として話されることもありますし、AといるマネージャーにBから父の逝去に関する報告の電話が入ったりします。また、BとCもいきなり関係が出てきます。亡くなった父は比較的早い段階で妻と死別しており、男手一つでBとその姉の娘二人を育て上げますが、一度成長した娘に交際相手を紹介したことがあります。交際は長く続きませんでしたが、その交際相手がCの母だったのです。そして、ててなしご扱いだったCは、AV男優の子とまで噂されていましたが、実は母が真剣に付き合った相手との子供でした。

つまり、BとCは異母姉妹で、CはBの父の通夜に現れ、自分の父の顔を遺体で見ることになります。Bとその姉は、Cの母親をきちんと覚えており、Cに父のことを色々と説明して聞かせます。Cが亡き父の部屋で観たのは、自分と同じ好きな作家の画集とその作家の作品の模写作品でした。Cの「自分が誰とつながっていて誰によって生かされているのか」を一気に理解した瞬間の取り乱す様は涙を誘います。怒涛のカタルシスと言って良い場面だと思います。構図的には『海街diary』にも似た場面が存在しますが、胸に突き刺さる鋭角さはこちらの方が圧倒的です。

Cは新人女優が演じています。劇中、彼女を気にかけてくれる新聞配達の同級生男子にも心を閉ざしています。彼は彼女が親の噂で居た堪れなくなって学校を逃げるように去った時に、自転車で追ってきます。そして、自転車で逃げ切れなくなった彼女は自転車を打ち捨て、「大丈夫か」と立ち尽くす彼をストーカー呼ばわりし、いきなり初めてのキスをして、「これが目的なんだろう」と罵ります。彼は、口を拭い「バカにするな」と去って行くのでした。名場面だと思います。自分を苦しめる母への怨念と、(食堂で手伝っている際にも、「色っぽくなったよなぁ」と毎度言うスケベオヤジが伏線で存在しますが)結局自分に求められているのは男からの性の対象としての役割と言う絶望と、色情魔のように思われている母の血が自分にも流れていることへの拒絶などが、ぐちゃぐちゃに混じりあってしまったCの心情を精緻に描き切った場面だと思います。

新人女優にまでこんなすごい場面を演じさせているこの映画は、他のベテラン俳優にもやたらにハイスペックな描写を用意させています。専業主婦のBは森口綾乃と言う女優が演じていますが、私はギリギリDVDで観た『食堂かたつむり』ぐらいしか記憶にありませんが、テレビ・舞台にも色々出ている女優のようです。彼女の撮影から戻り自責の念に苛まれながら父の遺体を見、その後、通夜の直前、セックスレスだった夫と自宅に戻って、「ケンちゃん、今、抱いて。すぐしよ」と鬼気迫る様子で夫に自分を抱かせ、その後、AVに出演していたことを告白するプロセスは、それなりの艶のある場面に画像的には仕上がっているのに、胸が苦しくなるフラグがばっちり立っています。

彼女ののほほんとした感じの(妹に比べてできが悪いと自覚している)姉はなんと怪優江口のりこが演じています。『名もなき毒』のような攻撃的なメンヘラ系の女性を演じると有り得ないぐらいに怖いですし、『戦争と一人の女』のように自堕落でエロい女を演じると引き込まれてしまいそうになりますし、『ユリ子のアロマ』のように抑えてもエロさ滲み出るのも、やたらやらしい感じです。『脇役物語』のように意味不明なエキストラをしても存在感がまるでなくなってしまいますし、『スイングガールズ』のぶっきらぼうな楽器店店員も、『小さき勇者たち-ガメラ-』の一応テキパキした看護婦も、『ジョゼと虎と魚たち』のノリコと言うずぼらで下品な女子大生さえ、私は結構気に入っています。

その江口のりこに「あのさ。パパが意識失った時にさ、妊娠が分かってさ。それで、パパの生まれ変わりだと思うんだよ。でさ、(夫との子ではなく)付き合っている人との子供なんで、おろすことできないよね。なんで、私こんななっちゃうんだろう」とBに向かって父の遺体を前に泣き崩れさせるのです。Bは不倫でさえなく、たった一本AVに出ただけで自責の念に駆られている場面で、これを言わせるのです。この映画の要求度の高さがまたここでも垣間見られます。

他にも、私が『海と毒薬』の付き合っている医師と彼の妻も知らない秘密を共有したいからだけの理由で米兵の生体解剖に関与する看護婦を見て以来、要注意と思っているのが、根岸季衣ですが、Cの祖母を演じています。自堕落で身勝手な母をなぜ許せるようになったのかを語る場面では、「人間に生きている意味なんてない。そんなものがあっても分かりっこない」と老いてこそ語れる人生の意味合いが重たい言葉となって吐き出されます。さらに、Cの母は高岡早紀です。『モンスター』の怪演がやたらに有名ですが、見逃したままでいるのを思い出しました。気怠いCの母にも、縁側でタバコをふかしていダラダラしている中で新聞配達男子の淡い恋心を見抜くなどの言葉のない演技が光っています。妻と目を合わせないBの夫は、私がここ最近でかなり気に入った『ひかりをあててしぼる』の殺害されたDV夫です。DVに走る前は逆にオドオドした態度で、おかしな夫の態度集をこの作品と合わせたら作れそうです。

そして、Aの釧路から出てくる慟哭する母は渡辺真起子です。この人もおかしな女性をやらせるとぴか一です。『トルソ』で男性上半身のマネキンを家に飼っている趣味を隠す地味OLをやった時に、私はかなり嵌りましたが、その後、『タリウム少女の毒殺日記』では自分の娘に毒を盛られ衰弱して行く母になっていますし、『ヒミズ』のいきなり主人公を捨てて男に走る母も凄い感じでした。『名前のない女たち』でも主人公のAV女優の毒親を演じています。過去にVシネの有名シリーズXXでエロ系バイオレンス全開だった人には見えません。

彼女がAの母で典型的な「AV嬢は金に困っている。誰かに騙されている説」を盲信して、娘を救い出そうとして慟哭し、娘に完全に拒絶される様は、親として泣かせます。「ずっと何を考えているか分からない子だった」と嗚咽する様子が泣かせるのです。自分も親から期待されていることを完全に裏切ったことが人生の中で何度かある私は、自分の子供が分かるなどと言うことがあり得る訳がないと思っています。そんな私でさえ、この渡辺真起子の演技には「そうだよなぁ、大変だよなぁ」と共感させられてしまいました。

さらに極めつけが、Aです。Aは佐々木心音が演じています。この女優を私は『フィギュアなあなた』でしか知りません。血の通っていない全裸マネキンの対ヤクザ系暴徒とのコンバットシーンは非常に印象に残るものでしたが、それだけで、私が邦画で1、2を争うぐらいに好きな『沙耶のいる透視図』の脚本を書いた人間の作品とは到底思えませんでした。(監督と脚本では必要とされる能力が全く違うのかもしれません)

そんな佐々木心音ですので、この作品を観る前から認識はしていましたが、「どうせ、大したことがないだろ」的な期待しか持っていませんでした。しかし、この作品が期待を大きく上回った結果の最大の構成要素は、この佐々木心音でした。劇中でも当初男と寝ていて、AV出演を薦められ、「私ぶすだから…」と応えていますが、正直華がない顔と言えるように思います。AKBなどの標準値よりも外見上なら間違いなく上が求められているAVの単体女優・キカタン女優において、佐々木心音の顔は下のランクにあると思います。

しかしながら、AV女優には現場受けが非常によく、仕事にも直向きで、ユーザーからの人気が絶大である訳でもないにもかかわらず、長命を保っている一群のAV女優がいます。敢えて言うなら原作者の紗倉まなも、所謂バービー的な美しさがある女優ではないものと思います。そのジャンルのAV女優を見事に佐々木心音が演じているのです。劇中で親バレをするなど、シチュエーションはかなり異なりますが、女優の中の位置付けとしては、かなり紗倉まなに近い立ち位置で描かれていると思えます。この女優を演じる佐々木心音の心情描写がなかなかの優れものなのです。特に先程の渡辺真起子演じる母とのやり取りは秀逸です。妹から「何かなりたいものがあったから東京にまで出てきたんだったんだろ」と迫られて「一応なりたいものにはなっている」とぼそりと呟く彼女ですが、AV女優と言う仕事をする自分の“価値”がどんどん揺らいでいくのが分かります。『フィギュア…』の時の長髪のてかてか肌とは異なり、ショートで露わになった頬の肌荒れがやたらにリアルです。

母との共感を経て付き合い始めた男性にもカミングアウトしようと決意したA、夫との生活を(多分)見切り、父、姉や腹違いの妹との関係性から自分を発見し直したB、そして、世の中すべてが不信の対象だったところから、会ったことのなかった父とのつながり、見たことのなかった血縁の人々とのつながり、そしてそれを自分にもたらしてくれた母の価値を見出したC。先述の通り、AV業界の話と言うよりも、完全にAV業界に関わった女性達の自分を承認する相手を求めた彷徨の物語としてやたらに完成度の高い映画です。ここ最近、『だれかの木琴』や『愚行録』など、私が魅入られる映画が邦画で続出して、以前から書き留めている邦画ベスト50がぐちゃぐちゃになって困ります。

今年の劇場鑑賞作第一本目は大当たりでした。DVDは当然買いです。そして、見逃している『モンスター』も、ちょっと気が重かった『64-ロクヨン- 前編/後編』も観なくてはなりません。

紗倉まなのFANZA動画